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第六章 荒れる王国
閑話:美しき虚構の日々
私の後見をしてくれているミズーリ侯爵の息子、ルシアンと出会ったのは、私が王子宮に移ったばかりの頃だった。
母上と暮らしていた王宮の一角を離れ、それまで面倒を見てくれていた乳母もいなくなった。
知らない場所で、周りは大人ばかりで、とても心細かったのを覚えている。
「初めまして、第二王子殿下。ミズーリ侯爵家、嫡男ルシアン・ミズーリと申します」
そんな時に現れたのが、艶やかな焦茶の髪に深い緑色の瞳を持った、優しい微笑みを浮かべる美しい青年、ルシアンだった。
当時、私はまだ十歳。
そんなふうにきちんとした大人の挨拶をしてくれたのはルシアンが初めてだったので、王子宮に移って寂しかったのに、自分は母上から離れて大人になったのだ、と誇らしく思えるようになった。
第二王子殿下、という呼び名が『コーエン様』に変わったのはいつだっただろう?
きっと出会ってすぐだったと思う。
「ルシアン」
と呼べば、必ず目を合わせて名前を呼んでくれる。
自分が知らないことも、なんでも知っている。
今思えば、十歳の子の求める知識を成人して学園を卒業した大人が知っているなど当たり前に過ぎないと分かる。
けれど、当時の私にとって、ルシアンは、友であり、兄であり、教師でもあり、そして保護者でもあり、私の全てだった。
ルシアンは私のことをよく褒めてくれた。
昨日解けなかった問題が解けた時、難しい本を最後まで読んだ時、着ている衣装、手紙の文字──
そんな中でも印象的だったのは髪の毛を褒めてくれた時のことだ。
「コーエン様の髪はとても美しいですね。艶々していて、太陽の光にきらきらと輝いて、御身に触れるのは無礼になりますから触れることはできませんが、きっと絹の糸のように滑らかなのでしょうね……」
そう言った顔があまりに切なそうだったので、私はルシアンに髪に触れることを許可したのだった。
髪に触れることを許すとルシアンは櫛を持ってきて、たまに私の髪の毛を櫛で梳くようになった。
そして、こんなに美しい髪は見たことがない。
まるで月の光で紡いだ糸のようだ、と感嘆のため息をこぼすから、私は髪の毛を伸ばし始めた。
それを知ってルシアンがとても喜んでくれたので、私もとても嬉しかった。
そんなルシアンとの優しい日々に突然訪れた悲劇。
ルシアンは朝食を終えた後にやってきて、夕食の前にいつも帰っていく。
だから夜は私はひとりだった。
正確には侍女も侍従も護衛もいるのだからひとりではない。
けれど、頼ったり相談する人がいないという意味で、ひとりだった。
夕食後、風呂も終えて夜着をまとい、寝台に横になっていると遠くで扉の開く音がした。
寝室の扉ではなく、その向こうの居間の扉の開く音だ。
そして足音が近づいてくる。
護衛がいるはずなのに、声掛けもない。
恐ろしさにただ震えていると、声が聞こえた。
私の『第二王子』という地位におもねるねばつくような嫌な声だ。
「ガルヴァーノ・リースターが第二王子殿下に贈り物をお持ちしましたよ。きっとお喜びいただけると思います」
第二王子殿下、と私のことを呼びながらも無礼すぎる物言いだ。
そもそも、面識のない下位の貴族からの言葉に返事を返すのは無礼を許したことになる、と教えられている。
だから、返事をせず、黙っていれば去っていくだろうと、震えながら寝室の扉を睨みつけていると、ガチャリとノブを回す音がして静かに扉が開いた。
そんな無礼なことをする人間を見たことがなかったので、恐怖感よりも呆気に取られて、ただ寝台の上で、逃げることすら思いつかなかった。
すでに灯りも落とした室内は、窓の外から月の光が差し込むだけで顔の判別すらできない。
それなのに、
「おお! これが王家の銀! 月明かりでも素晴らしく輝いておりますな!」
と、興奮気味に叫びながら黒くて大きな影が近づいてきた。
「誰か!」
と、呼ぶより前に口を押さえられ、静かにするようにと恫喝される。
こんな扱いは一度も受けたことがなくて、私はただ震えていることしかできなかった。
それからのことは思い出したくもない。
私の口を押さえた男と身体を入れ替えるように私に跨ってきたのは、銀色の髪の女だった。
吐き気を催すような甘ったるい香水の匂いと、無理やり口を開かされ飲まされた甘い液体。
そして自分の身体が飲み込まれてしまいそうに感じる柔らかくて重たい何か……
それは好きなように私を蹂躙して、下卑た笑いを残して、夜が明ける前に去っていった。
私は蹂躙されたそのままの姿で、動くこともできなくて朝を迎えたけれど、身支度にやってきたメイドたちは、まるで私の状態が見えていないかのように普段の通りに濡れた布で身体を拭い、服を着せて朝食の席に着けた。
あまりにも自分以外が普通で、自分が悪い夢でも見てしまったのかと、やってきたルシアンに顔色の悪さを指摘されて「夢見が悪かったのだ」と返事をした。
夢の内容は言えなかった。
あの時は言えなかった理由を理解していなかったけれど、今ならわかる。
私はルシアンに恋をしていて、夢の内容はルシアン以外の人と交歓している内容だったから、だから言えなかった。
けれど、その悪夢は一晩では終わらなかった。
翌日も、そしてその次の日も、同じ悪夢が繰り返されて、食事も喉を通らない。
ついに倒れてしまった私は、ルシアンに問い詰められて泣きながらここ数日の夢の内容を告白した。
そんな私をルシアンは痛々しげに見つめて、いたわるように髪の毛を撫でながら、
「それでは悪夢が来ないように、私が不寝番に付きましょう」
と言ってくれた。
ルシアンは私の寝台の枕元に椅子を置いて、ずっと手を握っていてくれた。
眠ると悪夢を見そうで怖かったけれど、疲れていた自分は知らない間に眠っていたようで気づくと朝になっていた。
窓から差し込む朝日に照らされて、ルシアンは私の小さな手を握ったまま、寝台に半身を伏せて眠っていて、濃い色のまつ毛が朝日で整った顔に影を落としているのを、私はルシアンが目覚めるまでじっと見つめていた。
その時、初めて私はルシアンのことが好きなのだと気づいたのだと思う。
ルシアンがいてくれれば悪夢は来ない。
だからと言って、毎晩ルシアンを不寝番にするわけにはいかないのは分かっていた。
でも、ルシアンがいない日は、また悪夢がやってくる。
護衛も侍従も信用出来ない。
あれが、本当は夢ではない、ということには子供といえど薄々気がついていたのだ。
侍女やメイドは尚更ダメだった。
女だというだけで身体が拒否をする。
食べることもできず衰弱する私に、医者が薬を出してくれた。
寝る前に飲むと夢も見ずに眠れる薬だ。
それからは深夜の悪夢に怯えることもなく夜眠り、朝起きる。
夜着も乱れていないし、ちゃんと布団をかけたまま目が覚める。
ただ、悪魔がやってきたのだと残り香だけが教えてくれた。
なぜ?
どうして自分の元に、そこまでして女を送ってくるのか?
このままどうなってしまうのか?
その結果は悪魔が突然現れなくなって、しばらくして知らされた。
「第二王子殿下への贈り物の女が殿下のお子を産みましたよ」
久々に現れた、ねばつくような喋り方をする男だ。
ガルヴァーノ・リースター伯爵。
没落寸前の伯爵なのだと、流石にその時はもう知っていた。
そしてその子供を使ってリースターが何をしようとしているのかも。
何も知らないままではいられない。
だからといって、自分が陥れられて子供を作られた事実を誰かに相談することもできない。
王子宮に私の味方は一人しかいなかった。
だから、本当は隠しておきたかったけれどルシアンに相談した。
「わかりました。私に任せてくだされば大丈夫ですよ」
慰めるように私の髪の毛を撫でたルシアンは、本当にその子供と私との関係を隠してくれた。
その子供は兄の子として王籍に登録され、カスパルと名付けられた。
その当時、兄の妻である王太子妃は何度も子が流れていて、側妃を取るようにとの声が大きくなっていたらしい。
そこに、私の元に通ってきていた悪魔が入り込んだようだ。
自分が王族としての勤めを果たせない。
メイドや侍女に世話をされるのも身体が拒否していたけれど、それが決定的になったのは父上が亡くなり、兄上が国王になってしばらくして、私の元に閨の指南役の未亡人がやってきた時だった。
彼女はおそらく、素晴らしい女性だったのだと思う。
私の緊張を解こうと、薄い果実酒を飲ませ、話をし、そして隣に座って私に触れた、
瞬間、私は嘔吐した。
全身に鳥肌が立ち、身体が震える。
指南役の未亡人もすぐに異常に気付き、医者を呼んでくれた。
彼女は何度も、体調が悪いことに気が付かなかったと謝罪をしてくれたけれど、彼女は悪くない。
医者に薬を飲まされ眠っている間に、指南役の未亡人は帰されたようだった。
本来ならば、医者に相談することなのだろう。
しかし、この医者は、悪魔がくることを知っていて私を眠らせた人物で信用出来ない。
私が相談できるのはルシアンしかいなかった。
ルシアンは私の恥でしかない告白を真剣に聞いて、そして親身になってくれた。
子供が生まれた経緯もはじめて明かすと、親身になって怒ってくれて、もう絶対にリースターを私に近づけないと約束してくれた。
そして、悪魔に汚されてしまった私を優しく抱きしめて、自分で良ければいつでも力になる、と言ったのだ。
女性に触れられるだけで拒否を示す身体は、ルシアンに触れられても嫌悪を感じず、やがて私はルシアンとの触れ合いに溺れるようになった。
それは、母親の温もりを求める子供のような感覚だったのかもしれない。
それでも、自分にはルシアンしかいなかったから、────やがてルシアンが求めるままに身体を開き、ルシアンを受け入れ、愛されていると信じた。
けれど、気づくと私の居場所はどこにも無くなっていた。
兄は、どこからかカスパルの本当の父親が私だと知ったらしく、それまで歳の離れた兄として優しく接してくれていたのが嘘のように冷たくなった。
それは、当たり前で仕方がないことだとは思うけれど、とても悲しいことだった。
そして、私が女性と触れ合えないことも、また兄にどこからか伝わったようだ。
「学園には通えるのか?」
久々に会った兄に訊かれ首を傾げると兄は言った。
学園は男女共学だし、授業の内容にダンスもある。触れずに過ごすことは出来ないだろう。と、
そして私は教会に入った。
教会は静かで心落ち着く場所だった。
王子宮にいた時のようにルシアンに会うことはできないけれど、この場所には女性がいない。
高位の聖職者が幼い子供に声を掛け、部屋に呼んでいるのを見かけることはあったけれど、私の身分は王弟だ。
誰も私を害することはない。
教会に入る時、ルシアンは約束してくれた。
自分がミズーリ侯爵を継いで力を持ったその時には、必ずあの悪魔を葬り去ってあげるから、と。
しかし、その頃にはすでにルシアンが口先だけの男だということに薄々気がついていたように思う。
時が経ち、私は司祭になり、ルシアンは随分前に侯爵位を継いでいたけれど、相変わらず悪魔は王宮に住んでいて、ルシアンは悪魔の元に通っている。
そして、ある日私にこう言った。
「僕の娘と君の息子を結婚させたいんだ」
その言葉に吹き出さなかった自分を褒めてやりたい。
私はほんの少し微笑んで、「それは素敵ですね」とルシアンに言った。
本当に浅はかな男だ。
なのに、そんな男をいまだに未練たらしく愛している自分は本当に愚かだ。
ルシアンは悪魔を退治しない。
それどころか、悪魔は教会に出入りするようになった。
小さな帽子に目元の隠れるヴェールを掛けて、真っ赤な口紅を引いた口が嗤う。
「やっぱり本物の方が綺麗なのね。彼、この髪が好きみたいで、私のことをいつも後ろから犯してたわ」
悪魔はやはり悪魔だった。
「そうですか」
それ以外に何が言えるだろうか?
「あなたが教会に入ってから、また来るようになったの。困った人。でも仕方がないわよね。告解に寝台は持ち込めないもの」
「そうですね」
ただ、笑みを浮かべて相槌をうつ。
それ以外出来なかった。
美しい思い出は粉々に砕かれ、それでも、砕けた欠片でもまだ美しい。
私はそれ以外に美しいものを持っていないから。
それからしばらくの間、私は悪魔が優越感を満たすためだけの時間に頻繁に付き合わされた。
悪魔は、たまに子供を連れて来ることもあった。
私の罪の元凶でもあり、今現在、兄を苦しめている存在、カスパルだ。
カスパルは虚勢を張りながらも不安そうな、とても不安定な子供に見えた。
そう、以前の、ルシアンに出会った頃の私のように。
出会ったのがルシアンでなければ、私は違った人生を歩んでいただろう。
では、カスパルはどうだろうか?
カスパルは私に出会ってしまった。
私はカスパルをどうしよう?
私は大人で、カスパルは不安定な子供。どんなふうにだってできるのだ。
礼拝堂で膝をついて祈りつつ、ルシアンのことを考える。
私は愚かにも、いまだにルシアンのことを愛している。
けれど、真実を知ってしまった今、愛しているのと同じくらいルシアンを憎んでいる。
けれど、ルシアン以外に何もない私はルシアンを手放すことができない。
それなら、────ルシアンから全てを奪ってしまったら、ルシアンにも私しか残らなくなるのでは?
それは甘美な妄想だった。
何もかもを奪われたルシアンは、さぞや怒り嘆くだろう。
そして、無くしたものを再び手に入れようと必死にみっともなく足掻くだろう。
でも、誰かに奪われたものは取り返せても、無くなってしまったものは二度と取り返せない。
綿密に計画を練ったりはしなかった。
ただ、カスパルの入学にあわせて学園にある教会に移動しただけ。
あとは流れるまま、少しずつ手を入れる。
ルシアンの嫌がる顔を思い浮かべながら。
カスパルは自尊心の肥大した、なのに卑屈な王子に育っていたから、ちょっと煽れば簡単に兄上の子に手を出して、王太子の地位を剥奪された。
国王の外戚を狙っていたルシアンはさぞかし腹を立てているだろう。
そんなカスパルがピンク色の髪の毛の、風変わりとひとことで表現するのでは全く足りない、とにかく妙な令嬢を連れてきた時には、カスパルたちが帰って行ってから自室で大笑いしてしまった。
二人は愛し合っているらしい。
ルシアンの娘と婚約しているのに。
ルシアンは知っているのだろうか?
カスパルが連れてきた令嬢が愛妾にでもなってカスパルの愛情を独り占めにすれば、ルシアンの影響力は激減する。
廃太子された、国王である兄とは血の繋がらない偽物の第一王子ではあるけれど、王族として失格の烙印を押された私よりはよほど価値がある。
知っているなら排除しようとするだろう。
それならば、排除できないくらいにあの娘に価値をつけてやるのはどうだろうか?
何やら夢見がちな令嬢は、自分が聖女なのだと言っていた。
聖女が何かは知らないけれど、ルシアンが簡単に排除できないだけの価値がつけばそれでいい。
披露の舞台としてはおあつらえ向きな演習林での魔獣狩りが行われるという。
魔獣を従える聖女、というのはなかなかの役者になるのではないだろうか?
長い教会での生活で、暇にあかせて読み漁った本の中に召喚魔法の本があった。
人の身体に召喚魔法陣を刻み、生命力を使って魔獣を召喚する生贄召喚。
おあつらえ向きに、私の元にはたくさんの令嬢がやってきて愚痴や悩みを相談していく。
今でも女性は好きではないが、大人になって身体も大きくなった今は以前のように制御できないほどの恐怖も拒絶も無い。
カスパルのお気に入りの令嬢の魔力をたっぷりもらい、告解にやってきた令嬢を眠らせて魔法陣を刻む。
魔力視を使ってよく見れば肌に刻んだことがわかるものと、魔力で心臓に刻むもの、の二種類を試してみることにした。
なかなか試す機会のある魔法ではないのだから、ルシアンへの嫌がらせついでに自分の好奇心を満たすのも悪くないだろう。
カスパルのお気に入りはカスパルまで巻き込んで、かなり上手くやってくれた。
『聖女は勇者といるのがお約束だ』というので、出来心で目に入った聖剣を渡してみたら、演習が終わると二人は本当に『勇者と聖女』になっていた。
笑いが止まらない。
ルシアンは、勇者として評価の上がったカスパルを再度王太子にしようと必死になっていて、聖女とひとまとめにして売り込むことにしたらしい。
そして、自分の娘は側妃にして実権は自分が握るという計画らしい。
それが上手くいくと思っているのかな?
私が壊した砂の山を必死でまた元に戻そうとしているのだと思うと愛らしく感じてしまう。
ついに手紙まで送ってきた。
『カスパルに聖剣を渡してくれてありがとう。これで再び王太子になれるかもしれない』
という内容だ。
ルシアンは、『ヘヴンズ・ヴァーディクト』のことを知らないのだろうか?
