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chapter,1

〜道の花は強かに生きる〜 5

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   * * *


 濡れることを厭わず薄い緋色の衣をまとった道花が身体を胸元まで沈めたところで橙や黄色の鮮やかな魚たちが泳ぐ澄み切った海中を確認する。

「那沙、結界に綻びがあるわ」

 そう言いながら海面へ手をかざすと波間から深い緑色の手のひらのような葉が浮かび上がってくる。周辺に群がっていた銀色の小魚たちが驚いて四方へ散っていく。打ち寄せる波がその場所だけ時を止め、海底から螺旋を描きながら上昇してくる植物のために流れを停滞させる。

紅玉島沖こうぎょくとうおき南、今朝がた訪れた外つ国とつくにからの貿易船が何も知らずに根を傷つけてしまったみたい」

 道花は海面から上空に向けて手を振りあげ、植物の長い茎やさらに潜った場所に這っていた根を浮遊させる。海面へ上昇した根は船体がぶつかったからであろう、抉られたような痕が残っている。
 植物を護る塩辛い海水は勢いよく飛沫を飛ばし、道花に早く治せとせがんでいるようにも見える。

「待っててね――Eyaitemka〈恢復せよ〉」

 すぐに道花は神謡ユーカラを唱え、根につけられた傷を癒す。

「……さすがね」

 那沙は慣れた手つきでセイレーンを守護する御神木の面倒をみる道花に感嘆の声をあげる。同じことは神である那沙にもできるが、九十九にちからの多くを奪われた今の状態では彼女のように七つの島々に張られた根の位置を的確に測定し、すぐに治癒することは難しい。

「あたしがいなくなったら那沙にお願いしなくちゃいけないから、いまのうちに小さな傷でも見つけたらただちに治しておかないと」
「だけど無理はしないでよ」
「ほどほどにするよ」

 笑いながら道花は治癒を終えた根と茎をもとの場所へ送って行く。
 嘘だな、と苦笑しながら那沙は珊瑚蓮の大樹と戯れつづける道花を遠くで見つめる。

 珊瑚蓮。
 それはセイレーンにしか存在しないという幻の花。淡水でしか咲かない蓮に姿形が似ているから、珊瑚礁に咲く蓮の花という名がつけられているが、実際のところ、蓮の仲間なのかはわからない。
 ただ、昔からこの大樹は神と人間に敵対する幽鬼たちが暮らす異界を隔てる結界を生む役割を持つ珊瑚蓮なのだと自分の母神である海神や彼女に従う人魚たちが口にしていたから、那沙も珊瑚蓮と呼んでいる。
 建国当初よりもはるか古来いにしえから息づいている、那沙やオリヴィエが生まれる前からこの海を守護している珊瑚蓮の大樹。蓮に似た大輪の花が溢れるように咲き乱れることは滅多になく、はなひらく姿を見せるのは数百年に一度か二度。那沙も片手で数えるほどしか見たことがない。

 そんな珊瑚蓮だが、道花が面倒をみるようになってから、動きが活発になってきている。
 海神の加護を受けているからか、道花は那沙以上に珊瑚蓮と親しい関係を築けているらしい。珊瑚蓮の面倒を那沙にまかせっきりだったオリヴィエと比べると、なぜ彼女だけがここまで珊瑚蓮に愛されているのか不思議で仕方がない。

「……現に蕾らしきものが見えてきているものね」

 道花はその特異な能力を持つことから、神殿内で珊瑚蓮の精霊ロタシュミチカと呼ばれている。幼いころからリョーメイに習って神術を学び、セイレーンの守護を補佐するため、御神木の役目をしている珊瑚蓮の担当についた彼女だったが、まさか蕾をつけることが叶うとは考えもしなかった。
 幻の珊瑚色の蓮花が愛注がれてひらくとき、セイレーンは輝ける栄華に満ちた未来を手に入れるという伝説がある。かの国がセイレーンを「蓮に誓う」国としていたのも、この伝説が元になっているとされる。
 だが、珊瑚蓮の花が咲いたところを見たことのある那沙は、すべてが良い方向に転がるわけではないことも知っている。それゆえ彼女は警告するのだ。

 ――幻の珊瑚蓮の黒花が咲くときは、破滅に繋がる天変地異の前触れにもなりかねない。

 かの国の領地となったセイレーンの土地神としては、神皇帝へ珊瑚蓮の精霊である道花を妃として献上すべきだとは思う。けれど、得体のしれない道花を快く思わない人間もいるし、道花はあまりにもオリヴィエに似ていない。
 リョーメイは道花を迎果諸島から出したくなかったようだが、カイジールひとりを差し出したところで問題は解決しない。むしろ生粋の人魚であるカイジールをひとりにして九十九の前に連れていくのは危険だ。オリヴィエの前に道花を連れていくのと同じで……
 寄せては返す波のようにおぼろげな思考を繰り返しては、那沙は唇を歪ませる。

「珊瑚蓮の花は、いまのセイレーンに栄華と破滅、どちらをもたらすのか……」

 碧い水面から緋色の衣を泳がせた道花が浮かび上がってくる。嬉しそうに海に遊ぶ少女は、やはり半分だけ人魚の娘の血を引いているからか、陸で走り回るより、ずっと大人びて、美しく見えた。
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