奇文修復師の弟子

赤星 治

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三章 揺れ動く感情と消える記憶

14 海上を走行する夜汽車(モルド編)・スノー

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 モルドは汽車の屋根に上り、大の字に寝転がって夜空を眺めていた。
 ふと何気に気付いたのは、初めは星空だったのが月夜に変わり、また星空に戻ったことだが、気のせいだとして茫然と眺め続けた。

「こら!」
 突然スノーに声をかけられた。
 上を向くように頭を動かすと、両手を腰に当てて立っている笑顔のスノーがいた。
「あ、ようやく一人目」
「なになに? モルド君、サボってるの?」
 モルドは寝ころんだまま起き上がろうとしなかった。
「違いますよ。車両を見ても何もないし、上に昇ってどれだけ別の車両へ向かってもやっぱり同じ車両の連続だから、諦めて休憩中です」
「それで屋根に上がって大の字で寝そべるって、どういう発想よ」
「え~? でも気持ちいいですよ。現実だとこれすると怒られるだろうし、汽車の煙が邪魔して空が見えないだろうし。何より空が綺麗で風も心地いいですよ」

 スノーはモルドと同じ状態になって空を見上げた。
 二人は頭が向かい合う形に、同じ大の字で寝そべっている。

「あ、本当だ。結構気持ちいい。開放的」
「でしょ」
 今の光景と雰囲気は、心安らぐ月夜をイメージしたピアノ演奏が似合う。
 モルドもスノーもそう思うと、どこからかピアノ演奏が流れた。
「え?」
 モルドは上体を起こして周りを見た。
「あ、いいのいいの。これでムードは抜群でしょ?」
「抜群って……」
 それ以上訊くのを諦めた。

 心地よさそうな表情のスノーを見て、モルドは何となくだが理解して、また寝ころんだ。
 暫く、二人はピアノの演奏を聴き入り、星空を眺めた。
 どれだけの時間が流れたかは分からない。ただ、それ程長くもないだろうし短くもない。
 時間間隔すら曖昧な、穏やかな時が過ぎた。
 スノーは左の海面を眺めた。とくに理由はない。ただ、海を見たかっただけだ。

「ねえモルド君? どうして何も訊かないの?」
 モルドはただただ星空を眺めたまま答えた。
「何か訊いた方が良かったですか?」
 スノーは何か言おうとして、言うのを止め、それから言った。
「さあね。なんとなく」
「……じゃあ、一ついいですか?」
「ん? 何々?」
「この世界、スノーさんが来てようやく解決する世界ですよね」

 寝ながらのモルドが核心を突くことを言い、スノーは驚きつつ上体を起こした。

「え、すごっ。どうして分かったの?!」
「あ、隠さないんだ」
 嵌められたと思ったスノーは、戸惑いながら少し離れた。
「そ、それは……」
「いや、だって状況考えたらそうじゃないですか? 空間浸食で僕に憑いて来て、他の作品世界にシャイナさんに似た女性の姿で現れて、一緒に行動して、そしてオカリナに憑いて会話して。ここまで異常な存在でよくしゃべる人が、シュベルトさんが来て、元の空間浸食が関係しだすと口数減るし。誰だってスノーさんが関係してるって気づきますよ。どうせさっきのピアノ演奏もスノーさんが望んだから流れたぁ。とかでしょ? 師匠も気づいてる筈ですよ。僕が分かったんだから」
 デビッドの弟子だけあって洞察力と推察力が鍛えられている。
「さすがね。デビッドとほとんど同じ推理よ」
「師匠に会ったんですか?」
「ええ。隠しても仕方ないから言うけど、二人はもう元の世界へ帰ったわ」
「え、じゃあ僕が解決しないと五日待たないとならないんですか!?」起き上がって訊いた。
「いいえ。君が戻ったら無事解決よ。私がここに来れば、私の中の奇文が散って万事解決。本当は、とっくにシュベルトが解決した案件なのよ」

 モルドは混乱した。
 スノーは奇文の塊なのだから、作品世界に来たら場が悪化するのが普通だと思っていたからだ。
 その旨を伝えると、スノーは笑った。

「あははは。すごい、デビッドと同じ考えに行きついてる。それは違うの、私自身は別枠の存在。その辺の詳しい説明はさらに混乱するぐらい難しい話だから省くけど、そんな特別な存在だったから。空間浸食内で奇文と干渉出来て、君に憑いてここまで来れたって訳。欠けた奇文はこれで戻ったから、ようやく解消しきれなかった部分が解消され、後は上手く誰かの墨壺に入って一件落着よ」

 モルドはよく分かっていないが、なにもしなくて解決できるのだと思い、どうにも言い表せない気持ちである。
 嬉しいが実感のない解決。
 ただ察することはできた。これでスノーとは別れるのだと。

「スノーさん、僕と空間浸食の中で会った時の事覚えてますか?」
 雪の中から奇文塗れの墓地へ行った時の事だ。
「ええ。今じゃこうやって気軽に話せてるけど、あの時は初対面だから大人な女性がばっちり出ちゃったわね」

