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六の浪 ウィッチェル魔導国⑤
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⑤
街壁の一番上まで登ると、そこはちょっとした公園になっていた。人影は少なく、運動能力に優れた獣族や飛行能力のある種族ばかりだけれど、ちらほらそうでない種族の人もいる。
奥の方、街の外にはそれなりに大きな湖があって、漁をしているらしき船の影が見えた。たしか、神話の時代には小国並みの広さがあったらしい湖だ。
振り返ると、後ろには魔導国の美しい街並みが広がっていた。
「ここは、私のお気に入りの場所でございます。お母様とお父様の作った街を、民たちの視点で見渡す事ができますので。留学以前は殆ど来たことが無かったのですが、帰国して以来、休みの度に来ております」
ウルは母親によく似た、しかし柔らかい笑みを浮かべて街の方を見る。色んな種族の様式が混ざっているのに整然としていて、不思議な美しさだ。
ああ、なるほど。
「街そのものが巨大な魔法陣になっているのね。誰が考えたのかしら」
「流石です、先生。一目で見抜かれるだなんて」
ウル曰く、魔女王の魔力を効率的に街中の魔道具へ供給すると同時に、街の人々の余剰魔力を組み上げて増幅し、国防に関わる部分の動力源にしているらしい。魔力の質を均一にしない事で解析を難しくしているのでしょう。
そうでなくたってこの国を守るのは魔女王の魔法。理そのものに干渉する理外の術だ。この国に悪意を向ける存在を拒絶する結界を破れるものは、殆どいないだろう。
それでもこの国に悪意を持たない敵を存在し得るから、衛兵の仕事がなくなるなんてことは無いのだけれど。
「魔法陣については母が古い魔導書から知った技術なのだそうです。先生から教わったという話をしましたら、酷く驚いておりました」
「確かに、今では気楽に教える技術ではないかもしれないわね」
「ソフィアはその辺、自由だからね」
そう、アストの言う様に私は自由だった。自由過ぎた。
ふふ、と口元を押さえるウルに内心の影を悟らせないよう、視線を彼女に見える方向から外す。
「私の処置をあっさり熟すほどの魔力操作技術に加え、膨大な知識。魔女とは、本当に遠い存在でございます」
少し低くなった声のトーンに、つい顔の向きを戻してしまう。
「ウルは、魔女になりたいの? 陛下のような」
「……魔女、というよりは、強く、でしょうか。私が、私自身の力を御せる程に強ければ、そう考えぬ日はございません」
表情は変えないままにウルは言う。
「私がこのように生まれてしまったが為に、どれだけお母様に涙を流させてしまったのか。もしお母様を悲しませないで済むのなら、私はどんな事でもいたしましょう」
表情は変わっていない筈なのに、彼女の柔らかさは姿を隠してしまった。以前なら先生らしく、少し上から見たような助言の一つでもした所だけれど、今の私がかけられる言葉は無い。
私だって、もしあの日に時を戻せるのなら、なんだってしよう。ウルと違って身勝手な理由だけれど。
「いけませんね。せっかくの休日に」
意識して作られた自然な笑みに、同じものを返す。私は、先生だから。
「失礼いたしました。次へ向かうことにいたしましょう。陽は天頂に至ります」
今朝を繰り返すような明るさの王女様に連れて行かれたのは、路地裏に入った所にあるお食事処だった。看板は出していなくて、一見するだけではそこに入り口がある事すら分からない。
それでもお客さんの入りは悪く無いようで、薄暗い店内はこの国の人間らしき人たちで賑わっていた。
予約をしていたようで、一言二言のやり取りの後、奥の個室へ通される。入り口に近い側には開けたテーブル席やカウンター席もあった。
「ここは建国当初からある老舗でございます。国外の方には忌避される事も多く、目立たない場所で経営されておりますが、先生ならば問題ないであろうとアスト様から伺ったのでお連れしましたの」
昔からあって、他国では忌避されるような食べ物……。まあ、アストが大丈夫だと言ったのなら大丈夫なんでしょう。
改めて店内を見渡してみる。柔らかな間接照明の明かりに照らされた黒基調の半個室の壁には魚の名前が書かれた木札が掛けられていて、木の卓上には小さなメニューも置いてあった。
書かれている名前はこの森ので獲れる魚や獣のものが主で、二、三ばかり西の方の海の魚が混じっている。
この雰囲気には、なんとなく覚えがあった。
「いくつかは注文を済ませてありますが、足りないようでしたらお好きなものをご注文くださいませ」
不安半分、期待半分で待つこと暫く。運ばれてきたものを見て、不安は殆どが吹き飛んだ。寧ろ、目を輝かせているのではないだろうか。
「なるほど。確かに、生食は避ける所が多い」
机に並べられた皿を彩っていたのは、綺麗に盛り付けられたお刺身だった。お魚だけでなくて肉もある。
この世界でも寄生虫問題はあるし、魔素の影響もある。ウルの問題程で無いにしても魔素による悪影響は昔から知られているから、特にこのアンティクウム大森林のような魔境の動物を調理せずに食べる事は避けられていた。
魔素の悪影響については一定以上の魔力量なら関係ない事が殆どだから、ただ焼くだけしかしていなかったこの世界に来たばかりの頃の私でも問題なく森で暮らせてたのよね。
寄生虫やらについては、残された前世の記憶の中に食中毒の恐怖を煽るものがいくつかあったから、かなり初期のころに術式を作っている。ウルにも学園都市で教えた。
「魔素含有量その他、全て問題なし……。どうやってるのかしら?」
「それほど大変な事はしていないと聞いております」
「小難しい話はいいからさ、早く食べよう。お腹空いた」
あら、アストが我慢の限界。もう十年以上一緒にいる訳だけれど、元々長命種だからか内面はあまり変わっていないのよね、この子。
「そうね、いただきましょう」
いただきます、と。まずは、この白身魚から。お塩で食べるらしい。
「うん、甘い。思ったより濃厚ね」
「この森で育ったモノですから」
川魚の刺身は食べた記憶がないから、前世のモノと比べられないけれど、下手な海魚より味のしっかりしているんじゃないかしら?
お肉の方はどうかしら。……臭みが無いのね。肉の甘味をタレが引き立ててくれている。
「本当に美味しいわね」
「だね。食わず嫌いをしてる人たちが可愛そう」
「まあ、教義で生食を禁じている所もあるから、仕方ないわ」
経験則が広まるまでは、それが手っ取り早かったでしょうし。
「我が国は成り立ちが成り立ちですから、神の領分にさえ踏み込まなければ大抵は問題ないという認識が一般的でございます」
「ふーん。神の領分をって所を平民が知ってるのも珍しいね」
たしかに。そこまで考えられる平民も、そこに触れてしまう平民も、多くの地域では基本いないもの。この国が豊かで余裕のある証かしら。
「そういった寓話があるのでございます。人を幸せにしたくて頑張った竜が、神の領分、魂への干渉と死者の蘇生を行ってしまって罰せられるお話でございます」
そういえば、そんな話を書庫で読んだ。編纂過程を記した書で、件の寓話が作り話だという証拠でもあったのだけれど、市井の人々には知り得ない話よね。
実際、魂に関しては触れてはいけない部分で間違いない。一時でも魂の崩壊を拒絶した魔女王が許されている事こそ例外、奇跡だ。同情故にだろう、と女王は言っていた。
「……先生、やはり、私にも研究を手伝わせていただけないでしょうか? 私もいくらか学んだ分野ですのに、私が助かる為の研究を座して見ているだなんて、我慢なりません……」
訴えかけるようにアメジストの瞳が揺れている。色を偽った水晶球に、彼女の真が映っている。
口へ運ぼうとしていた赤身魚のお刺身を下げ、考える。拒否する事は簡単だし、拒否したい。けれど、この子の思いは少し行き過ぎている。自分が助かる為ではないからこそ、力んでいて、から回ってしまいそうな気配がする。
大好きな母親を悲しませないために、平気で無茶をするだろう。それこそ、寓話の中の竜のように。
私の目の届かない範囲で無茶をされる位なら、私の目の届く範囲で尽力してもらった方が良いのではないかしら? やろうと思えば見せる情報も絞れるのだから、将来的にも問題は無い筈。
「……分かった。ウルにも手伝ってもらうわ」
「本当でございますか!? ありがとうございます、先生!」
アストが良いのかって伺う視線を向けてくるけれど、仕方ない。魔女王に問われたら、さっき考えたことをそのまま伝えよう。
溜め息を一つ吐いてから付け合わせのお野菜を口に運ぶ。けれど外れを引いたようで、思った以上に苦かった。
街壁の一番上まで登ると、そこはちょっとした公園になっていた。人影は少なく、運動能力に優れた獣族や飛行能力のある種族ばかりだけれど、ちらほらそうでない種族の人もいる。
奥の方、街の外にはそれなりに大きな湖があって、漁をしているらしき船の影が見えた。たしか、神話の時代には小国並みの広さがあったらしい湖だ。
振り返ると、後ろには魔導国の美しい街並みが広がっていた。
「ここは、私のお気に入りの場所でございます。お母様とお父様の作った街を、民たちの視点で見渡す事ができますので。留学以前は殆ど来たことが無かったのですが、帰国して以来、休みの度に来ております」
ウルは母親によく似た、しかし柔らかい笑みを浮かべて街の方を見る。色んな種族の様式が混ざっているのに整然としていて、不思議な美しさだ。
ああ、なるほど。
「街そのものが巨大な魔法陣になっているのね。誰が考えたのかしら」
「流石です、先生。一目で見抜かれるだなんて」
ウル曰く、魔女王の魔力を効率的に街中の魔道具へ供給すると同時に、街の人々の余剰魔力を組み上げて増幅し、国防に関わる部分の動力源にしているらしい。魔力の質を均一にしない事で解析を難しくしているのでしょう。
そうでなくたってこの国を守るのは魔女王の魔法。理そのものに干渉する理外の術だ。この国に悪意を向ける存在を拒絶する結界を破れるものは、殆どいないだろう。
それでもこの国に悪意を持たない敵を存在し得るから、衛兵の仕事がなくなるなんてことは無いのだけれど。
「魔法陣については母が古い魔導書から知った技術なのだそうです。先生から教わったという話をしましたら、酷く驚いておりました」
「確かに、今では気楽に教える技術ではないかもしれないわね」
「ソフィアはその辺、自由だからね」
そう、アストの言う様に私は自由だった。自由過ぎた。
ふふ、と口元を押さえるウルに内心の影を悟らせないよう、視線を彼女に見える方向から外す。
「私の処置をあっさり熟すほどの魔力操作技術に加え、膨大な知識。魔女とは、本当に遠い存在でございます」
少し低くなった声のトーンに、つい顔の向きを戻してしまう。
「ウルは、魔女になりたいの? 陛下のような」
「……魔女、というよりは、強く、でしょうか。私が、私自身の力を御せる程に強ければ、そう考えぬ日はございません」
表情は変えないままにウルは言う。
「私がこのように生まれてしまったが為に、どれだけお母様に涙を流させてしまったのか。もしお母様を悲しませないで済むのなら、私はどんな事でもいたしましょう」
表情は変わっていない筈なのに、彼女の柔らかさは姿を隠してしまった。以前なら先生らしく、少し上から見たような助言の一つでもした所だけれど、今の私がかけられる言葉は無い。
私だって、もしあの日に時を戻せるのなら、なんだってしよう。ウルと違って身勝手な理由だけれど。
「いけませんね。せっかくの休日に」
意識して作られた自然な笑みに、同じものを返す。私は、先生だから。
「失礼いたしました。次へ向かうことにいたしましょう。陽は天頂に至ります」
今朝を繰り返すような明るさの王女様に連れて行かれたのは、路地裏に入った所にあるお食事処だった。看板は出していなくて、一見するだけではそこに入り口がある事すら分からない。
それでもお客さんの入りは悪く無いようで、薄暗い店内はこの国の人間らしき人たちで賑わっていた。
予約をしていたようで、一言二言のやり取りの後、奥の個室へ通される。入り口に近い側には開けたテーブル席やカウンター席もあった。
「ここは建国当初からある老舗でございます。国外の方には忌避される事も多く、目立たない場所で経営されておりますが、先生ならば問題ないであろうとアスト様から伺ったのでお連れしましたの」
昔からあって、他国では忌避されるような食べ物……。まあ、アストが大丈夫だと言ったのなら大丈夫なんでしょう。
改めて店内を見渡してみる。柔らかな間接照明の明かりに照らされた黒基調の半個室の壁には魚の名前が書かれた木札が掛けられていて、木の卓上には小さなメニューも置いてあった。
書かれている名前はこの森ので獲れる魚や獣のものが主で、二、三ばかり西の方の海の魚が混じっている。
この雰囲気には、なんとなく覚えがあった。
「いくつかは注文を済ませてありますが、足りないようでしたらお好きなものをご注文くださいませ」
不安半分、期待半分で待つこと暫く。運ばれてきたものを見て、不安は殆どが吹き飛んだ。寧ろ、目を輝かせているのではないだろうか。
「なるほど。確かに、生食は避ける所が多い」
机に並べられた皿を彩っていたのは、綺麗に盛り付けられたお刺身だった。お魚だけでなくて肉もある。
この世界でも寄生虫問題はあるし、魔素の影響もある。ウルの問題程で無いにしても魔素による悪影響は昔から知られているから、特にこのアンティクウム大森林のような魔境の動物を調理せずに食べる事は避けられていた。
魔素の悪影響については一定以上の魔力量なら関係ない事が殆どだから、ただ焼くだけしかしていなかったこの世界に来たばかりの頃の私でも問題なく森で暮らせてたのよね。
寄生虫やらについては、残された前世の記憶の中に食中毒の恐怖を煽るものがいくつかあったから、かなり初期のころに術式を作っている。ウルにも学園都市で教えた。
「魔素含有量その他、全て問題なし……。どうやってるのかしら?」
「それほど大変な事はしていないと聞いております」
「小難しい話はいいからさ、早く食べよう。お腹空いた」
あら、アストが我慢の限界。もう十年以上一緒にいる訳だけれど、元々長命種だからか内面はあまり変わっていないのよね、この子。
「そうね、いただきましょう」
いただきます、と。まずは、この白身魚から。お塩で食べるらしい。
「うん、甘い。思ったより濃厚ね」
「この森で育ったモノですから」
川魚の刺身は食べた記憶がないから、前世のモノと比べられないけれど、下手な海魚より味のしっかりしているんじゃないかしら?
お肉の方はどうかしら。……臭みが無いのね。肉の甘味をタレが引き立ててくれている。
「本当に美味しいわね」
「だね。食わず嫌いをしてる人たちが可愛そう」
「まあ、教義で生食を禁じている所もあるから、仕方ないわ」
経験則が広まるまでは、それが手っ取り早かったでしょうし。
「我が国は成り立ちが成り立ちですから、神の領分にさえ踏み込まなければ大抵は問題ないという認識が一般的でございます」
「ふーん。神の領分をって所を平民が知ってるのも珍しいね」
たしかに。そこまで考えられる平民も、そこに触れてしまう平民も、多くの地域では基本いないもの。この国が豊かで余裕のある証かしら。
「そういった寓話があるのでございます。人を幸せにしたくて頑張った竜が、神の領分、魂への干渉と死者の蘇生を行ってしまって罰せられるお話でございます」
そういえば、そんな話を書庫で読んだ。編纂過程を記した書で、件の寓話が作り話だという証拠でもあったのだけれど、市井の人々には知り得ない話よね。
実際、魂に関しては触れてはいけない部分で間違いない。一時でも魂の崩壊を拒絶した魔女王が許されている事こそ例外、奇跡だ。同情故にだろう、と女王は言っていた。
「……先生、やはり、私にも研究を手伝わせていただけないでしょうか? 私もいくらか学んだ分野ですのに、私が助かる為の研究を座して見ているだなんて、我慢なりません……」
訴えかけるようにアメジストの瞳が揺れている。色を偽った水晶球に、彼女の真が映っている。
口へ運ぼうとしていた赤身魚のお刺身を下げ、考える。拒否する事は簡単だし、拒否したい。けれど、この子の思いは少し行き過ぎている。自分が助かる為ではないからこそ、力んでいて、から回ってしまいそうな気配がする。
大好きな母親を悲しませないために、平気で無茶をするだろう。それこそ、寓話の中の竜のように。
私の目の届かない範囲で無茶をされる位なら、私の目の届く範囲で尽力してもらった方が良いのではないかしら? やろうと思えば見せる情報も絞れるのだから、将来的にも問題は無い筈。
「……分かった。ウルにも手伝ってもらうわ」
「本当でございますか!? ありがとうございます、先生!」
アストが良いのかって伺う視線を向けてくるけれど、仕方ない。魔女王に問われたら、さっき考えたことをそのまま伝えよう。
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