シーラカンスと黒い翼

石谷 落果

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case1 ウツミ・ルイ

ある湖畔にて、透明度140mほど⑨

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「こんにちは。ウツミ君と、ミクモさんだね」
 集団の中央に立つ男性は張り付いたような笑みを浮かべている。左右対称に釣り上がった唇はサインペンで描かれているようだった。
「ああ、トモダさん。ぼくたちもあなたに話したいことがあったので、ちょうどよかったです」
 トモダ・カヅユキはネレウスフライト設立時から活躍している古参社員だ。恰幅の良い体格をした潜水艦艦長兼潜水士だった。そして、会社の企業理念に深く賛同している生粋のヒューマニストだ。トモダのような優秀な大人とぼくたちの間に面識があるのは、支配能力者とヒューマニストの関係上、至極当然だった。
「先に潜っていたようだね。無事に帰ってきてくれてよかった」
 トモダは笑みを崩さずに腕を組んでぼくたち二人の前に立っている。
「危うく死にかけました。湖底には怖ろしい何かが潜んでいますよ」
 ぼくの言葉にトモダの後ろに立っている乗組員はざわついた。トモダは浮足立つ彼らを一括すると、また元の表情へ戻った。
「我々がミヅハ国の民間企業として、幻子生命体の討伐に成功していることは知っているだろう。仮にその類の何かがいるのだとしても問題はない。後は専門家の我々に任せなさい。君たち子どもではどうすることもできまい」
「そうですね。ぼくたちだけでは、どうすることもできない。だから、せめて情報だけでも聞いていきませんか?」
 ぼくの提案に、トモダは一拍置いた。
「それは助かるなあ」
 ぼくは彼の反応を踏まえて、大人たちの全員の顔を一瞥する。
「結論から言えば、今の湖底は危険です。水深400m辺りまでは、ただの美しい湖です。透明度は140mほどあるでしょう。ナト大陸のアマランガの洞穴に引けを取らない水質です。ところが、それよりも深く潜ると異変が起こり始めました。湖の生き物が湖底の中央に向かって引き込まれているんです。ぼくたちは中央の何かに敵意を向けられたとは感じませんでしたが、湖の生き物たちは必死に逃げようとしていました。その先に行ってはいけないと本能で察知しているんだと思います。ぼくたちは水の流れに導かれるように潜水を続け、湖底にたどり着きました。湖底の泥も湖水同様に浄化されています。ただ、ひとつ違和感のある物を発見しました」
 トモダの固着したような眉がぴくりと動いた。
「半透明の白い何か。今までの潜水では一度も見たことがない物体でした。怖くて触ることはできなかった」
 トモダは口元に蓄えた髭を無言で触っている。視線はぼくと湖を交互に捉えていた。
「ありがとう、ウツミ君。とても参考になったよ」
 グラスグリーンのベレー帽を外し、頭を下げると一隊を引き連れてトラックへと戻っていった。
 後ろを付いて歩く部下たちが、ドミネーターの言うことを鵜吞みにしないでくれとトモダに訴えているのが聞こえてた。
 それを耳にしたエノが走り出しそうになったので、ぼくは闇夜にハントする猛禽類のように瞳孔の開いた彼女の襟首を捕まえた。
「あの差別主義者どもめ!」
 エノは背中の羽を逆立たせている。情動に適した反応を見せる彼女の翼は、はっきりと身体の一部だと主張している。
「いつものことじゃないか。ぼくたちが直接傷つけられたわけじゃない」
「そうだけどさあ……」
 良薬を飲んだ後のようにエノの表情は強張っている。
「無事に戻ってきて欲しいんでしょ?」
「……まあ、それはね」
 エノはぼくの手を払いのけると、翼を大きく広げた。
「どうしたの?」
「おじいさんのところに行くんでしょ! 早くしてよ!」
 エノは力任せに翼をはためかせている。殺気立っていた彼女の背中は、艶やかな墨色が広がっていた。ぼくはエノの腰に巻かれたセーフティベルトを体に巻き付けた。
 不安定な安全装置だが、ぼくの潜水艦よりマシだ。エノがどれだけ湖底で不安な思いをしていたかを想像すると、よっぽど気持ちは楽だった。
 ぼくはエノに抱きかかえられながら、今日、三度目の空を飛ぶ。
 ぼくたちが養殖場に到着し、祖父に湖での出来事を話し終えたころ、トモダ・カヅユキ率いる潜水艦乗りたちは、メジウ湖への潜水を開始した。そして、ネレウスフライトの叡智を結集した潜水艇は二度と浮上してくることはなかった。
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