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第四話「霊魂」

「霊魂」(1)

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 オリアブ島の南の果て、高く険しいングラネク山……

 高山の斜面にあいた代表的な洞窟は、ひとつを残して爆破された。時間をかけて入念に洞窟を封じたのは、フィアの肩から展開した超小型ミサイルだ。

 洞窟は巨大な地下世界へと続いており、あの空飛ぶ夜鬼の棲家でもある。フィアの攻撃によって、その出入り口もひとつに限定された。夜鬼どもが外の世界へ飛び立つには、必ずフィアたちの迎撃にさらされねばならない。

 遠征隊の危険は、ここで最高潮をむかえる。恐るべきことに、最後の目的地である食屍鬼の巣窟……ナスの谷のトォーク山は、地底をはるか下った先にあるのだ。

 フィアによれば、魔王もまたそこにいる。

 伝承のとおり、ングラネクの洞窟内では松明は必要なかった。迷宮のごとき広大な地下世界を、奇妙な燐光がうつろに照らしている。原初から充満する妖しい呪力が、意思をもって鬼火を形成しているという話だ。

「セレファイスとの確認が終わりました……」

 薄闇の中、ささやいたのはアリソンだった。

「都のまわりに現在、魔王の気配はありません」

「そう……本当にごめんなさい。隊に不要な混乱を招いてしまったわ」

 結果的に、フィアの心配は思い過ごしに終わった。

 彼女が〝魔王の位置〟と呼ぶものは、あるときを境にとつぜん予想通りの進路へ戻ったのだ。つまり遠征隊の目的地、オリアブ島のングラネク山へ。そこはもともと、ダイラス・リーンの次に一行が訪れる予定の場所だった。

「ここまで的中し続けたフィアの予言です。私は信じますよ」

 足場の悪い洞窟を下りながら、アリソンは続けた。

「魔王はこの近辺からいったんセレファイスへ飛び、なぜかまたここへ舞い戻った……そういうことですね?」

「そのとおりよ。あいついったい、なんの目的で? まるで旅の途中、なにか忘れ物に気づいて取りに戻ったみたいな動き」

 やがて、進む靴裏の響きが明らかに変わるのをふたりは聞いた。

 それまで重い岩石を踏んでいた感触が、空洞の軽石のように変化している。

 強張った顔つきで、アリソンはうなった。

「これは、すべて骨か……!」

「ものすごい量ね。生き物の種類も千差万別。そこらじゅうの物陰に潜んでるここの住人は、好き嫌いがなくてとても行儀がいいらしいわ」

 そう、骨だ。残さず肉をそがれ、髄まで吸われたありとあらゆる動物の骨が、絨毯のごとく地面に敷き詰められているではないか。うず高く積み重なった食事後の残骸の堆積層はそのまま、ここを本拠地とする魔物の凄まじい数と歴史を物語っている。

 セレファイスを襲った最後の一種族……食屍鬼の巣だ。

 この終局にさしかかると、遠征隊の伝令の数もひとりになっていた。つまり、アリソンとフィアのふたりきり。ただ、骨と闇だけが広がるこの環境は、恋語りの場としてはすこし特殊すぎた。 

「アリソン」

 つぶやいて、フィアは立ち止まった。トォークの地下山脈から吹き流れる寂しい風に揺られながら、アリソンへ振り返る。

「作戦どおり、いったんお別れよ。長い間、エスコートをありがとう。あとはあなたは、ここであたしの合図を待って」

「しかし……」

「信じて。魔王はきっと倒してみせる。とまあ、それだけじゃ言葉が足りないわね」

 渇いた風になびく前髪をおさえながら、フィアは悲しげに顔を伏せた。

「ごめんなさい。あたしの愛するひとは、メネスただひとりだけなの」

 しばし立ち尽くしたあと、アリソンは薄く笑ってうなずいた。

「とっくにわかっていましたよ。こちらこそ、困らせるようなことを言って申し訳ありませんでした。ただ、私のこと、片隅にでも覚えておいて頂けると幸いです。かわたらを通り過ぎていった、ただの風ていどの認識でも結構ですので」

「さわやかで、それでいて頼りになる風だったわ。必ずいっしょに都へ帰りましょう。中継地点に置いてきた隊員たちと、ひとりずつ合流しながら」

 小さく手を振ると、フィアは骨の崖を下り始めた。

 鼻で溜息をつき、苦笑いしたのはアリソンだ。

「夢のような出会いだと思ったら、ほんとうに優しいだけの夢でしたか。どうか、お気をつけて」

 骨でできたナスの谷を歩く途中、フィアの周囲には刻々と異常が増していた。

 ときおり地面を跳ね、あらたに地面に加わる骨。高い崖のうえに、なにかいる。それだけではない。あちらの骨の小山を素早く通り過ぎ、崖にあいた洞窟で不気味な眼光を輝かせるのはなんだ。

 足もとの骨が弾け飛ぶのと、フィアが両手の機関銃を展開するのはほぼ同時だった。

 崖の上から、洞窟から、物陰から、地面から、目にも留まらぬ動きで飛び出したのは無数の人影だ。大柄だが痩せた犬めいた姿は、食屍鬼に他ならない。フィアの全身の火器はくまなく四方を照準し、食屍鬼の鋭い鉤爪もまたフィアの首筋にあてられている。

 おそろしい膠着状態……どちらが先に動いても、鮮血が乱れ舞うのは必至だった。にしても、この数。百匹や二百匹どころの話ではない。どこから湧いてくるのやら、フィアのまわりには後続の食屍鬼が次から次へと降り立っている。その首という首にくまなく巻かれているのは、やはり魔王の黒い刻印だ。

「現れたな、魔女め」

 その低い声とともに、食屍鬼の群れは静かに左右へ割れた。

 現れたのは、古風の背広を着こなした人影だった。魔物らしからぬ外見だが、その顔はやはり食屍鬼のそれだ。両腕の機関銃はかまえたまま、フィアは言葉を紡いだ。

「お目にかかれて光栄だわ、ピックマン。食屍鬼の王様」

「セレファイスの都に、第二の魔王が現れたことは斥候から聞いている」

 流暢だがややおかしなピックマンの語調は、食屍鬼なまりとでも呼ぶべきか。

「小娘、やはり貴様も、我らとよく似た肌と匂いをしているな。生きてはいないが、かわりに死んでもいない」

「ご名答。あたしたちマタドールシステムは、あちら側の世界の食屍鬼をベースに作られてる。食屍鬼の強靭な皮膚と筋繊維に、最新鋭の歯車と人工知能を組み込んで。もしかしたらあたしとあなた、遠い親戚だったりするかもね?」

「ふん、やめろ、身の毛のよだつ。魔王といい貴様といい、いったいなにが目的だ。我らは人間族の味ごときに興味はない。地底のガグ等の死骸を回収して、平和にやりくりしている。それを……」

 シャツの襟をずらし、ピックマンはじぶんの首筋を見せつけた。

 そこにもまた、呪われた黒い首輪が巻かれている。魔王に逆らったとき、この邪悪な刻印はひとりでに縮まり、着用者の首を刎ねようとするのだ。心底いまいましげに、ピックマンはうなった。

「それを突然現れては、むりやりこれをはめ、仲間たちを奴隷のように操って戦場へ駆り出す。解体する、解体してやるぞ、小娘。頭蓋の内容物を我らに回し飲みされながら、せいぜいおのれの所業を悔いるがよい」

「あたしを分解するには骨が折れるし、食べるには歯が折れるわよ。とりあえず、かなり頭にきてるみたいね。魔王はどこ?」

「逃げられた。ついさっきのことだ。だが、あらかじめ全軍を集結させておいた甲斐はあったぞ。魔王のあとにのこのこ現れた魔女を、気持ちよく血祭りにあげることができるのだからな」

「倒すですって? このあたしを?」

 あたりの食屍鬼のうごめきを一望して、フィアは不敵に微笑んだ。

「期限切れの肉でも食べて、頭に回った? このていどの頭数で、あたしに太刀打ちできると思ってんの? 少なすぎない?」

「ほざけ。小娘ひとりの始末など、この数でも余りある。外界に連れ去られて朽ちた仲間の無念、思い知れ」

「ほんとにこれで全員なのね?」

「しつこいぞ! ことここにいたって出し惜しみなぞせんわ!」

 フィアの背中の電磁加速砲は、鋭く旋回して直上を狙った。

 いや、これまでの攻撃法とはすこし違う。まっすぐ上を向いた砲身は、さらに変形。まるで雨傘のように広がった磁場発生装置から、瞬間的に広がったのは光の波だ。磁場の波紋はあっというまにナスの谷を覆い尽くし、じきに消えた。

「な!?」

 お互いを驚きとともに見たのは、食屍鬼たちだった。

 強く巻きついていた魔王の首輪が、気が抜けたように流れ去ったではないか。おなじ現象はすべての食屍鬼にまでおよび、残ったのはただの黒い砂粒だけだ。

 首をさすりながら、驚きに刮目するのはピックマンだった。

「なんだ? なにが起こった……いまの力はいったい?」

「そうね、この世界風の言葉で説明すると……」

 つぶやくフィアは、全身の火器をしまってもとの姿へ戻っている。戦いはすでに決着したのだ。フィアは続けた。

「磁石には、くっつく力とはなす力があるでしょ? その力でできてる首輪に、ぴったりはまってプラスとマイナスを相殺する磁石を近づけたの。さっきの光がそう」

 ただしこの手は、首輪に操られたものが、今回のように特定の狭い範囲に集まっているときにしか使えない。おまけに電力の消耗が激しいうえ、充填や作動に時間もかかる。いままさに武器を振るおうとしている魔物を止めるには、やはり戦うしかないのだ。

 解放された喜びに食屍鬼たちが小踊りする中、ピックマンだけは違った。

「なぜ武器をしまう、小娘。魔王の呪いに苦しめられることがなくなったとはいえ、貴様はいぜん我らの敵だ」

「許してなんて言わない。あいつに代わってお詫びするわ、今回のこと。それから、お願い事がひとつだけ。あたしが魔王を退治するまで、あなたたち食屍鬼はここで大人しくしといてもらえる? また首輪をかけられでもしたら大変よ」

「それはわかるが……倒せるのか、あのおぞましい黒砂の魔王を?」

「ええ。いまあいつの反応は、すぐ目と鼻の先にある。追い詰めたわよ、ついに」

 大勢の食屍鬼に背を向けると、フィアは肩越しに手を振って歩き始めた。

「じゃ、お願いね、ピックマン。この騒ぎが終わったら、あたしの絵でも書いて」

「あいかわらず生意気な小娘だ……承知した」

 にやりと笑ったピックマンを、黒い剣がつらぬいたのは次の瞬間だった。
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