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第1話 クレア・ザ・ファミリア
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桜の花びらが舞った。
それを完全に無視しながら、ピンクなのか朱色に染まってるのかよくわからない校門を後にした。
道路脇にはその俺を待っていたかのようにタクシーが停車していた。乗り込むと同時に運転手へ向かって、「トランスマイグレーション・ルーム」と、各国首都圏であればどこにでも設置されている仮想空間クレア・ザ・ファミリア転生用ルームの名称を伝えた。
特に正確な地名を伝える必要はなく、こう言われたら大抵誰でも最寄りのトランスマイグレーション・ルームを想像する。
「では、近場で」
エンジンを軽く吹かしながら、運転手は言った。続けてフロントミラー越しに薄く笑いかけながら訊いてくる。
「おや、その服装……学生服ですか? まだ若いのにお早いですね。もう転生を決められたのですか?」
運転手の疑問は当然だった。トランスマイグレーション・ルームに向かう学生は、この世界では確かに珍しい。しかも高校の卒業式を終えたばかりの学生ともなると数多くの人と接する彼としてもあまり見たことはないだろう。
俺はフロントミラーめがけて軽く頷いた。
「やはりそうですか。それはおめでとうございます。いやねえ、私も、もうそろそろかな? なんて……この歳になりようやく思うようになったのですが、如何せん踏ん切りがつきません」
運転手はかすかに生えたあご髭をさすりながら言う。頬にほんの少しできた皺を微妙に歪ませた。
だが、俺を指して若いと言ったこの彼にしても年齢は二十代前半ないし後半といったところだ。それでも現在人口約五百万人以下の現日本国では高齢の部類に入る。ほとんどが若者で占められる現在世界において社会に出てからの年齢などほとんど意味をなさない。
「今のところ幸いとは言ってはなんですが、私は突発的に死にそうにもないですし……もうちょっとこの世を楽しもうかな、なんて思っているところなんです。それに一応現世で結婚とかしてみたいのです。彼女もいない――というより生まれてこのかた彼女なんてできたこともないのに馬鹿みたいですよね……ハハハ」
いえ、あなたの職業は突発的に死ぬ可能性が最も高いような気がします、そして転生の動機が不純です。なんてイキったことをいうはずもない。
交通事故での死亡率どころか。現在世界全体での死亡率は1パーセント以下、小数点単位とはいえ、タクシーは現代に残っている仕事の中では危険な部類に入る。しかし、そんなことは彼も十分承知の上タクシーの運転手を務めているのだろう。
クレア・ザ・ファミリアに転生する動機は人様々だ。
何歳の時点で転生――入植と述べた方が正しいかもしれない――したって人の勝手であるし、どのようなモチベーションでその世界への転生に備えたって良い。
かくいう俺も転生の動機なんてひとつしかない。
働いたら負けだと思っているのに、大学行けなかったから就職しなければならないけど就職したくない、というより毎日趣味のレトロゲームをプレイしたい、ゲームの合間の好きな時にゴロ寝したい……すでに三つくらいの動機になってしまった気がするが……とにかく、クレア・ザ・ファミリアへの転生にはそれくらいの思い入れしかない。
親だってこの世界には既にいないし、親しい友人はこの世界でなくてもいない。この運転手と同じく彼女なんてもっての他だ。
自嘲気味に、にこりと微笑むとサイドウインドウ越しに外の様子をうかがった。
足早に流れ去る無機質なビルの群れ。道路の横――歩道には誰の姿も見えない。
どの土地に行っても変わらない何の変哲もない情景。すでに街の歴史といった趣を失った至極つまらない見慣れた光景。やはりレトロゲームかクレア・ザ・ファミリアにしか未来はない。
世間とは若干ずれた意見であることは認めるが俺はそう思っていた。
運転手との会話を終えてから五分程を経たあたりで、タクシーはゆっくりと速度を落とし始めた。ひと時の間もなくブレーキ音が鳴る。
運賃の支払いを終え、タクシーを降りた俺は、そのままの目の前にある小さな建物へと向かった。間口を潜るとすぐに白い壁にはめ込まれた大型モニタが目に入った。少し先にあったそのモニタの方へ足早に近づいていく。そして、部屋の中央あたりに俺の足が差し掛かったあたりでカチッと短い機械音が鳴った。
ようこそ、クレア・ザ・ファミリアへ
画面に触れるまでもなく、粒子状の映像がモニタから飛び出し、目の前にやってきた。何を考えるでもなく、挨拶文の下にあった――空間に浮かび上がっている――「次へ」ボタンを人差し指でクリックした。
すると、永遠の若さの保証、永遠の生命の保証、ただし現実世界の復帰は不可――などのような大量の文字列が、ずらずらと上から流れてきた。
なんだ、ただの落書き……いや、説明書きか。面倒くさい。自慢ではないが、こっちとしてはゲームの説明書さえほとんど目を通したことない身だ。無論、今回も一文も目を通す気はない俺は先程と同じように一番下にあった「次へ」ボタンを何も思わずクリックした。次に出現したのは容姿設定だった。
若干……変更したいところもあることにはあるが……新規登録時にこんな設定項目があるのであれば後で変更できるだろう――今はこのままでいい。軽い気持ちで容姿設定ボタンの直下にあった、そのままの容姿にする、ボタンをクリックした。
すぐにプログレスバーが表示された。青い線が足早に右端へと進んでいく。こんなものが表示されるということは、登録に時間がかかるのだろうか。そう思ったが、プログレスバーは青線が右端に到着するなりすぐに消滅した。
次に出力されたのはサーバー選択画面だった。五・六個――スクロールバーが横にあったのでもっとあるのかもしれないが――のサーバ名が現れる。下にそれぞれの説明書きがあったのだが、選ぶのも面倒なので適当に中央あたりのサーバーを選択し、次へボタンをすぐにクリック。
一瞬だったので、表示されたサーバー名がよく見えなかったが、おそらく「シルバー・クルセーダー」だったはずだ。他のサーバーの名前なんて視界にも入らなかった。
そして、ひと呼吸の間が空いた後――モニタが光ったかと思うと、そこから放たれたレーザーが俺の身体をくまなく照射した。
自分の足から順に身体が透明になっていく様を目前にした俺は、学校の授業で習った中でかすかにかに残っていたクレア・ザ・ファミリア転生時には自分の身体が粒子レベルに分解される――ことを思い出した。
それを完全に無視しながら、ピンクなのか朱色に染まってるのかよくわからない校門を後にした。
道路脇にはその俺を待っていたかのようにタクシーが停車していた。乗り込むと同時に運転手へ向かって、「トランスマイグレーション・ルーム」と、各国首都圏であればどこにでも設置されている仮想空間クレア・ザ・ファミリア転生用ルームの名称を伝えた。
特に正確な地名を伝える必要はなく、こう言われたら大抵誰でも最寄りのトランスマイグレーション・ルームを想像する。
「では、近場で」
エンジンを軽く吹かしながら、運転手は言った。続けてフロントミラー越しに薄く笑いかけながら訊いてくる。
「おや、その服装……学生服ですか? まだ若いのにお早いですね。もう転生を決められたのですか?」
運転手の疑問は当然だった。トランスマイグレーション・ルームに向かう学生は、この世界では確かに珍しい。しかも高校の卒業式を終えたばかりの学生ともなると数多くの人と接する彼としてもあまり見たことはないだろう。
俺はフロントミラーめがけて軽く頷いた。
「やはりそうですか。それはおめでとうございます。いやねえ、私も、もうそろそろかな? なんて……この歳になりようやく思うようになったのですが、如何せん踏ん切りがつきません」
運転手はかすかに生えたあご髭をさすりながら言う。頬にほんの少しできた皺を微妙に歪ませた。
だが、俺を指して若いと言ったこの彼にしても年齢は二十代前半ないし後半といったところだ。それでも現在人口約五百万人以下の現日本国では高齢の部類に入る。ほとんどが若者で占められる現在世界において社会に出てからの年齢などほとんど意味をなさない。
「今のところ幸いとは言ってはなんですが、私は突発的に死にそうにもないですし……もうちょっとこの世を楽しもうかな、なんて思っているところなんです。それに一応現世で結婚とかしてみたいのです。彼女もいない――というより生まれてこのかた彼女なんてできたこともないのに馬鹿みたいですよね……ハハハ」
