23 / 44
第三話「矢印」
「矢印」(3)
しおりを挟む
暗闇に、なにかの息が響いていた。
わたしのものでなければ、人間のそれでもない。
足音をしのばせ、わたしはホコリのつもった祭壇にたどりついた。
我知らず、生唾をのんでしまう。祭壇のうえで、なにかがゆっくり蠕動しているではないか。
生きている。しかし、人間ではない。さきほどから寝息をたてているのも、そのおぞましい影だ。これはいったい……
ぱちんと懐中電灯の光をともすや、わたしは瞳をかがやかせた。
祭壇にころがって眠りこけるのは、ツンツンした毛の茶色い物体……てのひらサイズのイノシシのこどもだ!
「ちっちゃ~い! か~わい~!」
子イノシシを撫でまわすわたしを、不気味な風が襲ったのはそのときだった。
振り返ったときにはもう遅い。わたしの背後には、三つの赤い瞳が燃えている。
遺跡の住人。
しどろもどろに、わたしは挨拶した。
「このまえはありがとう、染夜です。え~っと、イア、イソ」
「……ナイアルラソテフだ。あいにく名刺は切らしてる。呼びにくけりゃ〝暗黒神〟〝盲目にして無貌のもの〟〝這い寄る混沌〟、どれでもいいぜ」
「言ってる端から忘れてってるよ……そうだ! ないあるらそてふ、略して〝テフ〟なんてどう? うん、かわいい。そうしよう!」
「名前をメモひとつしてもらえないとは、俺ら〝星々のもの〟もマイナーになったもんだな。ところでおまえ、なんだそのカッコは?」
そう言われて、わたしはじぶんの装備を見下ろした。
懐中電灯にヘルメット、水筒、スコップ、そして、めいっぱい物のつまったリュックサック等々。自慢げに、わたしは腰に手をあてた。
「家にあった防災グッズだよ。リュックはお父さんの。これなら、アマゾンのジャングルで遭難しても大丈夫だね。おなじ間違いは二度としないほうなの、わたし」
「それが嘘っぱちだってのは、おまえがまたここに来ちまってる時点でわかる……そうだそうだよ! なんでまたノコノコ現れた!?」
「学校が終わったからだよ。べつにわたし、クラブとか入ってないし」
「ああ、狂気と混沌の支配する霊廟が、いつの間にか女子中坊の放課後の寄り道にされちまってる。めんどくせえ、うざってえ。だいたい、どうやって探しだしたんだよ、この空間を。次元の配置はめちゃくちゃにシャッフルして、いやっちゅうほど何重にも結界を張り巡らせといたはずだぜ?」
「だってこのまえ、矢印ひいてくれたじゃない。ここから、入口まで」
「バカ、あれは呪力でできた文字だ。浮かびあがってるのは、ほんの一時だけ。ちょっと経てば、塩をかけられたナメクジみたいに矢印は消える。いちおう聞いとくが、その矢印の方向、どっち向いてた?」
「え? もちろん、この部屋にだけど」
「やっぱりそうか。なんなんだおまえはよ……時空の壁をぶち破って、俺の居場所を直接探知してやがる。おい」
それとなくわたしが胸に抱いた子イノシシを、ナイアルラソテフは、その大きな黒翼で器用に指さした。頬ずりまでするわたしに、低い声で警告する。
「いじめるなよ」
「ぬいぐるみみた~い」
「まえのデカい台風のとき、親とはぐれちまったらしい。いまは俺のともだち……いや緊急時の非常食だ」
「〝暗黒神〟が非常食ぅ?」
「なんでそのタイミングで異名を思いだす?」
「照れなくてもいいじゃない。テフもいないんでしょ、ともだち?」
「〝も〟ってなんだよ、失礼な。いっしょにするんじゃねえ。俺とおまえじゃ、人生経験が宇宙単位でちがう」
ふかい溜息をついて、ナイアルラソテフは天井をあおいだ。
燃える三つの瞳は、暗闇のむこうに、なにか遠い過去を見ている。
「そう、仕事柄、いろんな人間に会った。内容は少々ダークだが、それなりに馬の合うやつもいたさ。そして、俺から渡せるものと、あいつらが欲しがるものは、皮肉にもいつも一緒だった」
「なんか複雑そうだね。恋のはなし?」
「かけらでもそれがありゃ、俺もひとり、こんな閉鎖空間に引きこもったりはしなかったかもな。べつの宇宙のへんてこな機械だったり、ちょいワルな呪力の知識……俺からの友情の印を受け取ったとたん、あいつら、みんなどっか行っちまったよ。ゆがんだ狂気の角度や、宇宙の霧の果てとかに。もう、イヤんなっちまってな」
「……かなしいね。どんな人であっても、もう二度と会えなくなるのは、じぶんのなにかが欠けるのと同じ。同じ時間と場所で過ごした、大切な思い出だからね」
寝ぼけて足をぴくぴくさせる子イノシシにほほ笑みながら、わたしはささやいた。
「じゃ、わたしがともだちになってあげる。わたしは、なにもいらないよ」
「ほう? 肉体と魂もか?」
「タマシイ? 肉? それあげたら、わたし痩せれる?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ。まいったまいった」
「ようは、話し相手になるって言ってるの。こんなにたくさん〝矢印〟の向いてる人、わたし初めて。だから、ね? ト・モ・ダ・チ!」
「まっぴらごめんだ。このスポンジケーキ頭が」
そっぽを向いた輝く三眼をよそに、わたしはリュックをあさった。
「イケニエ、だっけ? いっぱいもってきたんだけど」
「……アメか?」
「だけじゃないよ。ポテチにジュース、サンドイッチ、あとあと……」
「…………」
翼と翼でまた器用に腕組みすると、テフは目をつむった。三つとも。人間でいうところの沈思黙考の状態だ。しばらくして、テフはつぶやいた。
「ナコト、だったな?」
「うむ?」
お菓子が口に入っているため、わたしの声はすこしくぐもっていた。
食べ物のにおいにつられたのだろう。目を覚ましたあの子イノシシも、わたしの膝に乗りあげて、かわいらしい鼻をひくつかせている。
ナイアルラソテフは、かすかに笑ったようだった。
「俺の分も残しとけよ」
わたしのものでなければ、人間のそれでもない。
足音をしのばせ、わたしはホコリのつもった祭壇にたどりついた。
我知らず、生唾をのんでしまう。祭壇のうえで、なにかがゆっくり蠕動しているではないか。
生きている。しかし、人間ではない。さきほどから寝息をたてているのも、そのおぞましい影だ。これはいったい……
ぱちんと懐中電灯の光をともすや、わたしは瞳をかがやかせた。
祭壇にころがって眠りこけるのは、ツンツンした毛の茶色い物体……てのひらサイズのイノシシのこどもだ!
「ちっちゃ~い! か~わい~!」
子イノシシを撫でまわすわたしを、不気味な風が襲ったのはそのときだった。
振り返ったときにはもう遅い。わたしの背後には、三つの赤い瞳が燃えている。
遺跡の住人。
しどろもどろに、わたしは挨拶した。
「このまえはありがとう、染夜です。え~っと、イア、イソ」
「……ナイアルラソテフだ。あいにく名刺は切らしてる。呼びにくけりゃ〝暗黒神〟〝盲目にして無貌のもの〟〝這い寄る混沌〟、どれでもいいぜ」
「言ってる端から忘れてってるよ……そうだ! ないあるらそてふ、略して〝テフ〟なんてどう? うん、かわいい。そうしよう!」
「名前をメモひとつしてもらえないとは、俺ら〝星々のもの〟もマイナーになったもんだな。ところでおまえ、なんだそのカッコは?」
そう言われて、わたしはじぶんの装備を見下ろした。
懐中電灯にヘルメット、水筒、スコップ、そして、めいっぱい物のつまったリュックサック等々。自慢げに、わたしは腰に手をあてた。
「家にあった防災グッズだよ。リュックはお父さんの。これなら、アマゾンのジャングルで遭難しても大丈夫だね。おなじ間違いは二度としないほうなの、わたし」
「それが嘘っぱちだってのは、おまえがまたここに来ちまってる時点でわかる……そうだそうだよ! なんでまたノコノコ現れた!?」
「学校が終わったからだよ。べつにわたし、クラブとか入ってないし」
「ああ、狂気と混沌の支配する霊廟が、いつの間にか女子中坊の放課後の寄り道にされちまってる。めんどくせえ、うざってえ。だいたい、どうやって探しだしたんだよ、この空間を。次元の配置はめちゃくちゃにシャッフルして、いやっちゅうほど何重にも結界を張り巡らせといたはずだぜ?」
「だってこのまえ、矢印ひいてくれたじゃない。ここから、入口まで」
「バカ、あれは呪力でできた文字だ。浮かびあがってるのは、ほんの一時だけ。ちょっと経てば、塩をかけられたナメクジみたいに矢印は消える。いちおう聞いとくが、その矢印の方向、どっち向いてた?」
「え? もちろん、この部屋にだけど」
「やっぱりそうか。なんなんだおまえはよ……時空の壁をぶち破って、俺の居場所を直接探知してやがる。おい」
それとなくわたしが胸に抱いた子イノシシを、ナイアルラソテフは、その大きな黒翼で器用に指さした。頬ずりまでするわたしに、低い声で警告する。
「いじめるなよ」
「ぬいぐるみみた~い」
「まえのデカい台風のとき、親とはぐれちまったらしい。いまは俺のともだち……いや緊急時の非常食だ」
「〝暗黒神〟が非常食ぅ?」
「なんでそのタイミングで異名を思いだす?」
「照れなくてもいいじゃない。テフもいないんでしょ、ともだち?」
「〝も〟ってなんだよ、失礼な。いっしょにするんじゃねえ。俺とおまえじゃ、人生経験が宇宙単位でちがう」
ふかい溜息をついて、ナイアルラソテフは天井をあおいだ。
燃える三つの瞳は、暗闇のむこうに、なにか遠い過去を見ている。
「そう、仕事柄、いろんな人間に会った。内容は少々ダークだが、それなりに馬の合うやつもいたさ。そして、俺から渡せるものと、あいつらが欲しがるものは、皮肉にもいつも一緒だった」
「なんか複雑そうだね。恋のはなし?」
「かけらでもそれがありゃ、俺もひとり、こんな閉鎖空間に引きこもったりはしなかったかもな。べつの宇宙のへんてこな機械だったり、ちょいワルな呪力の知識……俺からの友情の印を受け取ったとたん、あいつら、みんなどっか行っちまったよ。ゆがんだ狂気の角度や、宇宙の霧の果てとかに。もう、イヤんなっちまってな」
「……かなしいね。どんな人であっても、もう二度と会えなくなるのは、じぶんのなにかが欠けるのと同じ。同じ時間と場所で過ごした、大切な思い出だからね」
寝ぼけて足をぴくぴくさせる子イノシシにほほ笑みながら、わたしはささやいた。
「じゃ、わたしがともだちになってあげる。わたしは、なにもいらないよ」
「ほう? 肉体と魂もか?」
「タマシイ? 肉? それあげたら、わたし痩せれる?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ。まいったまいった」
「ようは、話し相手になるって言ってるの。こんなにたくさん〝矢印〟の向いてる人、わたし初めて。だから、ね? ト・モ・ダ・チ!」
「まっぴらごめんだ。このスポンジケーキ頭が」
そっぽを向いた輝く三眼をよそに、わたしはリュックをあさった。
「イケニエ、だっけ? いっぱいもってきたんだけど」
「……アメか?」
「だけじゃないよ。ポテチにジュース、サンドイッチ、あとあと……」
「…………」
翼と翼でまた器用に腕組みすると、テフは目をつむった。三つとも。人間でいうところの沈思黙考の状態だ。しばらくして、テフはつぶやいた。
「ナコト、だったな?」
「うむ?」
お菓子が口に入っているため、わたしの声はすこしくぐもっていた。
食べ物のにおいにつられたのだろう。目を覚ましたあの子イノシシも、わたしの膝に乗りあげて、かわいらしい鼻をひくつかせている。
ナイアルラソテフは、かすかに笑ったようだった。
「俺の分も残しとけよ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる