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chapter,5

~真実は珊瑚蓮の蕾に宿る~ 1

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 緑色がかった白い薔薇が硝子の棺に敷き詰められているのは覚えていたのに、そこに眠る女性の姿を彼ははっきりと思いだせない。
 それはきっと、子ども心に見てはいけないものだと理解していたから。
 彼女が自分の身体に油を撒いて火をつけたのは、兄たちの死に耐えられなかったからだと政務官は言っていたけれど、その嘘の方が自分には耐えられない。

 恨み事を延々と連ならせながら燃え尽きた母親の無残な亡骸は、ただひとり残された自分を狂気の渦へ誘った。
 だから彼は自分の一族が玉座についた九十九の手によって一掃されてから、幽霊になろうと考えた。母親の幻影に悩まされ呪われた皇子を演出し、ひとりへやに籠ることを選んだ。

 幼いからと命を救われたものの、今後自分が叛意を向ければ、彼らのようにあっさり殺されてしまうのは目に見えていたから。絶望で自死を選ぶこともできたが、それでは九十九の思うつぼだ。ここはやはり、復讐をしなくては。
 それが九つの誕生日を迎えた彼の決意。四つ年上の彼と対等に渡り合い、いつの日か彼を殺して自分が王となる。彼の治める国を、一族で殺し合いをするような国を、神々に躍らされるこの国を、滅ぼして再び創世し直すのだ。さながら、始祖神の再来と呼ばれるように。

 はたからみれば空気のように存在感のない第七皇子。皇玉登という名すら、彼の世話をする侍従たちは口にしない。これは自主的な幽閉だから。人形のように心を閉ざした彼を最初のうちは九十九もどうにかして心を開かそうとしたけれど、母親とふたりの兄が彼と玉座を争ったことによって死んだ事実は変わらないし、慣れ合うことだけはしたくなかったから、拒絶をつづけた。そして五年。
 ようやく諦めたのか、最近は顔を見せていなかったが、その理由が珊瑚蓮の精霊を娶ることで忙しかったからだと知り、焦った。

 九十九が花嫁を手に入れてしまったら、もう、復讐は叶わない。
 なぜなら――人魚の女王オリヴィエが秘密裏に産んだとされる珊瑚蓮の精霊は、創世神の半神である海神のちからを引き継ぐ世界樹に愛された、世界の命運を握る娘だから。

 幽鬼や神の存在は生まれたときから識っていたけれど、人魚も珊瑚蓮もお伽噺の世界にしか存在しないものだと思っていた……彼が訪れてくるまでは。

「央浬絵の奴、珊瑚蓮の精霊をわざと暴走させやがった。ほんとに壊したくて仕方ないらしい」

 幽鬼となった仙哉の身体を乗っ取っていたはずの男は彼と酷似した体格と輪郭を保ったまま、玉登の前へ現れる。

「そんなに厄介なのかい、珊瑚蓮は」

 オリヴィエの御遣いになったのも、もとはといえば彼がそうしろと教えてくれたからだ。
 彼女が身につけている呪具である黒真珠、あれは黒蝶真珠と呼ばれ、かつて同類だった人魚が死んだ際に残した血色の涙だという。
 契約を結べば身体を一室に残したまま蝶のように軽やかに動けるのだと彼に囁かれ、自然と足が動いていた。罪人のいる東塔へ。
 たぶんそのときには自分も仙哉のように彼に意志を半分以上乗っ取られていたのだろう。幽鬼の王と呼ばれる目の前の鬼神に。

「玉登だって見ただろう? お前の依代である黒蝶を浄化しただけでなく、オレまで浄化しようとした」
「そして女王陛下もね」

 珊瑚蓮の精霊が怒りにまかせて詠唱したのは銀の弓矢で悪しきものを祓う神謡だった。すくなからずかの国の『地』の加護を持っていた玉登は依代を失った後に放たれた銀光を浴びても身体の一部を火傷する程度で済んだが、もともと異形である鬼神やオリヴィエからすると、その光を目にしただけで影響を受けたのかもしれない。現に鬼神は仙哉の身体から抜け出し霊体となっているし、オリヴィエも姿を消して気配を見せていない。

「……あの女は何を考えているんだか」
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