Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき細雪

文字の大きさ
44 / 56
chapter,4

シューベルトと初恋花嫁の秘密 + 5 +

しおりを挟む



 アキフミが運転する車で連れてこられたのは、軽井沢にできてまだ新しい大型アウトレット施設だった。仕事で着るネクタイを選んでほしいと頼まれて、紳士服の店でわたしはブルーグレイのネクタイを選んであげた。そういえば、まともなスーツを着て仕事している彼の姿は数回しか見たことがない。屋敷での彼は常にラフな格好だったし、再会したときは夫の葬儀でブラックフォーマルを着ていたのだから。

「社長のネクタイを選ぶなんて、重大なお仕事だね」
「そう深く考えなくていいよ。俺はネメが選んでくれたネクタイをつけたいだけだから」

 なんだかすでに社長夫人みたいだ、と心のなかで呟いて緊張していたわたしは、アキフミが持っているダークグレーのスーツを思い浮かべながら、なるべく失敗しないようにベーシックな色味を選んだつもりだ。
 そんなわたしを面白そうに見つめるアキフミは、「せっかくだからもうひとつお願いしようかな」と陳列棚に並ぶネクタイを指差してわたしに迫る。

「ひとつでいいんじゃなかったの?」
「そんなわけないだろ。これから表に出る勝負服の準備をしたいんだから」
「勝負服?」
「これが俺の妻だ、って紹介する際にお前が選んだネクタイをつけて臨みたいんだよ」
「――本気?」
「だから地味で上品なネクタイもいいんだけど、もうすこしパンチの効いたネクタイが」
「じゃあ、これなんかどう?」

 先程失敗を恐れて地味で上品なものを選んでしまったわたしは、彼の言葉を遮るようにピンク色のネクタイを指差す。グレーのスーツなら意外とピンク系でも似合うだろうな、でもアキフミがピンクをつかうのは想像できないな、と思った矢先の彼の指摘だ。てっきりそれはないだろうと顔を顰めるだろうと思ったのに……

「わかった、これも買う」

 そう言って、彼はあっさりわたしが選んだ二本のネクタイをレジへと持っていったのだった。


   * * *


 途中、軽食をはさみつつ午後三時までショッピングを楽しんだわたしたちは、そのまま軽井沢駅から車ですぐのところにある雲場池に行った。王道観光スポットなどと呼ばれる軽井沢の雲場池だが、恥ずかしながら三年間暮らしているにもかかわらず一度も訪れたことがなかったのだ。

「それは仕方ないだろ、屋敷のある北軽井沢で無免許で暮らしていたんだから、そう簡単に出歩けなかったわけだし」
「買い出しや夫との付添で旧軽井沢方面は何度も行ってるんだけど、新軽井沢や開発が進んだ中軽井沢のリゾート地の方って実はよくわからないの」
「それじゃあ、これからもたくさんデートしようか……お互いの仕事の合間に」
「うん!」

 落葉松や紅葉が青々と茂るなか、水鏡が美しい雲場池の景色と、マイナスイオンを満喫しながらわたしとアキフミは手をつないで池の周囲を散策する。ひとまわりするのに三十分弱という散歩コースにはカメラや画材を片手に持った観光客の姿も目立つ。それでも中途半端な時間帯だからか、混雑はしていなかった。野鳥のさえずりや、木漏れ日に癒されながら、わたしとアキフミは森林浴を楽しんだ。
 陽光に煌めく水面は水鏡と呼ぶに相応しく、はじめて見たわたしを圧倒させた。
 アキフミと一緒に見た景色は、新鮮で、清らかで、自分の心を弾ませてくれる。

「……なんだか信じられない。こんな風に、大人になったアキフミとデートしているなんて」
「俺も」

 教室やライブハウスでピアノを弾いたことはあったけれど、それ以外の場所でこんな風に、ふつうの恋人同士がするようなデートなど、今までしたことがなかった。
 雲場池のほとりにあるレストランの木陰のテラス席に座って、緑に囲まれた場所から外の景色を堪能しているわたしを、アキフミがクリームたっぷりのウインナコーヒー片手に楽しそうに見つめている。

「――月曜日は“星月夜のまほろば”でふたりだけの宝探しだな」
「え? 立花さんも来るんじゃなかったの?」

 わたしが驚いた顔を見せれば、彼は声のトーンを落として、ぽつりと呟く。

「紫葉の、東京本社から呼び出しが来た……両親がついにしびれを切らしたらしい」
「そうなの?」
「数日は粘るつもりだ、って言っていたけど……下手するとこっちに乗り込んでくるかもしれないな」

 アキフミの両親が自分に逢いたがっている――わたしが彼の花嫁に相応しいか見定めるため?

「それか、お前を東京に連れて来いと、命令してくるか……」
「どっちにしろ、顔を見せないといけないってことよね」
「ああ。だからその前に、どうしても須磨寺の遺言書を探したい」

 遺言書に書かれている内容次第で、アキフミの駒は変化する。
 わたしがバツイチじゃない、事実婚関係にあったという戸籍謄本はふたりの結婚を認めてもらうための立派な武器になるが、それだけでは心もとないのも事実だ。
 実家から除籍された天涯孤独の元ピアニストが手にするであろう遺産を、内縁の夫はどう相続させるのか。たったひとりに託すのか、それともほかの人間にも分け与えるのか……
 添田はアキフミの名前も書いてあるだろうと言っていたけれど、紡の名前が書いてある可能性だってまだ捨てきれない。土地とピアノをはじめとした夫にまつわる全財産を分配するとなると、他の人物の名前も記されているかもしれない。

「たぶん、遺言書自体はすぐに見つかる場所にあると思うの。わたしの本籍地を“星月夜のまほろば”三号棟にしたのは、きっとそこに……が」

「あら、礼文さまじゃありません? このような場所で奇遇ですわね!」

 ぽつりと零したわたしの言葉は、甲高い第三者の女のひとの声に、かき消されていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【完結】泡になった約束

山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。 夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。 洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。 愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。 そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。 振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。 平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ
恋愛
26歳OLの木崎茉莉は人生のどん底にいた。上手くいかないことに慣れ、心を凍らせることで自分を守る毎日に絶望した茉莉は、雨の夜に思わず人生の終わりを願ってしまう。そんな茉莉に手を差し伸べたかっこいい彼。茉莉は、なぜか無償の愛のような優しさをくれる不思議な男性に少しずつ救われ、前を向いていく。けれど、疑ってしまうほど親切な彼には、親切であり続ける理由があって……。雨の夜の出会いがもたらした、優しくも切ない物語。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

氷の上司に、好きがバレたら終わりや

naomikoryo
恋愛
──地方から本社に異動してきた29歳独身OL・舞子。 お調子者で明るく、ちょっとおせっかいな彼女の前に現れたのは、 “氷のように冷たい”と社内で噂される40歳のイケメン上司・本庄誠。 最初は「怖い」としか思えなかったはずのその人が、 実は誰よりもまっすぐで、優しくて、不器用な人だと知ったとき―― 舞子の中で、恋が芽生えはじめる。 でも、彼には誰も知らない過去があった。 そして舞子は、自分の恋心を隠しながら、ゆっくりとその心の氷を溶かしていく。 ◆恋って、“バレたら終わり”なんやろか? ◆それとも、“言わな、始まらへん”んやろか? そんな揺れる想いを抱えながら、仕事も恋も全力投球。 笑って、泣いて、つまずいて――それでも、前を向く彼女の姿に、きっとあなたも自分を重ねたくなる。 関西出身のヒロイン×無口な年上上司の、20話で完結するライト文芸ラブストーリー。 仕事に恋に揺れるすべてのOLさんたちへ。 「この恋、うちのことかも」と思わず呟きたくなる、等身大の恋を、ぜひ読んでみてください。

カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~

伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華 結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空 幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。 割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。 思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。 二人の結婚生活は一体どうなる?

処理中です...