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第三話「到着」
「到着」(2)
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自然牙……小西徹の場合は。
保育園のころに初めて父親とキャッチボールして遊んだのが、トオルの野球道の開幕だった。興味本位で少年野球に通い始めたトオルは、成長につれてその才能を開花させることになる。
小中と野球漬けだったトオルは、高校に進学するやその頭角を現した。県大会では好成績の数々から〝エースで四番〟〝火の玉ストレート〟など多くの異名で呼ばれ、燃えるような奪三振の山を築いて世間を魅了する。じきにトオルがプロの各球団からドラフトの目玉選手として熱視線を浴びるのは、自他ともに認める当然の流れだった。
周囲が独りでに思い描いたとおり、トオルは若き救世主としてプロのチームへ入団。血のにじむような特訓を経た数年後には、注目のマウンドで輝かしいプロ初勝利を上げることになる。
やがてトオルが、チームの看板を背負って毎年二ケタ勝利を飾ることはだれもが夢想していた。そのまま年俸は膨れ上がって億を超え、七、八年後には後ろ髪を引かれつつも海外の大リーグへ活躍の場を移す。旅立ち、世界へはばたく……予定だった。
世間の唐突な急変と冷たさを、いまもトオルは心的外傷として深く胸裏に刻んでいる。
トオルの利き手の肩の故障が発覚したのは、二十七歳のときだった。そこからは折に触れて〝今年こそ復活〟〝勝負の年〟等と煽られるようになり、過酷なリハビリの日々は始まる。
かかえた爆弾に負担がかからないように投球フォームの改善を模索し、難しい手術にまで踏み切った。しかしたゆまぬ努力とは裏腹に、実戦から遠ざかったトオルの球威と精度はみるみる落ちていく。
後発の新人にポジションを奪われる焦燥と不慣れな逆境のあまり、与えられたチャンスの舞台でも大量失点して炎上した。スポーツ紙が書き立てるトオルの身分は〝悲運のエース〟から〝ベテランの中継ぎ〟へ降格し、いつしか〝給料泥棒〟〝球団の恥部〟とまで揶揄されるようになる。
中途半端なお荷物のトオルは、たび重なるトレードで他球団をたらい回しにされた。我慢に我慢を続けた球界が、トオルに戦力外と引退を勧告したのは四十歳も間近に迫ったストーブリーグ中だ。ささやかな記者会見を経て、トオルは泣く泣くグラウンドを去ることになった。
だが、自分はまだやれる。過去の栄光を諦めきれないトオルは、補習に挑戦しては落とされる毎日を送った。躍起になって各方面をあたり、指導者や解説者の活路を探して駆けずり回る。
待てど暮らせど、しかしトオルには一通の便りもないままだった。目の肥えた首脳陣たちが必要とするはずもない。高校時代で全盛期を終え、うすうす選手生命の終わりを悟りつつもリハビリ生活を繰り返すだけだったトオルなど。はかない線香花火にしかすぎなかった小西徹の歴史は、いまや一部のマニアが色あせた野球名鑑に探すだけだ。
そしてひとたび手に入れた生活水準を、分相応まで下げることはなかなか難しいことをトオルは痛感した。ときおり先輩ヅラをしてプロの若芽たちに食事をおごる費用は、じつのところすでに消費者金融から借りたものだ。
ここまで玉遊びにばかり熱中していたせいで、他にろくな学歴も長所もない。プライドが邪魔するため、簡単なアルバイトも人間関係がこじれて結局辞めてしまう。死んだ肉親のわずかな遺産も、どうやら蒸発した愛人に持ち逃げされたようだ。見栄を張って購入した都心部のマンションはとっくに差し押さえを食らい、借金の取立人は行列を作ってチャイムや電話を連打する。そのどちらも、じきにそっと電源を落としたが。
支払いを滞納して電気を止められ、暗い部屋の片隅で過ごすある夜のことだった。おびえて縮こまるトオルの耳朶をしつこく叩くのは、集金人が扉を殴る蹴るする音だけだ。裏ルートで買った違法薬物と大酒に泥酔した頭で、トオルはどこまでも冷静に決心した。
死のう。
震えながらゆっくりと高層マンションの柵を乗り越えかけた、まさにそのときだった。
「魔法少女になれるぞ、小西徹」
強風の中でもなお鮮明に囁きかけた声の主は、となりの部屋のベランダから星空を眺めていた。ただ静かに、おごそかに。こちらが追い詰められて極限状態の時分に、うらやましい限りのロマンチストだ。
不思議な雰囲気を帯びた青年は、トオルへ自己紹介してみせた。ダムナトス、と。
「その立派に実った負の感情、特別製のシャードを操るにふさわしい。おまえには才能がある。最後にもういちど、俺のスカウトを受けてみないかね?」
それもこれもどうせ、麻薬とアルコールの見せた幻覚に違いない。トオルは二つ返事でダムナトスの提案を飲んだ。それがまぎれもない現実だったことは、授かったシャードとやらの見せる奇跡を目の当たりにしてから知ることになる。
職種こそ違うが、ふたたび自分は第一線に復帰した。その目的は、情けない自害から救ってくれたダムナトスへの恩返しと、呪力使いとしての正義の遂行だ。
トオルの心はいまいちど、熱く燃え盛っていた。
「魔法少女と魔人魚がいると聞いて、喜び勇んで来てみれば!」
体育会系の炎をたぎらせ、トオルは怒号した。
「ただの小便臭いガキどもではないか!」
かたむく船上で、シヅルとルリエは身構えた。
ちらりと船べりに見えたのは、スクタイ号に突き刺さった水上オートバイだ。いや、こんなものが激突したぐらいでは、この特殊素材でできた客船は沈まない。船尾の男の片手に輝く五芒星、このシャードの指輪がなんらかの効果を発揮したのだろう。
こちらも五芒星の浮かぶ片目をしかめ、言い返したのはシヅルだった。
「そういうそっちこそ、ええ歳こいて魔法少女の真似事け?」
「女子供だけとは限らない! 魔法を! 使えるのが!」
興奮して口角泡を飛ばしながら、男は名乗った。
「俺は自然牙! ダムナトスさまの一片だ! 悪しき船には穴を開けた! 江藤詩鶴と久灯瑠璃絵! おとなしくお縄を頂戴せよ! さすれば命までは奪わん!」
「暑苦しいやつね」
ルリエは毒づいた。
「こっちの二人の正体を知っても、まだ勝つつもり? シャードごときで?」
抜け目なく、ルリエの喉には呪力が込められていた。彼女お得意の催眠術だ。うっとりするような桃色の響きに乗せて、シアエガに命じる。
「眠りなさい」
一秒がたち、二秒がたった。
仁王立ちのまま、シアエガが微動だにする様子はない。ルリエの能力は効いていなかった。強い暗示の音波を無効化するのは、シアエガの拳で光芒を放つシャードだ。
たくましい筋肉をたわめ、シアエガは怒鳴った。
「宣戦布告だな! よかろう!」
指輪のはまった手で、シアエガは船体を小突いた。
「なかなか良い素材だ! この部分は木製だな!?」
胡乱げに答えたのはルリエだった。
「そう、贅沢な高級木製よ。うらやましい?」
「牙を剥け! 樹々よ!」
「!」
シアエガの咆哮と同時に、宙で音が弾けた。
いきなり床から生えた鋭い影が、シヅルとルリエに襲いかかったのだ。だが紙一重でルリエの触手が絡まり、謎の凶器は空中で食い止められている。
生あるもののようにルリエの触手と力比べするのは〝樹〟だった。そう。客室の木製部分から突如として起き上がった〝樹の枝〟が、その柔軟な先端でふたりを捕らえようとしたではないか。なぜいきなり、こんなものが船上に?
答えは、シアエガの指輪にあった。呪力を使った証拠に、シャードからは五芒星の一角が消えている。
そして、自動で動く木枝の勢いは強い。常人離れしたルリエの触手の膂力と、対等に鍔迫り合っている。揺れる甲板に踏ん張ったまま、ルリエは声を痙攣させた。
「な、なかなかやるじゃない……!」
「腕相撲で負けるか! 小娘ごときに!」
「この樹の呪力……シャードで木材に生命を与えたのね?」
「そのとおり! 俺のシャードには特別な力が与えられている! 破れんぞ、絶対に!」
呪われた言葉がこだましたのは、次の瞬間だった。
「〝蜘蛛の騎士〟第一関門……〝死点〟」
シアエガの木枝は、粉々に四散した。
その〝死の点〟をシヅルの魔針に打ち抜かれ、樹は殺されたのだ。横顔に引きつけた指先に新たな魔針を編むシヅルからも、瞳の五芒星は一角ぶん薄れている。
糾弾したのはルリエだった。
「あれだけ言ったでしょ、シヅル! 勝手に呪力は使わないって!」
「あれこれ言っとる暇はない。事後承諾や。使うで?」
すでに一同の立つ床には、冷たい海水が忍び込んできている。
「殺した! 俺の樹を!」
シアエガは叫びは狂気じみていた。
「それがうわさの〝死点必殺〟の能力か! では点ではなく、これならどうだ!?」
シャードの五芒星をさらに一角消費し、シアエガは床を叩いた。
刹那、女子高生ふたりの足もとから逆巻いたのは、おびただしい量の枝と蔓だ。頑丈な自然の縛鎖は、成長過程をすっ飛ばしてシヅルたちを襲う。その本数に触手の防御も間に合わず、まず絡め取られたのは手近なルリエだ。ちぎってもちぎっても生えてくる植物に視界を奪われ、ルリエは悲鳴をあげた。
「〝石の都〟!」
とっさにルリエが発生させた超重力場は、しかし植物たちの蠢きをわずかに鈍らせただけだ。船体のあちこちから、不吉な軋みがこぼれた。まずい。これいじょう攻撃の範囲を広げれば、自分たちや客船そのものを巻き込む。
灼熱の説明を加えたのはシアエガだった。
「アスファルトすら突き破る植物の生命力をなめるな! その成長を急加速させ、指向性すら操るのが自然牙の能力だ!」
「〝死点〟!」
五芒星の一角をまた削り、シヅルは枝蔦の束を吹き飛ばした。
だがだめだ。突くべき死点が多すぎて、すべては対処しきれない。
いまや植物の群れはシヅルとルリエを緑の包帯人間のごとく覆い、意識を奪おうと締めつけを強めている。絶体絶命だ。単騎でいきなりなんという強敵だろう。いったいどうすれば……
呼吸困難におちいるシヅルを、頭痛の波動が駆け抜けたのはそのときだった。
その身に憑依した星々のものが、彼女の耳に甘く誘いかけたのだ。その危機感に、絶望に、敵意に応じて。〝次の手を使え〟と。
衝撃とともに、シヅルの眉間になにかが穿たれた。
それは呪力の光でできた〝第三の眼〟ではないか。
シヅルの唇をついたのは、寄生体が教える呪文だ。
「〝蜘蛛の騎士〟第二関門……〝死線〟」
シヅルが三方向から視る点と点は、じきにつながって〝線〟と化した。
とたん、植物たちはいっせいに弾け飛んでいる。指揮棒代わりに激しくひるがえった魔針が、効率的にその命の線を切り裂いたのだ。爆発した緑色の束縛は下品な音を残して海面に落ち、シヅルとルリエは甲板へ投げ出された。
「な、なにィ~~~ッッ!?」
思いきり顔をゆがめ、シアエガは絶叫した。
「点が、線に!? ここにきて、魔法少女が進化しただと!?」
床を蹴って、ルリエは言い放った。
「そこまでよ!」
シアエガの腹腔を重くえぐったのは、突き込まれたルリエの触手の拳だ。吐瀉物を噴いてスクタイ号の安全柵に叩きつけられ、シャードの男はそのまま沈黙した。
「シヅル!」
あわてて触手を巻き戻すと、ルリエはかたわらで気を失うシヅルにひざまずいた。魔法少女のまぶたを指でこじ開け、慎重に瞳を覗いて確認する。
ルリエは安堵のため息をついた。シヅルが卒倒したのは、慣れない呪力の行使と酸素不足が原因らしい。
「五芒星は残り一角……ぎりぎりセーフってところかしら?」
太平洋のど真ん中に沈んだ旅客船から、人影は消えていた。
保育園のころに初めて父親とキャッチボールして遊んだのが、トオルの野球道の開幕だった。興味本位で少年野球に通い始めたトオルは、成長につれてその才能を開花させることになる。
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周囲が独りでに思い描いたとおり、トオルは若き救世主としてプロのチームへ入団。血のにじむような特訓を経た数年後には、注目のマウンドで輝かしいプロ初勝利を上げることになる。
やがてトオルが、チームの看板を背負って毎年二ケタ勝利を飾ることはだれもが夢想していた。そのまま年俸は膨れ上がって億を超え、七、八年後には後ろ髪を引かれつつも海外の大リーグへ活躍の場を移す。旅立ち、世界へはばたく……予定だった。
世間の唐突な急変と冷たさを、いまもトオルは心的外傷として深く胸裏に刻んでいる。
トオルの利き手の肩の故障が発覚したのは、二十七歳のときだった。そこからは折に触れて〝今年こそ復活〟〝勝負の年〟等と煽られるようになり、過酷なリハビリの日々は始まる。
かかえた爆弾に負担がかからないように投球フォームの改善を模索し、難しい手術にまで踏み切った。しかしたゆまぬ努力とは裏腹に、実戦から遠ざかったトオルの球威と精度はみるみる落ちていく。
後発の新人にポジションを奪われる焦燥と不慣れな逆境のあまり、与えられたチャンスの舞台でも大量失点して炎上した。スポーツ紙が書き立てるトオルの身分は〝悲運のエース〟から〝ベテランの中継ぎ〟へ降格し、いつしか〝給料泥棒〟〝球団の恥部〟とまで揶揄されるようになる。
中途半端なお荷物のトオルは、たび重なるトレードで他球団をたらい回しにされた。我慢に我慢を続けた球界が、トオルに戦力外と引退を勧告したのは四十歳も間近に迫ったストーブリーグ中だ。ささやかな記者会見を経て、トオルは泣く泣くグラウンドを去ることになった。
だが、自分はまだやれる。過去の栄光を諦めきれないトオルは、補習に挑戦しては落とされる毎日を送った。躍起になって各方面をあたり、指導者や解説者の活路を探して駆けずり回る。
待てど暮らせど、しかしトオルには一通の便りもないままだった。目の肥えた首脳陣たちが必要とするはずもない。高校時代で全盛期を終え、うすうす選手生命の終わりを悟りつつもリハビリ生活を繰り返すだけだったトオルなど。はかない線香花火にしかすぎなかった小西徹の歴史は、いまや一部のマニアが色あせた野球名鑑に探すだけだ。
そしてひとたび手に入れた生活水準を、分相応まで下げることはなかなか難しいことをトオルは痛感した。ときおり先輩ヅラをしてプロの若芽たちに食事をおごる費用は、じつのところすでに消費者金融から借りたものだ。
ここまで玉遊びにばかり熱中していたせいで、他にろくな学歴も長所もない。プライドが邪魔するため、簡単なアルバイトも人間関係がこじれて結局辞めてしまう。死んだ肉親のわずかな遺産も、どうやら蒸発した愛人に持ち逃げされたようだ。見栄を張って購入した都心部のマンションはとっくに差し押さえを食らい、借金の取立人は行列を作ってチャイムや電話を連打する。そのどちらも、じきにそっと電源を落としたが。
