奇文修復師の弟子

赤星 治

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五章 混迷する弟子達

1 デビッド=ホークスの弟子

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 モルドが目を覚ますと、見たことのない天井が見えた。

「……ぐっ、う……ぐぐぅぅ……」
 呻きながら起き上がる程に全身に筋肉痛の様な、凝りつけた様な、ぎこちない動きである。
 起き上がるとまず先に背筋を伸ばし、上体を左右に少し回し、腕も胸を張るように後ろへ動かし、頭を回した。所々、バキバキ、ポキポキと音が鳴った。
 身体がある程度元の感覚に戻ると、本格的に周囲を見回した。

(……どこだ、ここ)

 どういう状況か理解出来ないモルドは、思い出せることを思い出した。
 まず、役所へ来たがダイクは用事で会えず男性職員から墨壺を受け取った。
 外へ出ると夕方の筈が夜になり、急いで帰宅。
 そして黒いシャイナと出会い、指差す方向へ行く。

 そこからは深く思い出す必要は無かった。あの夜の出来事が瞬時に思い出されたからである。

 モルドは急いで部屋を出た。
 出た瞬間、その場所が何処かが判明した。
 いや、正確には民家であることが判明しただけで、誰の家かは不明である。

「あ、起きましたか」
 見知らぬ女性が居間で椅子に腰かけ、朝食中であった。
 他人の家であり、混乱するモルドへ女性は、使っていない部屋にモルドを寝かせていたと説明した。
 あの夜からいったい何が起きたか分からないままである。
「あ、のぅ……。これは、一体?」
「ああ混乱させてごめんなさい」
 立ちあがった女性の上半身は長袖の下着だが、下は制服姿である。
 モルドの元まで歩み寄った女性は手を差し出した。
「マージ=コーネル、管理官よ」
 モルドは彼女の手を握り、自己紹介をした。
「昨晩、貴方が役所の前で寝ていて、連れて行くには私の家が丁度良かったのよ。他の人達は寝床がないとか、家族がうるさいとかってね」
「あの、僕はあの夜、家の近くの林で倒れたんです。どうして……」

 役所前に? と訊こうとすると、マージは微笑んだ。

「良かった、昨晩の事はちゃんと覚えているみたいね」
 マージは台所まで向かった。
「朝食準備するから、先にお風呂入ってきなさい」
 流石に見ず知らずの女性宅で風呂まで借りるのは恥ずかしく、断りの意を伝えた。
「これから管理官長に会うのにその恰好じゃまずいでしょ。服は脱衣所に準備してるから」

 ダイクの事も知っている。つまり本物の管理官だと思えた。しかし、男性物の服をなぜ準備できるかが不思議である。
 モルドはまだ落ち着かない気持ちのまま湯浴みを済ませ、着替えて居間へ戻った。

「あら早い。ゆっくり湯に浸かってればよかったのに」
 そこまでは恥ずかしい。何より、早く風呂を出て着替えたい羞恥心があった。
「あの……この服は?」
 マージは朝食をテーブルに並べた。
 量が多くないのは、モルドにとっては少し有難かった。
「給料日前だから食べ物少ないの、これぐらいしかないけどごめんね。服は管理官長のものよ。昨日、君を見つけて家で預かったは良いけど、着替えが無いからって自分のを持って来てくれたの。感謝しなさいよ」

 モルドは朝食を食べながら、ダイクの意外に気遣いの出来る一面に驚いた。
 マージは入れ直した珈琲を持って来て向かいの席に腰掛けた。

「ところでモルド君、今日これからの事伝えとくわね」
「何かあったんですか?」
「君は今、この街がどういう事態に陥ってるか分かってる?」
 モルドは頭を左右に振って知らない意志を示した。
「これから管理官長と重要な話をするから、街の状況だけでも理解しててね。これは二十日程前からなんだけどね、街で失踪事件と、至る所で奇文が点在して現れる事件が起きたの」
「あ、それ、役所の方に聞きました。それで、僕もシャイナさんも奇文が見えるのにそんな現場には遭遇しなかったとも」

 マージはその返答に、眉間に僅かな皺を寄せる反応を示した。
 モルドが、なにか? と訊くも、なんでもない。と返って話が続いた。

「この事件は未だ解決に至ってないけど、ハーネックが原因とされてるの。君、管理官長に話したでしょ? ハーネックと浜で話したこと」
 モルドは頷いた。
「その時に聞いたと思うけど、聖女の儀が重要視されてる。この異変は確かにそれだとね。けど、昨日起きた異変はまさに未知の出来事。いったい何が理由か分からない状態よ」
「待って下さい。昨日、何があったんですか?」急に時間が進んだことを思い出した。「あ! あれですか、夕方だったのに急に夜になったこと」

 マージは頭を左右に振った。

「そこから外を見たら分かるわ。奇文関係者は無事だけど、それ以外は――」
 先の話は聞こえていない。
 モルドは昨晩のシャイナの出来事、イニシェットの街へ行ったはずのリックが現れた事、それ以外何が起きたのか、知りたい衝動が先行した。
 カーテンを横へ流し、ベランダへ出ると、眼前の光景に言葉を失い目を見開いた。

 街の全てが奇文塗れになっている。

『多くの者を奇文塗れにするからね』
 ハーネックの手紙の、脅しの一文が思い出された。

 ◇◇◇◇◇

 モルドはマージと共に役所の応接室へ到着した。
 マージがノックをして入室許可を求めると、中からダイクの声で返事があった。

「失礼します。管理官長、モルド=ルーカスを連れてまいりました」
 朝食時と違い、表情も敬礼の姿勢も締まりがある。これが地位ある者の、立場に則った態度であり対応なのだとモルドは学んだ。
 部屋にはダイクともう一人、マージと同じ管理官の制服姿の男性がいた。

「ご苦労だコーネル」
 ダイクはファミリーネームで対応するのだと分かった。
「早速だが、事態は猶予を与えてくれん状況となった」モルドの方を向いた。「モルド=ルーカス」
 自分はフルネームなのかと思いつつも、威圧が伝わり畏まった。
「訊きたいことが山ほどある。正直に答えてもらおう」
「あ、はい」声は小さい。
「まず昨日、俺との約束だが、夕方に来なかった理由を教えてもらおうか」

 これについてははっきりとした言い分があり、声を大にして反論した。

「ちょっと待って下さい! 僕はちゃんと来ましたよ!」
 ダイクは右手の平をモルドに向け、黙れの意を示した。
「勘違いするな。これはお前を責める質問ではない。それにお前は嘘を吐いて約束を破る人間ではなく、嘘も分かりやすいと聞いている」

 一体、師匠は何を言っているんだ? と思い、昨日の経緯を語った。

 昼過ぎに来たのに、役所を出ると辺りが暗くなっていた事。
 男性職員の事。
 ダイクがこれを渡すようにと言って差し出した紫色の墨壺の事。

 事情を聞いたダイクと管理官二人は悩んでいた。

「……どうしたのですか?」
 答えたのは管理官の男性である。
「君が来訪した時間、此方は別室で今まで街で起きた事件の資料に目を通していたのだよ」

 男性の名前が分からず、えーっと、とモルドが呟くと、マージが答えた。
 男性の名は、ヘンリー=ロックウェルという。

「え、じゃあ、あの男性職員が嘘を吐いていたって事?」
 ダイクがその点の意見を述べた。
「単純に考えて、奴はハーネックだろうな」

 モルドは驚きを露わにしたが、冷静に考えると、紫の墨壺をダイクが渡していないというなら、ハーネック以外考えれなかった。

「俺達はお前の事を知っているが、他の職員がお前の事を深く知っているとは考えにくい。お前がここの職員と仲は良いなら話は別だが」
 視線を向けられ、モルドは頭を左右に振って知らない意志を示した。
「職員もこの緊急事態に、何処の奴ともしれない若者に事件の事を話すとは考えられない」
「ですが管理官長」マージが訊いた。「その男性がハーネックだとして、目当ては何なのでしょうか? 聖女の儀となる者はあの部屋におり、モルド君がハーネックと思われる者と会っていた時間帯は我々が見張ってました。それに、モルド君へ渡したとされる墨壺で侵入する原因をこしらえたとしても、事件の概要と嘘の情報から彼が外へ行くのは明白です。聡明な奴が何の手立ても打ってこないのはおかしいかと……」

