ある警察官の記憶

夏野菜

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いまから振り返るのは、公園で女の子を保護してから1週間が経ったときのことだ。

といっても、その頃には俺は女の子のことをすっかり忘れていた。

忘れていた、というよりも思い出すことがなくなっていたという方が正しいと思う。

もちろん保護した時は「かわいそう」とか、「ひどい親だ」という感情は持っていたけれど、言ってしまえば数ある事件の中のほんの一つ。

言い訳がましいけれど、警察官にだって毎日いろいろな仕事が降ってくるし、それをこなさないと現場がまわらない。

日々の業務をこなすという意味では、警察官だって会社員となにも変わらない。

「あの事件が気になるから、俺はこだわって捜査するぞ」なんて、TVドラマの中だけの話だ。

話が少し脱線してきてしまったな。

とにかく、警察官が被虐待児を保護した後は、引き継ぎなどの手間こそあるが、基本的には児相や児童養護施設の範疇になる。

それが今の虐待対応の現場なんだ。


この日、俺は警察署の裏の喫煙所で、生活安全課の同僚に声をかけられた。

細かいやりとりは忘れたけれど、たしかこんな感じだったと思う。

「おぅ、そういえばきょう、中央児相の山林と会ったぞ。お前と同級生なんだってな」

「中央児相の山林? あぁ・・・・・・。高校の時の同級生だな。なんだよ急に」

「○○ちゃんの保護したのって、お前らなんだろ?中央児相の担当管内だからさ、きょう報告聞いて来たんだよ」

「○○ちゃんって、あの公園にいた女の子のこと、だよな?」

「お前さぁ、自分の担当した事件の当事者ぐらい覚えとけよ。そういうの大事だってさんざん言われているだろう?」

「良いんだよ。俺は白バイ希望なんだから」

「はいはい。前からずっと変わらないもんな」

「で? あの子はどうなってるんだ?」

「女の子は保護されたままだよ。2カ月ぐらいはいるんじゃないか?その後は家に帰るか、施設に行くかだな。俺は施設に預けた方が良いと思うけどな」

「やっぱり虐待か?」
俺はわかりきったことを聞き返した。

「どうみても虐待だろ笑。前はヤク中の父親が暴力振るってたみたいだけど、その父親はチンピラとケンカして先月パクられてさ、残された母親が女の子の育児を一切していなかったみたいだな」

「父親も母親もクズだな」

「まぁ母親は精神疾患で通院中らしくてさ。色々大変なのは分からなくもないけどな」

「おいおい。お前、あの状態を見ていないのか。ガリガリにやせてたし、ニオイもひどかった。まともな人間が真冬の雪の中に子ども放り出すか?ありえないだろ」

「まぁまぁ、そういうなって。夫がいきなり逮捕されて収入も無くなったんだ。パニックになってもしょうがない。

「児相の対応もずさんだな。こんなんになる前に対処出来たんじゃないか?」
現場を見てきた感覚で言うと、少し腹立たしい気持ちになった。

「まぁまぁ、そう言うなよ。現場も人手不足で大変なんだよ。暴力を振るっていたのは父親なんだから、それが家庭からいなくなったら、誰だって安心するだろう」
同僚との会話は、そこで終わった。


その晩、俺は自宅のリビングのローテーブルで缶ビールを開けたと思う。
確か、42型のテレビの前に置いた写真立てが目に入って、7年前の結婚式の写真をじっくりと眺めていた。

(きっと友人たちの家では今頃、子どもの写真を飾っているだろう)。
みたいなことを考えていた気がする。

俺たち夫婦には子どもが出来なかった。いや、正確に言えば生まれてはこなかった。

不妊治療を3年ほど受けていたが、妊娠はするけれども出産までに至らなかった。

その時、俺の隣に座った妻に、雪の公園にいた女の子のことを話した。

保育士の妻は、日常的に似たような話に触れているのかもしれない。うん、うんと頷きながら聞いたあと、ぽつりと「哀しいね」と言った。

白熱灯が照らす部屋はいつもより広く、そして暗く、静かに感じた。
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