14 / 32
第14話 適性検査
しおりを挟む「あなたにはこちらを差し上げます。以後よろしく」
そう言って彼はポケットから黒い革のケースを取り出し、流れるような仕草で中身を引き抜いたので、あたしは両手でそれを受け取ろうとした。中学生に名刺をくれるなんて奇特な人だと思ったのだ。
けれども奇特なのは行動だけではなかった。男性の美しい指で摘まれたカードは、とても名前と所属と連絡先を伝える意図で作られたとは思えない見た目をしていた。
一瞬、瞳を刺すように光を放ったかと思われたのは、黒い素材でできた薄い札だった。そこにでかでかと刻まれている、白抜きの謎の紋様。ちょっと処理速度が追いつかない。考えるより先に声が出た。
「要らないです」
「これが何に見えますか?」
反射的な発言に重ねて、継児の父親は妖艶に問いかけてきた。あたしの受け取り拒否はなかったことにされたらしい。仕方なく自分の視界に映るものをありのまま答える。
「さあ、タロットカードの最終進化系か何かかと」
そんなもの一枚だけ渡されても困る。かと言ってセットで七十八枚貰っても、自分に神秘の導きに従う素養があるとは思えない。
「詳しく教えてください。何が見えますか?」
美青年にずいっと距離を詰められて閉口する。あたしは首を捻った。
「……両開きの扉と、隙間に三日月、ですかね」
「正解です。とても鋭くていらっしゃいます。私が見込んだ通りですね」
心理テストの紛いもののような回答をすると、相手は嬉しそうに目を細めて嘆息した。当たり外れがあるのかよ、とあたしは内心でぼやいた。こうなったら自棄だ、目につくものは残さず指摘しまくってやる。
「他にはカード全体に散らばる網目。四隅に変な線も引いてある。それにこのアバンギャルドなシンボル、白抜きですけど少し形がぶれてませんか? いやはや、一体どういうメッセージが込められてるんでしょう?」
早口に畳み掛け、枝葉末節に無意味に粘着する渾身のイキリクソガキムーブをする。抽象度の高すぎる絵をまじまじ見ながら屁理屈を捏ねくり回したせいか、段々と頭が痛くなってきた。
これで誰にでも当てはまるようなことをほざかれたら、堪えきれずに「正解です。とても鋭くていらっしゃいます」と口走ってしまいそうだ。あたしは頭痛に顰め面をしながら当て擦った。
「これ、全部見えたものですけど。どうです、運勢の方は――――」
「魔痕まで? そこまで見透せたんですか? まだ覚醒以前でしょうに」
しかし、彼はそんなものは意に介さず、というかむしろ興奮したように立ち上がった。その勢いで椅子が倒れ、床にぶつかって大きな音を立てた。大声が耳に響いて、たまらず目を瞑る。
「素晴らしい……!」
占いの結果に感極まったらしい継児の父親は歓天喜地といった様子である。あたしはドン引きした。時・場所・場合にそぐわないスピリチュアルは恐怖の感情しか喚起しないことが分かった。
「そっすか。あの、ここ保健室なんで」
加えてすぐ近くで息子さんが体調不良で伏せっているので。声を掛けると、美男子は我に返ったように口元に手を当て、なまめかしく顔を赤らめた。
「私としたことが失礼しました。これは望外の僥倖、いいえ、運命なのかも」
望外だの僥倖だの運命だの、どんないい結果だったのか知らないが、あたしにとって一連の出来事はとんだ厄難でしかない。
……もしかして、この人は占い師なのだろうか。浮世離れした雰囲気と言動に、そうであってほしいとあたしは切に願った。そして人に会ったらタロット診断をせずにはいられない職業病を患っていてくれ。もし違ったら、初対面の息子の同級生に謎の札を見せびらかし、譲り与えようとまでする理由が掴めなくて怖い。
「つかぬことをお聞きしますが、ご職業は占い師ですか?」
「え? いいえ、違いますよ」
実に明朗な返事。思い返せば、継児の自宅は豪邸で、錦鯉も一クラス分くらい飼っていたはずだ。そんなに稼いでいる占い師だったら、テレビや雑誌でメディア露出するから、きっとあたしにも顔が分かっただろう。
つまりこの人は、占いとは全然関係ないただの金持ち美形。初対面の息子の同級生に謎の札を見せびらかし、譲り与えようとまでする金持ち美形。純粋に怖い。頭痛が余計に激しくなった。
どうぞ、と今更になって占い札を手渡される。怪しいことこの上ないが受け取らざるを得ない。種も仕掛けもあるのではないかとひっくり返して裏側を見てみると、白いフォントで住所、電話番号、メールアドレス、それとローマ字で「AIDA AKIRA」と人名が記されていた。
衝撃があった。やはりこの人が「アキラさん」だったのか、とか、結局これが名刺ってふざけてるのか、とか、継児はなぜ父親を名前で呼んでいるのか、とか。諸々の違和感が合わさって、あたしは寝ている少年を叩き起こし、こんな変人に憧れるのは今すぐ止めるよう説き伏せたくなった。
断り方を思いつけなかったので、カードをハンカチに包み、できるだけ素手で触らないようにしてスカートのポケットに放り込む。目の奥に箸を突き刺されたような頭の痛みが少しだけ和らいだ。すると相手は何を勘違いしたのか、「大事に扱ってくださってありがとうございます」と破顔した。
「それにしても、本当に優秀なのですね」
判然としない基準で褒められても嬉しくない。「アキラさん」は、あたしを鑑定士のように眺め回した。真剣だが無機物を見るような一方的な視線が居た堪れない。やがて彼は、社交辞令にしてはやけに気持ちを込めてしみじみと呟いた。
「あなたが家の跡継ぎになってくれるといいのに。継児ではなくて」
花一匁でもするような不実な言い草に、あたしは耳を疑い、思わず立ち上がった。少年の敬慕を、男はあっさりと裏切ったのだ。「アキラさん」は、まさか目の前の小娘の背丈が自分より高いとは思っていなかったのか、驚いたように僅かに身体を引いた。拳を握り、六秒数えて、あたしはゆっくりと溜息を吐いた。
「あたし、誰の代わりにもなれませんから。……継児くん、まだ起きてませんね?」
遠回しに本人に聞かれていたらどうするんだと詰ると、「アキラさん」はベッドの方を見やった。
「ああ、そうですね。そろそろ活を入れてやりましょう」
「はあ? ちょっと、そういう意味じゃ……!」
あたしが止めるより前に、彼はつかつかと継児の枕元に近づき、投げ出されていた少年の手を取った。更には、なぜか再び「名刺」を取り出し、それを掴ませる。乱暴な真似をするわけではなさそうだったが、何がしたいのかさっぱり分からない。
「何をされてるんですか」
警戒しながら聞くと、黒百合のように俯いた青年は人差し指を立てた。
「元気の出るおまじない、ですよ」
「そんなの……」
気休めだ、と言い返しそうになったが、外部から刺激を受けたせいか、実際に継児が微かに唸り、眩しげに数度瞬きをしたので、あたしは状況を全部放り出して、そちらに駆け寄った。
「大丈夫か? さっきはごめん。気持ち悪かったり、怠かったりしない?」
継児は暫くぼんやりと目を瞬いていたが、あたしに気づくとはっとしたような顔をして、苦々しげに視線を逸した。
「……そんなの別に、もういい」
「でも」
あたしを制して、継児は身を起こし、噛みつくように言った。
「僕がいいって言ってるでしょう!? あなたに悪気がないのは知れたことだ!」
「あ、ああ、分かった……」
あたしは鬼気迫る勢いに狼狽えながら頷いた。結局、許してくれたと解釈して、いい、のか?
「だから嫌なんだ……だから」
「継児」
低い声でぶつぶつと呟く少年の名前を、青年がはっきりと呼んだ。自分を目覚めさせた人物に、彼は目を丸く見張った。
「アキラさん! ……僕のことを迎えに来てくれたんですか?」
継児はあたしと話していたときとは打って変わって、縋るように言った。媚びるような甘さの抜けた、おずおずと相手の好意を確かめる話しぶりだった。それに対して青年はひどく淡々としていて、とても家族に接する態度には見えない。
「帰りますよ。全く、いちいち私を煩わせないように……まあ、今回は怪我の功名でしたね」
そう言って彼はさっさと踵を返すと、一転して誘うような目であたしを見た。弧を描く唇から粘着質な音が聞こえてきそうで視線を逸す。
――――瞬間、背筋がぞくぞくと痺れた。黙り込んだ継児の暗い瞳が、黒い硝子鏡のようにこちらを映していたからだ。眼窩に埋め込まれた二つの闇が、あたしを虚ろに観察していた。
ブラックホールに吸い込まれて、世界がそれだけになったみたいな錯覚を起こした。
「それでは、幸さん。またお会いしましょう」
去り際に、艶めいた男声が遠く聞こえた。あたし、あの人に下の名前を教えたっけ? でも、そんなのどうでもよくなっていた。寝台を降り、男の後をついて行く小柄な少年の後ろ姿に手を伸ばしたが、終ぞ継児は振り向かなかった。
あたしはずっと、保健室に立ち尽くしていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる