小池竜太

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朝起きると、ひどく疲れていた。空腹を感じていた。冷蔵庫からハムとチーズを取り出して焼いたパンに挟んで食べた。それで空腹は収まった。窓から朝の空を見る。空はどんよりとして曇っていた。
 東京は相変わらず、人が多い。人が多くて息がつまりそうだ。相変わらず大都市はどこも人でいっぱいだ。一度、僕は友達に誘われて神奈川県に行ったことがある。神奈川はのんびりとしたところだった。車や人の流れもどこかのんびりとしていた。田舎もきっともっと平和なんだろうな。この世界はひどく狭い。勿論世界中の人口はいっぱいいて広いけれど、人ひとりが暮らしている世界はひどく狭い。狭すぎるくらいだ。昔、僕はライトノベルを書いていたことがあったが、それはどうにもものにならなかった。ライトノベルには狭い世界と広い世界があって、狭い世界のライトノベルの代表作が「空の境界」だ。僕はこの作品を愛読している。相変わらず本棚に飾ってあるし、時々読んでいる。特に二章がお気に入りだ。両儀式と黒桐幹也が口喧嘩をする。『絶対ってなに。おまえに私の何が理解できるんだ。おまえは私の何が信じられるんだ』『根拠はないんだ。けど、僕は式を信じ続けるんじゃないかな。・・・・・うん、君が好きだから、信じ続けていたいんだ』『――――』
 そんな会話が僕は好きだった。他にも僕の好きな小説はあるが、その話は今は置いておく。
 さて朝だ。今夜は人と会う予定がある。それまで暇だ。僕は玄関に行き、新聞を手に取る。今日はなにかニュースがあるかな。「ガザ 最大の物資搬入」と一面に書いてある。他には「公的年金プラス 改定見通しでも」など・・・・・僕は新聞を置いた。ちょっとコーヒーでも飲もう。やかんに水を入れて火にかける。今朝は少し気分が悪い。なぜだろう。昨日はあまり飲んでない。それでも夕べの感触は残っていた。僕は夕べ、女を抱いた。でも一晩だけの関係だ。その後は連絡していない。一晩。それもいいだろう。それも楽しいだろう。それも幸福だろう。僕はかつてひとりぼっちだった。いつも一人で居たし、友達も少なかった。少年は大人になる。そんな僕も大人になった。今は多少交友関係もしっかりしている。これからも僕の生活はつづくだろう。他の人々もそうだ。みんなまだまだ生きる。生活をよくするにはいろいろ工夫が必要だ。孤独な頃、よく僕はバーに行った。そこで美人のバーテンダーを相手にしてよく話し合った。僕の小説のこととか詩のこととか・・・・そこでの時間はゆっくりだった。都会ではあまりに時間は早く流れる・・・・・
 さて夜だ。僕はそろそろ出かける。玄関は相変わらず散らかっている。靴の匂いがひどい。脱臭剤を買わなくちゃな・・・・そとは夜でいっぱいだった。夜の住人って楽しいのかな・・・・僕は普通の会社員だけれども・・・友達とは新宿で待ち合わせしている。夜の新宿。そこにはいろいろな人々が集う。友達は詩人だ。まだデビューしていない。僕はこの友達とはネットで知り合った。かつて僕は詩を書いていた。そこで投稿サイトをあちこち巡り、詩を投稿した。そこでの交友から今の友達、Kと知り合った。彼はそこそこの顔をしていて、よく黄色のワイシャツを着ている。髪は長くて、もじゃもじゃだ。萩原朔太郎には室井犀星が居た。僕にはKが居る。そのことは小さな奇跡だった。親友が居る。酒を飲む。語り合う。そうして意気投合する・・・そんな彼と僕は今宵も会う。きっと楽しい飲みになるだろう。
 そんなことを思いながら僕は新宿の街を歩く。色々な光が目に入る。ネオンや牛丼屋やミスタードーナツなど・・・・・僕は過去を思い出す。初めて新宿に来た頃はまだ学生だった。とても歌舞伎町には行く気にはなれなかった。若い頃って結構頭が悪くて、目ざとくない。女の子から声を掛けられても断っちゃったりするし。馬鹿なことしたな。一気飲みしたりして・・・・女の子にも振られまくった。でもだから賢くなれたのかな・・・・
 目当ての店に着く。店内はひどく明るい。目が痛む。人は少ない。こじんまりとした店で、今日は三人しか居なかった。男と女のカップル連れと後はジャンパーを着た中年の男だ。カップルは何か話をしている。僕はここでKを待つことになった。待つ間、暇だ。店主は僕に話しかけてくる。
「一人ですか?」
「いえもう一人来ます。僕の友達です。席はここでいいですか?」そう言い隅の席に座る。
「分かりました」それだけ言い。店主は、料理に取り掛かる。ビールを飲みたい。それもキンキンに冷えた奴を。喉が渇いた。でもKを待とう・・・・・そう思い頬杖を突く。そのうちに違う客がやって来た。
「いらっしゃい」店主がそう言う。来たのは派手に薄茶色のガウンを着た、可愛い女の子だ。金髪に髪を染めている。どことなく天使めいている。いやそれとも死神か・・・・
「こんばんは。ここいい?」そう言い僕の所に座る。僕はあっけに取られる。なんなんだろう、この女の子は・・・やっぱり死神か・・・・
「あなた最近、恨まているでしょう。それも女の子から」
「そう?そんなことはないけど」
「あなたは女の子からすごい恨まれている。きっといつか死ぬわ。だから私のお祓いを受けない?」
「お祓い?」
「そう。私は祈祷師なの。だから必ずあなたの・・・・・呪いを解いて見せるわ」
「・・・・・・考えてみます」
 そう言うと女の子はメモを置いていった。
「じゃあね、ここで待ってるわ」
 メモには住所が載っていた。台東区××。
僕は震えながら手を握りしめていた。汗を酷く掻いていた・・・・・呪い・・・なんのことだろう。サンフラワー、向日葵。ふとそんなことが心に思い浮かんだ。やがてKがやってきた。Kはのんきにやあ、と挨拶をする。けれど僕は飲んでいてもKの話に集中できなかった・・・・・・
 翌日になった。朝、僕は家で横になっていた。テレビの音が集中を乱す。家は物が散らかっていた。テレビの下にも領収書の山が置いてあったし、新聞もずいぶん溜まっている。ふいに僕は彼女のことを思い出した。彼女の名前は何というのだろう。ただ呪いを解くからここに来いとだけ言っていた・・・・呪い。興味がある。そんなもの信じない。でもここはデーモンの誘いに乗っておきたい。好奇心がもたげる。死神か、あるいは天使か・・・・そう言えばこの呪いはいつ掛けられたのだろう。いつだろう。最近かな。女の子・・・・・最近一人会っていたが、それも一晩限りの関係だった。まさかあの子じゃないよな
結構可愛かったし・・・・・
 どこかに僕の安住の地があるのだろうか。僕の幸福に暮らせる場所があるのだろうか。そうして僕はそこで幸せに暮らせるのだろうか・・・・分からない。そこで僕はきっと幸福に暮らす。誰かが僕の伴侶になってくれて、きっと楽しい家庭を築く。そうすれば青空ももっと澄むだろう。そうすればもっと雲も白く輝かしく、この空を包むだろう。僕はやっと台東区に行く気になった。行ってみよう。そこに僕の運命が待っているかもしれない。僕は床から体を起こすと、身支度をして玄関から出て行った。
 青空は眩しかった。空の奥深くに青い瞳がある、いつの頃からか僕はそんなことを空想するようになっていった。きっと青い瞳は悲しんでいる。それでも僕は行かなければ・・・・僕は、電車に乗ると目的の場所の最寄り駅である御徒町駅へと向かった。電車は空いていた。なにか犯しがたい前兆のように静かだった。やがて駅に着いた。改札を出る。TOWNWORKが置いてある。人々は忙しそうに辺りを歩いている。休日でも駅は人でいっぱいだった・・・・
 駅を出て右に曲がる。瀟洒なビルが大量に並んでいる。そこを右に曲がり歩き続ける。やがてコンビニを曲がったところでしばらく歩く。後は地図によればまっすぐでいいはずだ。目当てのビルにたどり着く。Kビルと書いてあった。大分古いビルだ。黄色く汚れている。僕はドキドキした。でも入ろう。ここまで来て帰る手はない。エレベーターに乗る。目指すは七階だ。エレベーターの中で僕は不安になる。何が待っているだろう・・・・やがて七階に着いた。降りると「祈祷師 青田紀子」と立て札に書いてある。そのピンク色ののれんをくぐった・・・・
「ようこそ、いらっしゃいました。あなたは・・・・昨夜のお客様ですね。お名前は?」そう彼女が言う。彼女はピンクのマスクをして、紫のドレスを着ていた。
「祈祷師って何するんですか?詐欺じゃないですよね?大体どうして僕の居場所が分かったんですか?」
「詐欺ではありません。私は人には聞こえないものが聞こえ、見えないものが見えるのです。あなたのことは店の外で知りました。声があなたのことを言ったのです。『恨まれ呪われている人がここに居る」と』
「そうですか、僕は是勇気と言います。僕に呪いがついているのでしたら、どうか取ってkださい。ところでいくらかかるんですか?」
「だいたい三万円です。その代わり呪いは私が肩代わりします。あなたも体調が悪く鳴ったり不幸が続いたりしなくなりますよ、必ず」
「分かりました。それではお願いします」
「その前に・・・・あなたは誰がこの呪いをあなたにかけたのか知りたいですか?」
「別にいいです」
「本当に?その相手はあなたの身近の人物なのかもしれないのですよ?今後の対策が必要になるかもしれませんね」
「誰なんですか?」
「それを知るには二万かかります」
「そんな払えません」
「でもあなたにとっては重要な問題ですよね誰が呪ったのか分からなければあなたは夜も眠れませんよ」
「・・・・・・いいです。心当たりがあります。女の子ですよね」
「うん・・・・・鋭い。よろしい、一万円に値下げしましょう」
「そうですか、じゃあ払います。クレジットカードは使えますか?」
「使えます」
 そう言って僕はクレジットカードで四万円を払った。結構痛い。ソープ並みだ。
「ところであなたは女好きですね」
「そうですね。そう思います」
「あなたを呪ったのは、あなたが一晩抱いただけの女の子ですよ。彼女はあなたにもっと会いたかったのですよ。それをあなたが聞かないから・・・・罪な男ですね。世の中にはずいぶん罪を作っている人たちが居ます。あなたもその中の一人です」
「そうですかあ」僕は鼻を鳴らして興味がなさそうに返答する。
「では呪いを解きましょう。おんばじらぎにはらじはたやそわか、おんばじらぎにはらじはたやそわか・・・・・」
 祈祷師は何事かを唱える。何の言葉なのだろう。僕には分からなかった。でもだんだんと身体が軽くなる気がする。
「終わりましたよ。これであなたの呪いは解けました。あとはその女の子とできれば仲良くしてください」
「そうですね、善処します」
「ではさようなら。あと私は死神などではありませんから、あしからず」
 僕はぎょっとした。でも良い人だったなあ・・・・帰ろう。僕は家に帰る。家では特に待つ人もいないが。でも僕の家だ。暖かい暮しがそこにある。
 やがて僕は電車に乗り、家へと帰って行った。あの子の名前は千夏といったっけ。一晩だけの関係に怒っていたのかな。じゃあLINEしてみよう・・・・・
 するとさっそく返信があった。
「あなたのことは好きだったけど、他に好きな人が出来たの。もう連絡しないで」と。僕は少しショックだった。新しい男・・・・きっといい男に違いない。まあいいや、女なんていっぱい居る。そうして僕は気持ちを切る変えることにした。もういい。どうにでもなれ。
 数日後、僕は会社帰りにKに会った。そうして色々な話をした。金のこと。恋愛のこと。祈祷師の話・・・
「そうか、呪われてたんだな」
「どうもそうらしいんだ。不確かな話なんだけれどね」
「その女の人はどんな人だった?」
「割と美人かな。マスクをしていたのであまり顔は分からなかったけど」
「そっかあ。お前も色々災難に遭うな。これからどうするんだ?」
「そうだなあ。また女を探すよ。今度は恨まれないようにうまくやる」
「まあ、そうしろ。お前はもっと普通の女を抱いた方がいいよ。美人ばっかりだからなあ。そりゃあみんな怒るよ」
「うん、そうだね」
 そうして僕はKと別れた。新宿はまだ夜の盛りに達していない。これから盛り上がるだろう。夜はいい。気分が高揚する。僕は夜を愛する。さてこれでお別れだ。きっとこの次、また僕らはどこかで出会うだろう。その時までには僕の頑固も治る気がする。桜が咲いて、葉が散って、秋の風が吹いて、雪が降って・・・・・季節は巡ってくる。最後に挨拶を贈ろう。どうか達者で。

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