 そんなスノーの性格変化など、どうでもよかった。

「覚えてますか? スノーさんが僕に言った事、”ただ全うである者の行き着く果てが奇文塗れで死ぬ。職人同様の生き方を貫くと――”ってやつです」
 スノーは海を眺めた。いつしかピアノ演奏は途絶えていた。
「ええ。覚えてるし、いくら気心知れたからって言っても、モルド君はこのままだとあの墓の一つに含まれるって思いは変わらないよ」
 いつものお気楽な表情が一変して、とても真剣な表情。
「あの後、その事を踏まえて僕に何か言おうとしてましたよね。あれって何ですか?」

 少し返事に間が空いた。

「……常識に囚われては駄目。奇文修復なんてのは、現実世界である仕事とは一線を画して異質よ。想像の範疇はんちゅうを容易に超える程にね。それはモルド君も理解出来てるよね」
 当たり前のように作品世界に入っているが、あまりにも特殊な現象を起こして仕事している事は度々思っている。
「奇文修復師にはそれなりの基礎があるわ。でも、それも予想外の展開には何の意味も成さない。いつ、如何なる状況においても考え続けないと、正攻法では太刀打ち出来ない事だってある。そういった難問の解決は命懸けだってあるし、基礎とは全く違う方法でなければならない時もある。現実世界に影響だって及ぼしもするわ」
「……じゃあ、どうしろと」
「君なりの考え方を養う事。修復作業の解決が『墨壺に奇文を入れる』結末だけのような、数式の提示された式と答えだけを見るのじゃなく、その解決に至るまでの方法、あらゆる手順、解決すべき奇文についてなど、中身を重要視するのが大事なの。答えは一つでも、導くまでの方式は幾つもあるわ。君がいつか、奇文修復とは別の道を歩んだとしても、あらゆる場面で人間は変化を起こさなければ道が見えない場面が幾つもあるの。どんな時も柔軟な発想を展開できるように、無駄かもしれない筋道や方法や法則なんかを色々考えるの。何個も考えた無駄な事は、いつか君に解決の道を導く糧になるから」

 スノーの諭しが終わるとモルドの視界に白い霧が現れだした。

「え? 霧?」
 スノーはモルドの方を向いた。
「お別れね。君達といて、とても楽しかったわ」
「え、ちょっと待ってください、まだ話が」
「どうせ忘れるだろうけど念押し。無駄な事をないがしろにしないで、間違いを恐れないでね」
「そんな、いえ、違います! ……あ、えーっと」
 何か必死に話を見つければ元に戻るのだと思い、モルドは考え、思いついた。
「あ、そうだ。どうしてシャイナさんと同じ見た目なんですか!」

 他愛ない疑問だ。
 気にはなっていたがどうでもいいとも思っている。でも、スノーと別れないであろうネタとして浮かんでいた。

「そりゃ……私、あの子のお母さんだもん」
 あまりの衝撃発言に、モルドは大声で叫んで驚いた。
「ええええぇぇぇぇ――!!!!!!」
 続けて、スノーは体が薄くなるモルドの傍まで寄り、耳元でさらに囁いた。
 立て続けの爆弾発言に、モルドはさらに驚き、先程より大声で叫び、姿を消した。
「……じゃあね、モルド君」

 作品世界、星光と月光が注がれる海上を走行する夜汽車と共に、スノーは光に包まれて姿を消した。

 ◇◇◇◇◇

 空間浸食の奇文が密集した小説の修復は無事に終了した。しかし、修復に携わった三人は誰一人として作品世界での出来事を覚えていなかった。
 さらにシュベルトを含め、誰もがスノーの存在を忘れていた。ただ、シュベルト以外の三人は何か大切なものを忘れている感覚が数日続いた。
 シュベルトが帰宅して以降も、三人の何かに対する違和感は払拭されることはなく、共通してシャイナのオカリナが気になり続けていた。

 修復作業をしていても、誰かを忘れているような感覚に囚われ、時折誰かが『スノー』か、『スノーさん』と声を漏らすが、なぜその名前が言葉として漏れるのか分からず現実世界に戻ると忘れてしまう。

 違和感と不思議な現象が続いたが、夏の終わり頃には元に戻っていた。

 なんとも言えない経験を終えたモルドは、秋にデビッドと北国へ出張に向かった。
 北国では季節の進みが早いのか、丁度初雪の時期であり、駅を下りた時に細雪がハラハラと降っていた。

「これだと積りはしないな」
 デビッドは雪を見て帰りの心配をしていた。

 不意にモルドの脳裏に、シャイナに似た女性の姿が浮かんだ。

 雪を茫然と眺めているモルドに、デビッドは「いくぞ」と声を掛けた。
 モルドの脳裏に浮かんだ女性の姿が消え去り、我に返った。
「あ、待ってください。師匠」

 二人は目的の場所へ向かった。
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