前世では番だったかもしれないけど…

吉野 那生

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現世〜昇華〜

連鎖〜ニーナ〜

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通り過ぎざま、足を引っ掛けられ転んだ。

「っ!」

教科書を抱えていたせいで両手をつく事ができず、無様に転がる。


「まぁ、大丈夫?」

心配からの言葉に聞こえたけれど、口調と眼差しは嘲りと笑いを含んだものだった。


「何をなさるのですか?」
 
教科書を拾って立ち上がり、スカートについた埃を払うと相手に向き直る。



——こんな、子供じみたいじめを…。
でも、どうして?


明らかに同学年ではない上級生、しかも家格も上らしい2人は表面上は笑顔で—けれど目だけは笑っていない—こちらを見つめている。
足を出し、転ばせたというのに悪びれもせず。


「クリスティナ様は、もっとずっと痛かったわよ」

「…?」


何の事を言っているのか、咄嗟にわからなかった。


「大人しいフリしてよくやるわね」

「階段から突き落とすなんて…恐ろしい」

まるで汚らわしいものでも見るような目つきに、ショックを受ける。


「っ!それは…」

同時に彼女達の勘違いに気付き、訂正しようとしたけれど

「わたくし達も後ろから突き落とされないよう、気をつけましょう」

一方的に言い捨て、その人達は去っていった。



——もしかしなくても。
わたくしがクリスティナ様を階段から突き落としたと…そういう事になっているの?


確かに…あの時、咄嗟に手を伸ばした。
でもそれはクリスティナ様を助けようとしての事。

それに階段から転げ落ち、ピクリとも動かないクリスティナ様に動揺し、駆け寄る事も助けを呼びに行く事も出来ずに動けなかったのも、事実だ。

でも…。
だけど、突き落とすだなんてそんな事、断じてしていない。

…していないのに。


思わず教科書を握りしめると、角がグッとたわんだ。


その場から立ち去るわたくしの耳に、ヒソヒソと囁く声が飛び込んでくる。
こちらをチラチラと伺いながら、聞こえよがしに嗤う声も。


自然と目線が下がる。
俯く事でみなの視線から目を逸らし、足早に歩く。



——何もしていないのに。

誰もかれもがわたくしを指差し、憐れみと嘲りをもって見つめ、笑っている気がする。



——クリスティナ様を恨んだり、まして傷つけようとかそんな事、考えた事もないのに。

 *

教室にも戻れず生徒会室にも行けず、人目を避けながら辿り着いたのは図書室だった。


嵐の時、ユージンがクリスティナ様を守るように抱きしめていた書架の奥。
そこへふらふらと歩み寄り、制服が汚れる事も気にせずぺたりと腰を下ろす。

人目を避けるにはもってこいのこの場所で、たった1人怯えていたクリスティナ様。



——彼女は…どんな気持ちでここで泣いていたのだろう。

雷が怖かったのか、轟音が怖かったのか。
あるいはその両方か。


けれどもクリスティナ様には…ユージンがいる。

いいえ、ユージンだけではない。
誰に対しても優しく誠実なクリスティナ様の周りにいる人達なら、彼女が求めれば皆その手を差し伸べるだろう。


上を目指す事に必死で、周りを顧みる余裕のなかったわたくしとは、大違い。




——わたくしが今、ここで1人で泣いていても、探して駆けつけてくれる人は居ないけれど。

立てた両膝に顔を埋め、震える息を吐き出す。


その時だった。


「…ニーナ?」

優しい声が鼓膜を打った。


顔をあげると、そこにはユージンに抱きかかえられたクリスティナ様が。


「クリスティナ…様?」

ユージンの手を借りながら床に膝をついたクリスティナ様は、わたくしの肩に触れた。

「ニーナ、あなた、大丈夫?」


気遣うような声に、堪えきれず涙が溢れた。

先ほどの上級生達とは違う、偽りなくわたくしを案じる真摯な響きに心を揺さぶられる。


「ごめんなさいね、わたくしのせいで驚かせてしまって」

「いいえ、いいえ…クリスティナ様こそ大丈夫でしたか?」

涙の膜でだいぶぼやけてしまっているけれど、クリスティナ様の頭や身体に包帯らしきものが巻かれているようには見えない。

それでも、結構な高さから落ちたのだ。
流石に傷1つないという事はないだろう。


「えぇ、あちこち打撲はあるけれど、それ以外は特に」

「ごめん…なさい、クリスティナ様。
咄嗟に腕は伸ばしたけれど、わたくし、クリスティナ様が転げ落ちるのを見ているしか出来なかった…。
怖くて、驚いて…身体が竦んでしまって、咄嗟に助けを呼びに行く事すら…」


もしも時間が巻き戻せるのなら、今度はすぐに助けを呼びに行くのに。
いいえ、何があってもクリスティナ様の転落を阻止してみせるのに。

唇を噛み締めたわたくしの頭を、クリスティナ様はそっと抱きしめた。


「いいのよ、ニーナ」


イヤな事を言ったり、わざと誤解させるような態度をとったり…。
決して良い後輩ではなかった筈。
ユージンとの事も、ずいぶんやきもきしたでしょうに。


「どうしてそんなに優しくしてくださるのですか?」

涙ながらに問うたわたくしに、クリスティナ様は

「上級生は下級生を慈しみ、守り、導くものだからよ」

優しく背を撫でさすってくれた。


ほんの数時間前の事なのに、あっという間に広がった根も葉もない—わたくしがクリスティナ様を階段から突き落としたという—噂。


医務室かどこかで治療を受けていたクリスティナ様にとって、そんな噂など知る由もない筈なのに…。
それでもわたくしを気遣って、怪我をおして探してくれた。


「ごめん…なさい」

「そう思うのならば、次はあなたが同じ事をなさい。
あなたの前に悩み苦しみ、涙を流す人が現れたら、今度はあなたが手を差し伸べるの」


その言葉に、ピタリと涙が止まった。


「それが、理由よ」


かつて、クリスティナ様も謂れのない噂に苦しめられたと聞いた事がある。

だから…この人は、わざわざわたくしを探して来てくれたの?
根も葉もない噂によって傷つけられた痛みを、身をもって知っているから。

両手で頬を擦りながら顔をあげると、いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべるクリスティナ様の目が合う。




——本当に。
この方には敵わないわ。

諦めというには心地よい、清々しい感情が全身を包み込む。



「わかったわね?ニーナ」

「はい、クリスティナ様」


心からの返事に、クリスティナ様は満足そうに微笑んだ。
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