スウィートカース(Ⅲ):二挺拳銃・染夜名琴の混沌蘇生

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第三話「矢印」

「矢印」(7)

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 なにをしているのだろう、わたし?

 現実にしては濁っているし、悪夢にしてははっきりしすぎだ。

 からだが、かってにうごく。

 暗い夜道をふらふら歩き、天辺山の森をかきわけて、わたしはひとりでにテフの遺跡へ到着していた。

 淡々と、わたしは遺跡の迷路を攻略してゆく。わたしの〝矢印〟は、懸命に別の場所を指さそうとしたが、そのたびに、むりやり正しいルートへ戻されてしまうではないか。

 なにものかの強い力によって。

 あっというまに、わたしはテフの聖域までたどりついた。

 祭壇の奥の闇、いきおいよく広がったのは暗黒の翼だ。

 燃える三つの瞳をひときわ大きくして、テフはうめいた。

「ナコト、おまえ……」

「なかなか快適だぞ、ナイアルラソテフ。こうまであっさりいくとは思わなかった」

 わたしは暗く笑った。

 もちろん、わたしではない。わたしの体にとりついたハスターが、わたしの口をつかって声を発したのだ。

 人間でいうなら、テフは顔を青くした。

「ハスター! とうとう本体ごと入ってきやがったか! ナコトになにをした!?」

「先刻の話……提案はすでに、命令に変わっている。赤務の地にほどこした、この邪魔な結界を解きたまえ。すみやかに。人間界でも珍しいほど強い呪力をたたえた区域だというのに、つまらぬ結界のせいで実験のひとつも満足にできんではないか」

「実験だと? おまえの腐った趣味、よく知ってるぜ。気絶することも狂うこともできない精神と、永遠の命をあたえた人間の体から、骨と内臓と魂のかけらを一個一個、ていねいに引きずりだしてくって言うその手口。俺のなわばりで、人間をてめえのオモチャにされてたまるか!」

 ふたりが言い争うかたわら、気づけば、あの子イノシシがわたしの足にまとわりついていた。様子のおかしいわたしを心配して、不安げに瞳をうるませている。

 やめて!

 心の中で叫んだときには、もう遅い。わたしの足が自動的にひと払いされると、イノシシのこどもはたやすく側方へころがった。壁にぶつかって、それきり静かになる。

 おもいきり声を落として、テフはうなった。

「ナコトから出ろ。話はそれからだ」

「寝ぼけたことを。なんのために、この小娘〝だけ〟を残しておいたと思っている?」

「〝だけ〟? まさかおまえ……なんの関係もないナコトの家族まで!」

 ふたりがなにを言っているのか、最初、わたしにはわからなかった。

 生きているのはわたし〝だけ〟?

 ああ。信じられない。信じたくない。うすうす考えてはいたことだが、両親とスグハはもう……

「言ったはずだ。これは提案ではない。命令だと」

 そう告げたわたしの手には、いつの間にか鋭いものが輝いている。

 包丁だ。自宅をでる前、わたし自身が台所から持ちだしたものに他ならない。

 いったいなにを……

 直後にふきだした鮮血を、わたしとテフはぼうぜんと眺めた。

 わたしの意思とは関係なく、わたしが自分の手首にそえた刃を、ひといきに引いたのだ。

 痛い! おそろしく! だが、当のわたしは悲鳴ひとつ発せない。

「ばかやろう! やめろ! ハスター!」

 テフの制止を無視して、わたしは今度は、自分の太ももに包丁を突き刺した。

 いっそ気を失ってしまえれば、どれほど幸せだったことか。

 とびちる血しぶきで頬とメガネを染めながら、わたしの顔は笑いに変わっていた。

「清い体がずだ袋になるさま、もうすこし見ていくか?」

「こ、このやろう……」

「このようにわたしは、風、水、そして大地を、呪いと血臭で彩ることに真摯にとりくんでいる。いまのおまえの怠惰ぶりを見れば、深次元のアザトゥースもたいそう悲しむのではないかね……いまいちど命ずる、ナイアルラソテフ。結界を取り払い、赤務の地をわたしに明け渡したまえ。いますぐにだ」

 赤い糸をひいて振り上げられた包丁を前に、テフは狼狽した。

「わかった! ちくしょう! 解けばいいんだろ! 解けば!」

「それでいい。くくく、たかが人間の小娘ごときに……おや?」

 ふいに、ハスターは疑問を口にした。

 わたしの手は、わたしの首すじに包丁をあてている。

 ハスターが怪訝に思うのも無理はない。

 これは、わたし自身の意思だ。

 ハスターの呪縛に逆らうのには苦労した。おそらくそれも、あまり長くはもたない。現に、こきざみに震えるわたしの手は、わたし以外の力に押され、なんとか刃をひきはがそうとしている。

「小娘……! なかなかやるではないか!」

「テフ……」

 ふたつのセリフを順番に、わたしは吐きだした。

「テフ。無理はしないほうがいいよ。じぶんのこと、悪魔みたいに悪いやつだって言ってたけど、やっぱりそれは違う。テフはさみしがりで、とっても優しいひと。だって、わたしだけじゃなく、この街まで守ってくれてたんだから。なのにわたし、ずっとテフの邪魔ばっかりしてた。ごめんね」

「よせ、ナコト」

 押し殺したテフの声に、わたしは小さく首を振った。

「だめ。だめなんだよ、テフ。父さんも、母さんも、スグハも、みんな死んじゃった。ほんとうにごめんなさい。わたしもう、とても生きていけそうにない。でも、さいごぐらいは何かひとつ、テフの役に立ちたいの……いままでありがとう。ずっと、ともだちだよ?」

 テフはさけんだ。

「やめろおォォォッッ!」

 わたしの首にしのびこむ刃は、つめたかった。
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