宇宙船地球号2021 R2

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第92話 044 南欧連合支部北部イタリア管理区域ミラノドリームピースランド・柳生十兵衛姫神楽ルート(3)

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 姫と刑馬は急いで来た道を引き返そうとした。
「何……あの化け物は何なのじゃ」
 着物の裾を捲り上げ前へと走りながら、姫は言う。
「わかりませぬ……わかりませぬが、どうやら私たちを襲う気であるのは間違いなさそうです」
 刑馬が背後から声を返してくる。
 いつも冷静な彼にしては、うわずった声色だった。

 二足歩行で狂ったような道筋をたどりながら化け物が迫ってくる。
 壁に当たろうが地に着こうがお構いなしに顔を振り回し続ける。周囲にあった何かしらの模造であろう物体が、その振る舞いにより次々と破壊されていく。
 さらに、化け物は姫を飲み込まんとするが如く大口を開ける。
 次に咆哮が聞こえたかと思うと、背中の間近で歯が締まる音がした。刑馬に腰を押されていなかったら、今頃噛みちぎられていたことだろう。

 これで機嫌を損ねたのか、化け物がタガが外れたかのような奇声をあげる。壁に身体をぶつけながら、また姫たちを追いかけ始めた。
 巨大な足が、姫たちを潰さんと何度も振り下ろされる。
 都度聞こえてくる地響き。その度に身体が跳び上がりそうなほど地面が揺れた。
 恐怖のあまり一瞬立ち止まりそうになったが、刑馬に背中を押される。
 姫はその勢いのままトコトコと前へと進んだ。

「あの化け物から逃れるには、どこかに隠れるしかございませぬ。おそらく狭いところに向かえば、入ってこられますまい」
 刑馬が軽く息を切らしながら提案してくる。
「け、刑馬。それはどこじゃ?」
 唾を飲み込みながら、姫は尋ねた。
「どこかにありましょうぞ」
 刑馬はそういうと、姫の手を取って先へと躍り出た。
 そこで地震のような揺れが、また姫たちの膝を襲う。
 
 曲がり角に差し掛かった。
 広大な敷地が待ち受けていることは、姫たちがいる場所からでもわかった。
 巨大生物から逃げ切るには、その先を行くしかない。
 だが、いざそこに出てみると通りの先には、数えきれないほどの同種の群れ。横一直線の束となってこちらへと走ってくる。

「たったふたりにあれだけの人数とは、何とたいそうなことよ」
 姫は目を細めながら言った。
 全力で走った疲れから、すでに膝が痙攣を始めている。
 これ以上逃げようとしても体力は持たない。さらに、あのごみを一掃するかの如き同種の陣から逃げ果せることは不可能だ。
「姫様。この刑馬、まだ諦めてはおりませぬ。何とか姫様だけでも……」
 刑馬が若干矛盾した内容の言葉を述べる。
「妾も諦めてなどおらぬ。それにどうなろうとじゃ、刑馬。妾は離れぬぞ」
 溜め息を漏らしながらも、そう告げた。
 
 どう考えても、同種の群れはやり過ごすことはできない。
 姫はそう思いながら、逆方向へと顔をやった。
 そこには当然かのように先ほどの巨大な化け物。二人の行く手を阻むかのようにゆっくりと近づいてくる。
 歯から大量の涎が滴り落ち、道に水溜りを造っていた。すでに姫たちを食い殺す準備を始めているようだ。

「……目じゃ、刑馬。目を開くのじゃ」
 姫は少し悩んだ末、そう指示を送った。
「あの巨大な化け物と周りにいる同種……どちらに致しますか? 姫様。ご存じの通り一度使えばしばらくは使えませぬ」
 刑馬が落ち着いた様子で確認してくる。
「同種じゃ、刑馬。生きてなぶり殺しにされるより、ひと思いに食い殺された方がよほど気分が良かろうて」
 ため息をつきながら、自ら下した決断を伝えた。
「その通りでございますな、姫様。あの化け物に変わるくらいであれば、いっそ死んだ方が世のためでございます……この宍戸刑馬、最後までお供つかまつる」
 そう言いながら、刑馬は薄く笑い声をあげた。
 迫りくる巨大な化け物から、身体を背ける。相対したのは、もちろん同種の群れだ。

 刑馬のその姿を確認した姫は、手を前へと伸ばす。
 次に、ゆっくりと口を開いた。
「我が名は、柳生十兵衛元親改め夜叉丸が娘、柳生十兵衛姫神楽。冥途の土産に辞世の句として聞け、化け物どもよ。この柳生十兵衛姫神楽、その一の家来である宍戸刑馬。地獄への道に通ずる三途の川は決して貴様らと共には渡らぬぞ。そして、妾の名において命ずる」と辞世の句を添えながら、命じる。「見よ――刑馬」
 
 刑馬は迷う様子もなく目を見開いた。
 そして、そこに存在するはずのない光が、刑馬の赤い目玉から放たれる。
 あっという間にその光は、同種の群れを包み込む。辺りを渦巻いていたうめき声の塊は瞬時の内に消えてなくなった。
 同種の群れ。そのすべてが動きを止める。

 苦しそうに顔を歪める彼らを目にした姫は、薄い笑い声をその場であげた。
 そっと目を閉じる。
 巨大な化け物の咆哮がもう姫の耳もとまで届いていた。

「姫様……」
 刑馬が姫を抱きかかえながら、そう声を零した。主人を最後まで守ろうと身を呈する所存なのだろう。

 馬鹿なやつじゃ、おまえだけなら容易に逃げられるだろうに。
 かようなことをしても、二人もろともあの化け物に飲み込まれるだけぞ。

 そう胸の内で文句をつけた姫だが、それを口にすることはせず。
 赤子の時から知る刑馬の腕をそっと握りしめた。
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