いえ、あなたの職業は突発的に死ぬ可能性が最も高いような気がします、そして転生の動機が不純です。なんてイキったことをいうはずもない。
交通事故での死亡率どころか。現在世界全体での死亡率は1パーセント以下、小数点単位とはいえ、タクシーは現代に残っている仕事の中では危険な部類に入る。しかし、そんなことは彼も十分承知の上タクシーの運転手を務めているのだろう。
クレア・ザ・ファミリアに転生する動機は人様々だ。
何歳の時点で転生――入植と述べた方が正しいかもしれない――したって人の勝手であるし、どのようなモチベーションでその世界への転生に備えたって良い。
かくいう俺も転生の動機なんてひとつしかない。
働いたら負けだと思っているのに、大学行けなかったから就職しなければならないけど就職したくない、というより毎日趣味のレトロゲームをプレイしたい、ゲームの合間の好きな時にゴロ寝したい……すでに三つくらいの動機になってしまった気がするが……とにかく、クレア・ザ・ファミリアへの転生にはそれくらいの思い入れしかない。
親だってこの世界には既にいないし、親しい友人はこの世界でなくてもいない。この運転手と同じく彼女なんてもっての他だ。
自嘲気味に、にこりと微笑むとサイドウインドウ越しに外の様子をうかがった。
足早に流れ去る無機質なビルの群れ。道路の横――歩道には誰の姿も見えない。
どの土地に行っても変わらない何の変哲もない情景。すでに街の歴史といった趣を失った至極つまらない見慣れた光景。やはりレトロゲームかクレア・ザ・ファミリアにしか未来はない。
世間とは若干ずれた意見であることは認めるが俺はそう思っていた。
運転手との会話を終えてから五分程を経たあたりで、タクシーはゆっくりと速度を落とし始めた。ひと時の間もなくブレーキ音が鳴る。
運賃の支払いを終え、タクシーを降りた俺は、そのままの目の前にある小さな建物へと向かった。間口を潜るとすぐに白い壁にはめ込まれた大型モニタが目に入った。少し先にあったそのモニタの方へ足早に近づいていく。そして、部屋の中央あたりに俺の足が差し掛かったあたりでカチッと短い機械音が鳴った。
ようこそ、クレア・ザ・ファミリアへ
画面に触れるまでもなく、粒子状の映像がモニタから飛び出し、目の前にやってきた。何を考えるでもなく、挨拶文の下にあった――空間に浮かび上がっている――「次へ」ボタンを人差し指でクリックした。
すると、永遠の若さの保証、永遠の生命の保証、ただし現実世界の復帰は不可――などのような大量の文字列が、ずらずらと上から流れてきた。
なんだ、ただの落書き……いや、説明書きか。面倒くさい。自慢ではないが、こっちとしてはゲームの説明書さえほとんど目を通したことない身だ。無論、今回も一文も目を通す気はない俺は先程と同じように一番下にあった「次へ」ボタンを何も思わずクリックした。次に出現したのは容姿設定だった。
若干……変更したいところもあることにはあるが……新規登録時にこんな設定項目があるのであれば後で変更できるだろう――今はこのままでいい。軽い気持ちで容姿設定ボタンの直下にあった、そのままの容姿にする、ボタンをクリックした。
すぐにプログレスバーが表示された。青い線が足早に右端へと進んでいく。こんなものが表示されるということは、登録に時間がかかるのだろうか。そう思ったが、プログレスバーは青線が右端に到着するなりすぐに消滅した。
次に出力されたのはサーバー選択画面だった。五・六個――スクロールバーが横にあったのでもっとあるのかもしれないが――のサーバ名が現れる。下にそれぞれの説明書きがあったのだが、選ぶのも面倒なので適当に中央あたりのサーバーを選択し、次へボタンをすぐにクリック。
一瞬だったので、表示されたサーバー名がよく見えなかったが、おそらく「シルバー・クルセーダー」だったはずだ。他のサーバーの名前なんて視界にも入らなかった。
そして、ひと呼吸の間が空いた後――モニタが光ったかと思うと、そこから放たれたレーザーが俺の身体をくまなく照射した。
自分の足から順に身体が透明になっていく様を目前にした俺は、学校の授業で習った中でかすかにかに残っていたクレア・ザ・ファミリア転生時には自分の身体が粒子レベルに分解される――ことを思い出した。
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