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chapter,4
~追憶は桜真珠の君を導く~ 10
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「何があった、悠凛!」
「ご覧のとおりです」
苛立ちを隠すことなく紫紺躑躅宮から呼び出された九十九は桃花桜宮の客室……カイジールと道花が留まることを許された室内の惨状に眉を潜める。
「花嫁……慈流どのは何処へ?」
「それが、わからないのでしょう?」
九十九とともに桃花桜宮へ入った木陰は、悠凛に確認するまでもないと言いたそうにぽつりと返す。土地神の子孫を補佐する役につく国祖の狗と呼ばれる狗飼一族は土地神の加護を受けることができずに我流で術を習得し神皇帝に仕える立場を得た逆井一族のことを蔑むものが多いため、木陰は極力彼らを避けて任務に励んでいる。こうして顔を合わせることがあっても、必要最低限の会話しか交わさないのもいつものことだ。
意識を失ったままの状態の道花が気になる九十九だったが、どこよりも強い結界を張り巡らされた紫紺躑躅宮にはバルトが残っている。彼なら何があっても彼女を護ってくれるだろうとあとを任せ、現場に立った九十九は悠凛と木陰のやりとりをよそに、淡々と室内を見回し、顔を顰める。
「ずいぶん異形の気配が濃いな」
カイジール自身が人魚という異形だから、多少の気配があるのは別段問題にならないが、彼ひとりでこれだけ濃い気配を出すことはできないだろう。カイジールではない、同じ気配を持つものがもうひとりいて、それが彼を襲ったと考えた方が自然だ。
「幽鬼ではないですね」
木陰が頷くと、九十九は首をひねる。
「だが、瘴気が残ってないのは不自然だな」
「闇鬼が憑いた人間……でもなさそうです」
悠凛がぽつりと口にすれば、木陰も素直に同意する。
「魔術陣の形跡があります。この魔法の術式は我がかの国では使われません」
セイレーンでは神の加護による術とは異なる特別な術を操るもののことを魔導師と呼び、彼らは神謡を詠唱することをせず、指先で魔術陣を描いて魔法を発動するときいたことがある。たしか、生粋の人魚が使用するのも神謡ではなく魔術陣だったはずだ。
九十九は苦虫を噛み殺したような表情で結論付ける。
「やはり人魚……だな」
異形の気配を持ち、瘴気を持たない神の眷属。警吏兵をものともせずカイジールと道花の室に侵入し、鮮やかに彼を奪った手腕を見ると、思い浮かぶのは、たったひとり。
「伽羅色煉瓦塔は」
「既に、狗どもを走らせております」
悠凛がきっぱり応えると開いていた窓から鳩の形をした紙片が舞い込んでくる。
「いま、報告が――もぬけの殻だそうです」
九十九に差し出された紙片を一瞥し、木陰がちっと舌打ちする。
「いまになって央浬絵どのが動いたのか」
「いまだからですよ、九十九さま」
ビリビリと紙片を破り、九十九は窓の向こうに見える東塔を睨みつける。
「おれが、呪詛を破ったからか?」
道花の真名に施されていた呪詛を浄化したことで、その返りがオリヴィエを襲ったのだとすれば、彼女が仕返しに動くのも理解できる。だが、この短時間で塔を抜け出しカイジールを奪ったとは考えられない。呪詛を浄化したのはついさっきなのだ。呪詛が破られる前にオリヴィエが行動をしたと考えるのが無難だろう。
「いえ……央浬絵どのは誓蓮から花嫁が到着したときに、すでに動こうと計画されていたに違いありません」
なぜなら九十九が花嫁にすると断言したのは、彼女が誰よりも厭う女王の娘。悪しき異形を滅ぼすとされる珊瑚蓮の精霊だから。
「では、慈流どのは」
事情を知らない悠凛が最悪の事態を想定し、顔を青くする。それを見て木陰がやんわりと首を振る。
「慈流さまなら、すぐに殺されることはないですよ。なんせあの方は、囮として誓蓮からかの国へ来て、真っ先に九十九さまを殺したいなんて笑顔で口にされていましたから。たぶん、慈流さまを人質にして我々に何らかの要求をしてくるはずです」
不敬ともとれる言い方に悠凛が頬をひきつらせていたが、木陰の言動に慣れている九十九は苦笑を浮かべるだけで、好きにさせている。
「慈流どのは生粋の人魚だ。おれが望んだ花嫁は別にいる。央浬絵どのはその花嫁の存在が邪魔なんだ……だから」
九十九は宮廷装束姿の悠凛の背後にまわり、耳元で告げる。
「――第九十九代神皇帝珀登が命ずる。国祖の狗たりし狗飼悠凛、そなたを本日より誓蓮より参りし珊瑚蓮の精霊の護衛とする」
「まさか」
ロタシュミチカというふたつ名が、悠凛を驚きへ導く。昨日出逢い、意気投合したばかりのカイジールの侍女が、たしか道花と名乗っていたはずだ……彼女が、九十九の想い人で、女王の娘だった? 目をまるくする悠凛に、九十九は更に追い打ちをかける。
「そのまさかだ。悠凛。侍女どの……彼女こそが、おれが望むほんとうの珊瑚蓮の精霊」
断言する九十九に、悠凛は静かに頭を垂れる。
「では、彼女がわたくしの異母姉なのですね」
九十九も木陰も、悠凛の言葉を無言で受け止め、肯定する。
「……彼女はいま、紫紺躑躅宮の馬留人どのに預けている。ついてこい」
沈黙によって時間が経つのを恐れるように、九十九が素早く踵を返し、早足で歩きだす。木陰と悠凛は顔を見合わせ、主のまっすぐな行動に微苦笑を交わし、ともに彼の背中を追って、走り出す。
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