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第 二 章 誰かを忘れた日々

第六話 ありふれた日常

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~ 2002年9月22日、日曜日 ~
 宏之に美味しいケーキを食べてもらいたくて、手作りケーキの作り方を翔子お姉さんに習っている所だった。詩織も一緒にいる。
 私、詩織、翔子お姉さん、三人だけでこうして一緒に何かするのって随分久しぶり中学校以来だったわ。
「香澄ちゃんも詩織ちゃんも私が造るとおりに見ながら一緒にやりましょうね」
「ハァ~~~イ頑張ります」
 幼馴染みと私の声がそんな風に重なった。
「フフフッ、いい返事ですね。さっそく始めましょうか」
 そう言って彼女は材料を取り出し、丁寧に私達に説明しながら手を動かし始めた。
 今日、翔子お姉さんが教えてくれるのはモンブラン・ケーキとチョコレート・ケーキそれと型抜きクッキーの三つ。
 始めは15cmサイズのチョコレート・ケーキからだった。材料は薄力粉65g、砂糖85g、卵3つ、ココアパウダー11g、オリーブオイル、ミルクを大さじで少し少なめ、重曹小さじで1/3を重曹の4倍の水で溶いて置く。
「ねぇ、早くしおりン、ふるい貸してよ」
「もぉ香澄ッたら態と急かしているでしょ?私は丁寧に愛情をお込めしてお造りするのですから」
「造った所で誰が食べてくれるのかしらぁ~~~?」
「貴斗君」
「幾らしおりンの腕が良くてもそれはないわねぇ~~~」
「それでも愛情込めて造るのっ!」
「ねぇっ、詩織ちゃん、貴斗ちゃん、今でも甘いもの苦手なのかしら?」
「ハイ、貴斗君、今のあのような状態でも自分から好んで食べる事はありません」
 詩織は寂しげな表情でそう答えていた。
 貴斗って宏之と違って甘党じゃなく辛党だから仕方がないわ。
 そんな話をしながら丁寧に材料をかき混ぜ下生地の素が完成。
「それではさっそくオーブンで焼きましょうね。二人とも綺麗にちゃんと焼けると良いですね」
「アタシの変に焼けていたら翔子おネぇのと交換してぇ」
 オーブン160℃で25分から28分くらい待つその間に生地に塗るガナッシュを準備。材料は生クリームと溶かしてあるチョコチップをどちらも80gを鍋に用意。
 それにラム酒もしくはブランデーを小さじいっぱい加えて弱火で滑らかになるまでかき混ぜて出来上がり。
 大した時間が掛かるわけじゃなかったのでまだ生地は焼けていなかった。
「二人とも生地が焼けるまで次の用意をいたしましょうか」
「ハァ~~~イ」とまた私と詩織の声がハモッた。
 それを見た翔子お姉さんは綺麗な笑みで笑っていたわ。
 次ぎはモンブラン。
 一人分の材料はビスキュイ生地を作るために高級らしいケーキ粉45g、地鶏の卵黄二個、グラニュー糖15g、ヴァニラ・エッセンス少々。マロン・クリーム市販で売っている栗の甘露煮じゃなくて、翔子お姉さんの手製の物を210gとそのマロン汁10㏄、日本物じゃない無塩バター10g、ラム酒を少々。カスタード・クリームは牛乳200g、ヴァニラビーンズ1/4、グラニュー糖45g、薄力粉18g、そして、溶かしてある無塩バター10gを用意する・・・、と翔子お姉さんから説明を受けた。
「ハッ?なんだか作るの面倒みたいね」
「そうかも知れませんけど食べてもらいたい人の為に頑張りましょう」
「うっし、頑張るぞ」
「確か貴斗ちゃん、昔、私が作ってあげた甘さを控えたチーズケーキやモンブランなら食べたはずよ。だから、詩織ちゃんも頑張ってね」
「うん、私も頑張る」
 翔子お姉さんの言葉に嬉しそうにうなずく詩織。でも、それは翔子お姉さんが作ったものだから、その頃の貴斗も普通に食べていたんだと思うけど・・・。
 そんな事を思い、詩織に含み笑いを見せたら、私の思っていることが分かったのか小さく頬を膨らませ、私から顔を背けたわ。
 それから、私と詩織は翔子お姉さんに手ほどきされながらモンブランの下準備を始めていた。
 ちょうどそれが終わった頃にさっき焼いていたチョコレート・ケーキの土台が出来上がっていた。
 印をつけて置いたからどれが誰のだか見間違える事はない。
 それを取り出すと今度はオーブン用紙に6㎝サイズに形を作って置いたモンブラン用の生地とすり替えまた焼く。
 今取り出したスポンジ・ケーキにガナッシュをまんべんなく塗りトッピングをする。
 それを冷蔵庫に入れて程よい硬さになったら出来上がり。
 二つのケーキと色んな形のクッキーが滞りなく完成して今、三人でそれを見比べていた。
「ハアァーーーっ、なんだかなぁ~、如何して同じ風に作ったのにこうも見た目が違うんだろう」
 自慢じゃないけど私の物も市販と比べたら大差ないと思うけど翔子お姉さんと詩織が作った物は今すぐにでもケーキ屋のショーケースに並べることが出来るようなものだった。
「フッフウ~~~ンだ、愛情の差よ、あ・い・じょ・うの差ぁっ」
 詩織は陽気に鼻を鳴らしながら私にあてつけるようにそう言って来たの。
 そんな彼女の作った物に指を刺してやりたかったけど、そんな子供染みた事はしないわ。
 なんたって、私、社会人だし、大人だしね。だから、言葉でその幼馴染に反撃。
「鼻息まいちゃってさ、何が愛情の差よっ!昔はしおりン、料理とかすごぉ~~~~~~~~っく駄目、駄目だったくせにィッ!」
「酷いよぉ~~~、そんなずっと前の事を持ち出さないでぇ~~~」
「貴斗がアメリカに行かなかったらアンタのその才能も開花しないで埋もれたままだったかもね」
 詩織は中学生の頃まで裁縫とか普通の家事は器用にこなすくせに、なぜかお世辞にも出来ないほど料理が上手とは言えなかった。っていうかね、上手、下手とか言う次元じゃなかったわ。だから、家庭科の成績は私の方が上だったわ。
 詩織の作るものはまさに殺人兵器・・・、詩織や私の行為を無碍にしない貴斗。
 それを何度も口にした事があって、そのたびに彼、詩織の知らない所で病院のお世話になって何回生死をさまよったことやら・・・、怖い、恐い。
 そんな酷い物しか作れなかった詩織。だけど、貴斗が日本にいなかった三年間、詩織は必死になって、本当に死に物狂いで翔子お姉さんに料理を教わっていたのを今でも覚えている。
 そんな所為で、ちょこっと目立たない場所だけど、今でも消えない火傷をした時の傷跡が残っている事を私は知っていた。
 でもその傷跡の形っていうのがなんともいえない可愛らしい形をしているのを知っているのは私だけ。
 そんな詩織の努力や火傷跡なんて事を今の男幼馴染のヤツは知らない。
 いっそのこと教えてやりたいけど今の記憶喪失の貴斗じゃぁそんな事を言っても意味ないんだよね。もし、彼が記憶喪失だったら今の詩織との関係はありえたのかな?・・・、考えるのはよそう。
「フフフッ、そうね。あの頃の詩織ちゃん健気に頑張っていましたものね。でも、私も驚いてしまいましたわ。今では私も貴女に敵わないと思っていますのよ」
「ソッそんな事ないですよ!翔子お姉さま」
「翔子おネぇ、しおりンをあんまし褒めると付け上がるから言わない方がいいよ」
「うぅ~~、本当にそんな事ないのにぃ~」
「ハイ、ハイッ、しおりンは謙虚で可愛いわね」
 小馬鹿にする様な感じで幼馴染みの詩織にそう口にしてあげたわ。
「なんか最近の香澄、私にとぉ~~~っても意地悪なのは気のせいなのかしら」
「ニャハッ、そんな事ないって。からかってるだけよ」
「ふん、香澄の馬鹿」
「ウフッ、クスクスクス、二人とも喧嘩しないで仲良くしてください・・・、でも、二人ともちゃんとお料理できて、私とても感心してしまいます。最近のお若い人、お料理などしないみたいですからね。内の普通科の女子生徒たちの必修の家庭科の授業もまったく持ってやる気のない女子のほうが多くて・・・、男子生徒の場合は選択教科ですので授業を受ける人数が少ないことは致し方がないのですが・・・」
 翔子お姉さんは感慨めいた口調でそんな事を口にしていた。
「それはしょうがないんじゃないの?だって、ほらっ、最近はコンビニ弁当やお惣菜、レストラン、安い飲食店、美味しいものがそこら辺にいっぱいあって下手して自分で料理するより、そういったものを利用したほうが手間省けて楽だから。まっ、それは栄養が偏るのを無視して食べるならの話だけどね」
「あぁーーーっ、香澄、なんかお真面目さんなこといってます・・・」
『☆っ!!』
「いたぁ~~~い、翔子お姉様ぁ、香澄がぶったぁ~~~」
「アンタがくだらない茶々入れるからでしょっ」
 さっきの詩織をからかっていたのを根に持っていたのか?翔子お姉さんにまじめに答えたのを詩織が私を馬鹿にするように口を挟んできたから、軽く小突いてやった。
「駄目よ、香澄ちゃん。詩織ちゃんにそんなことをしては・・・、それよりもさっきの香澄ちゃんの言っていました事、わかるのですけど・・・、お若い人たちの料理離れどうにかならないでしょうか・・・」
 翔子姉さんはそう口を動かしながら、さっき私が小突いてあげた詩織の頭をなでていた。
「おねぇ、そうやってしおりンを甘やかさないの。ああ、でも、そりゃぁ、無理じゃないの?男も女も本人が料理を食べることじゃなく作ることに興味持たない限りねぇ~」
 そんな会話をしながら詩織と翔子お姉さんに私が作ったそれらを味見してもらっていた。そして、二人から上々って評価してくれたからとても満足だったわ。
 翔子お姉さんや詩織と話しながら疑問に思うことがあった。翔子お姉さんって詩織と比べて雲泥の差なくらいパーフェクトな人なのに彼氏がいるって噂を聞いた事がない。詩織もその事を不思議がっていた。

*   *   *

 今、私は作ったそれを宏之の所へ持って行き、食べてもらっている所だった。
 宏之は美味しそうに食べてくれている。
 気になる事に彼、甘い物を食べながらコーヒーを飲んでいるんだけどそのコーヒーにもたっぷり砂糖を入れていた。
 宏之って甘党じゃなくて超甘々党なのかもしれない。
 宏之はそれらを皿まで舐めて綺麗に食べてくれた。
「これ、香澄が作ったって本当か?めちゃ美味しかったぞ」
「良かった。褒めてくれてアリガト、翔子先生、しおりンと一緒に作ったの。アタシのでもそんなに褒めてくれたからアンタ、翔子先生やしおりンが作ったもの食べたら美味しさの余り失神しちゃうかも」
「ジュル、ジュるるルぅ~~~ッ、そんなに凄いのか?それは食べてみたかったぞ」
「アッ、宏之、汚いわねぇ!よだれたれてるわよ」
「わりぃ、余りのも美味しそうなものを想像しちまったからつい。アッ、それと・・・、もっ、若しよかったらまたこう言う物、俺の為に作ってくれないか?」
 私は宏之のその問いに、即答していた。
「ニヒッ、それって若しかしてアタシにプロポーズの言葉とか?」
「ばっ、馬鹿違うよ。別にそう言うわけじゃない」
「なぁ~~~んだ、つまんないの。でも、まっ、良いわ。宏之が喜んでくれるなら頑張って色々作ってみる」
「アンガト」
 ありふれた日々の中で彼は同じような言葉を何回も言ってくれるけど、それでも私には凄く嬉しかった。
 その後、私は夕食の準備をする。宏之の好みもだいぶ把握して来た。
 詩織や翔子お姉さんのお陰で料理のバリエーションも増えてきた。
 詩織を見ていてわかっていた事だけど、人を好きになる事でこんなにも自分が変わって行くなんて今の今まで思わなかった。
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