支払いを滞納して電気を止められ、暗い部屋の片隅で過ごすある夜のことだった。おびえて縮こまるトオルの耳朶をしつこく叩くのは、集金人が扉を殴る蹴るする音だけだ。裏ルートで買った違法薬物と大酒に泥酔した頭で、トオルはどこまでも冷静に決心した。
死のう。
震えながらゆっくりと高層マンションの柵を乗り越えかけた、まさにそのときだった。
「魔法少女になれるぞ、小西徹」
強風の中でもなお鮮明に囁きかけた声の主は、となりの部屋のベランダから星空を眺めていた。ただ静かに、おごそかに。こちらが追い詰められて極限状態の時分に、うらやましい限りのロマンチストだ。
不思議な雰囲気を帯びた青年は、トオルへ自己紹介してみせた。ダムナトス、と。
「その立派に実った負の感情、特別製のシャードを操るにふさわしい。おまえには才能がある。最後にもういちど、俺のスカウトを受けてみないかね?」
それもこれもどうせ、麻薬とアルコールの見せた幻覚に違いない。トオルは二つ返事でダムナトスの提案を飲んだ。それがまぎれもない現実だったことは、授かったシャードとやらの見せる奇跡を目の当たりにしてから知ることになる。
職種こそ違うが、ふたたび自分は第一線に復帰した。その目的は、情けない自害から救ってくれたダムナトスへの恩返しと、呪力使いとしての正義の遂行だ。
トオルの心はいまいちど、熱く燃え盛っていた。
「魔法少女と魔人魚がいると聞いて、喜び勇んで来てみれば!」
体育会系の炎をたぎらせ、トオルは怒号した。
「ただの小便臭いガキどもではないか!」
かたむく船上で、シヅルとルリエは身構えた。
ちらりと船べりに見えたのは、スクタイ号に突き刺さった水上オートバイだ。いや、こんなものが激突したぐらいでは、この特殊素材でできた客船は沈まない。船尾の男の片手に輝く五芒星、このシャードの指輪がなんらかの効果を発揮したのだろう。
こちらも五芒星の浮かぶ片目をしかめ、言い返したのはシヅルだった。
「そういうそっちこそ、ええ歳こいて魔法少女の真似事け?」
「女子供だけとは限らない! 魔法を! 使えるのが!」
興奮して口角泡を飛ばしながら、男は名乗った。
「俺は自然牙! ダムナトスさまの一片だ! 悪しき船には穴を開けた! 江藤詩鶴と久灯瑠璃絵! おとなしくお縄を頂戴せよ! さすれば命までは奪わん!」
「暑苦しいやつね」
ルリエは毒づいた。
「こっちの二人の正体を知っても、まだ勝つつもり? シャードごときで?」
抜け目なく、ルリエの喉には呪力が込められていた。彼女お得意の催眠術だ。うっとりするような桃色の響きに乗せて、シアエガに命じる。
「眠りなさい」
一秒がたち、二秒がたった。
仁王立ちのまま、シアエガが微動だにする様子はない。ルリエの能力は効いていなかった。強い暗示の音波を無効化するのは、シアエガの拳で光芒を放つシャードだ。
たくましい筋肉をたわめ、シアエガは怒鳴った。
「宣戦布告だな! よかろう!」
指輪のはまった手で、シアエガは船体を小突いた。
「なかなか良い素材だ! この部分は木製だな!?」
胡乱げに答えたのはルリエだった。
「そう、贅沢な高級木製よ。うらやましい?」
「牙を剥け! 樹々よ!」
「!」
シアエガの咆哮と同時に、宙で音が弾けた。
いきなり床から生えた鋭い影が、シヅルとルリエに襲いかかったのだ。だが紙一重でルリエの触手が絡まり、謎の凶器は空中で食い止められている。
生あるもののようにルリエの触手と力比べするのは〝樹〟だった。そう。客室の木製部分から突如として起き上がった〝樹の枝〟が、その柔軟な先端でふたりを捕らえようとしたではないか。なぜいきなり、こんなものが船上に?
答えは、シアエガの指輪にあった。呪力を使った証拠に、シャードからは五芒星の一角が消えている。
そして、自動で動く木枝の勢いは強い。常人離れしたルリエの触手の膂力と、対等に鍔迫り合っている。揺れる甲板に踏ん張ったまま、ルリエは声を痙攣させた。
「な、なかなかやるじゃない……!」
「腕相撲で負けるか! 小娘ごときに!」
「この樹の呪力……シャードで木材に生命を与えたのね?」
「そのとおり! 俺のシャードには特別な力が与えられている! 破れんぞ、絶対に!」
呪われた言葉がこだましたのは、次の瞬間だった。
「〝蜘蛛の騎士〟第一関門……〝死点〟」
シアエガの木枝は、粉々に四散した。
その〝死の点〟をシヅルの魔針に打ち抜かれ、樹は殺されたのだ。横顔に引きつけた指先に新たな魔針を編むシヅルからも、瞳の五芒星は一角ぶん薄れている。
糾弾したのはルリエだった。
「あれだけ言ったでしょ、シヅル! 勝手に呪力は使わないって!」
「あれこれ言っとる暇はない。事後承諾や。使うで?」
すでに一同の立つ床には、冷たい海水が忍び込んできている。
「殺した! 俺の樹を!」
シアエガは叫びは狂気じみていた。
「それがうわさの〝死点必殺〟の能力か! では点ではなく、これならどうだ!?」
シャードの五芒星をさらに一角消費し、シアエガは床を叩いた。
刹那、女子高生ふたりの足もとから逆巻いたのは、おびただしい量の枝と蔓だ。頑丈な自然の縛鎖は、成長過程をすっ飛ばしてシヅルたちを襲う。その本数に触手の防御も間に合わず、まず絡め取られたのは手近なルリエだ。ちぎってもちぎっても生えてくる植物に視界を奪われ、ルリエは悲鳴をあげた。
「〝石の都〟!」
とっさにルリエが発生させた超重力場は、しかし植物たちの蠢きをわずかに鈍らせただけだ。船体のあちこちから、不吉な軋みがこぼれた。まずい。これいじょう攻撃の範囲を広げれば、自分たちや客船そのものを巻き込む。
灼熱の説明を加えたのはシアエガだった。
「アスファルトすら突き破る植物の生命力をなめるな! その成長を急加速させ、指向性すら操るのが自然牙の能力だ!」
「〝死点〟!」
五芒星の一角をまた削り、シヅルは枝蔦の束を吹き飛ばした。
だがだめだ。突くべき死点が多すぎて、すべては対処しきれない。
いまや植物の群れはシヅルとルリエを緑の包帯人間のごとく覆い、意識を奪おうと締めつけを強めている。絶体絶命だ。単騎でいきなりなんという強敵だろう。いったいどうすれば……
呼吸困難におちいるシヅルを、頭痛の波動が駆け抜けたのはそのときだった。
その身に憑依した星々のものが、彼女の耳に甘く誘いかけたのだ。その危機感に、絶望に、敵意に応じて。〝次の手を使え〟と。
衝撃とともに、シヅルの眉間になにかが穿たれた。
それは呪力の光でできた〝第三の眼〟ではないか。
シヅルの唇をついたのは、寄生体が教える呪文だ。
「〝蜘蛛の騎士〟第二関門……〝死線〟」
シヅルが三方向から視る点と点は、じきにつながって〝線〟と化した。
とたん、植物たちはいっせいに弾け飛んでいる。指揮棒代わりに激しくひるがえった魔針が、効率的にその命の線を切り裂いたのだ。爆発した緑色の束縛は下品な音を残して海面に落ち、シヅルとルリエは甲板へ投げ出された。
「な、なにィ~~~ッッ!?」
思いきり顔をゆがめ、シアエガは絶叫した。
「点が、線に!? ここにきて、魔法少女が進化しただと!?」
床を蹴って、ルリエは言い放った。
「そこまでよ!」
シアエガの腹腔を重くえぐったのは、突き込まれたルリエの触手の拳だ。吐瀉物を噴いてスクタイ号の安全柵に叩きつけられ、シャードの男はそのまま沈黙した。
「シヅル!」
あわてて触手を巻き戻すと、ルリエはかたわらで気を失うシヅルにひざまずいた。魔法少女のまぶたを指でこじ開け、慎重に瞳を覗いて確認する。
ルリエは安堵のため息をついた。シヅルが卒倒したのは、慣れない呪力の行使と酸素不足が原因らしい。
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