21 / 56
chapter,2
シューベルトと初夏の愛人 + 4 +
しおりを挟むプロテスタントにおける葬儀後の儀式は、昇天記念日に記念集会を行って祈りを捧げることになる。一週間、十日を目安に行うものだと添田は言っていたが、一ヶ月でも構わないだろうというアキフミの言葉で、一月後に教会で夫の記念集会を行うことになった。その際に、教会墓地へ骨を納めることも決定した。
「アキフミは、キリスト教徒なの?」
「いや。ただ、冠婚葬祭の場に出ることは多いから」
「なるほど。社長になると、その手のおつきあいも増えるのね……」
夫が亡くなって一週間が経過した。アキフミによって軽井沢の土地とピアノは買い取られたが、わたしをはじめ、添田や家政婦たちはこの場を追い出されることもなく、変わらない日々を過ごしている。唯一異なるのが、夫の代わりに若き主人と呼ばれるようになったアキフミが、わたしを傍に置いてともに生活をはじめたことくらいだ。
アキフミは最初の夜のようにわたしを抱くことはなかったが、ことあるごとにスキンシップをはかるようになっていた。身体に無理をさせたくないからと、ここ数日はキスとハグでふれあっている。
なんだかおおきな犬に懐かれてしまった気分だ。
「そういうお前は?」
「洗礼は受けてないわ。強制もされてない」
「けど、須磨寺とは教会で式を挙げたんだろ?」
「……それがね、式そのものはしてないのよ」
「はあっ?」
「添田さんから聞いてない? わたしがしたのはウェディングドレスを着せられて教会で写真を撮ったことと、婚姻届にサインしたことだけ」
「結局サインしたんだろ?」
「あ、あのときはパパ……父親のピアノを守りたくて、自分がどうなろうが構わなかったのよ」
「お前なぁ……自分を蔑ろにするなよ」
「わたしを愛人にするなんて言うひとに言われたくないわ」
ぷい、と顔を背ければ「愛人になるって言ったのはお前だろ」と、弱々しい反発の声。ピアノで大胆に愛を囁くくせに、こういうときのアキフミは迷子の子どもみたいで、自分が悪者になってしまったかのような気にさせられてしまう。
「拗ねないで、ご主人様」
「……拗ねてない」
ぽん、とわたしのあたまを軽く撫でてから、彼はピアノの方へ歩いていく。アキフミもまた、社長業務と調律師の仕事の傍ら、毎日欠かさずピアノの練習をつづけている。一緒に暮らしだしてからはわたしよりもピアノを弾く時間が長いかもしれない。
それだけ彼の指捌きは鮮やかで、的確で、うつくしかった。
彼が奏でる音には数多の感情が含まれている。わたしの前で披露するピアノの音色はいつだって切なくて、官能的で、生き生きとしている。朝露を浴びた花や、高原を翔ける風、小鳥たちの囀りに、降り積もる雪の情景までもが彼のピアノで表現される。
高校時代から変わらない、いや、それ以上に蓄積された努力家で秀才の彼らしい、腐ってない音色が、夫とは異なる意味で、わたしを癒やし、生きろとエールを与えてくれる。
「ずっと、ピアノ弾いていたんだ」
「お前のような超絶技法は無理だけど、弾いてないと腕が鈍るだろ」
「わたしももうプロのときのようなストイックな演奏は無理だよ。体力も筋力も落ちたし」
「ずいぶん痩せたもんな」
「そう、かな……」
「それだけ大変な思いをしたってことだろ」
ぶっきらぼうに応えたアキフミを見て、そうなのかと考える。ピアニストのときよりも健康的な生活を送れているからか、両親の死をきっかけにすとんと落ちたきりの体重は戻ることもなく、ぽっちゃり気味だった高校時代よりも薄っぺらい貧相な身体になってしまった。ピアニスト時代に着ていた胸を強調するようなドレスも、もはや着こなせないだろう。
――もしかして、わたしの身体が貧相になったから、アキフミはあの日以来、抱いてくれないの?
そう考えると、余計に惨めな気持ちになる。
愛人にして傍に置いてもらいながら、彼を満足させられないなんて。これじゃあ愛人失格ではないか。
夫を亡くしたわたしを同情しているだけなら、やさしくしないでほしい。甘い言葉とそのぬくもりに溺れてしまったら、彼に迷惑をかけてしまう。きっと彼はこの先華やかな世界に飛躍して、周りから認められるような素晴らしい女性を妻に迎えるだろうから……
「なあ」
アキフミの方が背も高いし容姿端麗だしいまのわたしなんかより舞台映えするはずだ。セミプロレベルのピアノ技術を持つ調律師で、社長にまでなった彼の存在こそ、マスコミが喜びそうなネタだと思う。もしかしたら既に婚約者がいるのかも。
わたしに関係を迫ったのは、“星月夜のまほろば”を手に入れる際に初恋の想い出を利用したかったからか、これ以上約束を燻ぶらせず、すっきりさせたかったか……どんどん悪い方向に想像力が振り切れて、わたしはひとり悄然とする。
「おい、ひとのはなし、きいてないだろ」
「……あ。なに?」
「ったく……ネメは、もう一度コンサートホールの舞台に立ちたいと思わないの?」
「夫と同じこと言うのね。わたしはもう隠居して別荘管理人として余生を送るって決めたの」
「……そう、か」
てっきりわたしがぼんやりしていたことを突っこんでくると思ったのに、アキフミはわたしの言葉を受けて、黙り込んでしまった。気まずい空気が、ふたりの間に漂う。
なんだか拍子抜けである。
* * *
添田にアキフミの愛人になった、と宣言したら複雑な顔をされてしまったが、特に反対はされなかった。事前にアキフミが根回ししていたに違いない。
アキフミも添田のことを重宝しており、ふたりの親子のような信頼関係に、わたしの方が妬きそうになる始末。
今日もふたりで軽井沢駅周辺の偵察に行くとか行かないとか。
わたしが楽しそうに本日の予定を語るアキフミをジト目で見つめれば、彼はそうだ、と軽く手を叩いて提案する。
「お前も来るか?」
「いいの?」
「紫葉不動産の長野支店に寄る用事が終われば、このあとはフリーだ。夕方までふたりでデートしよう」
「愛人なのにデート?」
「だから愛人愛人うるさいぞお前……」
はぁ、とため息をつくアキフミを見て、わたしは首を傾げる。いまさら恋人なんてキラキラした関係、高望みすぎる。
そんなわたしをやれやれと見やったアキフミは、添田に声をかける。
「そういうわけだから、車の手配、頼む」
「かしこまりました。紫葉さま」
恭しく新たな主へ一礼した添田は、珍しく、笑っているように見えた。
0
あなたにおすすめの小説
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
【完結】泡になった約束
山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。
夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。
洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。
愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。
そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。
振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。
平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。
結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。
絶対に離婚届に判なんて押さないからな」
既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。
まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。
紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転!
純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。
離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。
それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。
このままでは紘希の弱点になる。
わかっているけれど……。
瑞木純華
みずきすみか
28
イベントデザイン部係長
姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点
おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち
後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない
恋に関しては夢見がち
×
矢崎紘希
やざきひろき
28
営業部課長
一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長
サバサバした爽やかくん
実体は押しが強くて粘着質
秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる