24 / 56
monologue,2
初恋を拗らせたシューベルト + 1 +
しおりを挟む「わたしでよければ、シューベルトの愛人になってあげる」
ようやく手に入れた初恋の相手に、「愛人になってあげる」と言われた俺は、どうしてこうなったんだ、と思い悩んでいた。
* * *
ネメの夫であった須磨寺が死んだ際、葬儀の場で土地とピアノを買い取った旨を再会したばかりの彼女に告げた。葬儀の前に調律師として一度顔を合わせてはいるが、あのときのネメは俺のことをアキフミだと思っていなかったし、俺も彼女を須磨寺の奥様と呼んでいる。
正体を明かして真っ向からぶつかってきた俺に、彼女はたいそう驚いていたが、拒絶はしなかった。
本来なら死別後の再婚を示唆して、すぐさま俺と結婚するよう伝えるはずだった。民法上は百日の制限と呼ばれるものが存在するが、彼女が妊娠している可能性が皆無ならその制限は無効になるからだ。
けれどもネメはその場で、夫と過ごした土地とピアノを守るために自らが愛人になると宣言してしまった。
もう二度と、結婚などしないという彼女の想いに気づき、戸惑った俺は、彼女の想いを踏みにじってまで結婚を提案することができなかったのだ――……
死んだ須磨寺を慮っての愛人発言だとわかっていたが、俺は無性にムシャクシャしてしまった。
彼女が自分から愛人になると俺に言ったのだ、それなら上げ膳据え膳、いただくのが男というものである。
寝室に連れ込んで、喪服姿の彼女を裸に剥いて抱いた。無垢な彼女を強引にひらいた俺は、亡き夫が与えなかった悦びを彼女に味わわせたかったが、はじめての彼女は痛みしか感じなかったらしい。翌朝、俺だけが亡き夫を出し抜いた一時的な満足感を得ていた現実を知り、愕然としてしまった。
次は気持ちよくしてやると言ったら「最低」と返されてしまった。それ以来、どうすればいいかわからず、彼女に軽くふれることしかできないでいる。ほんとうならもっと深く愛したいのに。
彼女をこれ以上傷つけたくないと自信喪失中の俺は、その後は蛇の生殺し状態で、毎日を同じ寝室で過ごしているのだった。
* * *
初恋の彼女と約束した「シューベルトの妻」という言葉に縛られていたのは、俺の方だったのかもしれない。ピアニストの娘として華々しく音大在学中からデビューし、世界へ羽ばたきはじめていた鏑木鳴音。彼女に寄って来るハイスペックな異性も大勢いたのではなかろうか、そう考えていたが、ネメは処女だった。添田が「白い結婚」だと言っていたのは真実で、すぐにでも結婚できることが判明した。ただ、愛人でいることを選んだ彼女に心の整理をつけさせるためにも民法上の目安である百日はこの状況を我慢しようと、俺は心に決めたのである。
最初の夜に抱いた彼女は、高校時代の健康的な体つきからは考えられないほど、細く、女性らしいものへと変化していた。両親を亡くしたショックでガリガリに痩せた彼女の痛々しい姿はテレビ画面越しに何度も見ていたが、三年が経過したいまもほっそりとした体つきのままで、ちゃんと食事をしているのだろうかと不安に思ってしまったほどだ。
けれども彼女は軽井沢で健康的な暮らしをしていると言っていたから、俺の心配は杞憂だったらしい。ピアノを弾くための筋力はずいぶん落ちてしまったようだが、趣味で弾くぶんにはぜんぜん問題ない。むしろ、軽井沢に来てから見た彼女は気負っているところがなく、精神的にも落ち着いているようだった。悔しいが、軽井沢で過ごした須磨寺との穏やかな日々が、彼女を癒やしてくれたのだろう。
はじめての夜を過ごした朝に「愛の挨拶」を弾いたのは時期尚早だったかもしれない。
あれは身分違いの恋人たちが、両親の反対を押し切り結ばれたときの喜びを捧げた曲だ。俺はネメにきちんとした求婚すらできていない。身体だけでも繋げられればあとはどうとでもなる、などという双子の弟たちの助言はまったくもって役に立たないことを思い知っただけだった。
当然だ。彼女の心は亡くしたばかりの夫に傾いているのだ、本来なら時間をかけてゆっくり俺の方へ導く必要がある。
……だというのに、俺の厄介な立場がそれを許さない。
――紫葉不動産グループの子会社たる紫葉リゾートの新社長は、前妻の娘から地位を奪った平民の後妻の息子だ。得体のしれない若造が社長になるとは、何事だ!
義父は俺が独断で義姉を陥れ、紫葉リゾートの肩書を譲らせたことに疑いを持っている。義姉が買い取り予定だった“星月夜のまほろば”だけでなく管理人の邸宅とピアノまで買った俺の暴挙に釘を刺してきた。これ以上ピアノを購入する資金はないぞ、と至極当然のことを。
管理人の屋敷はともあれ、三台のピアノまで会社の経費で購入するとは思いもよらなかったのだろう。とっとと売りに出せと言われたが、ネメが大切にしていたピアノを売ることなどできるわけがないと俺は頑なまでに拒み、義父から匙を投げられた。
広大な別荘地に五棟しかない古びたログハウスなどとっとと潰して、年中無休の箱物で手っ取り早く利益を回収したい義姉のやり方に反旗を翻した俺は、社長になりながらも異分子扱いを受けることになった。それ以前から高校中退後に短大を出て調律師専門学校に入った不可思議な学歴を揶揄されたり、母子家庭に育った生まれを蔑まれることが多々あったので俺からすればたいしたことではないのだが、この状況を憂えた母親が余計なヒトコトを義父に告げたのだ。
――息子がピアノに固執するのは、初恋の女性の面影を追い求めているから。結婚して身を固めればすこしは落ち着いてくれると思うの。ねぇ、誰かピアノを嗜まれている未婚女性を紹介してくださらない? 上層部の方の娘さんとか、古くからあなたの会社にいらっしゃる関係者ならなおさらいいと思うわ。どこの馬の骨かわからない若造を支えてくれる運命の女性を社長夫人にしたら、グループ内の抗争も解決できて一石二鳥じゃない?
0
あなたにおすすめの小説
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
【完結】泡になった約束
山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。
夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。
洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。
愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。
そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。
振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。
平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛
春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
氷の上司に、好きがバレたら終わりや
naomikoryo
恋愛
──地方から本社に異動してきた29歳独身OL・舞子。
お調子者で明るく、ちょっとおせっかいな彼女の前に現れたのは、
“氷のように冷たい”と社内で噂される40歳のイケメン上司・本庄誠。
最初は「怖い」としか思えなかったはずのその人が、
実は誰よりもまっすぐで、優しくて、不器用な人だと知ったとき――
舞子の中で、恋が芽生えはじめる。
でも、彼には誰も知らない過去があった。
そして舞子は、自分の恋心を隠しながら、ゆっくりとその心の氷を溶かしていく。
◆恋って、“バレたら終わり”なんやろか?
◆それとも、“言わな、始まらへん”んやろか?
そんな揺れる想いを抱えながら、仕事も恋も全力投球。
笑って、泣いて、つまずいて――それでも、前を向く彼女の姿に、きっとあなたも自分を重ねたくなる。
関西出身のヒロイン×無口な年上上司の、20話で完結するライト文芸ラブストーリー。
仕事に恋に揺れるすべてのOLさんたちへ。
「この恋、うちのことかも」と思わず呟きたくなる、等身大の恋を、ぜひ読んでみてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる