宇宙船地球号2021 R2

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第65話 037 中欧連合支部チェコ管理区域洋館(1)

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 階段を上がった俺は、通路右側へと向かって行く八神の背中を追った。
 だが、彼はドアを開けるとすぐに首を横に振った。
 こちらへ引き返してくる。それを見た俺も状況を察し反対側の方角へと身を翻した。

 少し先にあったドアを開けた。
 八神と絵麻を招き入れ、俺自身もその中へと入る。幸運なことに、同種の姿はそこにはなかった。

 本来であればこのまま同種に背後から襲われることを防ぎたいところだ。
 だが、俺はドアを閉める以外の行動は試みようとしなかった。

 まずドアに鍵はなく、またバリケードを築くためには家具の絶対数が足りない。
 さらに刑馬たちが下に待機している状態だ。同種の侵攻から身を守るためという理由だけで、ドアをを塞ぐことなどできるはずもない。
 仮にバリケードのようなものを築くとすると、いざ同種が玄関口から侵入してきた場合、刑馬たちの逃げ場が少なくなってしまう。
 
 先を行く絵麻の後ろ姿を見つめた。
 彼女がドアの間口を通過する時に顔を確認したが、恐怖に怯えているような様子はなかった。
 未だ表情は冴えないが、その足取りは普段通り軽そうだ。
 今回は閉鎖病棟や中庭でのような問題は発生しないだろう。
 
 そんなことを考えてから、視線を絵麻から外した直後のことだった。
 壁に程近い場所に、僅かな窪みがあることに気がついた。
 八神も絵麻もそれを認識したような素振りはしていない。廊下の色に同化しているので、単純にそれが見えていないというだけなのだろう。

 出口に繋がる何かがあるのかもしれないと思い、右足で押してみた。
 すると、壁が音も立てずに、くるりと横へ回転した。声を出す暇もなく、その向こう側へと俺の身体は追い出された。

「……何だ、ここは?」
 体勢を立て直した後に、口をついたのはその言葉だった。
 目の前に現れたのは内装を施していないビルにあるような広々とした一室。中はがらんとしていて家具らしき物は一切ない。先ほど俺がいた通路の壁は汚れが目立つとはいえ有機的な白い壁紙だったが、この部屋の壁は無機質な灰色のコンクリートだ。洋館の装飾や造りとはまったく趣が違う。
 何かしら嫌悪感を抱かせる雰囲気を醸し出しているが、それが何なのか入ったばかりではわかりようがない。

 こうしてはいられないとばかりに、回転した壁を手で押した。
 向こう側にいるはずの八神と絵麻へ呼びかける。
 だが、壁は開くことはなく、またその厚さのせいで音が遮断されているのか八神たちからの応答はなかった。
 浅はかな行動だったかもしれない。
 俺は率直にそう反省の弁を胸の内で述べた。
 あのエントランスでのトラップを考えれば、この程度の仕掛けはあると考えて然るべきだった。

 気を取り直してもう一度周りを見渡した。
 すると、部屋の奥に引き戸タイプのドアが見えた。コンクリートの色と同じだったので、一見では気がつかなかったのだ。

 そこへと早足で向かう。
 到着した後、素早くドアを開く。
 今度は、延々と先に続く長い通路が目の前に現れた。
 道なりに奥へ行く以外手段を持たない俺は、考えることもなくそのまま前へと進んだ。

 通路の両端にある窪んだスペースの至る所にモニターが並んでいた。
 すべて埃まみれ、錆まみれ。だが、モニター自体は通電はされているようで、その画面の中を大量の同種が縦横無尽に駆け回っていた。
 消音されているのか、内臓スピーカーから一切音は漏れてきていない。
 かといって、切迫感が薄れたわけではなかった。
 どれもこれも口を開け、いつものうめき声を咆哮している様はうかがえる。
 その表情は、いつ俺を食い殺してやろうかという狂気に満ち溢れていた。

 こんな状況で、八神たちは無事なんだろうか。
 画面に映らない仲間たちに思いを馳せながら、前へと足をやった。

 しばらく歩くと、正面に壁が現れた。
 その前を通路が通っており、左手と右手どちらも奥まで続いているように思えた。
 どちらに行くか迷ったが、右手側に進むことに決めた。

 五分ほど歩くと、通路の奥に人の気配を感じた。
 同種か?
 ピースメーカーを持つ手に自然と力が入る。ランボー・ファーストブラッド・ナイフにも念のため手をかけた。
 もし、一体だとすると、音をさせず倒した方が他の同種を誘き寄せずに済む。

 結局、二呼吸ほど待ったが、同種が俺を襲いに姿を現すことはなかった。
 これは、おそらく同種のものではない。
 そう考えた俺は、その気配がする方へと足を進めた。

 モニターが置いてあるテーブルまでたどり着くと、その下に見慣れた金髪が見えた。
 金髪の持ち主はぶるぶると身体を震わせて、俺の方をまったく見ようとはしなかった。
 おそらく同種が近づいてきたと勘違いしているのだろう。

 俺はその金髪の後頭部目掛けて、
「芹香先生?」
 と、呼びかけた。
 すると、彼女の身体の振動がピタリと止まった。

「無事で良かった。そういや、刑馬さんと姫はどこに行ったんだ? 芹香先生、一緒にいたんだよな。俺は八神さんたちと逸れてしまって……」
 そう矢継ぎ早に、状況を確認する。
 だが、芹香は俺の質問に答えることなく、
「圭介君」
 と言って、俺の身体に抱きついてきた。
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