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しおりを挟む佐塚の部屋の浴室は、やはり想像していた通りに異様に物が少なく、呆れる程綺麗だった。
「普段、シャワーくらいしか使わないし、その上最近は職場近くのスタッフの家のシャワー借りちゃうことが増えてさ……もうほんと、なんで家賃払ってんのかわかんなくなってきたとこだった」
髪の毛を洗い終えた佐塚が、おざなりにタオルドライをしながら愚痴る。バスタブに湯を溜めたのは、この部屋に住んでから初めてのことらしい。
「ちゃんと使うタイミングができてよかったよ。おれの部屋の湯船バージンを奪ってくれてありがとう」
「あの、真面目に答えますけど、佐塚さん身体バキバキなんで、たまにはお湯につかったほうがいいと思います……」
「マジレスー」
ふふ、と笑う音が浴室に響く。
佐塚の声は少しだけ低めで、その割に軽い。浴室に反響する声はどことなく甘い余韻を持ち、汀を落ち着かない気分にさせた。
勿論、そんな動揺など微塵も滲ませることなく、先に湯船につかっていた汀はさらりと笑う。
「あとでちゃんと肩揉みましょうか? 頭皮のマッサージとかもできますよ」
「頭皮マッサージねぇ……寝そうだなぁ……」
「いいじゃないですか、寝ても。佐塚さんには睡眠が必要ですよ」
「いやぁでも、せっかくナギサくんが一緒に居るのに、寝ちゃうのは勿体ない気がする」
……それはどういう意味なのだろう。
お金を払っているのだから、時間いっぱい性感マッサージを受けた方がお得だ、ということか、それとも別の含みがあるのだろうか。
汀はやっとなんとなく、佐塚のキャラクターを掴んできた。
たぶんこの人は、言葉に裏がない。
おそらく思った事をそのままストレートに口にしているのだろう。それでも他人に不快感を与えないのは、元々の人格がそれなりに紳士だからに違いない。
佐塚亨は紳士だ。
本人は三十三歳の怪しいおじさんだ、と自称するが、汀が出会った大人の中でもトップクラスの『良い人』である。
事前に断る、確認する。非があれば謝る。意見の食い違いがあれば相談して折衷案を出す。そういった事を汀のような初対面の年下の人間に、当たり前のように徹底してくれる。紛れもなく尊敬できる大人だ。
(……その上、感じやすくてえっちなお兄さんだし)
本人の性欲は少な目らしいが、佐塚の身体自体は存分に性的だと思う。
どこを触っても息を飲んで耐える姿があまりにも官能的だ。女性に奉仕することを最優先にするあまり、すっかり性欲を忘れていた汀だったが、前回の佐塚への施術では珍しく勃起した。
同じ男であるという安心感と、これは厳密には仕事ではなく取材が目的である、というちょっとした気の緩みもあった。単純に、佐塚の声や身体が汀の好みだっただけかもしれない。
汀自身はストレートだという自覚があるが、男性だから恋愛対象外だ、というこだわりはあまりない。同じセラピストでもドキリとするほどセクシーな男もいるし、実際に佐塚の細い腰は目に悪いと思う。
本当は、今日はオフの予定だった。しかしどうにか佐塚ともう一度会いたいという下心が強すぎて、何食わぬ顔で『二十時からなら空いてますよ』と言ってしまった。
最速でシャワーを浴びて飛び出したが、まだ身体が油臭いような気がする。今日は朝からフェティッシュではなく、家業の仕事をしていたからだ。
実のところ、汀もくたくたに疲れていた。湯船の暖かさは心地よく、目を閉じれば寝落ちてしまいそうだ。
だが、勿論ここで寝落ちるわけにはいかない。
風呂に入った時点で、百二十分のコースは始まっている。今の汀はフェティッシュのセラピストの『ナギサ』であり、風呂の中とは言え仕事中だ。
「……なんか……思ってたより狭いな……本当にこれ、おれ入って大丈夫?」
