31 / 37
1章
25夜 偽の海を唄う、淡水魚
しおりを挟む
これは夢だと分かる悪夢は、悪夢ではない。
例えば空から巨大な隕石が落ちて来て、自分の住んでいる街が焼け野原になった。とか、未確認生命物体に襲われて、死んでしまった。
そんな類の現実に起こり得ない夢は「なーんだ、夢か」と気付くことが出来るから、悪夢ではないのである。
本当の悪夢は、夢か現実か分からない今その場で自分の身に起きている。と、錯覚するような夢が悪夢なのだ。
チュエンイの口元が、綻ぶ。
自然豊かな小さな島で、人々がみんな笑っている。
ある人は讃美歌を歌い、またある人は冬の寒さに耐えられるようにセーターを編んでいた。
自分が歩くだけで、人々は頭を下げたり腕の名前で手を合わせた。
「神子様、ありがとう。私逹が健やかに生きていられるのは、神子様のおかげです」
「神子様、励まされます。いつもみんなのことを、考えておられますよね。私も、見習わないと」
「神子様のおかげで、夫は病から回復しました。なんてお礼を、言ったら良いか……」
僕には、特別な力がある。神様がこの力を授けたのは、人々を助ける為なんだ。
この世に生み落とされた時から、自分には不思議な力がある。と、分かっていた。
目が開いた時。頭で見た光景が、そのまま再生された。これは、未来予知の力。
初めて寝返りをした時。世界がひっくら返って見えて、森羅万象「表と裏」があることを知った。
初めて言葉を発した時。お腹が空いて「まんま」と言ったら、大好物の人参をすりおろしたおかゆが目の前に現れた。
おしめを変えていた乳母は「やはり、神の力があるんだわ……」と感動の余り涙を流して、潰しかねない程に自分を強く抱きしめた。
みんな、幸せだった。自分の力があれば、この世から飢えや格差や苦しみを無くせると思っていた。
自分の才能に胡座をかかず、努力もしていた。
子供の頃の自分は、とても楽しそうに笑っている。
まるで映画でも見ているようなシーンで、チュエンイはこれは夢なのだと気が付いた。
突如視界が、歪む。
緑溢れる島の風景が、一瞬にして廃トンネルへと変わった。
天井から滴る、水滴。張り巡らされた、雲の糸。地面はひび割れており、出口が歩いても歩いても一向に見えない。
ドブの匂いが充満していて、とても臭いし不快だ。
トンネルの先から、一人の少年が歩いて来た。
年齢は、十代半ばくらい。
ペールパールの、長いウェーブヘアー。右目には、椿の花が刺繍された黒い眼帯をかけている。見つめられると、魂を射抜かれそうな真紅の薔薇のような瞳。
チュエンイの身体から、冷や汗がだくだくと溢れ出る。
「卋廻くん……。どうして、ここに」
「神子様、会いたかったです。私たち、やっぱり繋がるものがあるんですね。神子様、早く戻って来て下さい。みんな、神子様を待ってますよ」
卋廻はそう言って、チュエンイの首筋に顔を埋めた。
人肌の温もりを感じる。ちゃんと、温かい。
見ているのは夢の筈だけど、この人間は現実だ。
他人の夢に、意識に、入って来たのか……?
「神子様……?」
一度口に含めば忘れられない、甘い砂糖菓子のような声。
他のお菓子では満足出来なくなる、麻薬のような声をチュエンイはよく知っている。
「話を聞いて。なんで俺の夢に、入って来れるの?」
「心が、繋がっているからですよ」
そんなことはない。あの時にお別れを、したじゃないか。
もしかしたら、彼は幼なすぎて分からなかったのかもしれない。
もう一度ちゃんと、伝えなければ。
チュエンイが意を決して口を開いたら、また視界が歪んだ。
今度は、ガラス張りの部屋だ。
部屋一面咲き誇る、数多の花。
デイジーに、シクラメンに、紫陽花。
この季節に咲かない花を見て、ますます分からなくなった。
自分が目を覚ましている世界は、本当に現実なのか? 今見ている世界こそが、現実ではないのか?
「……ッ」
チュエンイに背中を刃物で斬られたような、激しい衝撃が走る。
目を覚ませ。起きるんだ。生きろ。生きることが、償いなんだ。
瞼をこじ開けて、呼吸を整える。
目の前に広がるのは、見慣れたアパートの天井だ。
飼い猫が餌を寄越せとニャーニャーと鳴きながら、本棚から本をガシャガシャと落としている。
「待っててね、ご飯あげるから……」
チュエンイは、飼い猫の背中を撫でた。
ちゃんと温かかった。
「ごめんね……」
誰に向けてか、分からない謝罪。とても誠意のある言葉ではない。
だけど、言わずににはいられなかった。
*
その後。リゼステリアから事情を聞き、いつきは住民に訳を話して謝罪した。
LMN側に、調査任務が下りたのが夜十時過ぎ。それから準備を整えて、到着したのが明け方になったらしい。
次からは事前に連絡を下ろすよう口約束をしたことで、住民の溜飲は下がった。
キース達は、いつも通り出勤した。
チュエンイが遅刻して来たのも、いつも通り。
支援隊の事務所は、全部隊統括者補佐の事故の話で、持ちきりだった。
「早すぎるよな」とか「惜しい人を亡くした」とか、そう言った類のものだ。
将校の人間であっても、全部隊統括者となると話す機会はないのだろう。
みんな当たり障りのない、お悔やみの言葉を言っていた。
葬儀は身内だけで、行われるらしい。
ルータスだけは、残念そうにしていたのが意外だった。
てっきり権威嫌いだと、思っていたからだ。
話を、今に戻そう。
ルータスとジャスパーは朝礼だけ参加して、それぞれの上司の執務室へ赴いた。
こちらも、特段珍しいことではない。
魔獣退治部隊の仕事は、当然ながら魔獣が出れば退治すること。
稀少な魔獣ならば、生捕りにすることもあるらしい。
他には街の動物に異変が起きてないかのパトロールに、魔力観測塔で観測した魔力が、規定値内かチェックしたりもある。
一週間に一度、実践を想定した演習が行われる。
そしてそれら以外にも、街の住民は世界保安団に様々な依頼をして来る。
それこそ子守りから、法律相談まで。
総合依頼受付で受けた依頼は、資格免許の有無や各部隊の業務内容を鑑みて、振り分け作業が行われる。
いつき曰く魔獣退治部隊に来る依頼は、体力仕事とかビルの警備とかボディーガードが多いらしい。
総合依頼受付センターの様子を見たことがあるが、開所前から住民が長蛇の列を形成していてキースはひっくり返った。
毎日のように、開所前に百人の住民は待っているらしい。
対する受付嬢は二十名ほどで、住民の話を聞いて依頼出来そうな部隊のオペレーターに繋ぐ。オペレーターが許可をすればそこからはオペレーターと住民で話をして、精鋭隊や小隊に正式に依頼と言う流れだ。
支援隊の事務所にも通信機が備えつけられており、一日に数回は依頼の話がオペレーターから入る。
キースは仕事の合間や休日に王都の襲撃事件を調べてはいるが、これと言った手がかりはない。
父が生きているのか、死んでいるのかすら分からないのだ。
「隊長……もうすぐ予算会議ですよねぇ」
キースの不安とは、対照的な声が発せられた。アイマヒュリーが、買って欲しい玩具がある幼子のように甘ったるい声でいつきに詰め寄る。
「そうだな」
いつきはキースが提出した依頼完了報告書から、視線を逸らさず相槌を打つ。
「最近の依頼って、なんでしたっけ?」
「犬の散歩と、草むしりと、魔力空調機の修理だったかな」
「予算が増える、依頼じゃないですよね」
「まぁなー」
アイマヒュリーが、自身の事務机をバンと叩いた。
「ダメですよ! 折角の精鋭隊なんですから、貰えるもん貰わなきゃ! 実績! 実績を、作りましょう!」
「今のままで、良いって」
アイマヒュリーが、栗鼠のように頬を膨らませた。
「そんなこと言ってるから、隊長は万年ヒラ隊長なんですよ! なんか、すごい依頼を熟した~い!」
「ありますよ」
いつの間にか、事務所の扉の前にタンザナイトが立っていた。
扉の開閉音や足音等の、一切音を聞き取れなかったこと。何より、気配が無かったこと。
いつきですら驚きの余り、口を開けたまま動けていない。
