カベ越シカイダン

片里 狛

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まねきいれる-2

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 ぴんぽーん、と、チャイムが鳴った。
 おれは丁度帰ってきたところで、今日も何事もなく帰宅できたことに一通り感謝してから一応塩水でうがいをしたところだった。
 ネット知識で本当に効くのか知らないけれど、やっぱり塩と酒は除霊には必須らしい。ついでに生姜もきくという話もどっかでみたから、幽霊っていうものはもしかしたら風邪に近いものとして考えられていたのかもしれないなーとか思いながら、ドアスコープを覗いた。
 この部屋は元々桑名さんの部屋だし、桑名さんが帰ってくる時はチャイムなんか鳴らさない。普通に鍵開けて入ってくる。そりゃそうだ自宅だもの。
 同居するようになって随分経った気がするけれど、その間に来客なんてなかった。せいぜい、新聞の勧誘と宗教の人くらいだ。どちらも桑名さんが居た時に来襲し、桑名さんが撃退してくれたので、おれひとりで玄関に立つことは無かった。
 ドアスコープっていうのは、どうにもちょっと、怖い。
 どうやら桑名さんは、出会った頃の心霊現象がちょっとトラウマになっているらしく、ドアスコープ覗くときだけ妙に及び腰になっていた。おれだって冷蔵庫開ける時に深呼吸するようになったから、その気持ちはよくわかる。
 桑名さんよろしく若干のへっぴり腰で怖々覗いたレンズの先には、見知った顔がにこにこと笑っていた。
「…………巻さん……?」
 思わず、確認した時計はまだ夕刻過ぎで、桑名さんのところの会社の退勤時間にはまだまだ遠い。でも巻さんはご実家の用事で良く半休を取っていたりしたし、土日出勤スケジュールのせいで平日代休ってこともある、みたいな話をきいていた。
 お休みなのかな。
 軽くそう考え、どうしましたかとインターフォン越しに声をかけると、『入れてー』と言われる。
 間延びした調子の良い声は、確かに巻さんのものだ。
「今日お休みなんですか? ええと……桑名さんのお使い、ですかね? 桑名さん、まだ帰ってきてないですけど」
『うん、お休み。入れて入れて』
「あ、はい、どうぞ。あー……もしかしたら汚い、かもしれないですけど。あと何もないしおれひとりですけど」
『うん、ひとりだね。入るねー』
 インターフォン越しに聞こえる声は陽気だ。いつもにこにこ、というよりはへらへらとしているそのテンションが、おれは案外好きで、桑名さん同様巻さんのことも結構本気で尊敬している。
 桑名さんは『あんなやつ参考にしたらとんでもない大人になるからやめといた方がイイ』って言うけど、いつ何時でもへらへらと優しい生ぬるい感じの優しさとおおらかさをもった巻さんは、やっぱりすごいと思う。
 そんなわけでおれは、結構巻さんを信頼していた。
 がちゃりと鍵を開けて、どうぞと巻さんを招き入れる。
 にこにこ、へらへら、いつものように笑っている巻さんは、いつもと同じように軽い笑顔でもう一度『入るね、いいね、よろしくね』と言った。
 どうぞ、と言った瞬間、少し肩が重くなった気がした。
 でもそんなものは気の所為だと思った。幽霊が居ると肩が重くなる、なんて話は有名だけれど、おれはこの部屋に越してきてからの心霊現象で肩に重さを感じたことは無い。頭が痛くなったり吐き気を感じたことならあるけれど。
 巻さんは丁寧に靴を脱いで、すっと玄関から上がった。
「あれですよね、また桑名さんが心配して様子見に、とか言ったんですよねきっと。お休みのところ申し訳ないです……」
「うん、様子見に来たんだよ」
「……ホントに何もないんですけど……ええと、桑名さん帰ってくるまで何しましょう」
「うん、何しよう」
 お茶でも入れたほうがいいんだろうか。でもまた髪の毛入るとヤダなぁどうしようともだもだしていたら、桑名さんからのメッセで携帯が鳴った。
 久しぶりに定時に上がるという旨の連絡と、大丈夫? といういつもの一言が添えられている。仕方のないこととは言え、かなり心配されていて申し訳ないやら嬉しいやら、不思議な気分だ。
 巻さんも居るから平気ですと返信して、とりあえずお茶くらいは出すべきかなと思ってお茶の葉を探した。
 おれは麦茶派だけれど、桑名さんが玄米茶派だ。
 冷蔵庫には大概、桑名さんが煮出して作った玄米茶が冷えている。冷コーヒーとビールで生きてそうなのに、と漏らすと、『カフェイン取り過ぎると寝れなくなっちゃうんだよね』と苦笑いしていて大変胸にきゅんときた話は巻さんにはしない方がいいだろうな。のろけかって怒られそうな気がする。
 時間的には夕食一緒に取るのかな。
 でもおれが作るとよろしくないものが混入する。大変よろしくないオプションが付く。
 桑名さんに買って来てもらった方がいいのかなーと思いつつ、台所でお茶の準備をしつつ、連絡しようか迷っていると着信音が鳴った。珍しい。桑名さんは最近あんまり電話しないのに。
「はい、もしもし。……お仕事終わったんですか?」
『―――、木ノ下、くんあの……っ、ええとね、今結構急いで帰ってる途中であと十分……五分? でどうにかそっちにつけそうなんだけど、とりあえず外に出れるかな……!』
「え、は? 外? なんで?」
『あーその、説明するとちょっとよろしくないような気が、あの、とにかく部屋から出てほしい。出れるなら、なんだけど……っ、ちょ、おま、安全運転しろアホ!』
『んだよ急げっつったの桑名じゃん!』
『モノには限度があるだろアホか! ……とにかく、木ノ下くんはそっと部屋を出、』
「……なんで、」
 なんで、電話の向こうから巻さんの声すんの?
 その声に気が付いて、意味がわからなくて、ちょっと何秒か固まって、頭真っ白で、その後漸く背筋がぞっと震えた。
 桑名さんは電話の向こうで巻さんと会話をしていた。巻さんと桑名さんは、急いで帰宅している最中らしい。おれに部屋を出ろ、と言う。おれはさっき帰ってきたばっかりで、チャイムが鳴ったからドアスコープを覗いたら、巻さんが笑いながら立っていて――……。
 じゃあ、おれが招き入れた人は、誰?
「…………………ッ…!」
 ああだめだ指先が震える。怖い。こわい。後ろが怖くて、振りむけない。
 久しぶりにやばい。ぞわぞわなんてもんじゃない。もっと、指の先から腹の底まで、恐怖でガチガチと震えるような。痙攣するような。
 ……こわい。
 こわい。
 おれのうしろにいるの、だれ?
 真っ白になった頭の中で、その疑問だけがぐるぐると馬鹿みたいに回る。
 何も考えずに招き入れた。どうぞ、と言ったのはおれだ。入るね、と何度も言われた。
 入るね、入るね、どうぞ、入ったよ。
 その言葉を思い出して、眩暈で倒れそうになる。いつの間にか通話は切れていて、桑名さんの声も、巻さんの声も聞こえなくなっていた。切った覚えも、切れた記憶もない。画面は真っ暗で、電源すら入っていない。
 ガチガチと震える足を叱咤しどうにかそっと、玄関前まで移動した。
台所に居てよかった。アレの前で電話を取っていたら、きっと直視してしまっていた。目を合わせたらいけない、と、思った。振りむいちゃいけない。このまま、外に出て……。
 ドアノブに手をかけた瞬間、足を、掴まれた。
「……ッひ……!?」
 ――どこにいくの。
 足を掴まれているのに、声は耳の後ろから聞こえる。
 巻さんの声のような気がしていたけれど、もうよくわからない。女のような、男のような、判断もつかないような声は、うれの耳の後ろでにたにたと喋った。
 ねえどこにいくの。ねえいれてくれたのに。ねえどこにいくの。どこにいくの。
 ぐらり、と、眩暈がする。頭が痛くて、肩が重くて、吐き気がする。冷たい。指が震えて身体が一歩も動かない。
 答えちゃいけない。逃げなくちゃいけない。でも、動けない。
 息をするのも辛くなってきた。もうだめかも。このまま、倒れるかも。
 止まりそうな息を繰り返し、掴まれたままの足をできるだけ見ないように、どうにか力を入れようとした時、チャイムが鳴った。
 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん、と連打され、ハッと息が戻る。
「木ノ下ちゃん生きてるー!? ちょ、桑名鍵! 鍵だせ早くッ!」
「出してるよそこどけアホ……! チャイム連打すんな壊れたらどうすんだ! 木ノ下くん、生き、」
 ガチャガチャと鍵をあける音がする。こういう時ってなぜか鍵が開かない、っていうのが定番だと思ったのにすんなりとドアは開いて、すごい勢いで跳び込んできた桑名さんに正面からぎゅうっと抱きしめられた。
 ヒッ、と息を飲む声が聞こえる。それは、おれの後ろから聞こえたような気がしたが、実際は桑名さんの後ろに立つ巻さんの声だったらしい。おれはもう倒れる寸前で、どうにか震える手で桑名さんに抱きついていた。
 桑名さんは動けないおれを抱えあげるようにして、玄関から外に出た。
 そのままの勢いでバンっとドアを閉め、背中を撫でてくれる。おれはもう全然、足にも腰にも力が入らなくて、半泣きで桑名さんに凭れかかっていた。ずるずる、おれの重さに耐えられないらしく桑名さんも尻もちをつく。
 上の方から、『何あれおっかねー』と、本物の巻さんの声がした。
「桑名、あれみた?」
「……なんとなく。あんまはっきりは見えなかったけど、黒かった、かな?」
「あー……やっぱ霊感あるなしだと見えるもん違うのかよくっそ、恐怖の共有しようぜ後で。木ノ下ちゃんなに迎え入れちゃったの? あのー、俺あれ今日夢に出てくるレベルのジャパニーズホラー感よ?」
「……ふつうに、チャイム、なって……そしたら、まきさんが、たってて、いれてっていうから、……どうぞって、おれ、……あし、つかまれ……しぬかと、おもった…………っ」
 半べそ状態で首に巻きつくおれの背中を撫でて、桑名さんは優しい声をかけてくれた。
「うん、良かった、間に合って。あー……生きた心地しなかった」
「…………すいませ……おれ、ほんと、めいわくばっかり……」
「あーいや、全然。きみが無事ならそれでいいし。ていうかほんと、久しぶりに死ぬほど走ったから、なんていうか、本当に無事でよかったし、あーもうすっごい大事なんだなって自覚したし、もう腹くくろうかなってちょっと思ったよ……」
「はら、くくる……え?」
「とりあえず巻、中ちょっと確認してきてくれるか」
「え。俺が行くの。まじで。鬼畜っすね桑名さん」
「おまえが一番そういうのに強そうなんだよ、性格的にもポジティブだし。やばいとおもったら見るだけでいいから」
「うへ―……同僚使い荒いわ~明日昼メシ奢れし~」
 文句を言いつつも扉を開けて中に入って行く巻さんは本当にすごいと思った。
 思ったけれど、桑名さんに『きみはとりあえずこっち』と顎に手を添えられてキスをされて、巻さんどころじゃなくなった。
 しなだれかかったまま、食べるようなキスをされて震えていた身体が漸く、体温を取り戻していく。というか、桑名さんのことしか考えられなくなる。
 舌がぬるりと動くのが気持ちいい。気持ちよすぎて、あれ、おれなんでこんなとこで桑名さんとちゅーしてんだっけって、よくわからなくなる。
「……っ、ふ……ぁ、……っ、くわな、さ…………だめ、ちょ……やだ、」
「……いや? ……でも、ほら、ちょっと正気になってきたでしょ」
「正気、っていうか、あの……、……、逆に、正気でいられなくなるって、いうか……」
「俗世な気分になってた方がいいよ。木ノ下くんはたぶん、呑み込まれやすいんだろうからさ」
 えっちな気分のままでいたらいいんじゃないの、と腰を撫でられて、さっきとは別のゾクゾク感に首をすくめてしがみついた。
「…………むっつりすけべ……」
「うん。それ、さっきも言われたな。だから俺は普通にエロいですって言ってるのにね」
 こめかみにキスを落とされて、顔を上げるともう一回柔らかくキスされて、やっとさっきの恐怖が和らいできた。
「……ちょ、ちょいちょい待て待ておホモたち! いやね、木ノ下ちゃんの精神安定が桑名なのは知ってるけど頑張ってる巻ちゃん放っていちゃいちゃするの! どうかと思います!」
「あ、中どうだった?」
「無視かよ!? ていうか中さ、別になんもないし誰も居ないわ。変な感じもしないし、っつっても俺感じますタイプの霊感人間じゃないからわっかんないけどさ。まあ、桑名一緒なら平気なんじゃないの? なんだったら俺も一緒にって言おうと思ったんだけどご夫婦がいちゃつきだしそうな予感しかしないので飯食ったら帰りますわ馬鹿! 一生いちゃいちゃしてろしあわせになれイケメンと桑名め!」
 ばーかばーかと言う割になんだかんだ優しい巻さんに感動して、いい加減桑名さんから離れようと思ったら、もう一回ぎゅってされてバランスを崩して、覆いかぶさるようになってしまった。
「……え、なん、ですか」
「いや。……この格好、ちょっといいなと思って」
 おっさんか、というおれと巻さんのつっこみが被って、そのどちらにも『おっさんですよ』と笑って返す桑名さんは強い。とても強い。だからきっと、おれは桑名さんと一緒にいると安心するんだと思う。
 強いし優しいしかっこいいし。
 ……本当にもう、この人が居ないと生きていけなくなりそうで怖かった。


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