白鳥とアプリコット・ムーン ~怪盗妻は憲兵団長に二度娶られる~

ささゆき細雪

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白鳥とアプリコット・ムーン 本編

怪盗アプリコット・ムーンと憲兵団長ウィルバーと救国の乙女

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 西の塔の最上部にある小部屋に閉じ込められていたウィルバーは、窓の向こうから見える満月を見てにやりとほくそ笑む。

 ――今宵、怪盗アプリコット・ムーンが俺を攫いに来るらしい。

 けれど、その前に自分はスワンレイク王国の憲兵団長として、自分を閉じ込めている男を捕縛しなくてはいけない。

 空っぽのシチュー皿を見たオリヴィアに扮したタイタスは、何も言わないウィルバーを見て、怪訝そうな表情をしている。
 薬を飲んで無気力になったふりをしていたウィルバーは、タイタスの顔色をうかがうことなく、夢見るように満月を眺めている。
 
「怪盗に、攫われるって、どんな気分だろうなぁ……タイタス・スケイルよ」

 ぎょっとするタイタスを見て、ウィルバーはふい、と顔を背ける。
 そこへ、ひとすじのひかりが舞い降りる。
 
「ごきげんよう、憲兵団長ウィルバー・スワンレイク」
「怪盗アプリコット・ムーン……!」

 何もないところから突然現れた怪盗アプリコット・ムーンを見て、ウィルバーはなぜかダドリーに召喚されたときのことを思い出してしまった。そうか、こんな風に突然現れたら、誰だって驚くに違いない。現にタイタスも何事かと表情を凍らせ、その場で身体を硬直させている。

「助けに来たわよ、灰色の白鳥さん!」
「別に助けろとは言ってない……俺だってな、オリヴィアのふりをしていたタイタスをどうにかして捕らえようと考えていたんだ。君だって王城の地下牢に捕らえられていたんじゃ」
「その話はあとで。“烏羽の懐中時計”は彼が持っているのかしら?」

 黒装束の美しい女性がタイタスに向き直る。古民族のなかでも使える人間が限られているという“稀なる石”をつかった転移の魔法でウィルバーの前へ颯爽と現れ、女神のような雰囲気を醸し出す彼女の姿を前に、タイタスはここにきてようやく自分の分が悪いことに気づく。

 
「お前……何者だ!?」
「怪盗アプリコット・ムーン。スワンレイク王国憲兵団長ウィルバー・スワンレイクの、妻よ」


 キラリとヴェールの向こうの緑柱石のような瞳が煌く。
 その瞬間、怪盗アプリコット・ムーンの背後で護られていたウィルバーが飛び出し、タイタスに体当たりをする。
 
「ぐふっ……」
「あったぞ、“烏羽の懐中時計”……! マイケル・コルブスを従わせていたのは、これを持っていたからか!」

 受け取れ! と放り投げられた白銀の塊を、怪盗アプリコット・ムーンが両手で受け取り、窓の向こうの満月に向けて、蓋をひらき、文字盤を翳す。
 
「――や、やめろぉおおお!」

 背後でじたばた抵抗するタイタスを無視し、怪盗アプリコット・ムーンはウィルバーの前で魔法を詠唱する。歌うように、軽やかに囁かれた言葉は、怪盗アプリコット・ムーンがローザベル・ノーザンクロスの存在をやり直したときとは違い、穏やかで、怖いくらいに凪いでいた。

「かのもののときよいままきもどれ……」

 その言葉が引き金になったのか、文字盤のなかの“稀なる石”たちが輝きだし、室内に無数の光の精霊が生まれだす。
 まぶしくて、思わずタイタスを拘束していた手を緩めてしまったウィルバーは、彼が断末魔に似た悲鳴をあげながら怪盗アプリコット・ムーンへ、なんらかの液体をふりかけたことに気づいていない。

「っ!」

 ひかりの洪水がおさまり、ウィルバーが瞳をひらいたときには、すべてが終わっているように見えた。シュウシュウという異様な音さえ聞こえなければ。

「怪盗、アプリコット・ムーン……?」

 西の塔の小部屋にいるのは、ウィルバーと、タイタスと、怪盗アプリコット・ムーンの三人のはず。
 だが、ウィルバーがそこで見たのは……
 タイタスが持っていた薬を浴びて気を失い床に突っ伏している怪盗アプリコット・ムーンと。
 さきほどまでタイタスが着ていたスカートのなかですやすやと眠っている見知らぬ赤ん坊の姿だった――……


   * * *


「つまり、彼女はタイタス・スケイルに向けて“やりなおしの魔法”を放った、ということだな」
「人生そのものをやりなおさせるみたいです」
「……やることなすこと極端だなあ、怪盗アプリコット・ムーン」

 仮死状態の薬の効果が切れて覚醒した国王アイカラスが、苦笑を浮かべながら第一皇太子で国王名代の任を担っていた長男フェリックスの報告を聞いている。目覚めた際にフェリックスが戴冠し終えていることも想像していたが、どうやらアイカラスが起きるまで待っていてくれたようだ。
 ふたたび怪盗アプリコット・ムーンが暗躍し、想定外の事態に陥っていたものの、ウィルバーを含む王家の人間が一丸となってタイタスの悪巧みを阻止したと知って、国王陛下は安心している。

