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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
地獄の底で待ってる。 01
しおりを挟む綾音たちが赤き龍を討伐してから、すでに十日が経過していた。
葉月六日の夕刻に日本橋本町で起きた不可解な出来事は軍の箝口令によって世間に流出することは叶わなかった。けれどもその日に黄桜屋の建物だけが仰々しく大破している様子から、ひとびとは薬種問屋で違法薬品の爆発事故が起きたのだろうと噂している。その後軍によって現場で黒焦げになった秋庭征比呂の遺体が発見されたことが公表されたこともあり、赤き龍の存在は秘されたまま、闇に葬られることとなった。
「おとねの胸の蝶は結局消せなかったのね」
「ええ。資さまが毎日のように頑張ってくださいましたが、薄くなる途中で、月のものが訪れてしまいました」
「それでまたあたしが呼ばれたわけ?」
その間に音寧はこの世界で二度目の月経に遭遇し、過保護な資によって相変わらず迎賓館で幽閉同然の日々を過ごしていた。
今日も彼が選んでくれた瑠璃色の夜着を身にまとい、寝台の上で双子の姉と語らっている。綾音も似たような色のワンピースを着ていた。亡き母の着物をワンピースに仕立て直したものだと言われ、懐かしい気持ちになった音寧である。
討伐組織の人間による護衛だった尾久は迎賓館を引き払ったが、魔物が蔓延る冥界につながる穴を塞ぐ後処理で協力が必要だからと音寧はいまも綾音と傑によって迎賓館に身元を預けられている。
結納を無事に終えた綾音は晩秋に行われる祝言まで花嫁修業と称して時宮邸でおとなしく暮らすことになるというが、彼女のことだから息抜きと称してちょくちょく抜け出しては周囲に迷惑をかけてそうな気がしないでもない。
「わたしの月の障りはそれほどひどくないと言っているのに、資さまったら」
「はいはい、惚気はもういいから」
いま、音寧の傍に資の姿はない。護衛の任務を解かれ完全に軍から離れることになった彼はいま、ご隠居の三代目有弦が暮らす西ヶ原の洋館から日本橋本町の実家に通い、経営のいろはを叩き込まれているのだ。はじめのうちは良い顔をしていなかった四代目も、遠方への営業をはじめとした面倒な業務を彼に押し付けて自分は遊郭通いができると知って、態度を一変させたとか。
「千里くんたちも引き払ってしまったものね。おとねひとりだけが迎賓館に残されて……そろそろ破魔のちからを受け取る決意は出来た?」
岩波山にて行われた傑と綾音の結納以来、資も経営者の一員として店舗に迎え入れられ、五代目有弦を襲名予定の傑に毎日こき使われているらしい。仕事を終えて迎賓館に立ち寄る彼を労い、愛し合うのがいまの音寧に与えられた役目だ。
精を媒介に魔力を生み出し、破魔を扱えるだけの器を体内に用意することなら、もう出来ているのだから、あとは音寧次第だと綾音は告げる。
「でも。悪魔のせいで、媒介となる精を奪われてしまったみたいで、あやねえさまから破魔のちからを受け取れるか心配なんです」
「そりゃあ、体内の魔力を高めた方がいいけど……。って、あたしが素直に頷くと思う?」
「え」
うそつき。と双子の姉に窘められて、音寧はうっ、と言葉を詰まらせる。
「もう充分、貴女は異能を扱うだけの魔力を得ているわ。ただ資くんとはなればなれになるのが怖いだけなんでしょ?」
「……だって。あやねえさま!」
赤き龍の囮になって悪魔に連れ去られ、心と身体に傷を負った彼女をやさしく癒やしてくれた資に、さよならをしなくてはいけないのだ。
たとえ未来でもう一度逢えると、理解していても。
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