スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第三話「矢印」

「矢印」(5)

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 その日もわたしは、いつもどおり遺跡のテフに会いにいった。

 だが、きょうは少しばかり普段とちがうことがある。

 わたしの〝矢印〟が、うしろばかり指さすのだ。

 それは、わたしがテフのことを考えた時点からはじまり、遺跡に近づけば近づくほど〝矢印〟はより明確にじぶんの存在をわたしにうったえた。これだけはっきり見え、また反抗されたことは記憶にない。

 とにかく〝遺跡にちかよるな〟ということか?

「わかったよ。きょうはなるべく、すぐ帰る。それでいいんでしょ?」

 せっかくのわたしの妥協にも、〝矢印〟は動じなかった。

 それどころか、なんだろう。ひたすら遺跡の外をしめすその姿が、血のような赤色に染まって見えるではないか。

「怒って……いるの?」

 日々通いつめたせいか、わたしは遺跡内の道順をほとんど覚えていた。

 テフの聖域は、あの通路をまがってすぐだ。〝矢印〟のこと、ちょっと相談してみよう。

「!」

 おおきな揺れが、遺跡を襲ったのはそのときだった。

 思わずよろめくわたし。天井から、石のかけらとホコリが舞い落ちる。

 天辺山が、また土砂崩れを起こしたのか?

 ふとわたしは、聖域の入口あたりで、なにかが動いたのに気づいた。

 あの子イノシシだ。ときどき聖域の中をのぞいては、ぺたりとその場に座りこみ、困ったようにうなだれている。あやまって蹴飛ばさなくてさいわいだ。

 そっと忍び寄ると、わたしはうしろから子イノシシを抱きあげた。

「あらら、震えてるじゃない。テフとケンカでもした?」

 ふたたびの地震に、わたしは目を剥いた。

 近い。とても。それにこれは、外からのものとは違う。テフの聖域の中からだ。

 入口横の壁に背中をつけると、わたしは耳をそばだてた。

 最初にきこえたのは、テフの苦しげなうめき声だ。

「ハスター、てめえ……ぶっ殺す!」

「それは無理だ、ナイアルラソテフ」

 答えたのは、おそろしい笑い声だった。

 たとえれば、そう。その不気味さは、夜の墓場に吹く風を連想させる。

 ハスターと呼ばれた存在は、愉快そうに続けた。

「ここにあるのは、わたしの腕のごく一部だけ。それもじきに、おまえの次元干渉にのまれて消える。ほんとうにわたしと相対したければ、わたしの本体をこの空間へ招き入れるほかない。どうかね?」

「おことわりだ。この遺跡を守る迷路は、おまえみたいなバカでかい力にいちばんよく効く。まばたき一回ごとに組みかわる千通りの道に迷って、いまみたいに、ちっぽけなタコの手だけがゴールするのがオチさ。入れるもんなら、勝手に入ってきやがれ」

 そっけないテフの切り返しを、ハスターは尊大な笑いをもって受けた。

「そうさせてもらおう」

「あん?」

「つい最近、興味深いうわさを風に聞いた。このあたりに、優秀な探知の呪力をもつ人間がいるそうではないか。混沌界の迷路を切り開き、突破するのにふさわしい力だ。いつの時代にも必ず、そんな不運な探求者はひとりは存在するものだな。だからこそ、われわれも悪夢の存在として語り継がれる。そうだろう、ナイアルラソテフ?」

「……!」

 テフが絶句するのは、わたしからもはっきり感じ取れた。なにをそんなに動揺しているのだろう?

 とぼけたように、テフは聞いた。

「で? そのカーナビみたいなやつに、正解の道でもたずねるつもりかい? やめとけやめとけ。そんないるかどうかも分からねえやつ、探すだけムダだ」

「それもそうだな。いずれにせよ、わたしがその探求者を見いだしたとき、おまえの消滅は確かなものとなる。ああ、さいしょに言ったあれ。おまえの結界を解いて、この地をわたしにゆずる件、一考しておきたまえ」

「待ちやがれ!」

 テフの怒号に、ハスターの深い笑いが重なった。

 刹那、聖域の闇を照らしたのはまばゆい輝きだ。わたしが背をつけた壁に、糸のように細い光のすじが走り……超巨大な光の刃ともいうべきそれは、石造りの壁をバターのように切り裂いて、反対側の壁まで抜けた。

 切断された壁があちらからこちらまで倒れる地響きが、つづけざまに轟く。

 それきり、ハスターの声はぷっつり途絶えた。

 しばらくして、ななめに割れた壁のうえから、おそるおそる顔をのぞかせたのはわたしだ。

 あぶなかった。とっさにしゃがみ込んでいなければ、胴体からまっぷたつに切れていたかもしれない。

 ぷるぷる震える子イノシシを抱いたまま、わたしはささやいた。

「テフ、テフ。わたしだよ」

「ナコト……」

 火の玉めいた三つの瞳は、そっぽを向いてしまった。

「なに、さっきのあいつ? すごくイヤな感じがしたんだけど、だいじょうぶ?」

 心配げなわたしの言葉にも、なぜかテフは答えない。

 わたしは、直感的に気づいた。

「テフ、ケガしてるんだね。ちょっと待って。応急処置の道具は、と」

「帰れ」

「え?」

「帰れって言ってんだ!」

 あまりの口調の強さにショックを受け、わたしは目をみひらいた。

「なんで……? なんでちゃんと話してくれないの? ねえ、なにがあったの?」

「なにがもクソもねえ。ありえねえ。人間ごときが、ここにいること自体がな」

「それって、わたしのこと?」

「おまえ以外にだれがいる、染夜名琴。なんか勘違いしてないか? 俺は、ナイアルラソテフってのは、この世の諸悪の根源だぜ? 別角度の外時空から、人間どもに終わりを告げにやってきた。そんな異世界の悪魔が、おまえみたいな人間ふぜいと対等におしゃべりする? ……身分をわきまえな!」

 ぼうぜんと口をあけるわたしに、テフはとどめを刺した。

「ここまでだ、おともだちごっこは。おまえの妙なセンサーでも道がわからないよう、遺跡には厳重に細工しとく。こんどもし、この遺跡、いや、この山に足を踏み入れやがったら……殺す」

 いきなり吹いた突風が、わたしの目尻から輝く水滴をとばした。

 気づいたときには、テフの姿はどこにもない。

 いったい、どのくらいその場に突っ立っていたろう。

 ずっと抱いたままだった子イノシシを、わたしは静かに床へおろした。どこか悲しげに見上げてくるそのつぶらな瞳に背を向け、出口へ向かう。

「おまえを巻き込むわけにはいかないんだ……ごめんな、ナコト」

 さいごに聞こえた誰かの声も、きっと、わたしの願望がつくりだした空耳だ。
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