 その点は二人共推測出来た。それ故にハーネックの行動がまるで理解出来なかった。

「あの……、聖女の儀ってのを、皆さん分かったように話してますが、どういう事ですか?」
 ヘンリーが答えた。
「聖女の儀とは、かつてハーネックが行おうとした奇文を用いた儀式の事だ。ある手順に従い、奇文を用いて作品を壊したり、人柱と称して人を殺したりを続ける。最後にある人物を聖女枠に設け願いを叶える儀式の事だ。かつて君もその現場に携わったのがそれだ」

 ハーネック。
 奇文を用いて作品を壊す。
 その二つの言葉だけで、彼と出会い美術館の巨大絵画を切り裂いたことを思い出した。

「でも、最後の聖女枠とされる人物はどのようにして見つけたのですか?」
「見つけたというより」今度はマージが答えた。「前回、奴は聖女たるものを生贄にしきれなかったといっていい」

 事情を求めると、この聖女の儀は過去二回やり損ねているという。一回目は約十年前、二回目は約四年前である。そして、その二回ともデビッドが阻止し、二回とも生贄となる女性が絡んでいるとされる。

「しかし奴は現れなかった。お前がシャイナさんの記憶が戻ったと言った時、それは奴が来る合図だと思っていたからな」
「どうしてシャイナさんの記憶が合図と?」
「過去二回、あの人は近場で干渉していた。そのせいで記憶を失ったとされている。詳細は不明なままだが、奴の奇文とシャイナさんの記憶喪失は関連があると思われる」
 モルドは眉間に皺を寄せ、納得しきれないでいた。それもそうだ、昨晩の出来事が、納得などさせなかった。
「ちょっと待って下さい……いや、……それは考えれない」
「モルド君、どうしたの?」
 マージが混乱するモルドの肩に手を乗せた。
「だって昨晩、シャイナさんがハーネックにさらわれたんですよ!!」

 三人は驚きを露わにしたが、一際ひときわ動揺の感情を剥き出したのは、詳細を求めたダイクであった。

「どういう事だ!」
「分かりませんよ! 役所出たら夜で、絶対何か嫌なことがあると思って帰ったら家に誰もいなくて。不気味な真っ黒いシャイナさんみたいな奴がシャイナさんの居場所教えてくれて。行ったら奇文が身体中についたシャイナさんがいて……」
 その後の事を語ろうとすると、言葉が詰まった。
「それで! 何があった!」
 モルドは一呼吸吐いて落ち着いた。
「……近寄ったら、僕は奇文の檻みたいなのに閉じ込められて、そしたら先生が来て、シャイナさんが記憶を取り戻したら師匠をお父さんだと分かって……」

『――お父さん、恐い』
 シャイナが涙ながらに訴えた姿が思い出された。

 言葉が止むと、その後に攫われたとダイクは推測した。
「くそっ!! どうしてシャイナさんが襲われた!」
 ダイクは怒りが治まらないまま考えた。
「管理官長」ヘンリーが推測を立てた。「もしや、初めから聖女の儀の生贄がシャイナ=ホークスであったのではないでしょうか」
「何?」
「過去二回、そして今回、我々が隔離している者に一番関係性があると踏んでいました。しかし全体像を改めて確認し、今回の出来事を鑑みた場合、ホークス一家が一番奴に目を付けられていると思います。なら、時期か年齢か、今回はシャイナ=ホークスが生贄と見初められ、デビッド=ホークス氏は何らかの事情を掴み、彼女を助けに向かった。彼の話でホークス氏が助けに現れましたが、此方には姿を見せなかったのが良い証拠かと」

 ヘンリーの推理に得心したダイクには、次の疑問が浮かんだ。なぜデビッドはシャイナを助けることが出来なかったのか。それを考えると、猛りが増し、モルドへ矛先が向けられた。

「答えろ! なぜ先生はあの人を助けられなかった!」
 気になる言葉が頭に突っかかった。
「シャイナさんが囚われて、その後何が起きた!!」
 攻寄るダイクの質問より、気になる言葉を優先した。
「……先生って?」
「俺はデビッド=ホークスの元弟子だ!」

 そんな爆弾発言をぶちかまされ、頭が混乱状態の中、ダイクはさらに事情を訊いて来た。
 モルドは急遽、ダイクがデビッドの元弟子である衝撃展開を他所に、無理矢理頭を切り替え、シャイナが囚われた後の事を説明した。
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