訳あり令嬢の危険な賭け事

ポポロ

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1章

花祭り(3)

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芝居の主軸は本で読んだとおりのものだったが、アクションシーンは派手な演出が施されており、かなり見応えがあった。
最後の、主人公が最大の敵と戦うシーンなど、結末が分かっていてもハラハラするものだった。
俳優たちの衣装やキャラクターの作り込みも見事なもので、なるほどこれは値が張っても仕方がないと思わせた。
幕が下り、客席から大きな拍手が鳴り響く。
ふと隣のベアトリスを見れば、手が痛くなるのも構わない程のスタンディングオベーション。
惜しみない拍手を送る彼女を、俺は優しい気持ちで見守った。

「さあ、ベアトリス嬢。そろそろ出ましょう」

「…あ、はい。想像以上に素晴らしくて放心してしまいましたわ」

「そこまで楽しんでいただけたなら、良かったです」

ベアトリスに手を差し出せば、彼女はにっこり笑って俺の手をとった。
彼女が俺の腕に手をかけ、二人並んで感想を述べながら出口を出た。
しかし、そこで目の端を見覚えのあるグレーがかすめたのを感じ、俺は彼女の腕を解いて、その腰にそっと手を回した。

「エ…ヴァン様?」

戸惑う彼女の腰に回した手に少し力を込め、恋人に囁くようにして彼女の耳に唇を寄せた。

「ベアトリス嬢、できるだけ普段通りにしてください。歩みを止めず、今から俺が言うことを冷静に聞いていただけますか?」

ベアトリスは俺の声色から、冗談の類ではないと感じとったらしい。
少し息をのんだ後、ぎこちなくも小さく微笑みを浮かべて頷いた。

「どうやら昼間から後を付けられているようです。相手は一人のようなので、そこの路地に入ったあと捕縛します」

「えっ…」

「振り向かないで」

反射的に振り向こうとするベアトリスの腰を引き、前に進み続けるよう促す。

「私と貴女、どちらへの客なのか現時点では分かりませんので、かなり不満ですが貴女を連れていきます」

「……」

小言の一つでも飛んでくるかと思ったが、彼女は青い顔を強張らせたまま地面の方を見ていた。

「…すみません、怖がらせて。ですが、貴女には危険のないようにしますので。角を曲がったら、できるだけ私のそばにいてください。いいですね?」

「……はい」

今日は一応業務時間外のため私服に着替えており、つまり帯剣はしていない。
俺は警棒、小型ナイフなどを仕込んでいる場所を頭に浮かべながら、ベアトリスを連れて狭い路地裏へと入った。
角を曲がってすぐ、壁側にピタリと張り付き息をひそめる。ベアトリスの口には念のためハンカチを押し当ててもらった。
しばらくすると、ゆっくりとした足取りで靴音が1つ近づいてくる。
十分に引き付けたところで、俺だけが着た道を戻るように角から出ていく。

「うわぁぁ!」

案の定グレーのハンチング帽を被った、30代手前と思われる男が驚いた顔で後ずさる。
両手に武器がないのを瞬時に確認し、素早く男の胸ぐらを掴んで背負い投げ、男を地面に叩きつけた。
うめき声とともに倒れる男に体重を乗せるようにのしかかる。

「昼間から俺たちをつけていただろう?目的は?」

「やっ、あの、これは…あぁ…その…」

こういう時の多くの悪党と違って、なぜかしどろもどろの男。

「名前は?どこに住んでいる?」

「おれは…その…なんと言いますか…」

「?」

どうやら様子がおかしい、とようやく気づいた俺は、とりあえず男を立ち上がらせる。
すると男は抵抗することなく立ち上がり、どこか申し訳なさそうに俺の顔をチラチラと見てくる。
ネズミのように逃げ道を探して目を彷徨わせる様や、だらしなく伸ばした髭や髪など、どことなく軽薄な印象を受ける。
知り合い…ではないはずだ。過去の犯罪者…にも恐らくいない。

誰だ、こいつ?

