佐塚さんに落とされたい

片里 狛

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 引っ越しのトラックは哀愁など微塵も残さずに、さっさと発進してしまった。
 業者のロゴが描かれた荷台をぼんやりと眺めて見送った佐塚は、ようやく緩やかに息を吐く。
「……なんか、人様のご身内にこんなこと言うのアレだけど、ほんと最後まで感じ悪い人だったね……」
 あまりにも明け透けな言い方すぎて、隣に立つ汀は苦笑してしまった。
「まぁ、姉は本当に誰に対しても基本的に塩ですから……」
「いやおれは別にどうでもいいんだけどさ、あの人に好かれようとか思ってないし。でも汀くんにはもっと誠心誠意頭を下げて感謝してから行けよと思います」
「佐塚さん、怒ってると半眼になっててかっこいいですよね、好きです」
「……きみはほんとすぐにそうやって好き好き言って誤魔化す……」
「あはは。誤魔化してるつもりはないんですけど、でも、ほら、せっかく解放されたんだから、もう嫌なこと思い出さなくてもいいかなって」
「そりゃまあ、うん。一理あるけどね。……じゃあ、おれたちもさっさと片付けちゃおうか」
「はい」
 店を閉める、と宣言してから半月で中華料理店三幸は廃業し、もぬけの殻になった。なにもそこまで、というほどのスピード感だ。
 姉は確かに昔から、思い立ったら躊躇しない。再婚者の気持ちが変わらないうちにと言わんばかりに、さっさと荷造りとを終わらせてしまった。
 残っているものは勝手に捨てていいから、と言い残したのは、彼女なりの施しの気持ちだったのだろうと思うが、佐塚は『いやゴミ捨て掃除押し付けてるだけじゃん』とお怒りだ。使える調理器具も残されているので、汀はありがたく頂戴していくつもりだ。
 三人の甥と姪のことは多少気がかりではあるが、再婚相手の男性は非常に気さくな人で、いつでも遊びにおいでと汀に言ってくれた。あの言葉を信じることにして、ひとまず汀は自分の人生に向き合おうと思っている。
 汀は今日から、佐塚の部屋へと引っ越す。
 実際は半月前からほとんど居候状態で押しかけていたが、汀の荷物や新しく買った家具を揃え、正式にルームシェアという形になる。本当は自力で一人暮らしをしたかったが、さすがに半月では難しい。
 貯金もほぼ無く、家具も調理器具以外はほとんどない。仕方ないとはいえ、いきなり転がり込むなんてまるで利用しているみたいで心苦しい――と散々申し訳なく思っていた汀だが、当の佐塚は『毎日汀くんが家で待っててくれるのいいよねー』とご満悦だ。
 恋人という関係に落ち着き、半月間同居して知った。佐塚は案外恋人に優しい。
 というか、求めれば求めるだけきちんと愛を返してくれる。おそらく今まで佐塚が恋愛下手だと自称していたのは、相手が汀のように『とにかく好きだと連呼するタイプ』ではなかっただけだろう。
 他の素敵な女性に出会う前に、僕に出会ってくれてよかったなぁと真剣に神様に感謝する日々だ。
「汀くんの荷物本当に少ないから、うちのワゴンで事足りて良かったよ」
 人の気配が消えた家から、必要なものだけを運び出してアッパーズキャストから借りた社用車にどんどん積み込んでいく。とはいえ、一番大きな荷物は服を詰め込んだ収納ケース程度だ。
「ベッドがあったらさすがにトラック案件だったし」
「僕は布団直敷きスタイルでしたから。佐塚さんちもベッドないじゃないですか」
「いや面倒くさくて……組み立てるのが……。いまはきみがなんでもやってくれるから、でかいベッドを買うのもやぶさかではないと思っている」
「でかいベッド……」
「え、二段ベッドとかにする? 別々に寝た方がいい感じ?」
「一緒に寝たいです。けど、毎朝離してあげられなさそう……」
「布団二つ並べて敷いても汀くん結局おれの布団に入ってくるじゃないの。今日余裕あったらホムセン行こっかぁ。なんかとりあえず誤魔化しながら生活してたけど、結局色々足りない気がする……」
「僕は佐塚さんさえ居てくれたらそれで満足ですけど」
「真面目な顔で阿保かわいいこと言うのおもしろいから駄目。さすがのおれでもね、茶碗の代わりはできないんだよ。茶碗、グラス、タオル、箸……あー、箸、おれも新しいのにしようかな……」
「色違いのお揃いがいいです」
「……すごい恥ずかしいやつをピンポイントでおねだりしてくるんだよなー……」
 眉間を押さえながら唸るくせに、結局佐塚は柔らかく苦笑して『いいよ、お揃いね』と言ってくれる。本当におねだりのし甲斐がある恋人で嬉しい。
 佐塚の隣で過ごす内、汀は我儘をよく言うようになった。佐塚は汀の我儘をいつも『かわいいね』と言って快諾してくれる。今は『かわいくはないです』と言うのは汀の方だ。
 あらかた荷物を積み終え、一応家に鍵をかける。あとはゴミの業者に見積もりを頼んで最後の掃除を終えるだけだ。
 白いワゴンは緩やかに、新しい生活に向けて発進する。
「……服、結構整理したんですけど、思ったよりありますね。もっと捨ててもよかったのに」
「だめだめ。きれいな服いっぱいあるんだからもったいない。まだおれが着て見せてもらってない服山ほどあった。捨てるとかありえない。せめて全部写真に残してから捨ててほしい」
「佐塚さん、思ってたより僕の外見好きですよね……」
「え、好きだよ。イケメンじゃん。なんか一見強そうなイケメンなのに笑うとかわいいところとか本当に良い――え、照れるなら着いてからにしてもらえる? おれは今きみの顔じゃなくて信号見てなくちゃいけないんだけど?」
「じゃあ唐突に口説くのやめてください……」
「口説いてないし。事実を羅列してるだけだし。あと服の話マジレスするけどまぁクローゼットには入るでしょ、いまうちの部屋断捨離部隊が本気出してくれてるし」
「佐塚さんちのクローゼット、思ってたよりカオスでしたもんね……」
「うん。言ったでしょ、おれ別に綺麗好きとか整理整頓上手なんじゃなくて、シンプルに面倒くさいから家具を持たないだけだって」
 とはいえ、生きていれば物は増える。普段使う家具や小物を最小限に抑えていたとしても、貰い物やどうしても必要になって買うものなどは出てくる。
 そういったものを、佐塚はとにかくひたすらクローゼットにぶち込んでいた。結果、本人もドン引きの魔窟が誕生していた。
 今回の引っ越しは、佐塚の同僚たちが率先して手伝ってくれている。
 汀の家の荷積み担当は佐塚、佐塚の部屋の整理担当はアッパーズキャストの人達がやることになったらしい。自分の部屋なのにそれでいいのか、と汀は若干不安になったが、佐塚はあまり気にした様子もない。どうでもいいと思っている、というよりは、『まぁあいつらなら適当に良い感じにしてくれるでしょう』という信頼の方が大きいらしい。
「大丈夫、大丈夫。瀬羽はね、ああ見えて結構倫理観の塊だし、おもしろそうだからとかそういう理由でドッキリしかけたり大事なもの捨てたり悪戯したりするのすごい嫌いだから。決断力の鬼だから迷ったら捨てそうだけど、そこはたぶん辻丸くんが良い感じに判断してくれると思う、たぶん」
「伊都さんもいらっしゃってるんですね……」
「シュウがやる気満々だったからね。そしたらセットでついてくるからね、あの赤い人は」
 辻丸伊都は、汀の再就職の手助けをしてくれた恩人の一人だ。
 本業が無くなり、フェティッシュの仕事も減らした汀は実質無職のようなものだった。
 正社員の経験もなくほとんどフリーターのような職歴で再就職を躊躇していたが、『いや三幸の厨房でチャーハン作ってたなら引く手あまたやろ!?』と伊都が口添えしてくれたおかげで、来月から新しい職場が決まっている。定食屋の厨房スタッフだ。
 がらりと変わった環境に、不安がないわけではない。それでも、今までの先の見えない人生に比べれば、前途洋々だ。
 食器の色をそろえるかどうか、ひとしきり揉めているうちに、ワゴンは佐塚のアパートの前に着く。
 とりあえず部屋の中確認しよう、という彼の提案に従い、手荷物だけ持った汀は、佐塚に続いて階段を登った。最初はどきどきしながら登った階段だ。
 部屋の鍵は開いていて、その上外にまで中の喧騒が聞こえてくる。
 ひときわエキサイトしているのは瀬羽という名の佐塚の同期で、応じているのは伊都だろう。
「いいじゃねえかこのくらい! 俺の功績で空いた隙間じゃねえか! どうせ佐塚に任せたらわけわかんねえゴミで埋まる隙間だろうがよ!」
「分からんでもない理屈やけど、せめてナギくん戻ってきてからにせえへんか……そもそもあの子の荷物つっこむ隙間を空けるのがおれたちの役目やねんで……?」
「荷物そんなにないっつってたじゃんかよォ~あのイケメンミニマリストの匂いすっからぶち込むっつっても衣装ケース三つ以下だろどうせ~じゃあそこの天袋空いてるじゃんかよォ~!」
「空いてへんて」
 なんともにぎやかで、汀は心底微笑ましく笑ってしまったが、佐塚はどうもげんなりとした様子だ。
 玄関を開けると、柊也という青年に爽やかに迎えられる。
「あ、お帰りなさい。結構早かったですね」
「道すいてたからね。ていうか、何してるの瀬羽は……」
「佐塚さんの部屋のクローゼットの隙間に自分の寝袋潜ませようとして伊都さんに止められてるところです」
「何してるの……瀬羽は…………」
「あ! 帰ってきてるじゃねえか家主ッ! ちょっとこっち来い家主ィ! 辻やんが正論しか言わねえ!」
「正論だってわかってるなら引きなよ。なんでウチに寄生しようとしてんの」
「丁度いいんだよここの距離感がよぉ……翌日メッセあたりに遠征に行くにはよォ、ウチからだと乗換がうぜえんだよ……いままでだってさんざん泊ってただろ」
 まあそうだけど、と呟いた佐塚はちらりと汀を見上げる。
 佐塚周りの大人をすべて信頼しきっている汀は、本当に心からほほえましい気持ちで『僕はかまいませんよ』と笑って答えた。
「というか、僕が居て申し訳ないくらいなので……」
「バッカ、くらもっちが居ねえと話になんねぇだろメシが! コンビニ一択になる!」
「うちの子飯炊きみたいに言うのやめてもらっていい?」
「ちげえよ金は払うっつの! つかお前こそあのくそうまチャーハン独占する気かよふざけんな食わせろ!」
 そのあだ名定着しちゃってるのかとか、大人はすぐ金を払おうとするとか、伊都の前で料理を褒められるのは恐縮すぎるとか、言いたいことは山ほどある。
 しかし瀬羽と佐塚の会話のスピードは速すぎて、汀が口を挟むタイミングがほとんどない。
 仕方なくキチンスペースまで下がり、荷物の整理に戻ろうとしたところで、そっと柊也に声をかけられた。
「荷物運び込みます? 手伝いますよ」
「ありがとうございます。助かります。……わりと重いけどだいじょうぶですか……?」
「あ、平気です! こう見えて俺、職場でも体力要員なんで!」
「マキちゃんすごいで~おれ担いで階段上れる子ぉやからな~。おれも手伝おか?」
「伊都さん、フライパンより重いモノ持てるの……?」
「なんでマキちゃんはおれのこと姫やと勘違いできてるんや……?」
 こちらもこちらで、かわいいやり取りが始まってしまった。
 皆本当に仲が良い。微笑ましい気持ちで眺めていた汀だが、ふと佐塚に見つめられていることに気が付いて視線を上げる。
「……汀くん、いま、『みんな仲良しでいいなぁ』みたいなこと考えてた?」
「え。エスパー……佐塚さん、本当は宇宙人なんですか?」
「ちょっとだけ察しがよくなっただけの人間未満だよ。あのね、きみ相変わらず自分が世界の淵に立ってる気持ちでいるみたいだけどね、もうこっち側に落ちちゃってるんだからね。……ここまで来たら一蓮托生なんだから、ちゃんと隣で関係者ヅラして笑っててもらわないと」
「……僕も、混じっちゃっても、いいんですか?」
「ていうかきみくらいしっかりした子がいないと、つっこみすぎて辻丸くんが疲れちゃうよ」
「おれ単独つっこみ要員扱いやったんか……? え、あかん、しんどいわ、ナギくん逃げたほうがええで、この人達怖いわぁ」
「待て、辻やんどこ行くんだよ」
「買い出し。夕飯どうせ食って帰るやろ。おれが帰ってくるまでに寝袋問題解決してや」
 ひらひら手を振った伊都は、一人でさっさと部屋を出てしまう。作業しましょうかーと柊也に言われ、また言い争う大人二人を尻目に汀は車に向かう。
 世界の淵に立っている。佐塚のこの言葉は、あまりにも的を射ている。
 いつも、自分を演じていたせいで、何事に対しても少し他人事だった。いい意味でも、悪い意味でも、現実感がない。
 けれど佐塚は『きみはもうこちら側にいるのだから』と手を引いた。
 佐塚さんに落とされたい、などという他力本願なことはもう言わない。汀はしっかりと落ちてしまった。
 だからあとは、隣に居る人の手を握って、歩く道を探すだけだった。



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