スウィートカース(Ⅷ):魔法少女・江藤詩鶴の死点必殺

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

文字の大きさ
3 / 23
第一話「揺篭」

「揺篭」(3)

しおりを挟む
 季節は真夏をむかえ……

 赤務あかむ市のあちこちでは、セミが鼓膜をつんざくべく鳴いている。

 街を行きかう市民たちも、あまりの暑さに表情はうつろだ。あたりの外壁や道路はヒートアイランド現象に限界まで乾き、車の渋滞から漏れる騒音はなお絶望を誘う。

 あらゆる排気ガスや廃棄物の悪臭と、フル稼働する工場等の煤塵にくすんだ大気。温暖化をまぎらわそうと必死なお飾りの緑に、廃油やゴミで汚れた海。枯れ果てていく自然の森や珊瑚礁。報道の絶えぬ他国の戦争に、細かい権利を訴えるデモの行軍と暴力。数えきれない生命を日々さいなむ大小の病。

 ちかごろ盛んに叫ばれる環境破壊の影響は、着実に一般生活をも蝕みつつある。

 熱気にゆがむ街路をふらふら歩くのは、このふたりだった。

 肩に通学カバンを引っかけた江藤詩鶴えとうしづると、同じく制服姿の飛井譲二とびいじょうじだ。

 落ち着きなく顔をうちわであおぎつつ、シヅルはどこか憤然と先頭を歩いている。かんかん照りの直射日光に、さすがに命の危機を感じているらしい。それに怯えるように、ジョージはシヅルの影をついてきていた。どう見ても、気の強い姉と脆弱な弟の構図だ。

 なので知る者はいない。じつはこの二人が彼氏彼女の関係であることを。

「た、タイム……」

 ついにジョージは、電信柱の日陰で立ち止まった。身を折ってそばの手すりに寄りかかりつつ、年上の彼女を制止する。

「ちょ、ちょっと待って、シヅル……」

「あァ?」

 口調も顔つきもガラ悪く、シヅルは聞き返した。心底いらだたしげに、額の汗をハンカチで拭いている。

「なんや、どないした? はよショッピングモールでクーラーにあたろうや」

「スタミナ切れだ……意識が飛びそう。すこし休憩させてよ」

「ほんま、あんたはひ弱やなあ」

 ため息混じりに、シヅルは大胆な行動にでた。鼻先に風を送っていたうちわで、こんどは無造作にじぶんのスカートの中をあおいだのだ。一瞬だけ捲くれ上がったそこから、ジョージはあわてて視線をそらしている。

「な、なにしてんの!? 人がいっぱい歩いてるんだよ!?」

「べつにかまへん。スカートもスカートで暑いんや。ズボンのあんたは平気なんけ?」

「ぼくはもともと冷え性でね……だからこんな、急激な気温の上昇には滅法弱いんだ」

「しゃあないな。ちょっと待っとき」

 あたりを見回すと、発見したものへシヅルはずかずかと歩み寄った。飲料の自動販売機だ。百円硬貨を二枚ばかり投入する。買って戻ってきた冷たいスポーツドリンクを、シヅルは乱暴にジョージへ投げ渡した。

 じんわり手にしみこむ冷気に、ジョージは感動した。

「あ、ありがとう。優しいじゃないか」

 ペットボトルのフタを勢いよく開けながら、シヅルは言い放った。

「まいどおおきに。三百円や」

「は?」

 ジョージの顔も冷たくなった。腰に手をあてて飲み物を嚥下するシヅルと、あちらの自販機を交互に見比べる。

「百円均一だよね、あの自販機?」

「あほか」

 おっさんのように吐息をついて、シヅルは唇をぬぐった。

「うちがじきじきに買いに行ったんやで。輸送費と人件費、出張費と雑費でしめて四百円に負けといたるわ」

「ね、値上がっていく……」

「あは、うそやって」

 シヅルの浮かべた笑顔は、それこそ真夏の太陽のようだった。道路の手すりに背中をあずけるジョージのとなりへ、白い太ももが見えるのも気にせず跳んで腰掛ける。

無料タダに決まっとるやろ」

「え?」

 交差点に歌う信号機の注意音に毒され、ジョージは耳がおかしくなったのかと思った。

「無料? 無料って言ったのかい、あざといきみが? 幻聴か? ほんとにいいの?」

「ええ」

「て、天変地異の前触れかな?」

 ひとまず安心した面持ちで、ジョージはスポーツドリンクをちびちび飲み始めた。その横で暇そうに足をぶらつかせつつ、ぽつりとつぶやいたのはシヅルだ。

「そのかわり、あとでおごってな」

「?」

「ムーンセントカフェのフラペチーノ」

「もちろんさ……って」

 ドリンクを噴き出しかけながら、ジョージはまた熱中症の眼差しに戻った。

「あそこのフラペチーノ、六百円もするじゃないか。うわべの心遣いに、ついだまされてしまった」

「了解したもんな? しっかり聞いたで?」

「ほんと商売上手だね、きみは」

「嫌やったらええねんで。ジュース返して」

「いや、もう開けて飲んじゃったけど」

「中身はまだ、あんたの胃の中にある」

 シヅルは両手で拳の骨を鳴らした。

「これからぜんぶ吐き戻してもらうんや。その薄っぺらい腹にボディブローをくらわせて」

 腰だめに腕をかまえたシヅルを、ジョージは急いで手でさえぎった。自慢の彼女は護身用に格闘術を習っていて、その腕っぷしはかなり強い。

「おごる! おごるから許して!」

「ケーキもついてくるねんな?」

「つく! つくから暴力だけはやめて!」

「それでええ」

 しょんぼりした雰囲気で、ジョージは財布の中身を確かめた。

「これで合計千円の出費か……もとは百円だったのに、あっという間に十倍にまで暴騰した。どこの発展途上国の価値観だよ。あのさシヅル。お小遣いの少ないぼくなんかからカツアゲして、なにが楽しいの?」

「うちは楽しいで。あんたとこうしてデートしてるだけで。モヤシそのもののあんたみたいなんと」

「なんか一言多いな」

 制服の胸元をあおぐシヅルの下着から、またジョージは目をそらした。肩を落としたまま、うらめしげに愚痴る。

「だいたいにしてきみ、家はお金持ちだろ?」

 うちわの柄で、シヅルは悩ましげに頭をかいた。

「おんとおんとはな、いま絶賛、絶交中なんや」

「ぜ、絶交? 会ったり話したりしてないの?」

「口を開けば両親は〝この親不孝者〟〝不良娘〟〝縁を切る〟の繰り返しや。壊れたレコーダーなんかと喋ってられるかい。やから、ろくな小遣いもあらへん」

「まさか、家にも帰ってないとか?」

「いやいややけど、帰るには帰っとる。前にも見せたとおり、家はムダに広うて部屋が多い。じぶんの部屋に風呂もトイレも洗濯機も、家政婦メイドさんが自動で補充してくれる冷蔵庫もあるしな。いっぺん部屋に入って鍵かけてもうたら、学校に行くまでだれと喋ることもあらへん」

 頬杖をついて車の行き来をながめるシヅルの横顔は、めずらしく落ち込んでいた。

「はあ……家に帰りたない」

「いけないよ。ご両親の言い分と、きみの本音を言ってごらん。ぼくがなんとか、お互いが平和に妥協できる着地点を提案してみる」

「あんたは優しいな。そして偉い、賢い。でもやで。品行方正なあんたがわざわざ、他人の家庭の問題に首を突っ込む必要はあらへん」

「そうもいかない。ぼくにとってきみはもう、他人や友達じゃないそれ以上の存在だ。まともな人間には、いや生き物には帰る場所があって当然だと思う。せっかくあるそれを捨て去るなんて、生きるのをやめるのと同じさ。それは越えちゃならない一線だよ」

「一線……」

 にわかにシヅルの流し目は、色っぽい輝きを秘めた。

「越えてまうか、一線を。ジョージ、今晩、家に泊めてくれへん?」

「ぼ、ぼくの……?」

 固唾を飲んだあと、ジョージは自己を律して強く首を振った。

「だめ、だめだめ! 不純異性交遊だ!」

「不純もなにも付き合っとるやん、うちら。それに、友達以上って言ったんはあんたやで? それとも……」

 ちょっぴり淋しげに、シヅルは瞳を伏せた。

「うちに魅力はあらへんの?」

「そうじゃなくて! あ~、もう!」

 身振り手振りで説得を試みるジョージだが、うまく伝わらない。頭を抱えて、ジョージは嘆いた。

「魅力うんぬんの話は後回しだ! こんな会話をもし、風紀に厳しい倉糸くらいと先生にでも聞かれたら大変だぞ!」

「バレたらそのときは、な?」

 おもむろに立てられたシヅルの指先は、不思議な輝きを放った。

 おお。なにもない空中から突如、そこに現れたのは細長く尖った五寸釘のような凶器ではないか。にも関わらず、ジョージにいまさら驚く様子はない。

 ジョージはとっくに知っている。だれともなく〝呪力〟と呼ぶ未知の異才が、眼前のシヅルに隠されていることを。虚無から現実へ〝急所を狙う専用の武器を引き出す〟のは能力のほんの一端にしかすぎない。

 あっけにとられて、ジョージはお手上げした。

「先生の〝運命を断つ〟つもりかい? だめだってば。約束したじゃん……魔法少女の力は、むやみやたらと日常の場では使わないと」

「冗談やって」

 鋭い長針をつまむ手を、シヅルは素早くひるがえした。ふたたび開かれた掌からは、おそろしい暗器の姿は手品のように消えている。

「お、スポーツドリンクが効いてきたみたいやな」

 うだるような夏の熱風から前髪を守りつつ、シヅルはジョージを上目遣いにした。

「さっきと比べて、ずいぶん顔色がようなったで」

「おかげさまで、ね。ぼくは心に誓ったんだ。きみが暴走する前に、すみやかにモールのカフェへたどり着くと」

「建設的や。はじめて会うたときのあの虐められっ子が、ほんま男らしゅうなったわ」

「大きなお世話だ。さ、行こう」

「そうしよ。せやから、うちはあんたのことが……」

 近づきすぎず、しかし離れすぎもせず、鴛鴦おしどりたちは揺れながら炎天下の旅を再開した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業

ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。

『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる

仙道
ファンタジー
 気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。  この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。  俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。  オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。  腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。  俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。  こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。 12/23 HOT男性向け1位

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる

家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。 召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。 多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。 しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。 何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

処理中です...