5 / 46
出会い編
美しい獣
しおりを挟む結局、何も思い出す事が出来ず今後の状況に見通しも立たないまま、レプスの退室を見送ったアリシアはぼんやりと天井を見上げていた。
窓の外は薄暗くなり、室内も闇に包まれようとしている。
急に眠気を感じ、アリシアは何度もパチパチと瞬きをした。
けれども一向に去らない強烈な眠気に、遅ればせながら先程の食事に何か入っていたのかも、と思い至った。
——そうよね、身元の不確かな不審者だもんね。
ウロウロ出歩かれたり問題起こされるよりは、大人しく寝ててくれた方がいいわよね。
やさぐれた気分で睡魔に身を任せようとしたアリシアは、薄暗闇の中ふと風が動いたのを感じた。
半ば朦朧とした目を向けると…そこには美しい獣が佇んでいた。
暗闇の中に浮かび上がる毛並みはよく手入れされているのか白銀に光り輝いていて。
大型犬よりよほど大きな体躯に見合う手足はがっしりとしていて、いかにも力強そうだ。
暗闇に光る目は片方しかないけれど、その眼光は鋭く野生の獣の持つ獰猛な気配と圧倒的な存在感に、アリシアは知らず息を呑んだ。
——おお、かみ?
その名がスッと浮かんできた事にまず驚き、そして神々しく精悍で生命力に溢れた姿に心を奪われた。
——…こんな綺麗な生き物、見た事ない。
目、怪我したのかな。
片方の目でも、これだけの迫力だもん。
両目が開いていたらきっと…もっとずっと神秘的で、怖いくらい美しくて近寄り難くて、1枚の絵のようだったんだろうな。
そんな事を考えながら見惚れているアリシアと狼との視線が絡み合う。
狼の全身から放たれる絶対的な「気」に、アリシアは総毛だった。
と…風が動いた。
次の瞬間、音もなく寝台の上に飛び乗った狼の鼻先が目の前に現れ、心臓が止まるかと思った。
前足は丸太のように太く、身動ぎする事さえ出来ないほど強い力で怪我をしている右肩を押さえつけられ。
固い骨でも容易く噛み砕いてしまいそうな強靭な歯と顎から逃れる術は、なさそうに思える。
痛みに歯を食いしばるアリシアにのしかかり、狼は冷たく見下ろした。
理由はわからないし、そもそも理由などないのかもしれない。
けれど、恐ろしい程の威圧感と不審者を排除するという殺気のようなものが、ありありと
伝わってくる。
少しでも気を抜けば…目を逸らしたら、負けだ。
それもただの勝ち負けじゃない。
ほんの僅かでも隙を見せたら、それが命取りになる。
理屈抜きにそう悟ったアリシアは、肌を突き刺すような鋭い「気」に内心怯みながらも狼と対峙した。
——私…何かしたのかな。
この綺麗な獣を怒らせるような、何かを。
鼻先にシワを寄せながらジッと見つめる狼の、真意の読めないガラス玉のような瞳から目を逸らさずに見つめ返す。
両手をキツく握りしめ、意識をしっかり保っておかないとたちまち喉元に喰らいつかれる。
それは危機感であると同時に確信でもあった。
——でも…この綺麗な獣になら、良いかな。
自分でも、何故そんな事を考えたのかわからない。
けれど狼の澄んだ瞳に映る自分の姿が、急にちっぽけな物に思えて。
このままここで生きていても何の意味もないのではないかと思えてきて。
アリシアは無意識のうちにため息を吐いていた。
どうせなら…ひと思いにやっちゃってくれないかな。
痛いのも血がたくさん出るの、嫌なんだけどな。
身動ぎもせず見つめ合うアリシアと狼。
ややあって、覚悟を決めたアリシアは口元に淡い笑みを浮かべ、フッと身体の力を抜き目を閉じた。
けれど…いくら待っても、その時はやってはこなかった。
不思議に思ったアリシアが目を開けると、狼は先程と寸分違わぬ位置で彼女を観察し続けていた。
首を傾げたアリシアと狼の視線が絡み合う。
先程まで表情の読めなかったその瞳に、その瞳に驚愕と戸惑いの色が浮かんでいる気がして…。
しかも、先ほどまで感じていた殺気が嘘のように消えていて、アリシアは目の前の狼をぼんやりと見つめた。
それは時間にすれば10秒にも満たない僅かなものだったけれど、ふいと目を逸らしたのは狼の方だった。
そのまま右肩を押さえつけていた前足を退け、ゆっくりと離れる。
目に見える形での脅威が遠のいた事により、ほんの僅かに気が緩んだのか、先程まで全く感じなかった右肩の傷が疼き出す。
同時に抗いがたいほどの眠気に襲われ、アリシアは意識を手放した。
*
「……夢?」
ぼんやりと呟くアリシアの声は、掠れて何処か現実離れしていて。
無意識に身体を起こそうとして、右肩に走った激痛に覚醒したての意識が一気に目覚めた。
「…っ!」
先程も似たような事があったなと可笑しくなり、無性に笑い出したい衝動にアリシアは駆られた。
「ふふっ、あは、あははっ、あははは」
最初は小さな含み笑いだった笑い声は、すぐにヒステリックな甲高いものに変わる。
両手で顔を覆い笑うアリシアの両目から、涙がツーっと伝って落ちた。
——これから、どうなるんだろう。
自分が誰なのかもわからない。
ここがどこなのか分かっても、これから先どういった扱いを受けるかも…最悪命の保証すらない。
途轍もない不安と傷の痛みに涙を流すアリシアを、見つめている目がある事を彼女は気づかなかった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
惚れた男は根暗で陰気な同僚でした【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
イベント企画会社に勤める水木 茉穂は今日も彼氏欲しさに合コンに勤しむ、結婚願望が強い女だった。
ある日の週末、合コンのメンツが茉穂に合わず、抜け出そうと考えていたのを、茉穂狙いの男から言い寄られ、困っていた所に助けに入ったのは、まさかの男。
同僚で根暗の印象の男、【暗雨】こと村雨 彬良。その彬良が会社での印象とは全く真逆の風貌で茉穂の前に現れ、茉穂を助けたのである………。
※♡話はHシーンです
※【Mにされた女はドS上司に翻弄される】のキャラを出してます。
※ これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。
※終了したら【プラトニックの恋が突然実ったら】を公開します。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛
ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。
社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。
玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。
そんな二人が恋に落ちる。
廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・
あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。
そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。
二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。
祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完】経理部の女王様が落ちた先には
Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位
高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け
ピンヒールの音を響かせ歩く
“経理部の女王様”
そんな女王様が落ちた先にいたのは
虫1匹も殺せないような男だった・・・。
ベリーズカフェ総合ランキング4位
2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位
2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位
関連物語
『ソレは、脱がさないで』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位
『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位
『初めてのベッドの上で珈琲を』
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位
『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位
私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。
伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。
物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる