【完結】君の為に翔ける箱庭世界

嘉神かろ

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二章 祐介の為に

第51話 揺れる心

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 ⑭
 食事を終え、朱里、煉二、寧音の三人で周囲を探索した結果、スキルに任せて意識を緩めて良いだろうという結論に至った。あまり離れるのは不味いが、見える範囲で自由行動ということになる。
 朱里は煉二が寧音に腕を惹かれていくのを見送りながら、自分はどうしようかと思案する。自分がナイルの傍に待機する役を受け持つのが良いと考えている彼女だが、腑に落ちない部分もなくはないらしい。同じく寧音たちを見送った翔と陽菜に、行けば良いと言えずにいた。
 何となしに湖の近くまで歩き、ぼんやりと水面を眺める。黒い水面の映った青い光は明るく、しかし寂しげだ。
 その水面に一つ、彼女以外の影が見えた。

「魚、いる?」

 翔だった。

「……わからないわ」
「釣りしようかなって思ってるけど、どうする? 朱里もする?」

 朱里が振り返ると、彼の手には簡素な釣り竿が握られていた。もしもの時に備え、全員の〈ストレージ〉に入っているものだ。

「陽菜は?」
「ナイルさんに砂漠の家庭料理を教えて貰ってるよ」

 確かに、拠点と定めた場所で二人が調理器具と食材を広げているのが見えた。
 彼女は顔を湖の方へ戻し、少し考えてから頷く。

「やるわ」
「おっけ。どこで釣ろうか?」

 朱里は陽菜の方をちらと見た。

「この辺りでいいんじゃない?」
「そうだね」

 翔が糸を垂らしたの位置からいくらか歩き、朱里も釣り竿と椅子を取り出す。餌は付けない。
 彼女は糸を中心に広がる波紋を眺めながら何を話そうかと考えるが、いつもなら何も考えなくてもスラスラと出てくるはずの言葉が今に限って出てこない。

「まさか、こんな場所があるなんてね」
「……そうね」

 突然かけられた声に、返事は素っ気なくなる。どうしてもっと気の利いたことが言えないのかと自責する。それからこっそりと深呼吸をした彼女は、ちらと翔の方を見た。彼の横顔から、気にしている様子がないと知って安堵する。同時に、チクリと胸が痛んだ。
 ――当然よ。翔は陽菜が好きなんだから。

 それで良いと決めた筈だと、朱里は自分に言い聞かせる。
 ――でも、今だけは。今くらいは……。

 自身の浮かれた心を抑え付けなくてもいいだろうと、そう考えた。

 暫く待ってみたが、魚がかかる様子はない。餌をつけていない朱里の竿は当然として、翔の竿も沈黙を保ったままだ。

「釣れないわね」
「そうだね。仕掛けに慣れてないだろうし、簡単に釣れると思ったんだけどなぁ……」

 翔は不満そうだったが、朱里としては魚がかかって二人の時間を邪魔されるより良かった。

「……ねぇ、翔」
「うん?」

 とは言え上手い話題は出てこない。仕方なしに彼女が選んだのは、彼女たちが共通して学ぶ武術についてだった。

「『鎌鼬』、あるじゃない?」
「うん」
「コツ、教えてくれない?」

 毒刃蝙蝠ベノムブレードバツド戦や湿潜竜プロテウス戦を経て、彼女が強く感じたことがある。

「アルジェさんから私は基礎を伸ばした方がいいって言われてたんだけど、一つだけ、技を教えて貰えたの」

 それは、遠距離攻撃の必要性。

「『鎌鼬』の突きバージョンで、『翡翠カワセミ』って言うんだけど、中々上手くいかなくて……」

 朱里のユニークギフト〈神狼穿空〉は強力だ。アルジェの特訓によって出力を抑えて気や魔力のようにコントロール出来るようになった今、彼女の槍の前には殆どの防御が用を成さない。つまり翔のように高威力の奥義を身に着けるより、基礎的な攻撃を極めた方が強くなれるのだ。
 奥義によって一撃の威力を上げる必要のない朱里は槍を確実に当てるための動きを重点に学んできたのだが、空を飛ぶ敵や遠距離攻撃を豊富に持つ敵など、近づけない相手には無力だ。魔法は自分に向いていないことも知っている。
 そうなると、『翡翠』を修得する他ないと彼女は考えた。

「うん、いいよ。釣れる気配も無いしね」

 翔は苦笑いして言った。
 彼が糸を垂らしたまま近くの岩に竿を固定するのに朱里も倣い、岸から離れる。固定するのに魔法を使うことになったが、この程度なら問題ない。
 訓練用の刃引きした剣を取り出して構える翔を、彼女は少し離れたところから眺める。

「本当は真空の層を作って自然現象のつむじ風を再現するらしいんだけど、それは俺たちの腕じゃ難しいから、こっちの世界の法則に合わせて改良した方のコツを教えるよ」
「うん」

 剣を構えたまま顔だけ振り返る翔。その仕草に、朱里の心臓はドキリと高鳴った。視線を陽菜へ向けそうになる。聞こえる筈がないことは、彼女も分かっていた。

「やってる事は斬撃を飛ばしてる訳だけど、俺のイメージとしては、剣が伸びて直接切り裂く感じ」

 そう言って翔が剣を振るうと、離れた位置にあった石柱が半ばで切れ、落ちる。翔の『鎌鼬』をじっくり観察したのは初めてだったが、確かにアルジェたちの技とはどこか違うように感じられた。それは〈直感〉スキルによって捉えられた違和感だ。

「たぶん、突きでも同じ感じでいけると思うよ」
「武器が伸びるイメージ……」

 もし魔力の察知に秀でた寧音や煉二がいれば、それが魔力に関係する現象だと気が付けただろう。しかし元来感覚派の朱里には関係の無い話かもしれない。
 何より、今こうして翔と二人の時間を過ごせていることが朱里には最も重要なことだった。

「ちょっとやってみる。……ふっ!」

 翔に言われた通りに槍が伸びるイメージで空を突くが、狙いを定めた石柱に変化は見られない。それでも今までと何か違う感覚を覚えたのは確かだった。

「……もうちょっとで出来そうな気がする。翔、もう一回やってみてくれない?」
「いいよ」

 何度かお手本を見せてもらい、彼女は自身のイメージに修正を加えていく。そうして同じ動きを繰り返した、ある時だった。
 何かが槍を通ったように感じたのと殆ど同時に、パンッと音を立てて的代わりの石柱が弾けた。

「……出来た」
「やった! 凄いよ朱里!」

 突いた体勢のまま惚ける朱里へ翔は駆け寄り、手を上げて笑顔を向ける。自分よりも喜んでいるように見える翔に、朱里は照れ臭さと喜びで頬を染める。それから漸く翔の上げた手の意味を理解して控えめに手を合わせた。

「今の感覚を忘れないうちにもう一回やろう!」
「う、うん……!」

 頬とハイタッチで合わせた掌に感じる熱を誤魔化すように、朱里は先ほどの感覚を再現する。するとまた、同じように別の石柱が半ばから弾けた。
 ――これでもっと、翔の力になれる!

 成長できたことよりも、その事が朱里は嬉しかった。

「翔、ありがと!」

 だから彼女は、とびっきりの笑顔を翔に向ける。その恋が叶う事は無いと知っていても、今この瞬間だけは、自分の好意を翔へ伝えたかったから。翔はきっとそれを力を貸してくれた友人への感謝だと取るだろうが、それでも良かった。

「どういたしまして」

 自分だけに向けられたその微笑みを、朱里は心の奥に大事にしまう。これから先何度も彼女に向けられ、心を弾ませるだろうものだが、だからと言って軽んじられるはずはない。
 朱里は整った顔立ちを嬉しそうに綻ばせ、次は何を話そうかと考える。今ならいつも通り上手く話せる気がした。

「ねえ、かけ――」
「翔君ー! あっちの方とても良かったですよー! 陽菜ちゃんと行ってきたらどうですかー!」

 寧音が少し離れたところから手を振っていた。言いかけた言葉を飲み込む。

「わかった! ありがとう、寧音!」

 翔が振り返って、寧音に礼を言う。朱里の視界の端では、陽菜が翔の事をじっと見ていた。

「えっと、朱里、何か言おうとしてたよね?」
「え、あ、うん。でも大した話じゃないから!」

 自分の思いに気が付いてからずっと翔を見ていた朱里には、わかってしまった。
 ――ちらちら陽菜の方を見てる。そんなに行きたいんだ……。

「ほら、行ってきなさいよ。私はもう少し練習してるから」
「わかった、ありがとう!」

 朱里は陽菜の方へ駆けていく翔の後姿を見つめる。寂しそうな雰囲気だけはどうにか隠して。
 離れていく背中への未練を断ち切る様に槍を握り、今まで以上に強く突く。その姿を煉二がじっと見ていた事には気が付かない振りをしていた。

 朱里が落ち着いたころには的代わりの石柱周辺が見るも無残な事になっていた。それに気が付き、彼女は自己嫌悪で顔を歪める。

ようやく落ち着いたか」
「……煉二」

 煉二が人肌の温度のお茶が入ったコップを持って近づいてきた。朱里はそれを受け取って口をつける。

「寧音が邪魔をする形になってしまった事は謝罪しておく。……聞くが、妙な気を起こしてはいないだろうな?」

 眼鏡の奥から切れ長の目が朱里を見る。心の内を見透かされているような視線だ。少し前とは違った理由で大きくなった自分の心音に、彼女はコップから口を離せない。
 そうして稼いだ僅かな時間で、

「大丈夫よ」

 と言う余裕だけ作った。
 そうかと返す煉二の眼に何が映っているのか、朱里は怖くなった。それでも表面上は何でもないフリをして、歩き出す。

「ナイルさんの所に戻るわよ。陽菜にばかり任せちゃってたし、私たちも仕事しないと」
「ああ」

 今ナイルは寧音と何かを話しているようだった。寧音は興奮しているのか、動きが大きい。よほど綺麗な景色だったのだろうと、朱里は考えた。

「朱里!」
「っ! ……何?」

 飛び跳ねそうになるのを抑えて振り返る。

「釣り竿、忘れているぞ」
「……ああ。ありがとう」

 こっそりと溜め息を吐き、どうして自分がこんなにビクビクしなければいけないのかと自問しながら釣り竿を取りに行く。引き上げた仕掛けには何もかかっていなかった。

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