怪廊の剣士

赤星 治

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四章 因縁の戦

4 前夜の鍛錬場

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 決戦当日まで各々は出来る事に励んだ。
 ラオとシャレイはヤンザ、ルシュ、ガロと交互に鍛錬に励み、二日ほどワドウも混ざる。そしてワドウも人知れず自主鍛錬に励んでいた。
 ガロとルシュは鍛錬の合間に作戦で使用する道具の準備、怪廊を開く動物生け贄の仕入れに尽力する。問題は家畜の仕入れが困難であり、山や平原で虫や小動物を生け捕りすることとなった。
 彼らだけではない、クオ家お抱えの術師達や兵士たちも妖鬼討伐のために準備と鍛錬と出現を想定しての演習に励んだ。
 目まぐるしくも平穏な日常を過ごし、やがて討伐戦前日を迎えた。

 決戦前夜。
 鍛錬場を寝床として借りているルシュの元へシャレイが訪れた。
「何してるんだい。明日は大事な」
「ルシュと寝る」
 シャレイの子供のような我が儘。今日ばかりは何を言っても聞かないだろう、明日を無事生き延びればルシュとは別れるのだから。
 寝床まで駆け寄り座った。
「やれやれ。怪廊が出ても行くんじゃないよ」
「うん。知ってる」
 嬉しそうに隣で横になるシャレイの顔をルシュは撫でた。
 この子を護りたい気持ちが強まる。
「ねえルシュ、これが終わったらまた旅に出るんだよね。ここに残らないの?」
 離れたくない気持ちが伝わる。今まで何度か経験した、離れてほしくない気持ち。心苦しくなる気持ちは何度経験しても慣れない。
「仕方ないさ。怪廊と宜惹の恐ろしさは知ってるだろ?」
 これ以上我が儘を言っても意味が無い。理解しているシャレイは寂しい雰囲気を無理やり払拭させた。
「ねえ、旅の話をして」
「ええ!?」
「だって外の国とか国境の向こうとか分からないもん」
 苦笑いをルシュは浮かべた。
「ははは。面白い話なんてないよ。それに私が行けるのは九赦梨と玖陸とバルガナの三つだけだからね」
 当然のように理由を聞かれる。これも今まで救った者達と同じように。
 怪廊がある地域がその三地域だからだ。
「九赦梨とバルガナって、玖陸とどう違うの?」
「人々の生活は殆ど同じさ。農民、商人、武人、役人。多くの役職を取り締まる将軍や帝のような存在。違うのは服装や食べ物や風習とか。あと名前の感じがまるで違うね」
「どんな風に? あ、ルシュはバルガナだもんね。玖陸にもありそうだけど」
「バルガナでは玖陸で言う族名が無いんだよ。どこどこ山の誰か、河のどこに住む誰か、って具合でね。住んでる場所に名前を呼ぶとかどの親の子とかって。名前だけで分かるようになればずっと名前呼びさ。九赦梨では”苗字”っていうね」
「苗字って、族名?」
「ああ。玖陸だと名前の後に族名だろ。けど向こうは先に苗字なんだよ。けど苗字を持てる者も民としての位がある人だけでね。名前呼びだけの人も多いんだ。その時の呼び名もバルガナと同じ感じさ」
 シャレイは驚いた。大国同士を隔てる山や海を超えた先でこうも文明が違う事に。
「服装とか食べ物とかの違いは?」
 興奮が治まらない。勉学で学ぶよりルシュの口から聞く方がしっかり身に染みるのを感じた。
「玖陸と九赦梨は似ているかな。位が上の者達はだいたい羽織り物のような衣服で、色合いや刺繍が違うくらい。武人や役人といった武器を扱う者達や中級の位の者達は、九赦梨では着物を羽織り、玖陸では裾から被るものが多いね。農民と一部の商人も羽織り物が多いね。バルガナは殆どが裾から被る衣服で生地が違う。一年通して寒い日が多いから、毛皮を遇ったものが多いよ」
 話される内容は大した事ではないけど、今のシャレイにはどれもが染みこんでいく。この幸せな一時が、ずっと続けばいいのにと願いつつ。
 話の最中、霧が発生する。
「あ、怪廊だ」
 もう驚かない。
 布団に潜り霧に満ちた竹林を眺めるほど余裕がある。
「怖くないかい?」
「うん」
 ルシュの傍にいる。布団の温もりが伝わる。怪廊への恐怖が消え、心に余裕があると微かに響く虫の音に気づけた。
「……虫、いたんだね」
「秋と春の夜の怪廊に現われる虫だよ。現世の虫とはひと味違う心地よい鳴き声を響かせるんだ」
 名前を聞かれてもルシュは知らないと伝えた。トビやアザキに聞いても知らず、本当に分からないままだ。
 シャレイは虫の音に耳を澄ませた。
 秋の夜に鳴き声を響かせる虫より音は小さめ、しかし心地よく、次第に瞼が閉じる。
 虫の音が気持ちを落ち着け、ゆっくりと眠りへと沈めていく。
 怪廊が過ぎ去るとシャレイは寝入っていた。
 静かになった鍛錬場。隣で安らいだ少女の寝息。
 穏やかな心地でルシュは瞼を閉じた。

 ◇

 ドルギダ討伐の朝を迎えた。
 妖鬼対策となる兵の配置、負傷者の対応、緊急時の陣形変更の打ち合わせなど、緊迫した空気であった。一部の配下達は怪廊を開く最終準備にとりかかり、万全の状態は整っている。
 夕方、前庭へ訪れたルシュは術の準備をするアザキの傍にいた。
 取りに行く武器は形が無く祀られた力である。それをアザキの術がかかる宝剣に宿すのがルシュの役目と教えられ、宿すための宝剣を渡された。
「ルシュ」
 呼ばれて振り返ると、戦の準備が整ったワドウとヤンザ、後ろにトキがいた。
 挨拶を済ませるとトキが首飾りを手渡した。
「これは?」
「本日を無事に終えるための御守りです。貴女の身を最後まで護ってくださる加護が籠められてます」
「恐れ入ります」言いつつ首飾りを付けた。
 ワドウが傍まで寄った。
「ルシュよ、一族の呪いに巻き込み最後まで迷惑をかけて申し訳ない」
「お気になさらず。ご息女を失いたくないのは私も同じです。必ず戻りますので生き延びていてください」
「ああ。奴には一族の娘達を喰らった報いを受けさせる。けしてこれ以上の死者はださん」
 ワドウの殺意の籠る怒気は抑えられない。この強健を絵に描いた風貌に体躯。相手にするだけで恐ろしいとルシュは感じる。しかしとても頼もしく、武器を取りに行かなくても討伐しそうな雰囲気があった。
「ルシュ、いいかい」
 準備が出来たとアザキは描いた円陣へとルシュを立たせた。
「では、行って参ります」
 ルシュの挨拶を合図にアザキは術を唱えだした。
 小声でどのような文章を唱えているか分からないが、言葉に呼応して前庭に霧が立ちこめる。やがてどこかの森の前に風景が変わるとルシュの身体が濃い霧に包まれ、やがて霧が消えると同時にルシュも姿を消した。
 風景が次第に戻ると、なぜか霧だけは薄らと残る。
「アザキ様、これは?」
 心配するトキが訊いた。
「これより一刻ほどで奴が現われる。妖鬼共はもう少し早いだろうけどね。ドルギダは現われたらシャレイを喰わない限り怪廊へは戻らないだろう。前庭も怪廊のような風景へと変わるだろうけど、秘術の結界でこの中に閉じ込められる。こちらに援軍は入れんが奴は逃げられないよ」
 ワドウの握り拳に力が籠る。
「重畳だ。必ずここで仕留める。親父、手を貸して貰うぞ」
「当然だ。どれ程この時を待ち望んだか。奪ったものの重みをとくとその身に深く刻みつけてやる」
 二人の士気は高まっていく。
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