タンザナイトはお構いなしに、事務所に足を踏み入れた。
それもキースの事務机の横に、立ったのだ。
「フィデーリスさん。総務部からの、直直の依頼ですか?」
「ええ。どの部隊に振り分けるか、悩ましい依頼でして」
相変わらず感情の色が、読み取れない仮面のような笑顔だ。
キースは一つだけ、いつもと違うところに気が付いた。
(ネクタイがないな……)
慌てて事務所に来た割には、衣服も髪も乱れていない。
いつもより話すテンポも、早い気がする。
「厄介事ですか?」
いつきの質問に、タンザナイトは首を縦に振る。
やはり所作が、いつもより雑だ。
いつもは他人を警戒させないように、彼は誰よりも丁寧に動いている。
マナー講座のお手本のような所作が、品の良いビジネスマンに格下げされているのだ。
「はい。かなりね……。ゼノクロノス王国にある最北端の地『ミランデール』の竜が、数十頭一ヶ月程前から行方不明になっているそうです。二週間前。セプテントリオ教会の特殊警察部隊が、捜査に行きましたが音信不通状態。セプテントリオ教会から、要塞教会に救助ないし捜索依頼が来ました」
ミランデール。その地名に支援隊の人間は、程度の差はあれど恐怖心を抱いてるようだ。
「あの、それ、殺されたんじゃないすか……?」
フォルスィーが、報告書の誤字脱字を直しながら言う。
ミランデール。王国最北端の断崖絶壁の上にある村。別名「竜使いの村」である。
古来より竜とだけ交わり、外界を拒んで来た民族。
独自の言語で話し、食事は菜食中心。文明は創世記で、止まってるようなものらしい。この地で生まれた者は生涯外に出ず、ミランデールの民として生涯に幕を閉じる。
人口の予想は、約百五十人程度とされている。
いくら行政や民族学者が訪問しても成果を得られないのは、現地民から激しい攻撃を受けるからだ。
部外者が爪先一歩でも踏み入れると、豪雨のような弓矢や槍が飛んで来ると言う。
約ニ十年前。讃神魔神教の宣教師がミランデールの住民に聖書の教えを説こうと、ミランデールの地に足を踏み入れたら弓矢で殺害された。
この殺人事件で、世界のミランデールを見る目が変わったのだ。
「とても危険な民族だから、絶対に関わってはならない」
それ以降、ミランデールと外界の交わりは途絶えたに等しい。
支援隊全員の顔に「行きたくない……」と、書いてある。
「申し訳ありません。説明を簡略化し過ぎました。ミランデール側からセプテントリオ教会に正式に依頼をして行っているので、ミランデールの人間が殺した訳ではない。と、私は考えています」
アイマヒュリーがおずおずと手を挙げ、タンザナイトは「どうぞ」と短く言った。
「あの~。お気持ちは嬉しいんですけど、危険度が高すぎる気がします。私らが殺されないって、保証はないし……」
タンザナイトはキースを一瞥して、思索を巡らせる。
いつきは、こめかみを揉む。
「そうだ。俺らが魔装武器含む全ての武器を置いて行く代わりに、ミランデールの人の武器を俺らが滞在する間は倉庫とかに閉まって貰えるなら、行っても良いです」
支援隊全員の視線が、いつきに集まった。
「隊長、正気ですか……?」
ロードの質問に、いつきはゆっくりと微笑む。
「同じ人間だから、丸腰ならそんなに差はないだろう。それに、ミランデールは竜使いの村だ。約束を反故するような人間を、竜は背中に乗せないさ」
いつきの「ミランデールの人間を信じる」と言った瞳は、妙に説得感があった。
「なるほど。理に適っていると、思います」
「あと、もう一点。フィデリースさん、当然来てくれますよね?」
「え……」
キースは思わず、声を上げた。我ながら、感情に出過ぎだと思う。
タンザナイトの笑顔が、一瞬だけ崩れた。
「まぁ、そうなりますよね……。良いでしょう」
フォルスィーを始め、ロードやアイマヒュリーが驚愕の声をあげる。
それもそのはずだ。彼らにとって、タンザナイトは「総務部」の人間なのだから。
タンザナイトが、キースの事務机に置いてあるバインダーに手を入れた。
一瞬の出来事だったので、キース以外は気が付いていない。
キースはバインダーに挟んだマニュアルを読む振りをして、タンザナイトが挟んだ数十枚の書類に目を通した。
そこには深くフードを被った、父親の写真があった。父の後ろには竜が写っており、父が縄で竜を率いているように見える。
写真の撮影日は、一ヶ月と十日前。創立祭の後である。
資料には、
・父親がミランデール出身であること
・ミランデールの竜は賢く警戒心が強い為、いくら竜騎士と言っても余所者にはついていくのは考えにくい点
などが挙げられていた。
「ちょっ……これって」
キースが言い終わるより前に、タンザナイトがキースの裏の首筋に手刀を叩き込んだ。
「げぶっ……! がふっ」
朝食を、事務机に吐き出すキース。
みんなが口々に「大丈夫!?」と、心配の声をかけた。
タンザナイトはわざとらしく眉尻を下げて、キースの背中を摩る。
「レイバン君、お具合大丈夫ですか? 念の為、医務室に行きましょう。付き添います」
「どの口が……」
「ああ、口が気持ち悪いんですね。お可哀想に」
タンザナイトが、キースの頭をボールのように鷲掴みして事務所の外へと連れ出す。
(虚無ちゃん、悪魔とか思ってごめん……。一番悪魔なんは、こいつだ……)
例えば空から巨大な隕石が落ちて来て、自分の住んでいる街が焼け野原になった。とか、未確認生命物体に襲われて、死んでしまった。
そんな類の現実に起こり得ない夢は「なーんだ、夢か」と気付くことが出来るから、悪夢ではないのである。
本当の悪夢は、夢か現実か分からない今その場で自分の身に起きている。と、錯覚するような夢が悪夢なのだ。
チュエンイの口元が、綻ぶ。
自然豊かな小さな島で、人々がみんな笑っている。
ある人は讃美歌を歌い、またある人は冬の寒さに耐えられるようにセーターを編んでいた。
自分が歩くだけで、人々は頭を下げたり腕の名前で手を合わせた。
「神子様、ありがとう。私逹が健やかに生きていられるのは、神子様のおかげです」
「神子様、励まされます。いつもみんなのことを、考えておられますよね。私も、見習わないと」
「神子様のおかげで、夫は病から回復しました。なんてお礼を、言ったら良いか……」
僕には、特別な力がある。神様がこの力を授けたのは、人々を助ける為なんだ。
この世に生み落とされた時から、自分には不思議な力がある。と、分かっていた。
目が開いた時。頭で見た光景が、そのまま再生された。これは、未来予知の力。
初めて寝返りをした時。世界がひっくら返って見えて、森羅万象「表と裏」があることを知った。
初めて言葉を発した時。お腹が空いて「まんま」と言ったら、大好物の人参をすりおろしたおかゆが目の前に現れた。
おしめを変えていた乳母は「やはり、神の力があるんだわ……」と感動の余り涙を流して、潰しかねない程に自分を強く抱きしめた。
みんな、幸せだった。自分の力があれば、この世から飢えや格差や苦しみを無くせると思っていた。
自分の才能に胡座をかかず、努力もしていた。
子供の頃の自分は、とても楽しそうに笑っている。
まるで映画でも見ているようなシーンで、チュエンイはこれは夢なのだと気が付いた。
突如視界が、歪む。
緑溢れる島の風景が、一瞬にして廃トンネルへと変わった。
天井から滴る、水滴。張り巡らされた、雲の糸。地面はひび割れており、出口が歩いても歩いても一向に見えない。
ドブの匂いが充満していて、とても臭いし不快だ。
トンネルの先から、一人の少年が歩いて来た。
年齢は、十代半ばくらい。
ペールパールの、長いウェーブヘアー。右目には、椿の花が刺繍された黒い眼帯をかけている。見つめられると、魂を射抜かれそうな真紅の薔薇のような瞳。
チュエンイの身体から、冷や汗がだくだくと溢れ出る。
「卋廻くん……。どうして、ここに」
「神子様、会いたかったです。私たち、やっぱり繋がるものがあるんですね。神子様、早く戻って来て下さい。みんな、神子様を待ってますよ」
卋廻はそう言って、チュエンイの首筋に顔を埋めた。
人肌の温もりを感じる。ちゃんと、温かい。
見ているのは夢の筈だけど、この人間は現実だ。
他人の夢に、意識に、入って来たのか……?
「神子様……?」
一度口に含めば忘れられない、甘い砂糖菓子のような声。
他のお菓子では満足出来なくなる、麻薬のような声をチュエンイはよく知っている。
「話を聞いて。なんで俺の夢に、入って来れるの?」
「心が、繋がっているからですよ」
そんなことはない。あの時にお別れを、したじゃないか。
もしかしたら、彼は幼なすぎて分からなかったのかもしれない。
もう一度ちゃんと、伝えなければ。
チュエンイが意を決して口を開いたら、また視界が歪んだ。
今度は、ガラス張りの部屋だ。
部屋一面咲き誇る、数多の花。
デイジーに、シクラメンに、紫陽花。
この季節に咲かない花を見て、ますます分からなくなった。
自分が目を覚ましている世界は、本当に現実なのか? 今見ている世界こそが、現実ではないのか?
「……ッ」
チュエンイに背中を刃物で斬られたような、激しい衝撃が走る。
目を覚ませ。起きるんだ。生きろ。生きることが、償いなんだ。
瞼をこじ開けて、呼吸を整える。
目の前に広がるのは、見慣れたアパートの天井だ。
飼い猫が餌を寄越せとニャーニャーと鳴きながら、本棚から本をガシャガシャと落としている。
「待っててね、ご飯あげるから……」
チュエンイは、飼い猫の背中を撫でた。
ちゃんと温かかった。
「ごめんね……」
誰に向けてか、分からない謝罪。とても誠意のある言葉ではない。
だけど、言わずににはいられなかった。
*
その後。リゼステリアから事情を聞き、いつきは住民に訳を話して謝罪した。
LMN側に、調査任務が下りたのが夜十時過ぎ。それから準備を整えて、到着したのが明け方になったらしい。
次からは事前に連絡を下ろすよう口約束をしたことで、住民の溜飲は下がった。
キース達は、いつも通り出勤した。
チュエンイが遅刻して来たのも、いつも通り。
支援隊の事務所は、全部隊統括者補佐の事故の話で、持ちきりだった。
「早すぎるよな」とか「惜しい人を亡くした」とか、そう言った類のものだ。
将校の人間であっても、全部隊統括者となると話す機会はないのだろう。
みんな当たり障りのない、お悔やみの言葉を言っていた。
葬儀は身内だけで、行われるらしい。
ルータスだけは、残念そうにしていたのが意外だった。
てっきり権威嫌いだと、思っていたからだ。
話を、今に戻そう。
ルータスとジャスパーは朝礼だけ参加して、それぞれの上司の執務室へ赴いた。
こちらも、特段珍しいことではない。
魔獣退治部隊の仕事は、当然ながら魔獣が出れば退治すること。
稀少な魔獣ならば、生捕りにすることもあるらしい。
他には街の動物に異変が起きてないかのパトロールに、魔力観測塔で観測した魔力が、規定値内かチェックしたりもある。
一週間に一度、実践を想定した演習が行われる。
そしてそれら以外にも、街の住民は世界保安団に様々な依頼をして来る。
それこそ子守りから、法律相談まで。
総合依頼受付で受けた依頼は、資格免許の有無や各部隊の業務内容を鑑みて、振り分け作業が行われる。
いつき曰く魔獣退治部隊に来る依頼は、体力仕事とかビルの警備とかボディーガードが多いらしい。
総合依頼受付センターの様子を見たことがあるが、開所前から住民が長蛇の列を形成していてキースはひっくり返った。
毎日のように、開所前に百人の住民は待っているらしい。
対する受付嬢は二十名ほどで、住民の話を聞いて依頼出来そうな部隊のオペレーターに繋ぐ。オペレーターが許可をすればそこからはオペレーターと住民で話をして、精鋭隊や小隊に正式に依頼と言う流れだ。
支援隊の事務所にも通信機が備えつけられており、一日に数回は依頼の話がオペレーターから入る。
キースは仕事の合間や休日に王都の襲撃事件を調べてはいるが、これと言った手がかりはない。
