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第14話 シティ・オブ・ハンニバル(5)

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「触手のある塊……ああ、それはバグですね、ハヤトさん」
 さらりとオトハが言う。
「バグって、プログラムのバグってこと?」
「ええ。クレア・ザ・ファミリアに実際の人間が入植し始めて、五十年を経た辺りから突如出没し始めたらしいのですが、名前は誰もわからないから、バグって呼ばれるようになったんです」

 例の塊についてオトハに尋ねたのは、彼女にせがまれ、ダコタ・チュートリアルからシティ・オブ・ハンニバルまでの軌跡を教えている最中のことだった。

 塊――そのバグという存在は、どう考えても場違いな強さを持っていた。あんなゲームバランスを崩すような強さを持つ怪物が初期段階から現れるのは、いかにクレア・ザ・ファミリアがもうVRMMOではないとはいえどあきらかな設計ミスだ。
 それらと相対する道中ずっとクレア・ザ・ファミリアの仕様には大きな不信感を抱いていた。だが、彼女の話通りそれがプログラムのバグというのであれば、多少ながらは納得ができた。

「あいつを殺すことはできるのか?」
 そう尋ねてから、コーヒーで喉元を潤す。焦茶色の液体が胸の奥を通り過ぎた。胃袋にそれが到達すると、焼け付くような熱さが五臓六腑に染み渡った。
 もちろんこのコーヒーはオトハの奢りであり、その調整はすでについている。
「……しかるべき武器があれば」
 若干深刻な面持ちでオトハは頷いた。

「クソ、特殊な武器が必要だったのか……どうりで、俺の木製トンファーを当てても、やつら、まったく動じないはずだ」
 スノハラが唇を噛みしめながら言う。
 ついでとばかりに、ドン、とテーブルの板を叩きつけた。
「そうでしょうとも、そうでしょうとも。バグを倒すにはしかるべきそれらの武器が必要なんです」
 と、調子良く言葉を返すオトハ。

 彼らのやりとりを聞いた俺は、軽く首を捻った。
 オトハはスノハラが述べたしょぼい兵器木製トンファーという部分にはまったく食いつこうとしなかった。というより、極自然な感じでその単語を耳に入れているようだ。
 
 まさかとは思うが、この世界――クレア・ザ・ファミリアでは俺の感覚の方がおかしいのだろうか。いや、そんなことはありえないはず。何しろこの世界は数えきれない程の人々が居住しており、そのほとんどはスノハラとは違い常識人のはずだ。
 しかし、クソゲー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる要素が多分に盛り込まれているであろう様相を呈してきたこの元VRMMOの世界であれば、異常者が正しい可能性があるとも、一方では思う。

「なるほど。その武器ってのは、バグを討伐するために開発されたパッチみたいなものか」
 俺がそうしている間にも、スノハラ――俺にとっての異常者が会話を進めていく。
「ですので、あなた方のような武器では絶対に倒せません。ふふ、本当によく生きてここまでたどり着けましたね」
 
 そんな感じでオトハは頬に笑みを浮かべていたが、ふと俺たちの顔を交互に見やったかと思うと、その笑みはすぐに焦りの色へと変わった。
「これは、これは。申し訳ありません。まったくもって不甲斐ないです。すぐに治しますから安心してくださいね」
 そう言うと、胸から下げているバッグから小さな瓶を取り出した。

 すかさずテーブルから身を乗り出して、中に入っていた液体をスノハラの身体に振りかけた。次に隣に座っている俺の身体にも。その理屈は不明だが、みるみる内に俺たちの傷ついた身体は修復されていった。
 そして、傷の治り具合に呼応するかのように液体は減り、小瓶はあっという間に空になった。

「あれ、なくなっちゃった」
 小瓶を降りながら、オトハはペロッと舌を出した。
 そそくさとその回復薬であろう物に手をかざす。すると、また小瓶の中に液体が補充された。

 この様子から推測すると、液体を補充するために使われたのはおそらくEXPだろう。このような使い方もできるのか。オトハの治療方法を見た俺は胸の内で感嘆した。

「でも、ハーメルンがそんなところに出没するなんて……災難でしたね、ハヤトさん」
 俺の身体に追加した液体を垂らしながら、オトハは言う。
「何、そのハーメルンって?」
「NPCの一種です。容姿はまったく人間と変わりませんので、一見しただけでは私たちもそうとは気づきません」
「……NPCって、コンピューターが操作するキャラクターのことだろ? そんなモブみたいなものがクレア・ザ・ファミリアには存在するのか」
「ええ、そうですとも。そうなんです。なので、あなた方はそのNPC……ハーメルンに連れられて、ダコタ・チュートリアルの外に連れ出された可能性が大変高い――」
「ちょっと待て」
 俺は声を荒げて、訥々と語るオトハの台詞の先を止めた。

 ハーメルンの正体は正直よくわからない。
 だが、そいつに連れ出されたってということは、人間の顔をしたコンピューターがダコタ・チュートリアルの城壁外へ俺が出るよう仕向けたということになる。つまり、ハーメルンの目的は不明だが、ハーメルンは転生したばかりで実情を知らない俺たちをあえてピックアップし、バグがいるような危険地帯に出向くよう上手く誘導したとも考察できる。

 ――ってことは、俺がダコタ・チュートリアルの外に出た直接的な原因となった奴というのは、まさか......
 そこまで考えた俺は、ゆっくりと向こう正面にいるスノハラへ顔をやった。
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