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chapter,2

~人魚の花嫁は宴に嗤う~ 5

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   * * *
   
   
 紅薔薇宮は皇宮内の中央に位置する五宮二塔一神殿のなかで最も広大な敷地を持つかの国でも珍しい二階建ての石造りの建物である。外壁に使われている石が真紅の薔薇のように赤みがかっているから紅薔薇宮という名称がついたという。
 一階部分には百人程度が収容できる円形状の議会があり、一階部分よりも若干狭い二階部分が円卓と椅子の並ぶ食堂兼宴会場になっている。
 悠凛に案内され、螺旋状の階段をのぼった道花とカイジールは互いに顔を見合わせてはぁと感嘆の声を漏らす。

「初めて螺旋階段のぼった!」
「同感」

 道花の幼さの残る声に会場内で座っていた賓客が顔を顰めるが、それがセイレーンの女王の娘に仕える侍女だと知り、関わりたくなさそうに顔を背け、わざとらしい談笑を再開する。カイジールはそれを見てムッとするが道花は平然とした態度で両手の指を交差させ、蝶が舞うように優雅に一礼をして通り過ぎる。その完璧な動きに一瞬だけざわめきが止まる。

「……あれ? あたし何か間違えちゃった?」
「いんや、逆に完璧すぎて驚かれてる」
「そか」

 リョーメイが道花に教えた礼儀作法はかの国式のものだ。まさかここまで完璧に身につけてくるとは思わなかったカイジールは、ここで神皇華族と呼ばれる王侯貴族たちを瞬時に黙らせるだけの作法を身につけた道花に目を瞬かせる。

「慈流さま、慈流さまのお席はこちらになります」

 と、そこへ悠凛の声が響く。椅子を引かれてそこへ腰を下ろすと、隣にカイジールよりもすこし年齢が上の青年が座っていた。

「狗飼どの」
「またお逢いしましたね、慈流さま」

 舶来品と思しき皺ひとつない白のシャツに黒い上下。外つ国の洋装を着こなした青年は慈流の前に立ち、慇懃に礼をする。
 さらりと赤みがかった黒い髪が揺れ、灰褐色の瞳がきらりと光る。

「できれば仙哉とお呼びください、麗しの姫君。なんて素敵な黄金色の髪に海の色の双眸、さすが人魚の女王の娘……」

 白魚のような指先がカイジールを捕え、撫ぜるように上下に動く。
 カイジールの美しさに魅せられたのがはたから見てもよくわかる仙哉の仕草に、道花が困惑顔を浮かべると、悠凛が窘めるように兄に囁く。

「兄上、慈流さまは九十九さまの妃となられるお方ですよ。そんな風に口説くのはどうかと思います」
「悠凛。お前が慈流さまの傍につくことになったのか。これは失礼。お前のいないところで口説けば問題ないということだな」
「兄上!」
「冗談だよ。だけど義弟おとうとが羨ましいな。こんなに美人な女性の傍にいることができるなんて」
「……おとうと?」

 カイジールの後ろで椅子を出されて座っていた道花が首を傾げると悠凛が慌てて説明する。

「我らが神皇帝、九十九さまと私の兄上は義兄弟の間柄にございます」
「つまり、父親か母親が同じってこと?」
「ええ。仙哉さまのお父上は、九十九さまと同じ、先代神皇帝、皇哉登かなとさまこと九十八代になるのです」

 悠凛の言葉に道花は目を丸くする。

「えっと、神皇帝にはお兄さまがいらっしゃるのですね」
「はい。ですが僕は母親の身分が低かったため皇位継承権を与えられていないのです。その後、父と離縁し悠凛を産んでいます」

 なんだか複雑な家庭環境らしい。道花はまじまじと悠凛と仙哉の顔を見比べ、首を傾げる。
 言われてみればほっそりとした輪郭や目鼻立ちは似ているが、髪や瞳の色が若干異なるため、見ただけでこのふたりの血が繋がっているのを判断するのは難しい。仙哉の赤みがかった黒髪はきっと父親である九十八譲りなのだろう。カイジールは一度だけ見たことのある先代神皇帝の姿を思い起こし、ひとり心中で納得する。

「では、狗飼というかばねは悠凛の父方のものなの?」
「いえ。父へ嫁ぐ前に母は狗飼一族と養子縁組をしているんです。それ以前は姓を持たない庶民でしたから」
「狗飼の姓を手に入れたのに、皇位継承権を持てな……ぐむっ!」

 ギョっとするようなことを無邪気に呟く道花にカイジールが慌てて椅子から立ち上がり口を塞ぐ。

「ふぬぬぬぬぅ!」
「莫迦! 不敬罪で捕まりたいのか!」

 反論しようとする道花の耳元にカイジールが小声で怒鳴る。余計なことを口にして九十九の機嫌を悪化させるのは避けなくてはならない。たとえ目の前に本人がいなくても。

「ふけいざ……あああごめんなさいっ!」

 ようやく自分の失言に気づいた道花は勢いよく頭をさげて円卓に激突して動かなくなる。
 唖然とする仙哉と悠凛の前で朗らかに微笑み、カイジールは何もなかったかのように言葉を紡ぐ。


「ところで、わたくしの旦那さまはいついらっしゃるのでしょう?」
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