父が生きているのか、死んでいるのかすら分からないのだ。
「隊長……もうすぐ予算会議ですよねぇ」
キースの不安とは、対照的な声が発せられた。アイマヒュリーが、買って欲しい玩具がある幼子のように甘ったるい声でいつきに詰め寄る。
「そうだな」
いつきはキースが提出した依頼完了報告書から、視線を逸らさず相槌を打つ。
「最近の依頼って、なんでしたっけ?」
「犬の散歩と、草むしりと、魔力空調機の修理だったかな」
「予算が増える、依頼じゃないですよね」
「まぁなー」
アイマヒュリーが、自身の事務机をバンと叩いた。
「ダメですよ! 折角の精鋭隊なんですから、貰えるもん貰わなきゃ! 実績! 実績を、作りましょう!」
「今のままで、良いって」
アイマヒュリーが、栗鼠のように頬を膨らませた。
「そんなこと言ってるから、隊長は万年ヒラ隊長なんですよ! なんか、すごい依頼を熟した~い!」
「ありますよ」
いつの間にか、事務所の扉の前にタンザナイトが立っていた。
扉の開閉音や足音等の、一切音を聞き取れなかったこと。何より、気配が無かったこと。
いつきですら驚きの余り、口を開けたまま動けていない。
タンザナイトはお構いなしに、事務所に足を踏み入れた。
それもキースの事務机の横に、立ったのだ。
「フィデーリスさん。総務部からの、直直の依頼ですか?」
「ええ。どの部隊に振り分けるか、悩ましい依頼でして」
相変わらず感情の色が、読み取れない仮面のような笑顔だ。
キースは一つだけ、いつもと違うところに気が付いた。
(ネクタイがないな……)
慌てて事務所に来た割には、衣服も髪も乱れていない。
いつもより話すテンポも、早い気がする。
「厄介事ですか?」
いつきの質問に、タンザナイトは首を縦に振る。
やはり所作が、いつもより雑だ。
いつもは他人を警戒させないように、彼は誰よりも丁寧に動いている。
マナー講座のお手本のような所作が、品の良いビジネスマンに格下げされているのだ。
「はい。かなりね……。ゼノクロノス王国にある最北端の地『ミランデール』の竜が、数十頭一ヶ月程前から行方不明になっているそうです。二週間前。セプテントリオ教会の特殊警察部隊が、捜査に行きましたが音信不通状態。セプテントリオ教会から、要塞教会に救助ないし捜索依頼が来ました」
ミランデール。その地名に支援隊の人間は、程度の差はあれど恐怖心を抱いてるようだ。
「あの、それ、殺されたんじゃないすか……?」
フォルスィーが、報告書の誤字脱字を直しながら言う。
ミランデール。王国最北端の断崖絶壁の上にある村。別名「竜使いの村」である。
古来より竜とだけ交わり、外界を拒んで来た民族。
独自の言語で話し、食事は菜食中心。文明は創世記で、止まってるようなものらしい。この地で生まれた者は生涯外に出ず、ミランデールの民として生涯に幕を閉じる。
人口の予想は、約百五十人程度とされている。
いくら行政や民族学者が訪問しても成果を得られないのは、現地民から激しい攻撃を受けるからだ。
部外者が爪先一歩でも踏み入れると、豪雨のような弓矢や槍が飛んで来ると言う。
約ニ十年前。讃神魔神教の宣教師がミランデールの住民に聖書の教えを説こうと、ミランデールの地に足を踏み入れたら弓矢で殺害された。
この殺人事件で、世界のミランデールを見る目が変わったのだ。
「とても危険な民族だから、絶対に関わってはならない」
それ以降、ミランデールと外界の交わりは途絶えたに等しい。
支援隊全員の顔に「行きたくない……」と、書いてある。
「申し訳ありません。説明を簡略化し過ぎました。ミランデール側からセプテントリオ教会に正式に依頼をして行っているので、ミランデールの人間が殺した訳ではない。と、私は考えています」
アイマヒュリーがおずおずと手を挙げ、タンザナイトは「どうぞ」と短く言った。
「あの~。お気持ちは嬉しいんですけど、危険度が高すぎる気がします。私らが殺されないって、保証はないし……」
タンザナイトはキースを一瞥して、思索を巡らせる。
いつきは、こめかみを揉む。
「そうだ。俺らが魔装武器含む全ての武器を置いて行く代わりに、ミランデールの人の武器を俺らが滞在する間は倉庫とかに閉まって貰えるなら、行っても良いです」
支援隊全員の視線が、いつきに集まった。
「隊長、正気ですか……?」
ロードの質問に、いつきはゆっくりと微笑む。
「同じ人間だから、丸腰ならそんなに差はないだろう。それに、ミランデールは竜使いの村だ。約束を反故するような人間を、竜は背中に乗せないさ」
いつきの「ミランデールの人間を信じる」と言った瞳は、妙に説得感があった。
「なるほど。理に適っていると、思います」
「あと、もう一点。フィデリースさん、当然来てくれますよね?」
「え……」
キースは思わず、声を上げた。我ながら、感情に出過ぎだと思う。
タンザナイトの笑顔が、一瞬だけ崩れた。
「まぁ、そうなりますよね……。良いでしょう」
フォルスィーを始め、ロードやアイマヒュリーが驚愕の声をあげる。
それもそのはずだ。彼らにとって、タンザナイトは「総務部」の人間なのだから。
タンザナイトが、キースの事務机に置いてあるバインダーに手を入れた。
一瞬の出来事だったので、キース以外は気が付いていない。
キースはバインダーに挟んだマニュアルを読む振りをして、タンザナイトが挟んだ数十枚の書類に目を通した。
そこには深くフードを被った、父親の写真があった。父の後ろには竜が写っており、父が縄で竜を率いているように見える。
写真の撮影日は、一ヶ月と十日前。創立祭の後である。
資料には、
・父親がミランデール出身であること
・ミランデールの竜は賢く警戒心が強い為、いくら竜騎士と言っても余所者にはついていくのは考えにくい点
などが挙げられていた。
「ちょっ……これって」
キースが言い終わるより前に、タンザナイトがキースの裏の首筋に手刀を叩き込んだ。
「げぶっ……! がふっ」
朝食を、事務机に吐き出すキース。
みんなが口々に「大丈夫!?」と、心配の声をかけた。
タンザナイトはわざとらしく眉尻を下げて、キースの背中を摩る。
「レイバン君、お具合大丈夫ですか? 念の為、医務室に行きましょう。付き添います」
「どの口が……」
「ああ、口が気持ち悪いんですね。お可哀想に」
タンザナイトが、キースの頭をボールのように鷲掴みして事務所の外へと連れ出す。
(虚無ちゃん、悪魔とか思ってごめん……。一番悪魔なんは、こいつだ……)
0
あなたにおすすめの小説
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜
黒城白爵
ファンタジー
異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。
魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。
そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。
自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。
後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。
そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。
自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる