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麻田麻尋

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1章

31夜 敬愛、執着、慈愛

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 荷造りをなんとか終わらせて虚無ヴァニタスをベッドに寝かせ、キースは大慌てでフェキュイル中央駅へ向かった。
 フェキュイルには国営鉄道である中央口駅と地下鉄の他に、私営鉄道三本の駅がある。
 なので迂闊に「フェキュイル駅で待ち合わせね!」と言うと、待ち合わせ事故が発生するらしい。
 要塞教会を走り抜け、街の時計塔広場に続く下り坂を転がる岩のような勢いで下り、商店街の雑踏に揉みくちゃにされた後、フェキュイル中央駅に着いた。国営鉄道なので作りはかなり古めかしく、フェキュイルの街並みそっくりな石造りの駅だ。
 フェキュイルの街でびっくりしたのは、どこもかしこも似たような石造りの建物をしているせいで建物の区別がつかないことであった。
 店先に出ている商品を見て、この店は八百屋だな。とか、あっちの店は服屋だな。と、判断するほどである。
 中には店先にクッキーが置いてあるので洋菓子店だと思ったら、洗剤や週刊誌や酒が置いてある店もあった。いつきに聞いたら「ああ、そこはなんでも屋。デイジーばあちゃんが、店長さん。ご主人が髭剃りもしてくれるし、娘さんが占いしてくれて娘の旦那さんはペンキ塗ってくれて、お孫さんは、靴を磨いてくれるぞ」と、言葉通りなんでも屋だと知った。
 いつきに貰った切符を駅員に見せて、キースは改札を通る。
 真ん中にだだっ広い自由通路があり、そこから四つのホームへと繋がる通路がある。
 左側の通路は一番ホームと、二番ホームに通じる。左から二つ目が、三番ホームと四番ホーム。次いで五番ホーム、六番ホーム。右端の通路は七番ホームから、十番ホームがひしめき合っているらしい。
 多種多様な人種が入り乱れるフェキュイルの街だが、通路の表示は分かり安い方だと思う。
 キースは左から二つ目の通路に入り、道なりに進んでいく。
 フェキュイル中央駅は天井が高いせいで、足元を照らす天井灯が薄暗く感じる。
 しかもこの通路は、壁の照明の間隔も広く異様に暗い。
 おかげで夜は、目を凝らさないとよく見えないのだ。
 通路を通り抜け階段を登ると、見知った人影があった。
 タンザナイトと、いつきだ。二人は楽しそうに談笑している。
 時刻は待ち合わせ時間の半刻前。待ち合わせ時間ギリギリかと思っていたが、余裕だった。
 タンザナイトといつきの会話を盗み聞きしようと、キースは二人に近付く。
(隊長って、どうやってフィデーリスと知り合ったんだろ? 想像つかないや)
 こちらに気が付いたいつきは会話を止め、人のいい笑顔で手を振ってくれた。
「お疲れさん。準備、大変だったろ」
「いえ。そんなこと、ないです」
 タンザナイトは眉間に深い皺を刻みながら、キースを見つめた。
「貴方、国語の成績悪かったでしょ?」
「は? 名門校校の上位だったぞ」
「お宅の隊長は、貴方の荷物量を揶揄ってるんですよ」
 背中に背負ったパンパンのリュックに、はち切れそうな勢いの肩掛け鞄、無理矢理ロックをかけたトランク。
「これほどの荷物を纏めるのが、大変だっただろうな。って思っただけだぞ」
 さらりと嫌味っ気も悪意もなく、感想を言ういつき。
「纏まってるように見えるなら、脳外科へ行くことを推奨致しますよ」
 対するタンザナイトは、いつもの笑顔でとんでもない暴言を吐いた。
「お前、失礼すぎんだろ!」
 何がおかしいのか、いつきは腹を抱えて笑っている。
「フィデーリスさんにこんな物言い出来るのは、お前だけだぞ。勇者だな~」
 タンザナイトはキースのトランクを取り上げ、
ロックを外した。
「なんですか……コレ」
「ブロックゲームだよ。四人用のゲームなんだけど、一人一色選んで、盤上に自分の色のブロックを置いて行って、一番面積が広い人の勝ちってルールで。脳のトレーニングにもなるから、好きなんですよ~」
「老人ですか?」
 タンザナイトが、訝しげにこちらを見た。
「レイバン。リュックからはみ出てる菓子は……」
 いつきは気まずそうに、キースの背中を見つめている。
「ミランデールの人へのお土産です」
 タンザナイトが慣れた手付きで、今度はリュックサックを奪った。
 レインボーのグラデーションがかった目に痛いパッケージの菓子を、目を擦りながら見るタンザナイト。
 いつきもタンザナイトの横に回り、袋を見やった。
 袋の真ん中には犬だか猫だか熊だか、よくわからない生物が描かれている。
「これは……」
「どんな生き物とも仲良くなれる、幻のフード。パッケージに書いてあるだろ」
「う、うさんくせぇ!」
 いつきの顔面から、血の気が引いている。
「これ、いくらしたんですか……」
 タンザナイトの質問に、キースは朗らかな笑顔で答えた。
「二千フェルカかな。未知の生き物と触れる訳だし、安いかなって」
 いつきは泡を吹き、仰向けに倒れた。
 タンザナイトは、笑顔のままキースの肩に手を置いた。
 キースの肩の骨を粉砕する勢いがある力が、彼の手には込められている。
「痛いって!」
「今度から欲しいものがあれば、まず私に相談してください。あと、小遣い帳つけなさい」
 とんでもない悪戯をした幼子を叱るように、タンザナイトはそう言った。
「親父かよ! 大丈夫だよ。家賃とか、魔力マギ費とか、税金はちゃんと払ってるし」
「そういうことじゃなくってですね……。金の使い方が、怖すぎるんですよ」
「お前の方が、良くない使い方してるだろ」
「……はい?」
「裏社会の人間だろ。ギャンブルとか、娼館通いとか、麻薬とか……」
「他人のことを、なんだと思ってるんですか。少ない給料を、そんなもんに使わないですよ」
「えっ。たんまり、貰っているもんだと……」
 任侠系物語に出てくる殺し屋は、決まって案件を一つこなすだけで一気に十万フェルカを報酬として受け取っている。
 殺し屋のキャラクターの中には
「たったの十万フェルカだぜ? 割に合わねえ」と、嘆く者すらいたのだ。
「あのね。我々は公僕なんですよ。給料の出所を、考えてみたら分かるでしょう」
 魔獣退治部隊の基本給は、市民の税金である。
 依頼をこなせば、更に給料は加算される。具体的に言うと、依頼料の一割から二割ほど手元に入るのだ。
 なので依頼を回して貰う為に、実力をつけ上司やに媚を売ったりするのである。
「依頼受けたら、給料増えるんじゃないの?」
「貴方、本当に想像力がないですね……。特務のそれも暗殺班の人間に、そんな報酬を与えたらどうなるか分かるでしょう」
「どういうこと……?」
 タンザナイトは、素早く太い息を吐いてみせた。まるで、お前は本当に馬鹿だ。と、言わんばかりの呼吸だ。
 キースは居た堪れなくなり、思わず視線を逸らした。
 おかしい。周りの人間が、彫像ゲームのようにピタリと停止している。
 身体の動きを止めているというよりは、時間の流れが止まっているように見える。
 その証拠に、ホームの時計が秒針を刻んでいない。
「大事な話の最中ですからね。二人で、楽しく話そうではありませんか」
 そう言って、タンザナイトは相変わらずの仮面のような笑顔を浮かべている。
「どの口が、言ってんだよ……」
「我々は、殺しを生業としています。上からターゲットの写真と、何故殺すのかの理由も資料で頂いてます。現代社会において最大の禁忌を犯しているのだから、自分らでターゲットを決めてはいけない。ここまでが、前提です」
 キースは手をきゅっと握り、タンザナイトの次の言葉を待つ。
「たまに居るんですよ。自分達は禁忌を赦された、特別な存在だと錯覚する愚者がね。貴方が言うように、依頼をこなして金が貰えたらーーどうなるか分かるでしょう?」
「もしかして金欲しさに、全くの無関係な人間にも難癖つけて殺して回るってことか……」
 タンザナイトの薄氷のような瞳に、ホームの天井灯の光が揺蕩う。
「ご名答です。先代の班長の最期が、そうでしたよ。正義も悪も、あったもんじゃない。まさに混沌でしたよ」
 タンザナイトの笑顔は、崩れない。自分が世話になった上司であるにも、関わらずだ。
「え、先代って……。今は」
「特務に、上がりなんてありませんよ。強いて言うなれば、死そのものですかね」
「殺されたのか……」
 タンザナイトの笑顔が、一瞬だけ歪んだ。「馬鹿だな」と言わんばかりの、視線を感じる。
「え……え?」
「まだ、気付きませんか?」
 タンザナイトは、特務の現班長。先代の最期の様子を、詳しく知っていた。
「仲間を、殺したのかよ……」
「救済、ですよ」
「殺したんだろ!」
「私なりに、彼への敬意と感謝はありました。だから人である内に、殺しました」
 敬意と感謝がある人間を、何故……? キースには、タンザナイトの式が理解できない。
「気がついたんです。尊敬は、相手を美化する魔法の力だって。自身の憧れや期待を投影しているだけ。魔法が解けたら、魔法にかかっていた期間や相手にかけた金の分だけ『裏切られた』と、被害妄想を抱く。私の部下達が、まさにそうでした。なんてマッドで、非人道的な奴だ! って非難し始めた。勝手ですよね、私達も同じことをしているのに。棚上げしているんですよ。みんな頭の片鱗にすら、どこかで他人を加害しているって言う自覚を置いてないんです。笑っちゃいますよ。まともに生きてるカタギの人間なら、まだ分かりますよ。ちょっと行き違いがあってーだの、相性悪いからとか言い訳出来ますもんね。言い訳しようがない、一番の禁忌を犯している癖に、自覚がないんですよ」
 人間は、いつだってそうだ。
 自分の痛みには敏感で、他人の痛みには鈍感だ。
 自分の穢れは見ずに、他人の穢れは凶弾する。
 世の中、そんなもんだ。
 タンザナイトは、言葉を続けた。
「私は数々の人を、殺した。ターゲットが妊婦なら、腹の中の子供まで殺して来た。どうせ碌な死に方をしません。ならば心臓が動いている内は、誰にも負けないことしか自身を肯定する道がない。尊敬している人が落ちぶれた時。死んでくれって思うのが敬愛で、それでも生きていて欲しいって思うのが執着で、自分で殺して終わりにしてやるって思うのが慈愛です。あの人は同じ穴の狢ですし、私なりの愛だったんですよ」
「……お前、おかしいよ。相手が正しい道に戻るように、説得するのが愛だろ」
「話、聞いてました?」
 タンザナイト達は、そもそものステージが道から外れている。
 キースは、その大前提が分かっていないのだ。
「二人とも難しい話をして、どうしたんすかー?」
 フォルスィーが呑気に、話に割り込んで来た。
 周囲の人間も時計の秒針も、動きを再開している。
 タンザナイトの笑顔が、崩れた。
 フォルスィーは仰々しく「隊長、どうしたんすかー!?」と仰け反り、いつきの肩を叩いて意識を取り戻させた。
 すっかりいつきのことを、忘れていた。我ながら、薄情だと思う。
 いつきは涎を手の甲で拭い、蛙のように跳ね起きた。
「ランザース先輩。聞いて下さいよ。フィデリースが、意地悪ばかり言うんです」
「この程度で意地悪ならば、私が本気出したら貴方死にますよ」
「洒落に、なってないって……」
「すみません。俗世のジョークを、知らないもので」
 キースは無視を決め込み、口を開いた。
「お前、給料なにに使ってんの?」
 他人に言ったからには、さぞ高尚な趣味を持ってるんだろうな。そう鼻で笑うと、タンザナイトの怜悧な瞳が翳った。
「募金とか……ですかね」
「嘘吐け!」
 予想通りの反応だったのか、タンザナイトは仮面のような笑顔を浮かべている。
「いえいえ、本当に。子供とかちくし……犬猫のような、罪のない生き物好きなんです」
「お前が言うなよ……」
 タンザナイトは、ここではないどこか遠くを見つめている。
 まるで特定の「罪のない生き物」の方向を、見ているようだった。
 この男と沈黙の時間を、過ごすのは辛い。
 自分の全てを穴が空くように、見透かされて全てを否定されるような錯覚を覚えてしまうからだ。
 何よりキースが分からないことは、執拗にタンザナイトが自分に話しかけて来ることである。彼にとってキースは、想像力がない鈍いクソガキであるのに何故か自分にしか通用しない高説を垂れてくるのだ。
 こんなのまるで、理解して欲しいと言っているようなもの。
(もしかして、俺のこと好きなのか……!?)
 その時だった。キースの背中に、刺すような視線を感じたのは。
 まるで親の仇の隙を狙うような、復讐者のようだった。
 キースは、思わず振り返った。
 三番ホームに居るのは、これから夜行急行列車に乗る風貌の世界保安団兵に、サラリーマンに、トレンチコートを着て、バケットハットを深く被った男だ。
 トレンチコートの裾には、赤黒いシミがある。
(まだ秋なのに、トレンチコート……?)
 見るからに、怪しい。
 キースは、一歩踏み出した。
「レイバンくん。見るからにカタギじゃないから、探偵ごっこはやめた方が良いっス」
「え……」
 フォルスィーが、笑顔で静止をかけた。
「あのトレンチコートでしょ? 中指の側面や、人差し指と親指の間の皮が厚いっすよね。日頃から、銃を握ってる証拠っすよ」
「お前そんだけ頭使えるなら、毎年の査定試験の座学頑張ってくれよ……」
 いつきは、大袈裟に腕で涙を拭ってみせた。
「それは、ムリっす。オレ、おべんきょーできないんで」
 タンザナイトは、怪物を見るかのような瞳でフォルスィーを見つめた。
(彼の座学成績の悪さは、有名だ。魔獣退治部隊始まって以来の馬鹿と、聞いている。うちの連中にも居るけど、本物の馬鹿は、何故? どうして? の疑問すら抱かない。ランザース君はそれがあり、人の動きや見た目をよく見ている。間違いない。知能自体は、高い。それが活かされるのは、彼が興味を持ったことのみなのだろう。あのロングヘアーの学者眼鏡より、この任務においては駒として使えるでしょうね。鈴星隊長、人のことをよく見ている)
 程なくして、キャロラインとリンドリヒも到着した。
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