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第三話「内臓」

「内臓」(8)

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 やがて魔法の森は、ある心強い味方が広くにわたって包囲した。

 味方とは?

「…………」

 深い森の中、ぼうっとその光景を眺めるのはアリソンだった。あの冷厳な風の剣士が顔をゆるませ、すこし幸せそうに頬を染めているではないか。にわかには信じがたいアリソンの一面を目撃し、たずねる同僚のターニスもやや心配げだ。

「大丈夫か? アリソン?」

「……か」

 いよいよ複雑な面持ちになるターニスをよそに、アリソンはうっとり独りごちた。

「かわいい……」

 アリソンの視線の先、古樹の根本でふわふわと戯れるのは、フィアと無数の猫たちだ。

 ねこ?

 そう。見渡すかぎりの猫、猫、猫。文字どおり猫の海だ。その種類は大きいの、小さいの、ぶち模様の、灰色の、縞柄の、黄色いの、白いの、その他色とりどり。

 この大変なときに、フィアは決して遊んでいるわけではない。

 それはまさしく戦士どうしの交渉だった。見た目はただの猫だが、彼らはりっぱな軍隊だ。毛並みつややかな戦士たちの出身は、魔法の森の東に位置する町、ウルタール。ウルタールで生まれ育った猫たちはかなり特殊で、耳に心地よいその独特の猫語を人間側が勉強さえすれば、なんと意思疎通の会話が成立してしまう。

 セレファイスがウルタールの猫たちを頼ったのは、彼らがズーグ族の古来よりの天敵だからだ。その頭数や俊敏さ等で人間を上回るズーグ族に対抗するためには、互角以上の反射神経と爪をそなえた猫たちほど相応しいものはない。前もってのクラネス王の依頼により、さきほど遠征隊の窮地を救ったのも間違いなく彼らだ。

 あらかじめ覚えてきた猫語を言葉巧みに操り、フィアはたちまち猫の輪に溶け込んでしまった。アリソンが聞くところによれば、フィアにそなわった〝ぼいすれこーだー〟とか呼ばれるものの力もあるという。

 階級章のついた首輪を巻き、力強い角度のひげを象徴とする猫の指揮官は、フィアの真摯かつ明確な説明に耳をかたむけた。愛らしくじゃれ回っているだけにも見えるが、そうではない。それは多くの命を救うために、引き続きウルタールの助力を借りたい旨のフィアの嘆願だった。緊張の走る会話の内容はこうだ。

「にゃ~ん?」

「にゃにゃ……」

「にゃうにゃう!」

「にゃお♪」

 このとおり大変な苦労をへて、同盟の契約は成立した。

 近くのセレファイスに降りかかった魔王の脅威は、小さな戦士たちにとっても他人事ではない。仲良くなったフィアの旅立ちを惜しみつつ、猫たちはすみやかに魔法の森の封鎖を行った。その報酬には、セレファイス産の新鮮な魚介類が約束されている。

 ガグに続き、ズーグ族も断ち切った。たとえ魔王の刻印に操られてズーグ族が森を出ようとしても、ウルタールの猫たちがそれを許さない。

 次に遠征隊はウルタールを南下し、ダイラス・リーンの港町を訪れた。

 ダイラス・リーン……細く角ばった高い塔が、無数に林立する湾岸都市だ。玄武岩でできた意味不明な黒い高塔たちを眺め、馬上で目を丸くするのはフィアだった。

「すごい数……あれはなに?」

「この港がまだ、いまよりもっと栄えていたころ」

 説明するアリソンの口調は、旅立ちの直後よりずいぶん打ち解けていた。ここまでのフィアの活躍と奇跡の数々は、隊員たちの信用をわずかながら得たものらしい。

「あの塔の群れは、きらびやかな目印だったといいます。多くの国のあらゆる船舶を案内し、誘導するための」

 過去形の多いアリソンの言葉どおり、いまや寂れてしまったダイラス・リーンには、陰鬱な潮風しか吹いていなかった。おびただしい埠頭のまわりには、やっているのかどうか不明な酒場ばかりが暗く軒を連ねている。

「交易の活気が減り、ここに人を遠ざける雰囲気が流れ始めたのはいつからだったかわかりません。いまはときおり寄港する船にも、得体のしれないものが増えているという噂です。おそらくはそれこそが、魔王に与する醜い〝蛙人マーチャント〟どもの軍艦」

 そう。このダイラス・リーンこそが、三種めの魔物の発生源と結論づけられていた。

 そんな危険な港町に馬を進めながら、あっけらかんと独りごちたのはフィアだ。

「繁栄と衰退、か。あたしも気をつけなきゃ、体のメンテナンス」

「へたな化粧など邪魔なだけでしょう、フィアの美しさには」

「え? なにか言った?」

「いいえ……おや、あれは?」

 怪訝げにつぶやくと、アリソンは馬首を巡らせた。

 その視線の先、埠頭に見えたのは黒山の人だかりだ。漁師や旅人、飲み屋の店主を問わず、海のかなたを指差しては口々にどよめきの声を漏らしている。

「まさか……」

 人混みのうしろに馬を止めたアリソンは、隊員ともども顔を強張らせた。

 おお。水平線の向こうからは、十隻以上もの巨大な黒いガレー船……数えきれないオールで進むタイプの戦船が、不気味な緩やかさをもってダイラス・リーンに迫っているではないか。その搭乗人数は、一隻あたりどう見ても三百名を超える。おまけに、南風に乗って運ばれてくるこの独特の悪臭。魔王の刻印をつけた蛙人の大群が、所狭しと船内に詰まっているのは間違いない。

 無駄だと知りつつも大剣の柄を握りしめながら、アリソンは歯噛みした。

「まずい、この数。ありえない。多すぎる。魔王め、ここまでの物量をどこからどうやって? 計算外だ。上陸されて戦いになれば、住民への被害は避けられません。フィア、ここは一時撤退し、都へ報告を……」

 焦燥感もあらわに振り向いたアリソンは、目が点になった。

 となりの馬から、フィアの姿は影も形も残さず消えている。

 かわりにアリソンのはるか頭上、高い塔の頂きから聞こえたのは異世界の詠唱だ。

狙撃開始スナイプスタート

 いったいいつの間に、あんな見晴らしのよい高所へ?

 片膝をついて精密射撃の姿勢をとったフィアの背中、まばゆい輝きを散らすのは複腕に支えられた電磁加速砲だ。螺旋状の軌跡を残した光の矢は、ガレー船の胴体を続けざまに射抜く、射抜く、射抜く。

 海上に混乱が広がったのは、間もなくのことだった。船底に穿たれた大穴からの浸水を受け、ガレー船どもが折り重なって沈み始めたのだ。正確極まりないフィアの長距離射撃は、船体の急所という急所を寸分違わず撃ち抜いている。

 悶えるように海の藻屑と化したガレー船の残骸から、乗員の蛙人たちはつたない動きでいずこかへ泳ぎ去った。血迷ってダイラス・リーンに泳ぎ着いた輩もいたが、それらはそれらで蛙人を嫌忌する漁師等によって捕らえられている。

「そんな馬鹿な……あっけなさすぎる」

 住民と遠征隊の一部は、ぽかんと塔のフィアを見上げた。

 立ち上がって背中へ長砲身を収納するかたわら、フィアもおかしな注目に気づいたらしい。手で群衆の視線を追い払いつつ、天高くから怒鳴る。

「有料! 有料!」

 スカートのすそを押さえるフィアから、人々はあわてて目をそらした。
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