狼王のつがい

吉野 那生

文字の大きさ
9 / 46
出会い編

理不尽と達成感

しおりを挟む

「ここでは基本、隊服などの支給品は洗濯当番が、それ以外の私服や下着などは自分で洗うの。
洗い場は2ヶ所あって、ここは支給品やシーツなど大物を洗う場所よ」

山と積まれたシーツにげんなりしかけ、今日からこれが仕事なのだとアリシアは気合を入れ直した。


「栗鼠族のメイアよ。
よろしくね、新入りさん」

「アリシアです。
よろしくお願いします、メイアさん」

おそらく自分よりいくつか年上だろうと思われる、栗色の髪と同色の目を輝かせた小柄な女性に頭を下げる際、アリシアは彼女の頭部に目を止めた。


「あぁ、これ…」

アリシアの視線に目ざとく気づいたメイアは、苦笑いを浮かべる。

「これでもちょっと前までは斥候として前線に出ていたんだ。
これはその時に、名誉の負傷って奴さ」

歪にちぎれた右耳と女性にしては短すぎる髪に触れ、メイアは当時を思い出したのか少しだけ遠い目をした。


「ごめんなさい…今は、痛みは?」

「レプスが手当てしてくれたから今は大丈夫。
アンタのおばさんは大した医官だよ」

ニッと笑うとメイアは徐に腕まくりをし

「さ、これを片付けてしまおう」

と洗濯物の仕分けを始めた。



目立つ汚れは手で揉み洗いをし、大物はたらいに入れて踏み洗いをする。

誰かに教わった訳ではないが、黙々と片付けていくアリシアの手際の良さに、遠くから伺っていたレプスは胸を撫で下ろした。



——今日のように日差しのある日なら、洗濯物もよく乾くだろう。
それに気心の知れたメイアなら、アリシアの面倒を見てくれる筈。


そう思いながら踵を返したレプスの耳に

「何をやっているんだ⁉︎」

シルヴァンのどこか焦ったような、それでいて怒りの滲んだ低い声が届いた。



振り向いた先には…。
丈の長いスカートが濡れるのを避けるため、スカートをたくし上げ洗濯物を踏みつけたままきょとんとするアリシアと、ピリピリした様子で彼女を睨みつけるシルヴァンがいた。

慌てて駆け寄ると同時に、離れた場所で洗濯物を干していたメイアも戻ってくる。


「何をやっているんだと聞いている!」

抑えた怒声にアリシアはビクリと身体を震わせながらも

「洗濯をしています」

と答えた。


アリシアも、レプスもメイアも、シルヴァンが何故怒っているのか見当がつかず、互いに顔を見合わせた。

「洗濯は見ればわかる!
それよりもみだりに足を晒すな、みっともない」



——足…って。

ふくらはぎが見えるくらいで、太ももまで露わにしていた訳じゃなし。
それに、こうしなければお仕着せが濡れて、かえって洗濯物が増えるだけなのに。


そう思いながらも、アリシアはシルヴァンの剣幕に押され黙り込んだ。


「配慮が足りず申し訳ございません」

その場を収めるためにメイアが頭を下げたが、シルヴァンは不機嫌そうに鼻にシワをよせたままだ。

頭ごなしに怒鳴るなんて…とレプスは呆れたが、アリシアはメイアに頭を下げさせてしまった事に青ざめた。




——ついスカートをたくし上げてしまったのが、はしたなかったのかしら。
ここでは、女性が足を出す事はみっともない事なのかもしれない。


「申し訳ございません、以後気をつけます」

自分が何かしでかせば、レプスとグリスに迷惑がかかる。
その思いで頭を下げたアリシアに、シルヴァンは

「ここは手が足りている。食堂へ行くように」

と告げ、そのまま立ち去った。



「なんなの?あれ」

呆れ顔のメイアに、アリシアはもう1度頭を下げる。

それに対してメイアは

「アンタは何も悪い事はしちゃいないよ。
確かに若い娘が足を晒すなって、あの方の言い分も分からなくはない。
けれど、ああでもしなきゃお仕着せの裾が濡れてしまうし、私だってそうするさ。
もっとも、そう若くはないけどね。

まぁ、今回はたまたま虫の居処が悪かったんだろ、気にしない気にしない」

と笑い飛ばした。


けれどもシルヴァンの剣幕と、何よりもいきなり怒鳴りつけられた事で、アリシアはすっかり落ち込んでしまった。



——ダメだなぁ。

こんな事でいちいち落ち込んでちゃ、レプスさんにもメイアさんにも心配かけちゃう。


何よりも…。
シルヴァンに、何も知らない愚かな娘だと呆れられてしまったのではないか、としょんぼりするアリシアの様子にレプスとメイアは顔を見合わせた。

メイアがさり気なく目配せをし、レプスが小さく頷き返す。


「さぁさ、アリシア。
こっちは私がやっておくからズボンを干してちょうだい。
あの木からこっちにロープをかけてね。
結び方はわかる?
あぁそう、それでいいよ。
それが終わったら、次はリネンをお願い」


パンと手を叩き、重苦しい空気を払拭するよう明るい声で言うメイアにアリシアも気持ちを切り替え従った。



——何も考えず、ただ黙々と手を動かすのは嫌いじゃない、かも。

頭を空っぽにして目の前の作業に集中する事で、大抵の事はどうでもよくなってしまうのだとアリシアは気づいた。

ひたすら手を動かし続けたおかげか、先程感じた戸惑いも理不尽さも、微かな胸の痛みも綺麗に吹き飛んだ気がする。



山のようにあった洗濯物が全て片付き、風にはためくのをアリシアは清々しい気持ちで見上げた。


「さっぱりしましたね」

「ようやく片付いたよ、ありがとう」

たらいを適当な木に立てかけてから腰を叩くメイアにアリシアはにっこりと微笑みかける。

その笑顔にメイアは少しだけホッとした。


「落ち着いたようだね」

「え、あ…そうですね。
手を動かしていたら何か…忘れてました」

正直なアリシアの答えに、メイアはクスリと笑みをこぼした。

「単純な作業だけど人のためにもなるし、何より綺麗になるのは気持ちがいいからね」

「えぇ」

ついと視線を空に向けるメイア。
アリシアもメイアに倣って、真っ青で雲1つ浮かんでいない空を見上げる。

山から吹き渡ってくる涼しい風が、2人の頬を撫でた。


「アンタみたいな素直な子が一緒だったら楽しかったんだろうけどね…残念だよ。
まぁ、でも何かあったらまたおいで。
話くらいは聞いてあげるからさ」

「はい、ありがとうございます」

律儀に頭を下げるアリシアをメイアは妹を見るような優しい目で見つめ、それから我にかえったようにその手を取った。


「大変、急いで食堂に行かなきゃ!
お昼食いっぱぐれるよ」

「そう思って2人の分はほら、ちゃんと包んでもらってきたよ」


近づいてくる足音も気配もまるで感じなかったのに、すぐ後ろから声がしてアリシアは文字通り飛び上がった。

「ご、ゴルさん⁉︎」

メイアも気がつかなかったのか、目を丸くしてゴールディを見つめている。


「アリシアはともかく、メイアは気を抜きすぎ」

ボソリと言い放ったゴールディは、次の瞬間ニコリと人好きのする笑みを浮かべ

「さ、あったかいうちに食べて。
干し肉のサンドイッチに、スープもつけてもらったから」

と中身のギッシリ詰まったカゴを差し出した。


「あの、ゴルさんはお昼、もう召し上がったんですか?」

受け取りながらアリシアが尋ねると、ゴールディはさらに笑みを深め

「ありがとう。
でも僕はもう食べたし、これは君達の分だから気にしないで食べて。
あ、カゴは食堂に返しておいてね」

と手を振りながら立ち去った。



——わざわざ持ってきてくださったのかしら?
それにしても…やけにいいタイミングで現れたな、ゴルさん。

一瞬もやっとしたアリシアではあったが、美味しそうな匂いに空腹を自覚した途端、もやもやした感情は意識の片隅へと追いやられてしまった。


「ゴールディと知り合いだったの?」

「え?えぇ、何かと良くしていただいています」


見張り兼護衛と正直に話す訳にもいかず、アリシアがお茶を濁すと

「え?なになに?
あいつまさか、アリシアの事が気に入っちゃったとか?
ヤダ、アンタ可愛いからね、気をつけなよ」

メイアは先ほどよりも目をキラキラさせて、1人で納得し1人で相槌を打ちながら猛然と食べ始めた。
その横で呆気にとられながら、アリシアもそそくさと食事を済ませたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

惚れた男は根暗で陰気な同僚でした【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
イベント企画会社に勤める水木 茉穂は今日も彼氏欲しさに合コンに勤しむ、結婚願望が強い女だった。 ある日の週末、合コンのメンツが茉穂に合わず、抜け出そうと考えていたのを、茉穂狙いの男から言い寄られ、困っていた所に助けに入ったのは、まさかの男。 同僚で根暗の印象の男、【暗雨】こと村雨 彬良。その彬良が会社での印象とは全く真逆の風貌で茉穂の前に現れ、茉穂を助けたのである………。 ※♡話はHシーンです ※【Mにされた女はドS上司に翻弄される】のキャラを出してます。 ※ これはシリーズ化してますが、他を読んでなくても分かる様には書いてあると思います。 ※終了したら【プラトニックの恋が突然実ったら】を公開します。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛

ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。 社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。 玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。 そんな二人が恋に落ちる。 廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・ あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。 そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。 二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。   祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完】経理部の女王様が落ちた先には

Bu-cha
恋愛
エブリスタにて恋愛トレンドランキング4位 高級なスーツ、高級な腕時計を身に付け ピンヒールの音を響かせ歩く “経理部の女王様” そんな女王様が落ちた先にいたのは 虫1匹も殺せないような男だった・・・。 ベリーズカフェ総合ランキング4位 2022年上半期ベリーズカフェ総合ランキング53位 2022年下半期ベリーズカフェ総合ランキング44位 関連物語 『ソレは、脱がさないで』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高4位 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高2位 『大きなアナタと小さなわたしのちっぽけなプライド』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高13位 『初めてのベッドの上で珈琲を』 エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高9位 『“こだま”の森~FUJIメゾン・ビビ』 ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高 17位 私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。 伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。 物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

処理中です...