153 / 191
第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
結納に挑むひとたち 04
しおりを挟む「綾音?」
真っ赤な花のような振り袖を蝶の翅のように揺らして、婚約者の男に問う。
このままだと、長月にはいってすぐ、未曾有の大災害に巻き込まれてふたりは死ぬ。そして残された資が五代目有弦を嫁取りとともに襲名し、岩波山を存続していくことになる……
その、身代わりの花嫁が綾音の双子の妹で、わけあって異能を持っていなかったがゆえにいまの世界に翔んできて、すでに一ヶ月以上が経過している。
彼女は結婚前の資と関係を持ち、精を蓄えることで破魔の異能を受け止める器を形成し、綾音の死後、未来でちからを発揮させられるよう準備していた。時を味方につけて、岩波山をさらなる発展へと導くため。
彼女がいまここに残っているのは、綾音がまだ、破魔のちからを明け渡していないから。まだ、赤き龍を倒せていないから。
「赤き龍をあたしの破魔のちからで倒すことは、そう簡単なことじゃあないわ。たとえ彼女が囮役を全うしてくれても、あたしが生き残る可能性は半分にも満たない」
「何をいまさら」
「でもね、妹が……おとねが赤き龍を封殺する方法を示してくれた。うまくすれば、あたしたちは死なずにすむの」
「あたしたち?」
「傑が言ったのよ。俺には綾音がいればそれでいい、って。ねえ、結納の日にこんなこと言うなんて酷い女かもしれないけど……このまま次期有弦を襲名予定だった跡取り息子として惜しまれながら死ぬのと、岩波山から逃げて後ろ指さされながらもあたしと生き延びるのと、どっちがいい?」
生まれつき茶豪商の跡取り息子として育てられた彼に告げるには酷な、綾音の懇願を前に、傑は一瞬だけ目をまるくして――……
「それは、駆け落ちのお誘いかな?」
「今後のために結納はするわよ。だけど、あたしが破魔のちからを妹に返したら、あたしは跡取りをもうけられるだけの体力がなくなるの。岩波山の嫁にはなれない……だから、未来の有弦の嫁にふさわしいのは、妹になる」
「だから俺に身を引けと?」
「そう。岩波山にはまだ資くんがいる。いまは罪の子と父親に認められていなくても、三代目はあなたと同じくらい彼に目を留めている」
ご隠居と傑が資を結納の席に呼んだ理由など綾音は知らない。けれども退役した彼も今後の岩波山の立派な戦力になるのだ。傑と同じくらい、いや、それ以上の仕事を真面目な資ならやすやすとこなしていくことだろう。傍に音寧がいれば、きっと。
「だけど……資くんはおとねじゃないとだめなの。傑があたしじゃないとだめなように。だから、破魔のちからを失って無能になるあたしのために、岩波山の有弦になることを諦めてくれない?」
「言っていることが無茶苦茶だってこと、わかっている?」
「……傑」
真紅の振り袖を着た綾音を洋装の傑がひょいと抱き上げ、口づける。
驚く綾音に、傑はくすくす笑う。
「俺には綾音がいれば、それでいいんだって、何度言ったらわかるんだい? ――商人としての学びは身につけている。勘当されても生き延びる術などたくさんある。いまみたいに金のちからは使えなくなるだろうけれど。傍に自分が愛する唯一の女性がいるのなら、そんなのたいした問題じゃない。惜しまれながら死ぬ? 死んだら何も残らないよ。これからじゃないか! ようやく軍のしがらみから逃れることができるのに、結納して一月も経たないうちに災害で死ぬのはごめんだ。俺は、綾音を信じる……よりよい未来のために、俺と綾音と、資と時を翔てきた姫君みんなが、幸せになれるように」
「……良かった」
「もっと早く言って欲しかった。俺は綾音を助けたくて、彼女を軍に明け渡したようなものだぞ」
「知ってる。そういうところもすき」
「資には裏切者だって思われたままだし、どうすりゃいいんだよ」
「だから言ったじゃない。傑は何も心配しなくて大丈夫よ、って」
路上で口づけを返されて、傑が目を瞬かせれば、綾音は小声で囁く。
「おとねはああ見えて、とても強かなの。だってあたしの双子の妹だもの。資くんだって、はなせばきっとわかってくれる」
「だが」
「だから――時を翔るちからに応えてくれた彼女に、破魔のちからを返したら」
――あたしと駆け落ち、してくれるわよね?
有無を言わせぬ口調で、愛する女性が目の前で背伸びして、傑の耳元に言霊を紡ぐ。
『すこーしだけ、歴史を変えるの』
そのすこしが、死ぬはずのふたりの運命を変える鍵になるのだと信じて。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
67
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる