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第二章 始動
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しおりを挟む胸の奥に黒い感情を閉じ込めて、アンナは汚れたエプロンを洗濯カゴに放り込んだ。
黒い山羊のドレスが、ふわりと揺れる。その上に新しいエプロンを重ねて、乱れた髪を整える。平凡な茶色い髪だが、猫の毛のように柔らかな手触りが自慢だった。その自尊心もエカチェリーナの金糸に手を通せば、グシャリと潰れてしまったが。
柔らかくも、サラリと指を通る彼女の髪は、アンナのものとは比べ物にならないほど手触りが良かった。まるで使い古したホウキと、上質な絹糸のようで……。そこまで考えて、ぐっと頬の肉を噛む。
ああ、苛立たしい。
この私に、こんな醜い感情を抱かせるあの女が、憎らしい。
これからまた、どうやって虐めてやろう。あの女のせいで、アンナはイヴァンに叱られたのだから、その鬱憤を早々に晴らさねば気が済まない。
まず、いつも通り、紅茶に虫を入れてやろう。嫌がらせなのだから、紅茶はぬるくて、茶葉を薄く煮出してやる。食べ物には、唾でも吐き付けてやろうか。いや、それだけでは生ぬるい。スープには家畜の小便でも入れてやるか。あの気弱な女ならば、少し味がおかしくても、我慢して飲み干すに違いない。それを見ながら、腹の中で豚の小便を飲む女!と罵ってやるのだ。ああ、楽しい。
ギュッと握ったエプロンに、くしゃりとシワが寄る。歯の間に挟んだ頬肉を離して、彼女は優秀な侍女の仮面を被った。遠くから、エヴァが歩いて来る姿が見えたからだ。
アンナに気付いたエヴァは、その顔に微笑を浮かべた。煌びやかな赤いドレス。首元を飾る狼の毛皮。頭には、金細工の小さな花がいくつか刺してある。ピンと背筋を伸ばして立つ様は、まるで一輪の薔薇のようだ。
「精が出るわね。もう仕事は終わったの?」
コロコロと鈴を転がすような声。だが、その瞳は笑ってはいない事をアンナは知っている。エヴァに深く腰を折って、アンナは静かに唇を開いた。
「はい、エヴァ様。終わりました」
「……そう」
カツンとヒールの音が鳴る。エヴァは、アンナの顔を覗き込んで、赤い唇をつり上げた。
「エカチェリーナ様が、お目覚めになられたそうね。お前はもう、お会いになったの?」
「いえ……これからお伺いしようと思っていた所でございます」
「そう……」
エヴァは自身の赤い髪を弄りながら、アンナを見つめた。丸い赤茶色の瞳は、傍から見れば愛らしい筈なのに、まるでアンナを狙う肉食獣のようにじっとりとしている。アンナの頬を、冷や汗が垂れた。
「お前がエカチェリーナ様を嫌っていることは、見ていればわかるわ。わたくしだって、好きじゃあないもの」
「……」
確かに、アンナはエカチェリーナが嫌いだ。皇太子妃になる事が出来ず、側室になってしまったエヴァもそうなのだろう。エカチェリーナに対する感情が共通している二人は、特に相談しなくとも、息ピッタリにエカチェリーナを貶めてきた。だが、エヴァがそれを指摘する事はなかったというのに……。
「不思議そうな顔ね……いえ、わたくしを恐れているのね。何もアンナを取って食おうだなんて考えていないのよ」
愛らしいエヴァの顔が、意地悪な爬虫類のように歪む。いつもにこにこと笑っているエヴァの、初めて見る表情に、アンナは息を呑んだ。
エヴァの細い指が、アンナの肩にそっと触れる。淡い赤色に染めた爪が、肩にくい込む感触を感じながら、アンナはエヴァの瞳から目が離せなかった。
「ねぇ、アンナ。わたくし達、仲良くしましょうね。共通の敵がいるのですもの……」
真っ赤に塗られたルージュが、弧を描く。人の心を冷え冷えとさせる笑みなのに、どこか妖艶で、見るものを魅了させる彼女の表情に、アンナは小さく息を吐き出した。
「エヴァ様……私は」
アンナの唇に、エヴァの人差し指が触れる。「しー……静かに。ね……?」と小首を傾げる彼女は、いつも通り愛らしい顔で笑っていた。
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