「まあ…!グンタ!」

「グンタ?」

振り向けば、ベアトリスが驚いた顔で口を抑えている。
目線は俺を通り越して、ハンチング帽(今は背負投の衝撃で地面に落ちているが)を見ていることから、先程の言葉は彼女が発したものらしい。

「え、お知り合い…ですか?」

「あ…ええと…使用人です」

「ええっ?!」

俺は驚いてグンタと呼ばれた男を見た。
地面に叩きつけたために服は汚れてしまっているが、言われてみれば犯罪者特有の香りのようなものは薄い。
軽薄な感じは否めないが、ベアトリスが伯爵家の使用人だと言うなら、そうなのだろう。

「なぜ使用人が俺たちの後をつけてるんだ?」

「あの…アデ…いや、旦那様の…言いつけでして…」

「はあ?!」

つまり何か。俺が不埒な行為を娘に働かないように使用人に命じて見張らせてたとでも言うのか?
過保護にも程がないか?というか、俺はそんなに不埒な輩に見えるのか?このグンタって男の方がよほど軽薄に見えますけど?!俺の方がよほど真っ当だと思いますけど?!
と心の中で盛大に文句をぶちまけたところで、ベアトリスが俺たちの間に割って入った。
俺に背を向けたベアトリスが、グンタに対峙して言った。

「もう、お父様ったら…私は心配いりませんから、グンタ、お前はもう帰りなさい」

「ですがねえ、オレはあんた様は…アデニア…いや、旦那様が何て言うか…」

「グンタ。エヴァン様にこれ以上失礼があってはいけないわ。そうでしょう?」

そこで俺は気が付いた。
彼女の背中から立ち上るのは、おそらく怒りだ。確かに過保護な父親に腹が立つ気持ちも分かるが…彼女の口調、グンタの態度、そしてこの場の雰囲気が、そのような生暖かいものではないと言っている。

「もう一度言います。今日は、帰りなさい」

グンタは不満げに顔を歪めると、ぺっと地面に唾を吐き、渋々といった態度を隠そうともせず去っていった。
ベアトリスはそれを見届けると、ほっと肩の力を抜いた。安堵に息を吐いたようにも見えた。
そうして振り向いたベアトリスは、もういつもの彼女だった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、エヴァン様」

「いえ…ただ、あの男の態度は何です?主人に向かって。いつもあんなに失礼なのですか?」

ベアトリスは気まずげに視線を逸らすと、もう一度俺に対する謝罪を口にした。
恐縮しきった彼女を見ながら、俺はそこで唐突に思い出した。

”4. 互いの家のことを深く詮索しないこと。”

「…ああ…いえ…俺の方こそすみません。これは、ルール違反でしたかね」

「え?」

「貴女の家のことであって、俺が口を出すようなことではありませんでした。それに、貴女の態度からも、あの男のことを良しとしていないことは分かります。俺の方こそ、貴女を困らせてしまってすみません」

むしろ伯爵家の使用人を犯罪者扱いして思いっきり投げ飛ばしてしまったが大丈夫だったか心配になってきた。
ベアトリスは気まずさに頬を掻く俺を見て微笑んだあと、申し訳なさそうに俯いた。

「エヴァン様といると……」

「え?」

「エヴァン様といると、自分が…いかに小さな人間かを思い知ります」

「……ベアトリス嬢?」

珍しく冗談も言わず口をつぐんだ彼女からは、今にも泣き出しそうな、膝から崩れてしまいそうな危うさを感じた。
父親に内緒で後を付けられていたこと以外にも、何か彼女を打ちのめすようなことがあるのだろうか?

