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怪物街道 鬼の話
逃走
しおりを挟む鬼はこちらの様子を見ている。
僕は、鬼の動きに注意を払う。払いながら、地面に指で触れた。そのまま、土を少し掴む。
正面から鬼とやり合う事など出来はしない。とにかく、ここから逃げる事を第一に考えなければならない。
周りにある、あらゆる物を使う事を考える。今回は激しい動きになる事も想定し、僕も袴を履いている。ただ、荷物を最小限にしたかったので特に何かを持って来ているわけではない。
鬼を視界に入れたまま、往来を見渡す。椅子や机、箒、水入りの桶、店先にある暖簾等、使えそうな物は幾らでもある。
そこでふと気付いた。今は夜、妖怪達にとっては、僕達人間で言うお昼時だ。であるのに、妖怪達がいない。いや、少し前まではいたんだ。話をして、僕が熱くなってしまっている内にいなくなっていったんだ。
「邪魔は入らないようにな、妖怪払いをしてやったんだよ。鬼には子分がいるのが相場だろ?」
ニヤリと笑って得意げに言う。してやったりって顔しちゃって、なんて意気地の悪いやつだ。
「子分にも手は出させねぇよ!そら行くぞ!」
鬼はこちらに向かって跳んだ。たった一回の跳躍だったが、それなりの距離を完璧に詰めてくる。もう目の前にある鬼の大きな体躯に、僕は戦慄する。
すぐさま手に取っていた土を空中に放りながら後ろに跳んだ。鬼は左手で顔を守りながら、しかし予測していたかのように僕に距離を取らせない。
「右手で殴るぞ!」
鬼は大きく右手を振りかぶり、僕に向かってくる。
殴られれば間違いなく無事では済まない。僕は右に、鬼の左側に向かって跳んだ。
かっこいい跳び方なんて考えている余裕もない。体を投げ出すような無茶苦茶な跳び方をした。勢い余ってどこかの店の椅子に突っ込む。体のあちこちが痛い。
鬼はこちらを向いて追撃をしようと追いかけてくるだろう。僕は倒れたまま目の前にある小さな腰掛けを鬼がいるであろう方向に蹴った。
鬼の「おっと」なんて暢気な声が聞こえる。こちらを舐めているから、全力で追って来ている様子ではない。
それでも、こちらにとっては命懸けの鬼ごっこだ。
僕は、近くにあった暖簾付きの棒を無理矢理外した。
鬼の方を向くと、またも目の前に来ていた。殴りかかる寸前だ。
鬼の足下に転けるようにして倒れる。鬼の拳を何とかして避けた後、僕は暖簾を鬼の顔目掛けて投げた。そのまま暖簾を付けていた棒を鬼の袴の裾に引っ掛け、たたらを踏む足を横に向けて全力で引っ張る。
足払いの要領で鬼の体勢が崩れた。しかし、倒れるとまではいかない。
倒れないなら倒れないで仕方ない。僕は留まらずに走り出す。
建物と建物の隙間に向けて全力で走り、細い路地に入る前に箒を持った。
人が何とかすれ違えるかというくらいの隙間しかない路地だ。
ついでにもう一度土も握った。
鬼は僕の姿を探し、即座に追いかけようとしてくる。路地裏に入り込んで撒いてしまいたいが、それだけの時間を稼ぐのが難しい。
やばくなったら逃げるだけ、と考えていたが、楽ではない。
相対した状態からの追いかけっこ、相手は自分より足が速い。集団でもなく、目移りする事もなく一対一。この状況では逃げる事だけですら非常に難しい。
細い路地に入り込み、鬼も路地に入って来たところで握っていた土を投げた。
今度は土を掴むところを見られていなかったから、鬼の不意を少し突けた。
鬼は舌打ちをしながら目を瞑る。
僕はそのまま持っていた箒を建物の窓に差し込んだ。店か家か知らないが、申し訳ない。だが気にしている余裕もない。
窓から柄と穂先が飛び出し、路地をつっかえ棒のようにして行き止まりにする。
退けるか屈むか跳ぶかでもして少しでも足止めしてくれよ。
僕は、殆ど留まること無く走り続ける。後ろから何かが折れる音がした。
首だけ振り返ると、鬼が箒を両手で持って折っていた。
馬鹿め、一番時間がかかる方法じゃないか。
と思っていたら、鬼が折れた箒をこちらに向かって投げつけて来た。馬鹿は僕だった。刺されば痛いでは済まない。
飛び込むようにして身を投げた。頭の上を何かが通り過ぎた。鬼の投げた箒の一部だろう。そのまま前転して、勢いそのまま走り出す。
別の往来に出る事が出来た。妖怪はまばらで少ないが、いない事はない。一番は人垣が出来る程だったが、仕方ない。
僕は井戸端会議でもしている妖怪の横をすり抜け、新たな路地に滑り込む。
この時に桶と店前にあった陶器と風呂敷を拝借した。返す当てはない。
後ろから妖怪達のキャアキャア言う声が聞こえる。鬼が通ろうとして邪魔だったから一悶着あったのだろう。
これ以上、迷惑をかけさせない為に出て来たのに、余計に騒動が大きくなっている。全く、人生とはままならないものである。
今度の路地は先程より幅が広い。鬼が路地に入ってくるのが見えた時にまず風呂敷を広げながら投げつけた。少しの目眩しになる。続けて陶器を頭上にゆっくり投げた。そして桶を鬼の足下に向けて蹴り飛ばした。
鬼は風呂敷を煩わしそうに頭から取ると、頭上を通り過ぎようとする陶器に目を奪われた。そして足下にある桶に気付かず、足を引っ掛けて少しよろめいた。
「てめぇ殺す!」
鬼は舌打ちどころか暴言を吐いた。
僕はその言葉に返す事なく、足は止めない。距離は少しずつ離れて来ていた。
次の往来はさらに妖怪が多かった。これなら、紛れながら路地裏に入れば撒けるかもしれない。
僕は妖怪達の間をすり抜けて行く。
鬼は妖怪達に邪魔だと喚きながらわざわざ掻き分けてくる。なので、僕は鬼の後ろを指差し「今だっ!」と叫んだ。鬼は目を開いて後ろを振り向いた。
馬鹿め。典型的な嘘だ。
僕は身を低くして、バレないように紛れながら路地に入って行った。
鬼の怒号が響き渡った。
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