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第三話「矢印」
「矢印」(10)
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弟が、スグハがよんでいる。
朝ごはん? もうそんな時間? きょうも学校か。でも、あと五分だけ寝かせて……
うっすら、わたしは目をあけた。
砂ぼこりがひどい。見えたのは、無残に崩壊した遺跡の床だ。
うず高く積もったガレキの上に、なにか丸いものがいた。
岩の残骸にほとんど埋もれたわたしを、ぺたんこの鼻で熱心に嗅ぎまわっている。
あの子イノシシではないか。
そのさらさらの体をそっとなでて、わたしはほほえんだ。
「よかった、無事だったんだ。さっきはごめんね、けとばして」
「二度とするなよ」
「イノシシちゃんがしゃべった!」
「俺だ」
「だれ!?」
「ナイアルラソテフだよ、このスットコドッコイ」
人語で答えた子イノシシの声は、やけにかんだかい。
倒れたまま、わたしは黄色い歓声をあげた。
「テフ!? ほんとにテフなの!? うそ、か~わい~!」
「うるせえ騒ぐな、傷にさわるぞ……俺の呪力と精神が、いまおまえの中にあるのは知ってのとおりだ。だからって、ひとりが二人分しゃべるのも不便だし、なにより不気味だからな。俺の借りてるこの体は、言ってみりゃ一時的な子機みたいなもんさ」
「電話の子機と親機みたいな感じだね……そっか、やっぱり夢じゃないんだ、これ」
わたしは、自分のてのひらを眺めた。
血まみれの傷だらけだ。もう、あともどりはできない。
ひとつ鼻息をつくと、テフはどこか心苦しげに告げた。
「ナコト。おまえの魂を死んだ体に戻して、心臓を動かしてるのは俺だ。俺がどこか行っちまえば、おまえは今度こそ死ぬ」
「……そうだね。こんなのおかしい。それが自然のルールだよね」
「俺をだれだと思ってる? そのルールとやらを混乱させる専門家だぜ?」
「え?」
「〝え〟じゃねえよ。しばらく一緒にいてやる、って言ってんだ。おまえの生命維持装置として、おまえが、人間としてのまっとうな人生を終えるまで。ったく、毎度毎度、いさぎよく人生を諦めちまいやがって。なあに、俺もほんの七十年そこらの辛抱さ」
「ありがとう……これから、よろしくお願いします」
寝転がったわたしの瞳から、光るものが伝った。死ぬのが怖くないわけがない。
つぶらな瞳で、テフはわたしを見つめた。
「あと、こんな辛い記憶に、いつまでも苦しめられたくないだろ? 俺やハスターみたいな化物に出会ったこと、それから死んだ家族のこと……今回あったことは、ぜんぶ頭の中から消してやる。楽になるぜ」
「まって」
「これから色々と大変だが、心配すんな。約束したろ? つきあって見届けるって。じゃあまた、何秒後かの新しい人生で会おう」
なにか言おうとする前に、わたしの瞳孔はひろがった。金縛りにあったように、体は動かない。
記憶の消去がはじまったのだ。
まぶたをきつく閉じ、わたしは震えた。
「やめて……やめ、やめろ」
「ちょ、おい、逆らうんじゃねえ」
「だれが勝手に消していいと言った……この思い出は! なくせない! 絶対に!」
叫びとともに、わたしを覆うガレキはいっきに吹き飛んだ。
傲然とたたずむわたしの周囲に、粉々になった破片がふりそそぐ。
ころころ向こうへ転がって止まったテフへ、わたしは背中で語った。
「わたしにはまだ、やることが残っている。記憶なり肉体なりを差し出すのは、それが終わったあとだ」
「正気か、ナコト!? いや、俺という化け物の汚染を拒まないせいで、百八十度性格が変わっちまってる……いまは別人になって身を隠せ! いっぺん目をつけた相手を、ハスターの野郎はどこまでも追っかけるぞ! 宇宙の果て、時空のかなたまで!」
「好都合だ」
短く切り捨てて、わたしは闇のどこかにある出口へ歩き始めた。
学校の制服は真っ赤に染まってずたずた、その下の体も満身創痍だ。それでもなお、わたしの足取りは毛ほども揺るがない。
低く冷めた声で、わたしは告げた。
「むこうから現れるとは願ってもない。現れなければ、探しだして仕留めるだけだ」
「ナコト! まて!」
さっきから、わたしの〝矢印〟はまたどこかを指さしていた。
その先になにがあるかはわからない。だが、わたしがもう二度と振り返らないことだけは確かだ。
ナイフのような鋭い視線で、わたしはささやいた。
「さあ、おどろうか」
そう。
これは、染夜名琴の昔の話。
わたしが、怪物の道を歩み始めたころの物語……
朝ごはん? もうそんな時間? きょうも学校か。でも、あと五分だけ寝かせて……
うっすら、わたしは目をあけた。
砂ぼこりがひどい。見えたのは、無残に崩壊した遺跡の床だ。
うず高く積もったガレキの上に、なにか丸いものがいた。
岩の残骸にほとんど埋もれたわたしを、ぺたんこの鼻で熱心に嗅ぎまわっている。
あの子イノシシではないか。
そのさらさらの体をそっとなでて、わたしはほほえんだ。
「よかった、無事だったんだ。さっきはごめんね、けとばして」
「二度とするなよ」
「イノシシちゃんがしゃべった!」
「俺だ」
「だれ!?」
「ナイアルラソテフだよ、このスットコドッコイ」
人語で答えた子イノシシの声は、やけにかんだかい。
倒れたまま、わたしは黄色い歓声をあげた。
「テフ!? ほんとにテフなの!? うそ、か~わい~!」
「うるせえ騒ぐな、傷にさわるぞ……俺の呪力と精神が、いまおまえの中にあるのは知ってのとおりだ。だからって、ひとりが二人分しゃべるのも不便だし、なにより不気味だからな。俺の借りてるこの体は、言ってみりゃ一時的な子機みたいなもんさ」
「電話の子機と親機みたいな感じだね……そっか、やっぱり夢じゃないんだ、これ」
わたしは、自分のてのひらを眺めた。
血まみれの傷だらけだ。もう、あともどりはできない。
ひとつ鼻息をつくと、テフはどこか心苦しげに告げた。
「ナコト。おまえの魂を死んだ体に戻して、心臓を動かしてるのは俺だ。俺がどこか行っちまえば、おまえは今度こそ死ぬ」
「……そうだね。こんなのおかしい。それが自然のルールだよね」
「俺をだれだと思ってる? そのルールとやらを混乱させる専門家だぜ?」
「え?」
「〝え〟じゃねえよ。しばらく一緒にいてやる、って言ってんだ。おまえの生命維持装置として、おまえが、人間としてのまっとうな人生を終えるまで。ったく、毎度毎度、いさぎよく人生を諦めちまいやがって。なあに、俺もほんの七十年そこらの辛抱さ」
「ありがとう……これから、よろしくお願いします」
寝転がったわたしの瞳から、光るものが伝った。死ぬのが怖くないわけがない。
つぶらな瞳で、テフはわたしを見つめた。
「あと、こんな辛い記憶に、いつまでも苦しめられたくないだろ? 俺やハスターみたいな化物に出会ったこと、それから死んだ家族のこと……今回あったことは、ぜんぶ頭の中から消してやる。楽になるぜ」
「まって」
「これから色々と大変だが、心配すんな。約束したろ? つきあって見届けるって。じゃあまた、何秒後かの新しい人生で会おう」
なにか言おうとする前に、わたしの瞳孔はひろがった。金縛りにあったように、体は動かない。
記憶の消去がはじまったのだ。
まぶたをきつく閉じ、わたしは震えた。
「やめて……やめ、やめろ」
「ちょ、おい、逆らうんじゃねえ」
「だれが勝手に消していいと言った……この思い出は! なくせない! 絶対に!」
叫びとともに、わたしを覆うガレキはいっきに吹き飛んだ。
傲然とたたずむわたしの周囲に、粉々になった破片がふりそそぐ。
ころころ向こうへ転がって止まったテフへ、わたしは背中で語った。
「わたしにはまだ、やることが残っている。記憶なり肉体なりを差し出すのは、それが終わったあとだ」
「正気か、ナコト!? いや、俺という化け物の汚染を拒まないせいで、百八十度性格が変わっちまってる……いまは別人になって身を隠せ! いっぺん目をつけた相手を、ハスターの野郎はどこまでも追っかけるぞ! 宇宙の果て、時空のかなたまで!」
「好都合だ」
短く切り捨てて、わたしは闇のどこかにある出口へ歩き始めた。
学校の制服は真っ赤に染まってずたずた、その下の体も満身創痍だ。それでもなお、わたしの足取りは毛ほども揺るがない。
低く冷めた声で、わたしは告げた。
「むこうから現れるとは願ってもない。現れなければ、探しだして仕留めるだけだ」
「ナコト! まて!」
さっきから、わたしの〝矢印〟はまたどこかを指さしていた。
その先になにがあるかはわからない。だが、わたしがもう二度と振り返らないことだけは確かだ。
ナイフのような鋭い視線で、わたしはささやいた。
「さあ、おどろうか」
そう。
これは、染夜名琴の昔の話。
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