だとすれば勉強不足だ。
昔はなんでも知っているすごい人だと思っていたけれど、所詮、子供騙しの知識しか持っていなかったのだろう。
あんな男が世界の全てだと思っていた幼い頃の自分が哀れでならないけれど、今も変わらずあの男が世界の全てである私は救われないほどの愚か者だ。
そして、偽聖女は死に、カスパルは壊れて悪魔を倒して死んだ。
排除すると約束をしておきながら、裏では悪魔と寝ていたルシアンよりも悪魔を倒したカスパルの方が、よほど私の役に立ってくれた。
カスパルと偽聖女を慕う愚かな学生たちが暴れ回っているどさくさに紛れて、兄上が邪魔な人間を始末していたけど、ルシアンの方が少し上手だったらしい。
自分の娘を身代わりにして生き残ってしまった。
さすがルシアンだ。
自分だけが可愛いという姿勢は見習うべきだろう。
しかし、そろそろ終幕だ。
私も教会を出て、何もかも失くしたルシアンを間近で見たい。
きっと見苦しく足掻くことだろう。
そんなところも、また愛おしいのだ。
謁見室では、ルシアンが必死で私の罪を告発していた。
予想通りで笑ってしまう。
私は胸元に入れていたルシアンからの手紙を騎士団長に手渡した。
私が勝手にしたことに対するルシアンからの感謝の手紙だが、前提を知らずに読めば、ルシアンからの依頼に私が応えたように見えるだろう。
思惑通り、その手紙は“ルシアンがカスパルに『ヘヴンズ・ヴァーディクト』を渡すことを私に依頼した証拠“とされ、ルシアンは激昂した。
私を散々に罵り、私との関係をぶちまけ、そして王家を愚弄した。
その悪あがきの醜さも、人間らしくて好ましい。
そんなことを考えてルシアンを見ていた私の手に、気づくと剣が握られていた。
『ヘヴンズ・ヴァーディクト』、神の裁定の剣だ。
カスパルが持っていたものは、おそらく封印されてどこかにしまわれたのだろうと思っていたのに、なぜか私の手の中にある。
そして剣が言う。
目の前の男を斬れ、と。
なるほど、これが剣の意志か。
目の前の男は極悪人だ。
そして私も。
『ヘヴンズ・ヴァーディクト』に二人で共に裁かれる最期は悪くない。
私の手に剣があるのを見て、騎士団長が驚いて駆け寄ってきた。
けれど、剣など一度も握ったことのない私の身体は、まるで剣術を知っているかのように滑らかに動いてルシアンの胸を突いた。
ルシアンが驚愕に目を見開き、私が剣を引き抜くと血を吐いて倒れた。
そして、騎士団長に剣を取り上げられる前に私は自分の胸を突いた。
なのに、私は剣に傷つけられなかった。
慎重な手つきで騎士団長が私の手から『ヘヴンズ・ヴァーディクト』を取り上げ、私の胸を突いている剣身を引き抜く。
痛みも何もない。
僧服にほつれすら出来ていなかった。
「コーエン。お前には苦労をかけた」
兄上が言う。
「……そして、またこれからも苦労をかけねばならん」
そうして、私は塔への幽閉が決まった。
何か欲しいものはないかと聞かれたけれど、何もない。
本当に欲しいものは、もう手に入れたから。
『ヘヴンズ・ヴァーディクト』は本当に不思議な魔剣だ。
そして、そんな魔剣に、何故か私は見初められたらしい。
神に与えられた剣だ、と伝えられていたけれど、きっとそれは神の姿をした悪魔だったのだろう。
幼い私の寝台に夜な夜な現れた女などとは違う、本当の悪魔。
心の奥底にある欲望を叶えてくれる。
初代国王はきっと、罪のない者を斬りたくないと願ったのだろう。
けれど私は違う。
塔の部屋でひとりになって、ベッドに腰を下ろすと右手のひらを上に向けて呼びかけた。
「ヘヴンズ・ヴァーディクト……」
すると手のひらの上に、ルシアンの瞳と同じ深い緑色の玉が現れる。
その玉は、現れると抗議するように色を明暗させた。
「ルシアン、かわいそうに。何もなくなってしまいましたね」
そうして私は、ルシアンの魂を手に入れた。
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