「ベアトリス嬢」

俺は、一回り小さくなったように見える彼女の肩に優しく触れた。
もう一方の手でそっと頬を撫でると、驚いた彼女の顔が上向く。

「もし、もう少しお時間があるなら、もう一つ花祭りらしいものをご覧に入れますよ」

「…花祭りらしいもの?」

淡い菫色の瞳に、純粋な好奇心の色が浮かぶ。

「今のままの貴女で帰してしまっては、伯爵になんと言われるか分かりませんからね」

「そんな…ことは…」

困ったように視線を逸らそうとする彼女の手を素早くとり、自分の腕に絡ませた。

「さあ、行きましょう」

「行くって、どこへです?」

俺はすっと指をさす。この皇都でもひときわ目立つ建物――皇城を。

「今から行う職権乱用は、くれぐれもご内密に」

***
「わぁ!すごい見晴らしですわね!」

「ベアトリス嬢、登るのはやめてくださいね、登るのは」

ここは、レンドール皇城の敷地内。勝手知ったる第一団舎の屋上だ。
夜間出入口の衛士には知り合いだと説明して入ったが、彼らのにやけた顔から言って、明日は色々と噂されるだろうなと覚悟はしている。
まあ、彼女の身元が確かなことを除けば、職権乱用は自らも認めるところだ。

「あの…ご無理なさったのでは?」

「貴女が大人しくしていてくだされば、問題はありませんよ」

「あら、私がいつも騒がしいみたいな言い草ですわね!」

拗ねた口調だが、楽しそうに笑うベアトリスを見て、俺は内心胸をなでおろした。
屋上の端、手すりなどと呼べる立派なものはないので、二人並んで城壁に寄りかかり、眼下を見渡す。

「ここからは、皇都がよく見えますのね!」

「皇都は夜営業している店も多いですからね。最近は街灯も増えて、夜でも明るいのはいつものことですよ」

「お祭りの明かりがキラキラして綺麗…これがエヴァン様の仰っていた『花祭りらしいもの』ですか?」

俺は腕時計に目をやり、時間を確認した。時刻は午後7時少し前。

「違いますよ。もう少しじゃないかな」

そして宣言通りにしばらくすると、大きな破裂音と共に、夜空に鮮やかな色彩の光が散った。

「花火!!」

ベアトリスが驚きに声を上げ、俺はその反応を満足気に見つめた。
次々に打ち上がる色とりどりの打ち上げ花火。ここからは、その花火がよく見える上に、人混みを気にすることもない。
花祭りの期間に打ち上がる花火は、皇都の商人たちが夜までの客集めに始めたものだが、年々その豪華さを増している。

「すごい!エヴァン様、今の花火、七色に見えませんでした?!」

「花火師たちが競うように作っているとは聞いていましたが、本当にすごいですね…」

食い入るように花火を見ていたベアトリスが、ふと何かに気づいたように俺の方を振り向く。

「…ありがとうございます、エヴァン様」

「お気に召しましたか?」

「はい。先程は、らしくないことを言って申し訳ございませんでした」

伏せられた長いまつげの影が彼女の顔に伸びる。

「らしくない、とは思いませんよ。貴女にだって、笑いたくないときや、落ち込むときだってあるでしょう?人間として当然です」

「…エヴァン様にも、ありますか?」

「当たり前でしょう。いやちょっと待ってください、俺が貴女の言動にぐったりと疲れてるときとか、呆れてるときとか、そういうの伝わってなかったんですか?」

まさかと思って尋ねると、ベアトリスはさも楽しそうに笑いながら首を振る。
そんな彼女を見て、ストンと心に落ちるものがあった。
ジーク、お前に言われて誘ったこと、無駄ではなかったよ。

「でも俺は、貴女にはそうやって笑っていてほしいです」

「え?」

「俺は、貴女が笑ってくれていると、嬉しいみたいだ」

ベアトリスの目が見開かれ、その頬が、首元が、花火の光の加減ではなく、赤く染まる。
俺は目を細め、皇城の壁にかかった彼女の手を何も言わずに握った。
ベアトリスは瞳を大きく揺らし、何度も何かを言いかけてはやめ、結局は何も言わずに俯いた。
彼女がぎこちなく花火に顔を戻すのを見ながら、その大きな瞳に浮かんで見えた感情を、俺は反芻し、考えた。

そして、思った。
もしかして、と。

もしかして、彼女は、賭けの答えが出るのを、望んでいないのではないか、と。
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