織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第二章 愛を乞う王子

第三十話

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 風の動きが変わった。晧月は、顔を上げた。キョロキョロと瞳だけを動かして、周囲を窺うも、怪しい影はない。

 ーー気の所為……か?

 銀色の瞳が、すぅと細められる。風の動きが変わったということは、この場に自分達以外の何者かがいるということだ。

 「若君?どうかいたしましたか?」

 「いや……」

 市を不安にさせるわけにはいかない。晧月は、固くなっていた口元を和らげて、笑みを浮かべた。

 「何でもないよ」

 そう答えた瞬間、草むらからガサガサッと音がして、水色の毛を逆立てた兎が飛び出してきた。兎は、市の横をすばしっこく走りながら、ピョンと跳ねて、通り過ぎて行く。晧月は、眉を顰めた。

 ーー風の変化は、兎が原因?

 まさか、この白薔薇宮殿に、おかしな事を考える不届き者は忍び込まないだろう。しかし、長年戦で鍛えられてきた彼の直感は、危険信号を鳴らしていた。

 「驚いた……こちらの兎は、色が水色なのですね。それに、毛がフワフワではなくて、ツンツンしていました……」

 晧月の神妙な顔に気付かず、市は兎の毛が、まるで晧月のようだと思って微笑んだ。ツンツンと逆立った毛がそっくりだ。尖った銀色頭を見上げて、こっそりと笑いながら紅茶を飲む。温かい紅茶が喉を優しく流れ、市の体を暖める。しかし、何だろう。先程から頭が痛い。久しぶりに、体を動かしたからだろうか。

 「……天使ティエンシー、君……唇の色が……」

 「え……?」

 それは、突然だった。市の体が、糸の切れた人形のように、パタリと倒れる。その体を、晧月は手を伸ばして咄嗟に支えた。

 「天使ティエンシー!」

 腕の中の市は、青ざめて、唇の色が紫色に染まっている。小刻みに震える彼女の体。まさか……。晧月は、ラビアを睨み付けた。

 「お前、この子に何を盛った?」

 銀色の瞳が、怒りに歪む。ラビアは、晧月の鋭い視線を浴びて、好戦的に微笑むと、片手を上げた。

 「今です!」

 「な……」

 それは、合図だったのだ。ラビアにより、草むらから沢山のシュッタイト兵が現れ、晧月に矢を放った。

 「天使ティエンシーもいるのに、なんて無謀な……!」

 彼は懐からクナイを取り出すと、素早い動きで弾いていく。しかし、まるで雨のように矢が降ってくるものだから、キリがない。市を守りながら、彼は左腕に矢を受けた。そうしないと、市の顔に矢が貫通していたのだ。

 「くっ……!」

 市の頬を、晧月の血が濡らす。市は、悲痛な顔で目を見開いた。しかし、体が痺れて動かないのだ。動けと命じているのに、動かないのだ。彼女の瞳から、涙が零れた。泣いたって仕方がないのに!体は動かない癖に、涙だけは流れるのか!

 「わ、若君……お願いですから、私の事は捨て置いて……下さい……」

 「馬鹿言うな!俺は君を死なせない!守ってみせる!」

 シュッタイト兵の間から、ムスタファが躍り出ると、晧月目掛けて槍を放つ。それを晧月は、クナイを使って真っ二つに折り、続けて降ってきた矢を弾き飛ばした。しかし、あまりにも数が多い。シュッタイト兵は、見たところ、ムスタファを含めて15人はいる。晧月は、舌を打った。ラビアは、市に忠実だと思ったが、違ったのだろうか。

 「お前達は、俺もろともこの子を殺すつもりか?」

 「まさか!姫君には、生きていてもらわなければ、意味がない」

 ムスタファは、大きな槍を構えて笑った。

 「晧月よ、お前はその姫君を守るだろう。だが、そのたびにお前の体は死に近付いてゆくのだ!」

 晧月が市を守ろうとすれば、それは重荷になる。だが、晧月は必ず市を守り通そうとするだろう。それが、エイサフの狙いであった。市という荷物を抱えた晧月を、徐々に痛めつけ、死に至らしめるのだ。ムスタファは、流石は聡明なる我が主君だと、鼻を鳴らす。

 「父上!そろそろ、晧月にも薬が効く頃かと思います!」

 ラビアの声に、ムスタファは大きく吠えた。

 「おう!ラビア!お前も、立派になったもんだ!」

 ガハハと笑うムスタファの顔が、二重に見えて、晧月は唇を噛んだ。もしやと思ったが、やはり自分にも薬が盛られていたらしい。幼い頃から毒には慣らされてきてはいたが、シュッタイト産の薬は昔から体に合わなかった。いつも、シュッタイト産の毒薬を試せば、高熱が出ていたのだ。

 「くそっ!」

 手足が痺れる。頭が痛い。体が熱い。ふらついた晧月の肩に、矢が突き刺さった。その衝動で、体が前向きに倒れそうになるも、足をついて耐える。矢の刺さった左腕で市を抱いて、彼はシュッタイト兵達を睨んだ。それは、まさに修羅のような瞳だった。

 「来いよ。殺してやる」

 ゾクリとするような、残虐な笑み。晧月の体から、目に見えそうな程の殺気が溢れ出た。思わず何人かのシュッタイト兵が、彼の殺気に呑まれて後退る。

 「怯むな!奴はまさしく、手負いの狼よ……。数はこちらの方が有利なのだ!エイサフ王子の為にも、奴を殺せ!」

 ムスタファの獣のような声に、シュッタイト兵が雄叫びを上げる。シュッタイト兵の士気は高い。今までの恨みと、エイサフ王子の為という想いが一つになり、晧月を殺そうと沢山の矢が放たれる。

 晧月は、背中に隠していた剣を抜いた。金細工を施された持ち手に、赤い紐を結び付けた両刃の剣が、太陽の下でキラリと光る。彼は片手でそれを回転させて、風を起こし、矢をはらい落とした。左腕で市を抱き上げ、近くに居たシュッタイト兵の胸を一突きする。その血潮を浴びて、晧月の半分ほどの顔が、赤く染った。血を浴びた彼の瞳が、何故か銀ではなく赤く光って見える。シュッタイト兵が、再び怖気付いた時だった。

 「怯むなと、ムスタファが言ったであろう。晧月は手負いの狼。こちらが徐々に追い詰めれば、勝機は我らにあるのだ……奴の気迫に呑まれるでない」

 青い髪を、靡かせて……エイサフがシュッタイト兵の間から、現れた。彼は右手に長い剣を握っており、市を見て口角を上げる。

 ーー待っていよ。姫……。そなたを抱くは、この私なのだ……。

 晧月は、市を抱く力を強めた。その手は、薬により痺れていて、もはや感覚が無い。彼の顔は青ざめて、唇は徐々に色を無くしていく。シャープな頬を、冷や汗が滑り落ちた。

 「成程ね……。エイサフ……お前が仕組んだことか」

 「これはこれは、晧月よ。何とも間抜けな顔をしておる。真っ青ではないか」

 「白々しいことを……」

 エイサフの剣が、晧月目掛けて振り下ろされた。それを弾けば、シュッタイト兵が剣を持って次々に向かってくる。それは晧月の肩や腕を切り裂き、血の雨が市を濡らした。市はその光景に、身が裂かれそうな想いになる。鉄臭い匂いと、晧月の白檀の香りが混じり合い、市を包み込む。晧月は、市の体を片腕で大事そうに抱き、離そうとしなかった。

 「天使ティエンシー。俺が……守るからね」

 そのぬくもりに、市の瞳から、とめどなく涙が溢れる。どうして、自分をここまで守ろうとするのだろう。自分さえ居なければ、彼は逃げる事が出来たのではないか。市は頭の中で、自分を責めた。その間にも、晧月は市を庇って、血を流すのだ。

 「も……う、もういいですから……!私のことは……っ守らないで下さいませ……!」

 震える唇を動かして、市は悲痛な声を上げた。しかし、晧月は市の体を一層強く抱き締めた。右腕で剣を振り回し、シュッタイト兵を串刺しにする。晧月の頬に血飛沫が飛ぶ。彼は、全身を真っ赤に染めて、血に濡れた剣を振った。ビュッと血が飛んで、丘の芝生を赤く染める。

 「俺は、君を離さない……絶対にね」

 体の感覚が、ない。晧月は青白い顔で、息を吐き出した。自分が立っているのか、座っているのかわからない。彼の体は、気迫だけで動いていた。

 「晧月よ……そろそろ降参したらどうだ」

 ふと、気を抜いた晧月の背後から、エイサフの声が響いた。市が声にならない悲鳴を上げる。エイサフは、晧月の背中に、長い剣を振り下ろしたのだ。

 「いやぁぁぁあ!」

 今までと、比べ物にならない程の量の血が、市の体を汚した。力が抜けた晧月の腕から、市の体が投げ出される。その時を待っていたかのように、ラビアが市を支えた。

 「ささ、イチ様はこちらへ」

 彼女は柔らかい毛布で、市の体を包み込む。

 「い、いや……いやだ……らび、離して……!若君が……晧月様が……っ!」

 晧月はぼんやりとした頭で、連れて行かれる市を見つめていた。

 ーー俺……なんで。天使ティエンシー……!

 市に手を伸ばそうとするも、背中の痛みで体がよろめく。エイサフの高笑いが響き渡った。

 「この時を、どれほど待ち望んだことか……!死ねぃー!晧月!!」

 晧月の手から、カランと剣が滑り落ちた。彼の肩にエイサフの剣が滑るようにくい込み、血潮を吹かせる。薬により、手足を震わせて、晧月は目を見開いた。燃えるような痛みが、背中と肩を襲う。しかし、彼の瞳は、目の前にいるエイサフではなく、ラビアに連れられた市を見ていた。

 「……市……!」

 彼の唇が、市の名を呼んだ。市の瞳が真っ赤に染まる。彼女は叫んだ。喉が潰れそうなほど、彼の名を叫んだ。

 「晧月様ぁあ!!」

 晧月の体が傾く。それはまるでスローモーションのように、市の瞳には映っていた。彼は最後まで、月光のような銀の瞳に市の姿を映し、後ろに倒れるかのように崖から落ちていった。

 「ははは!下は川ぞ!あの出血量では、助かるまい!!晧月は死んだのだ!!」

 エイサフの歓喜に溢れた声が上がる。勝利の歓声が上がった。エイサフが笑う。ムスタファが吠える。シュッタイト兵が叫ぶ。市の最後に聞いた音は、喜びに満ちた彼らの声であった。ラビアの腕に体を預けて、市の意識が沈んでいく。

 ーー晧月様……。

 銀色の彼を想い、市は意識を手放した。
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