触れる病と吐く病

片里 狛

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 唯川聖は女性にモテる。
 それは唯川自身も承知している事実であったし、女性人気をうまい具合に仕事に生かすことにも成功していた。
 勿論スタッフの腕が良い、店の雰囲気が良い、という他の要因が大半だが、唯川目当ての客達も合わせてサロンルーシェはそれなりに繁盛している美容室のひとつとなっていた。
 女性スタッフばかりの店内では、すらりと背の跳びぬけた唯川は異質だ。その上少々奇抜な色や柄の服も着こなしてしまう為、白を基調とした清潔感溢れる店内ではどうしても目立つ。
 ふわりとパーマをかけてアシメに垂らした髪の毛は、今はオレンジに近い薄いピンクアッシュで、元の重い天然パーマと髪質をうまく誤魔化していた。比較的大きな口はいつもにっこりと笑顔の形を作っている。笑顔とパーマと派手な髪色は、ここ最近の唯川のトレードマークのようなものだった。
 笑っていれば大抵の人は不快にならない。奇麗なアーモンド形の割に瞳の色が黒すぎて、虚ろで怖いと言われ続けた目も、笑顔を作ることでどうにか誤魔化せることに気がついた。高校を卒業してから早七年、社会に出てからは比較的笑顔を大切に生きてきた。
 にっこり笑って明るい口調を心がける。それだけで、女性は唯川にきらきらした視線を向ける。
 別段、女性にモテたい願望はない。ちやほやされるのは悪くは無いが、故意にちょっかいをかけるつもりはないし、唯川自身は普通に楽しく会話をしてスタイリングしているだけだ。それでお店が盛り上がってくれるのならば人気も有りがたいものだがしかし、いざお付き合いしてください、と迫られるのは非常に面倒な事だった。
「モッテモテねーゆげちゃん」
 土曜の夜の営業を終え、掃除をしているところに現れた由梨音が、にやにやと意地の悪い笑顔を浮かべて唯川の脇腹をつついた。それに苦笑で答える元気が残っていたのは、まだ救いだ。
「笑い事じゃないっすよーチーフはそうやって笑ってますけーどねー、断るの結構大変なんですよー、まじで。まじで。だって女子って泣くんだもん。可哀想なんだもん」
 店を締める前、最後のお客様を見送りに外に出た唯川を引きとめたのは、その客だった。
 最近できた常連で、他の女性の紹介だった。奇麗な髪の毛はこしが強くて艶やかで、それなりに好みだったことは覚えている。ただ、どんな顔をしていたのか、好きですと言われて初めて確認した程の興味しかなかった。
 これは、彼女に限ったことではない。唯川は基本的に人に興味が無い。あまり褒められた性質では無い、ということは理解していたが、無理やり興味を抱こうとすること自体が無意味だと感じたのでもうあまり気にしなくなっていた。
「アンタ変なとこでフェミニストだよね。人間に興味なんか無いくせに、優しくするから勘違いされるんじゃないの。素直に好きなものだけに正直に生きたら、女の子もどん引きで近寄って来ないんじゃない?」
「いやそしたらおれが仕事できなくなって飢え死にしちゃうでしょ。だめでしょ。美容師なんか結局外面大切なんだから。おれ他の仕事したくないもの。天職なんですよ。毎日ちょう楽しいんですよ。好きなものに囲まれて生きるって素晴らしいって感動しながら生きてるんですよー」
「その『好きなもの』が女の子とか、そういう話だったら屑だけど、まあ、まだ理解できなくもないんだけどねー」
「髪が好きで何が悪い」
「何も悪くないけどちょっと私にはわからないわーって話でしょ。開き直るな変態」
 ぴしゃりと言われ、流石に唯川も眉を寄せる。笑顔が消えると急に凄味が増すのは、顔のパーツのひとつひとつが派手だからだろう。
「流石に髪の毛で抜いたりはしませんよーぅ。純愛なんですよ、純愛。おれは! 人間の! 髪の毛が! 大好きなんですちょう好きなんです毎日触るだけで幸せなんです、わぁすごい純愛ですよねー全然変態じゃない。変態じゃないっす」
「変態じゃないかもしれないけど充分変よ。そんなことはどうでもいいから、電気落とさないでね。ブラインドは閉めていいから。これからお客さんが一人来るって、言ったよね」
 言われてから、そう言えばそんな事を昼の休憩中にさらりと言われた様な気がする。
 由梨音の夫は特殊な職業で、その紹介で昼間に出歩けないような事情を持った人達が、時折り夜中の客としてサロンを訪れる事があった。
「はぁ。聞いてますっていうか今思い出しました。旦那さんの紹介でしょ。たまーにそういうお客さんいますよね。おれ、帰った方がいいですかね?」
「別に居てもいいけど。……ああ、でもアンタ、男の髪の毛の方が好きなんだっけ?」
「イェス。黒髪ストレート最高」
 ぐっと拳を作って即答する唯川に、由梨音はため息を吐いた。
「……じゃあ帰った方がいいかも。あんまり会わせたくないなぁって今じんわり思った」
「えー!? 黒髪男子来るんですか!? やだ! 会いたい! この店ほとんどお客さん女子だし物足りなかったんですよ! おれも! 男子の髪の毛! 触りたい!」
「いや触っちゃだめなのよ。触っちゃだめ。だからアンタは多分向いてない――…」
 サロンのチャイムが鳴ったのは、その時だ。
 施錠していない扉が、ほんの少し開き、そこから男性の半身が見えている。
「……あの。すいません、ご連絡していただいた、……安藤ですが」
 蚊の鳴くような声はハスキーで、気持ちいい。ただ、唯川は耳から入ってくる情報よりも、その目に入る情報の方を優先させた。
 息を飲むという言葉を、身を持って体験したのは初めてかもしれない。
 さらりと零れる堅そうな黒髪。俯き気味な男の顔を隠してしまいそうなくらい憂欝な長さなのに、それは唯川を一瞬で魅了した。
「いらっしゃいませ、どうぞ。ご予約、きちんと承っていますよ。私がこの店のチーフで、木ノ瀬の妻の由梨音です。さあ、入って。……ゆげちゃんは帰っていいよ。ていうか帰りなさい。明日も朝から予約あるでしょアンタ」
「……口出し手出ししないんで見てたら駄目ですか。そういうのもNGなお客様?」
 小声でお伺いを立てるが、由梨音の反応は厳しかった。
 そんな相談をしていても、目はさらりと揺れる髪から離れない。
「うーん、駄目ってわけじゃないけど……あんまり、人がいるのもどうかなって感じだから。今日は堪えなさい。あとで事情説明してあげるし、うまくいけば常連さんになってくれるかもしれないから。ね?」
 諭す様に言われてしまうと、もう唯川は駄々を捏ねられない。そこまで厚顔無恥でもないし、子供でもない。由梨音は気の良い姉のような存在だが、それでもやはり雇い主だ。決して友人でもないし、対等な関係でもない。
 欲を言うならカットを任せてもらいたかったが、事情があるのならば仕方ない。唯川が髪を愛している様に、人それぞれ理解しがたい人生や感性があってもおかしくはない。そう言い聞かせ、じゃあおれ施錠して帰りますねと由梨音と客の男性に笑顔を向けた。
 安藤と名乗った男の顔は暗い。背はそれほど低くも無いが、薄手のブルゾンから覗く手首は細く、肌の色も白い。会社員らしきスーツのスラックスの横を通りすぎる時。安藤が段差に躓き、よろけたように見えた。
 照明を絞ったせいで少し分かりにくくなっていた段差だ。倒れて怪我でもしたら危ない、と思いとっさに腕を引き、支えた。がっつりと掴んだ腕は思ったよりも細くはないが、筋肉が付いているとも言い難い、微妙な感触だった。
 鏡の前で準備をしていた由梨音が、思わずと言った風に息を飲んだのが分かった。
「だ……っいじょうぶでした、か?」
 腕を掴んだまま、笑顔でどうにか尋ねると、予想外の言葉が返ってきて、唯川はそのまま硬直することとなった。
「…………大丈夫、じゃ、ない、です」
「え?」
「――吐く」
 それだけ言うと、安藤はシャワー台に向かって一目散に走り、そして先程の言葉の通り、胃の中のモノを吐きだした。
 だから言ったのに。――助けを求める様に見やった由梨音の口は、そんな風に声無く呟いた。
(……なんだ、これ)
 ひと目ぼれをした奇麗な髪の男に触れたら盛大に吐かれた。
 何が起きたか、分かっているのに理解ができない。
 パニックのおさまらない頭と笑顔を貼りつかせたままの顔で、呆然と吐く男の背中を見ていた。


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