「まさかここにきて孫が増えるとはな……ライナス、いい名前だ」

 フェリックスの隣で生後間もない赤ん坊と化したタイタスを抱っこしているのは、かつての姉であるオリヴィアだ。彼女はこんな奴殺してもいいのにと毒づいていたが、金髪栗目の無垢な赤ん坊の姿を目にして以来、「この子はダドリーの弟として立派に育てますわ!」とフェリックスとともに親の名乗りをあげ、あっさりその座を射止めている。
 さすがにタイタスという名前は受け入れられないからと、フェリックスとオリヴィアは息子ダドリーとも相談して新たにライナスと名付けた。
 王家を憎み傀儡の王を据えて国を乗っ取ろうと画策した男は、皮肉にもこうして王家の一員になったのである。

 記憶だけでなく人生をやりなおす魔法をかけた怪盗アプリコット・ムーンはいま、王城にいない。

「それにしてもオリヴィアよ。怪盗をあのままにして良かったのかね」
「彼女が最後にかけられた薬は、リヴラの秘薬には劣るけど、呪いの類に近いものよ。わたくしの手にはおえませんわ」

 ウィルバーと怪盗アプリコット・ムーンがタイタスと対峙した満月の夜。
 タイタスは“烏羽の懐中時計”によって“やりなおしの魔法”をかけられ、赤ん坊になった。
 その際に、手に持っていた液体の薬を怪盗アプリコット・ムーンへふりかけていたらしい。らしい、というのはウィルバーが何も見ていなかったからだ……本人は魔法の発動でひかりが眩しすぎて何も見えなかったんだと弁解しているが、こういうときこそ愛する女性を護るべきだろうが、とアイカラスは脱力する。

 すべてが終わったとき、怪盗アプリコット・ムーンは薬をかけられ、意識を失っていた。憲兵団と懇意の宮廷医に診てもらったところ、死に至る猛毒ではないと判断されたが、黒装束についていた薬品をオリヴィアに確認させたところ、媚薬効果のある眠り薬……催淫睡眠剤という厄介なものだと判明した。眠りつづける彼女を起こすには、繰り返し性交し、胎内に子種を蒔きつづけることが必要なのだという。
 タイタスは怪盗アプリコット・ムーンを薬で眠らせた後に犯そうとでも考えていたのだろう。だからこのようなふざけた薬を隠し持っていて、最後のあがきでぶちまけたのだ。薬が何かわからない限り、永遠に眠りつづけるという、リヴラの一族でなければまず知らない、特殊な薬を。
 アイカラスは解析された薬の結果を知ってふたたび花の離宮へ閉じこもったウィルバーと眠りつづける怪盗アプリコット・ムーンを想い、彼なら任せて大丈夫だろう、ついでに孕ませて今度こそ捕まえてしまえと心の中でどこか投げやりに叫ぶ。透視術をつかえるジェイニーとダドリーがこの場にいなかったのが救いである。

「……ところで、この事態をどう収束させるのですか」
「憲兵団長ウィルバーを攫い監禁し謀反を企んだたタイタス・スケイルは怪盗アプリコット・ムーンによって成敗された。ウィルバーによってタイタスは王城へ連行されたが、その場で実の姉オリヴィアによるリヴラの秘薬を飲まされ廃人となった後死亡、とでもしとけ。ついでに怪盗アプリコット・ムーンもその際タイタスによる攻撃で命を落とした、ということにしよう」

 怪盗アプリコット・ムーンの処刑を望んでいた国民には申し訳ないが、彼女は国家の危機を救った救国の乙女なのだ。名誉の死を国民に伝え、国家を愚弄したという彼女の汚名を雪がせればよい。
 恩赦という考えもあったが、それまでの時間が惜しいし、怪盗を生かしたままにすることを快く思わない人間たちの反発も考えられる。

「ひとまず、退位の件は保留にする。フェリックスには引き続き国王名代を勤めてもらうがな」
「と、いいますのは?」
「夢を見たのだよ……エセルの」
「王妃さまの、夢をですか?」

 スワンレイク王国王妃エセル・スワンレイクは二年前に馬車の事故で亡くなった悲劇の王妃である。怪盗アプリコット・ムーンがいつぞやに盗んだ“六月の紫ヴィオレットユーニ”と呼ばれるティアラは、そもそも誰のあたまを飾ることもなく埃に埋もれる運命にあったのだ。それをわざわざ美術館に飾らせたのは、彼女を偲ぶ意味があったのだが……いま思えばそれだけではなかったのかもしれない。
 怪盗アプリコット・ムーンが捕まった際に、盗まれた品は勝手にもとあった場所へと戻された。王妃のティアラも例外ではない。
 王の手元へ戻ってきた王妃のティアラは、どこか嬉しそうに見えた。その理由はわからなかったが、仮死状態になる眠り薬を飲んで夢を見ている際に、真実は判明する。

「わしはまだ、生きてやるべきことがある、と叱咤された」

 そして懇願されたのだ、夢のなかで。

「“六月の紫”を、ウィルバーの嫁さんのあたまに飾れ……と」

 誰のあたまを飾る予定のないままアルヴスで作成された王妃のティアラ。魔力をつかさどる“稀なる石”がつかわれていたことによって怪盗アプリコット・ムーンに盗み出されたそれは、女怪盗のあたまを飾れたことが嬉しかったのだと、エセルが告げた。
 アイカラスは夢占などできないが、愛した妻が夢にでてきて説明してくれたことだからと、この夢は信じられるとフェリックスたちに力説する。

「いまの彼女はノーザンクロスの娘ではない。ただの怪盗アプリコット・ムーンだった。その正体は、憲兵団長ウィルバーが愛してやまない恋人のローザベルで、そう遠くない未来に妻になる……フェリックス、オリヴィア、スワンレイク王家の危機を救った娘は、王家の一員として羽ばたく白鳥になるのだよ」
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