濡れた髪を無造作にかきあげながら、浴槽の横で佐塚が眉を寄せる。
確かにアパートの風呂は狭い。しかも、汀も佐塚も成人男性だ。
「縦に並べばなんとかなります。まあ、その、ちょっとぎちぎち感はありますけど。でも、女性はわりと一緒に入りたがる人が多いですよ。密着するのが好きみたいで」
「そうかなぁと思って、リクエストしてみたんだけどさ。ウチの業界だと風呂セックスってさ、どうしても立ちっぱなしアングルだし、どっちかっつうと凌辱シチュ寄りなんだけどね。もう今までの経験がなんの役にも立たないもんだから……」
「だからお風呂でイチャイチャえっちを体験しようってわけですね、がんばります」
「……なんかナギサくんてさ、仕事してる時の方がイキイキしてるね」
「え。……そうかな。あー……素の自分は、結構根暗なんで、対人スキルあんまりないんですよ。そんなことより湯冷めしちゃいますよ。ほら、こっち来てください」
ね、と意図的にほほ笑むと、若干恥ずかしそうな佐塚がそろそろとお湯の中に侵入してくる。
背中を預けるように腰を下ろした佐塚を、後ろから抱きかかえる恰好になる。女性よりもしっかりとした肩幅が、実のところ丁度いい。細くて小さな女性を抱きかかえていると、頼りなくてどの程度の強さで抱きしめたらいいのか不安になるのだ。
その点、佐塚は安心だ。多少汀の力が強くても、素直に『痛い』と喚いてくれるだろう。汀はすっかり、佐塚の素直すぎる言葉を信じきっている。
「ほら、納まった。佐塚さん、結構細いから、余裕ですね」
腕の中の佐塚は、ぐったりともたれ掛ったまま、うーんと唸る。
「あー……うん、これは、そうだね、割と良い……。いやぁ、でも、風呂の撮影面倒くさい……カメラ曇るし、ていうか浴室えっちはアングル面倒……」
「女性向けAVなんですよね? 別に、無理して下半身を映す必要はないんじゃないですか?」
「おっぱいだけで十分ってこと?」
「なんていうか……女性って別に、男の性器に興味ある人少ないイメージですし。『えっちなこと』には興味あるけど、別に男女の股間をまじまじ見たいって感じでもないような……」
「あー。そうかも。男は無修正見たがるけどね」
「基本女風は本番禁止なんでアレなんですけど、でも胸だけでいいとかキスだけで気持ちいいとか、そういう人も多いですよ。お風呂えっちの醍醐味はやっぱり狭い浴槽でいちゃいちゃなんで、無理して挿入シーンにしなくてもオーラルでもいいんじゃないかなって思います」
「いいね、そういう意見大変ありがたい。バンバンほしい」
「あ、いや、でも、素人意見なんで……」
「そんなことないでしょ。ナギサくんはスゴ技満載のプロなんだし」
「でも僕、ナンバーワンとったことないですよ。セラピストのランクてきには中の上くらいじゃないかな、と思いますけど」
「え、なんで」
「なんで。なんで……えーと、別に、こう、特記するような特技もないですし、実は本業が忙しい事が多くて、こっちの時間をあんまり取れないんですよね。急遽僕都合のキャンセルとかもやってしまうので、シンプルに売り上げ的にはそうでもないっていうか……」
「はぁ、なるほど。空き時間の副業的な働き方、確かに効率いいかもね。じゃあおれ、ナギサくんを運よく捕まえられてラッキーだったってことか」
「……ラッキーなんです?」
「ラッキーでしょうよ。だって正直ちょっとハマりそうだもの」
ミツさんに感謝しなきゃ、と、緩やかに呟いた佐塚は、彼の両脇にある汀の立てた右膝の皿を撫でる。そしてそのままぬるりとふくらはぎの筋を指でなぞった。
「……佐塚さん、何してるんですか」
くすぐったくて、つい身をよじってしまう。
施術中にセラピストの身体を触ることを強要してはいけない。しかし、お客様が触りたい、と申し出るのならば拒否はしないルールだ。佐塚が汀の身体を愛撫するのは、特に問題のない行為だが――。
触り方が妙に官能的すぎる。
佐塚は基本的には『取材』の体を崩すことはなく、あくまでひたすらに受け身だった。こんな風に唐突に触られる覚悟をしていなかった汀は、思わず腰を引いてしまいそうになる。
普段ならば問題ない。そもそも、お客様相手にどうしようもなく興奮することがほとんどないからだ。しかし佐塚に良からぬ興奮を抱いてしまっている今、むやみやたらと触るのは控えてほしいと思う。勿論、そんなことは言えるわけもないが。
汀の足をするすると撫でる男は、ほとんど変わらないテンションのままとんでもない言葉を吐きだす。
「んー……ナギサくんの足、結構いいな、と思って」
「え。佐塚さんの足好きって、女性のみじゃなかったんですか!?」
「え、なんでおれが足フェチだってばれてんの」
「……満――海野様が、『彼は取り返しのつかない足フェチだから、奪われるとしても処女や童貞じゃなくて足の尊厳のみだから安心して』って……」
「アウティング眼鏡め……足の尊厳って何……」
「すいません、したくないお話なら、忘れたことにします」
「いや、別にそれはいいんだけど。隠してるわけでもないし、おれが足フェチ野郎なのは事実だし、誰にも迷惑かけてないと思ってるから。あ、でもごめん、先に謝っとくけどナギサくんにはご迷惑をおかけするかもしれない」
「それはどういう――ちょ、くすぐったい、って言ってる、のに!」
「いやぁ、おれもさ、女の人の足が好きなんだとばっかり思ってたんだけど。別に男優の足にときめかないし。でもよく考えたら大浴場とか海とか行かないから、シンプルに好みの男の足に出会う機会がなかっただけだったのかも……」
「待って、駄目です。触り方がエロい。駄目……もう、佐塚さん、一回ストップ!」
慌てて後ろから彼の手首を掴んで止める。
女性相手にこんなことをしたら、絶対に気分を害してしまう。けれど佐塚は特に気にした様子もなく、少し楽しそうに身じろぐだけだ。
「そういうことしてると、『その気になった』って解釈しますよ?」
「……お風呂は身体をゆっくりあっためるステップであって、性的なサービス提供の場じゃないんじゃないの?」
「ケースバイケースです。スタンダードな手順はシャワー、アロマ、性感ですけど、身体を洗ったら即フルタイムで性感をご希望される方もいらっしゃいます」
「フルタイム性感かぁー……ものすごく疲れそう……あ、でも女の人は射精しないから、そうでもないのかな。おれは三十分くらいで精根尽きそう」
「何回出せるか、やってみます?」
「…………ナギサくんて、ちょっとエスっぽい方?」
「え。そんなことないと思いますけど。だって佐塚さん、しっかり軌道修正しないと、勝手に好きな事始めちゃうから……」
「ふは! おれの取り扱い方、ちゃんとわかっててえらいね」
大人ぶって褒めるくせに、佐塚の足はいたずらに汀の足の甲を撫でる。どうやらこの人はリップサービスでもなんでもなく、本当に汀の足を気に入ってしまったらしい。
別に、嫌悪感はない。特に問題もないが、今は足よりも別の事に集中してほしい。
本当はキスをしたかったが、後ろからだとそれも難しい。
仕方なく形の良い耳を齧り、首筋を軽く吸う。
「…………、っ……」
予想通りに敏感な反応を示した佐塚は、悪戯をすぐに止めて息を止めた。
そのすきに両手を解放し、するりと腰を撫でる。鼠径部をゆるやかに刺激しながら下へ下へと手を伸ばす。たっぷりと焦らした後に辿り着いた彼の性器は、すっかり芯を持ち興奮していた。
かわいい、と思う。
思ってからふと『男のアレがかわいいってどういうことだ?』という疑問が一瞬よぎるものの、すぐにどうでもよくなった。
「ん…………、ふ」
甘い息を殺す、腕の中の人から零れる声が官能的で、脳が馬鹿になる。余計な事を考える余裕がなくなる。
触れるか触れないか程度の軽さで、佐塚のものを撫で上げ、愛撫する。腰から背中にかけて、呼応するように震えるのがたまらない。
「……おんなの、ひとってさ……こんな、え? こんなかんじで、ずーーーっと、焦らされんの、好きなの……?」
「んー……そうですね……ウチのマニュアルにもフェザータッチってありますし……あんまりいきなり触られるより、くすぐったいくらいの力加減でじわじわ弄られるのが、イイみたいですよ。……佐塚さんは、気持ち良くない?」
「きもち、いい、っていうか、じれったい……男は、だってさぁ……ガッて掴んで、ギュッて扱いてほしいじゃん……」
「触って、掴んで、扱いていいんですか?」
「…………どうして、きみは、こういうことしてるときはそんなにエロいんだろうなー……」
「誉め言葉として受け取っておきますね。ね、佐塚さん、扱いて気持ちよくしてほしいですか?」
「………………して、ほしい、です」
普段はあんなにクールで真摯な佐塚が、汀の腕の中で羞恥に語尾を震わせる。
今まで特別気にしたことはなかったけれど、もしかして自分は嗜虐趣味があるのかもしれない。本当にそう思ってしまうほど、汀は密かに、そして十分に興奮していた。
「あ、でも、お手柔らかに――ッ、ひっ、ぁ、ちょ、両手は、駄目、だめだから、待っ……ぁ、っ!」
「なんでです? びくびくしてかわいいです。焦らされてる佐塚さんもかわいいけど、攻められてテンパってる佐塚さんもかわいい……」
「かわいかないって、何度言えば、おれは、三十三――、ぁ、だめ、そこばっか……」
「縊れたとこ、ぐりぐりされるの、好きですよね? 腰が動いてます。何度イけるかちゃんと数えましょうか。あ。でも、あんまり出しすぎても体に悪いのかな……イきそうになったら、ここ、ぎゅって握って止めちゃいましょうか。……今、想像しました? 腰、びくんってした」
「…………っ、は……きみの声……えろいから、やだ……」
「え、嬉しいです。でも僕の口をふさぎたいなら、方法は一つですよ」
後ろから抱える汀に嬲られ息を上げる佐塚は、しばらく汀の言葉責めに耐えた後についに限界が来た様子で立ち上がる。怒らせたか、と一瞬身構えたものの、佐塚は身体を回転させて向かい合うと、そのまま腰を下ろして汀の首に腕を回した。
「あー……もう、ほんとうに」
「佐塚さ、」
「ハマったら、どうしてくれるの」
苦々しく目を細めた佐塚にぐいと抱き寄せられ、そのまま深いキスが始まる。
滑らかな質感の舌が気持ち良い。深く何度も貪りながら、前から彼の性器を扱くと、特に嫌がられることもなく腰をなすりつけられ興奮した。
まずい。
これは本当にまずい。楽しくて、気持ちよくて、馬鹿になる。仕事だと言うことを忘れる。忘れてはいけないことを脳の奥に追いやってしまう。
「……ふ、……ナギサくん、あのさ……」
「え、何……何ですか……? あ、背中、痛い?」
「違う、えーと……きみが忙しいのは、なんとなく、察してはいるんだけど……」
「うん。何?」
何の話が始まるのだろう。そんなことより彼の身体を触りたい。欲望が暴走しそうになる汀は、いつもより端的に話の先を促してしまう。けれど佐塚は、同じように欲を隠さない顔で苦笑した。
「延長っていうか、そのー……お泊りコースに変更って、可能――」
「できます」
「…………じゃあ、それで」
ふふ、と笑う可愛い人に、深いキスをする。
佐塚がどうして延長する気になったのかはわからない。けれど汀はただ、この人を堪能できる時間を手に入れた事だけに狂喜した。
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