42 / 56
六の浪 ウィッチェル魔導国⑫
しおりを挟む
◆◇◆
⑫
翡翠と白を基調とした美麗な謁見の間をクリスタルのシャンデリアが照らす。この国の人々に負けないくらい煌びやかな空間で、新調されているとは言え、紫がかった黒の魔女装束を纏った私は少し、浮いているように思える。
「面を上げよ」
膝間突き、伏せっていた視線を上げる。視界の端に同じように動く二尾の黒猫が見えた。そして正面で怜悧な美貌を見せるのは、この国の女王。いつかと同じドレスを纏って、美しい玉座についていた。
一つ下段にはレネシニエル王子を抱えた宰相がいて、もう一つ下段には玉座までの細長いカーペットを挟むようにこの国の重鎮たち、あの小さな会議室にいた面々が並ぶ。
それだけだ。初めてここを訪れた時の騎士たちはいない。
「智慧の魔女、ソフィエンティア=アーテルよ。……すまない、辛い役目を負わせてしまった」
宰相をちらりと見ると、頷かれた。そのまま話して良いという事だろう。
「いえ、あの時も申しましたように、私のミスが、傲慢が原因です。自らの罪にケジメをつけたまでのこと」
安易に教えるべき知識ではなかった。断片でも知られてしまう場に置くべきではなかった。それだけだ。一週間近く経過した今となっても、その考えは変わらない。
「むしろ、不問にしていただいたこと、感謝しております」
「……罪に問うなど、出来るはずも無かろう。いや、そう言ってもそなたは納得せんな」
魔女王の問にならない問に、目を伏せて肯定を示す。彼女も同じ魔女である以上、魔法を発現させた者のある種の頑固さは理解している。そればかりではないと思うけれど。
「研究資料については、約束通り完全に破棄しよう」
「その事ですが、一度待っていただいてよろしいでしょうか?」
「ふむ」
続きを促すように相槌を打つ魔女王に、私は宰相へ目くばせする。彼は私が事前に預けていた文庫本二冊分ほどの紙束を取り出して、魔女王へ渡した。
「理由と要望を話す前に、そちらをご覧いただきたい」
魔女王は一つ頷いて、紐で綴じただけのそれを開いた。警戒する様子もなく読み進めていた彼女の表情は、次第に驚愕に染まっていく。
「良いのか? これは……」
「はい。『女神の侍女』の召喚に関する研究とその応用、そして、ウルが使ってしまったと思われる術式について纏めたものです。それを、出来得る限りの未来まで、残していただきたいのです」
目的は、破棄を望んだ時と変わらない。二度とウルや病の村を襲ったような悲劇が起きないように。その可能性が少しでも小さくなるように。
「今回の件が起きた原因の一つに、私が中途半端に隠してしまった事が挙げられます」
「なるほど、完全に隠すことは不可能と考えたわけだな?」
「はい。ならば、起こり得る危険を漏れなく、後世まで伝える方が確実だと考えました」
知識を教えなかったからとして、今後二度とそれに辿り着く者がいないと考えるのは傲慢だ。隠し通せると考えるのも傲慢だ。
だったら、同じ轍を踏ませないよう、残す。
そもそも知識はただの道具に過ぎないのだから。
使い方次第で喜劇を生むこともあれば、悲劇を生むこともある。
知識そのものではなく、その扱いに責任を持つべきだったのだ。道具を伝えるという扱いをしてしまったのなら、伝えた事に責任をもって事後のフォローをすべきだった。
それなのに私は、それを考慮していなかった。そのように知識を使ったらどうなるかを考えていなかった。だからあの村は滅びた。
「知識を伝えるなら、確実に、良い面も、悪い面も、出来る限り全てを伝えないといけない。これも一つの傲慢かもしれないですが」
『智慧の館』へのアクセス権限を持つ者としての、今の私の解答はこれ。
この先も考え続けていかなくてはいけない事だけれど。
「初めの依頼に報酬をいただけるのであれば、それを残す事を約束していただけたら」
「そうか……。分かった。我が国としても利益が大きい。相応に装丁し、後世まで伝えよう」
ありがとうございます、と礼をする私に、魔女王は頷く。きっと彼女は約束を守ってくれる。これでこの国に、二度と同じ悲劇が起きないと良いのだけれど。
「それで、この後はどうする。そなたさえ良ければ、位を与えようと思うが」
「お言葉ですが陛下、また、旅に出ようかと。まだまだ見ていない世界が沢山あるので」
このまま旅を終えるには、些か中途半端すぎる。それで失敗したばかりだというのに。
「そうか、それは残念だ……」
魔女王は本当に残念そうで、その姿を見ていると、ウルと親子なのだと実感する。
「……ソフィア、と呼んでも良いだろうか?」
不意にかけられた問いに一瞬、呆気に取られてしまった。ぱちくりと瞬きをして、魔女王の顔を凝視してしまう。
彼女は少し不安そうで、まるで年頃の少女のような雰囲気を見せていた。たぶん、彼女が封じざるを得なかった、弱い部分なのだろう。
断らないといけない理由は、思い浮かばない。
「はい、勿論です、陛下」
「そうか、感謝する。そなたも、私の事はエマと呼んで欲しい。当然非公式の場に限るが」
ああ、ウルと同じ笑みだ。私と同じ渇望だ。彼女は私と同じものを求めていたらしい。
「……ええ、エマ」
年甲斐もなく気恥ずかしさを覚えながら、彼女の愛称を呼ぶ。良い大人が二人揃って照れ、頬を染めている姿なんて、ウルたち生徒には見せられない。
「陛下、そろそろ……」
「ああ、分かった。謁見はここまでにしよう」
宰相が微笑まし気に、そして申し訳なさそうに口を挟んだ。彼は魔女王、エマよりも年上だから、案外父親のような思いを抱いているのかもしれない。
「また、いつでも訪ねてきて欲しい。我が友、ソフィアよ」
「ありがとう、エマ。……それでは、失礼いたします」
最後にもう一度礼をして、謁見の間を出る。
すっかり馴染んだ城内を抜け、ウィッチェル城下街に。
空は快晴、道行く人々にも曇り顔無し。旅立ちには良い日だろう。
「さて、アスト」
「どこ行きたいか?」
「それもだけれど、その前に」
アストに押しのけられた帽子を押さえつけ、久方ぶりの、太陽のような笑みをギラギラさせる。
「お酒、買っていきましょ。美味しいやつ」
「チョコもでしょ? ココアも忘れないでよね」
「はいはい」
ふふ、そうね、次はドワーフか龍人族の国にでも行ってみましょうか。お酒が美味しいらしいから。
⑫
翡翠と白を基調とした美麗な謁見の間をクリスタルのシャンデリアが照らす。この国の人々に負けないくらい煌びやかな空間で、新調されているとは言え、紫がかった黒の魔女装束を纏った私は少し、浮いているように思える。
「面を上げよ」
膝間突き、伏せっていた視線を上げる。視界の端に同じように動く二尾の黒猫が見えた。そして正面で怜悧な美貌を見せるのは、この国の女王。いつかと同じドレスを纏って、美しい玉座についていた。
一つ下段にはレネシニエル王子を抱えた宰相がいて、もう一つ下段には玉座までの細長いカーペットを挟むようにこの国の重鎮たち、あの小さな会議室にいた面々が並ぶ。
それだけだ。初めてここを訪れた時の騎士たちはいない。
「智慧の魔女、ソフィエンティア=アーテルよ。……すまない、辛い役目を負わせてしまった」
宰相をちらりと見ると、頷かれた。そのまま話して良いという事だろう。
「いえ、あの時も申しましたように、私のミスが、傲慢が原因です。自らの罪にケジメをつけたまでのこと」
安易に教えるべき知識ではなかった。断片でも知られてしまう場に置くべきではなかった。それだけだ。一週間近く経過した今となっても、その考えは変わらない。
「むしろ、不問にしていただいたこと、感謝しております」
「……罪に問うなど、出来るはずも無かろう。いや、そう言ってもそなたは納得せんな」
魔女王の問にならない問に、目を伏せて肯定を示す。彼女も同じ魔女である以上、魔法を発現させた者のある種の頑固さは理解している。そればかりではないと思うけれど。
「研究資料については、約束通り完全に破棄しよう」
「その事ですが、一度待っていただいてよろしいでしょうか?」
「ふむ」
続きを促すように相槌を打つ魔女王に、私は宰相へ目くばせする。彼は私が事前に預けていた文庫本二冊分ほどの紙束を取り出して、魔女王へ渡した。
「理由と要望を話す前に、そちらをご覧いただきたい」
魔女王は一つ頷いて、紐で綴じただけのそれを開いた。警戒する様子もなく読み進めていた彼女の表情は、次第に驚愕に染まっていく。
「良いのか? これは……」
「はい。『女神の侍女』の召喚に関する研究とその応用、そして、ウルが使ってしまったと思われる術式について纏めたものです。それを、出来得る限りの未来まで、残していただきたいのです」
目的は、破棄を望んだ時と変わらない。二度とウルや病の村を襲ったような悲劇が起きないように。その可能性が少しでも小さくなるように。
「今回の件が起きた原因の一つに、私が中途半端に隠してしまった事が挙げられます」
「なるほど、完全に隠すことは不可能と考えたわけだな?」
「はい。ならば、起こり得る危険を漏れなく、後世まで伝える方が確実だと考えました」
知識を教えなかったからとして、今後二度とそれに辿り着く者がいないと考えるのは傲慢だ。隠し通せると考えるのも傲慢だ。
だったら、同じ轍を踏ませないよう、残す。
そもそも知識はただの道具に過ぎないのだから。
使い方次第で喜劇を生むこともあれば、悲劇を生むこともある。
知識そのものではなく、その扱いに責任を持つべきだったのだ。道具を伝えるという扱いをしてしまったのなら、伝えた事に責任をもって事後のフォローをすべきだった。
それなのに私は、それを考慮していなかった。そのように知識を使ったらどうなるかを考えていなかった。だからあの村は滅びた。
「知識を伝えるなら、確実に、良い面も、悪い面も、出来る限り全てを伝えないといけない。これも一つの傲慢かもしれないですが」
『智慧の館』へのアクセス権限を持つ者としての、今の私の解答はこれ。
この先も考え続けていかなくてはいけない事だけれど。
「初めの依頼に報酬をいただけるのであれば、それを残す事を約束していただけたら」
「そうか……。分かった。我が国としても利益が大きい。相応に装丁し、後世まで伝えよう」
ありがとうございます、と礼をする私に、魔女王は頷く。きっと彼女は約束を守ってくれる。これでこの国に、二度と同じ悲劇が起きないと良いのだけれど。
「それで、この後はどうする。そなたさえ良ければ、位を与えようと思うが」
「お言葉ですが陛下、また、旅に出ようかと。まだまだ見ていない世界が沢山あるので」
このまま旅を終えるには、些か中途半端すぎる。それで失敗したばかりだというのに。
「そうか、それは残念だ……」
魔女王は本当に残念そうで、その姿を見ていると、ウルと親子なのだと実感する。
「……ソフィア、と呼んでも良いだろうか?」
不意にかけられた問いに一瞬、呆気に取られてしまった。ぱちくりと瞬きをして、魔女王の顔を凝視してしまう。
彼女は少し不安そうで、まるで年頃の少女のような雰囲気を見せていた。たぶん、彼女が封じざるを得なかった、弱い部分なのだろう。
断らないといけない理由は、思い浮かばない。
「はい、勿論です、陛下」
「そうか、感謝する。そなたも、私の事はエマと呼んで欲しい。当然非公式の場に限るが」
ああ、ウルと同じ笑みだ。私と同じ渇望だ。彼女は私と同じものを求めていたらしい。
「……ええ、エマ」
年甲斐もなく気恥ずかしさを覚えながら、彼女の愛称を呼ぶ。良い大人が二人揃って照れ、頬を染めている姿なんて、ウルたち生徒には見せられない。
「陛下、そろそろ……」
「ああ、分かった。謁見はここまでにしよう」
宰相が微笑まし気に、そして申し訳なさそうに口を挟んだ。彼は魔女王、エマよりも年上だから、案外父親のような思いを抱いているのかもしれない。
「また、いつでも訪ねてきて欲しい。我が友、ソフィアよ」
「ありがとう、エマ。……それでは、失礼いたします」
最後にもう一度礼をして、謁見の間を出る。
すっかり馴染んだ城内を抜け、ウィッチェル城下街に。
空は快晴、道行く人々にも曇り顔無し。旅立ちには良い日だろう。
「さて、アスト」
「どこ行きたいか?」
「それもだけれど、その前に」
アストに押しのけられた帽子を押さえつけ、久方ぶりの、太陽のような笑みをギラギラさせる。
「お酒、買っていきましょ。美味しいやつ」
「チョコもでしょ? ココアも忘れないでよね」
「はいはい」
ふふ、そうね、次はドワーフか龍人族の国にでも行ってみましょうか。お酒が美味しいらしいから。
20
あなたにおすすめの小説
異世界転生者のTSスローライフ
未羊
ファンタジー
主人公は地球で死んで転生してきた転生者。
転生で得た恵まれた能力を使って、転生先の世界でよみがえった魔王を打ち倒すも、その際に呪いを受けてしまう。
強力な呪いに生死の境をさまようが、さすがは異世界転生のチート主人公。どうにか無事に目を覚ます。
ところが、目が覚めて見えた自分の体が何かおかしい。
改めて確認すると、全身が毛むくじゃらの獣人となってしまっていた。
しかも、性別までも変わってしまっていた。
かくして、魔王を打ち倒した俺は死んだこととされ、獣人となった事で僻地へと追放されてしまう。
追放先はなんと、魔王が治めていた土地。
どん底な気分だった俺だが、新たな土地で一念発起する事にしたのだった。
猫好きのぼっちおじさん、招かれた異世界で気ままに【亜空間倉庫】で移動販売を始める
遥風 かずら
ファンタジー
【HOTランキング1位作品(9月2週目)】
猫好きを公言する独身おじさん麦山湯治(49)は商売で使っているキッチンカーを車検に出し、常連カードの更新も兼ねていつもの猫カフェに来ていた。猫カフェの一番人気かつ美人トラ猫のコムギに特に好かれており、湯治が声をかけなくても、自発的に膝に乗ってきては抱っこを要求されるほどの猫好き上級者でもあった。
そんないつものもふもふタイム中、スタッフに信頼されている湯治は他の客がいないこともあって、数分ほど猫たちの見守りを頼まれる。二つ返事で猫たちに温かい眼差しを向ける湯治。そんな時、コムギに手招きをされた湯治は細長い廊下をついて歩く。おかしいと感じながら延々と続く長い廊下を進んだ湯治だったが、コムギが突然湯治の顔をめがけて引き返してくる。怒ることのない湯治がコムギを顔から離して目を開けると、そこは猫カフェではなくのどかな厩舎の中。
まるで招かれるように異世界に降り立った湯治は、好きな猫と一緒に生きることを目指して外に向かうのだった。
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅
あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり?
異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました!
完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
異世界の片隅で引き篭りたい少女。
月芝
ファンタジー
玄関開けたら一分で異世界!
見知らぬオッサンに雑に扱われただけでも腹立たしいのに
初っ端から詰んでいる状況下に放り出されて、
さすがにこれは無理じゃないかな? という出オチ感漂う能力で過ごす新生活。
生態系の最下層から成り上がらずに、こっそりと世界の片隅で心穏やかに過ごしたい。
世界が私を見捨てるのならば、私も世界を見捨ててやろうと森の奥に引き篭った少女。
なのに世界が私を放っておいてくれない。
自分にかまうな、近寄るな、勝手に幻想を押しつけるな。
それから私を聖女と呼ぶんじゃねぇ!
己の平穏のために、ふざけた能力でわりと真面目に頑張る少女の物語。
※本作主人公は極端に他者との関わりを避けます。あとトキメキLOVEもハーレムもありません。
ですので濃厚なヒューマンドラマとか、心の葛藤とか、胸の成長なんかは期待しないで下さい。
ぽっちゃり女子の異世界人生
猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。
最強主人公はイケメンでハーレム。
脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。
落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。
=主人公は男でも女でも顔が良い。
そして、ハンパなく強い。
そんな常識いりませんっ。
私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。
【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる