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第23話 ハンニバル小隊(8)

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 すぐに、まあ、いいか、と思い直して席を立ちあがる。
 オトハに手を引かれながら、テーブルの上へと登った。

 下界には、思い思いのアルコールを手に持ち騒いでいるハンニバル小隊の仲間たち。音楽を奏でている者も酔い潰れて寝ている者もパソコンを弄っている者もなぜか忍者姿で天井に張りついている者も、全員が俺の仲間だ。
 だが、俺が今見ているのはその仲間たちではなかった。

 腕の中にいるオトハ。普段は意識してなかったが、こうして近くで見るとやはりかわいい。
 ファウほどではないがちゃんと胸もある。

 俺がそんなことを考えている最中、別の曲へと音楽が切り替わった。
 音のテンポが速くなる。周囲がさらに騒がしくなった。曲に合わせたタップ音、さらにテーブルや床の軋む音が至るところから聞こえてくる。
 
 えっと、どうやって、踊るんだっけな。
 ファウたちが楽しそうに踊る姿を見て、自然と何か自分もしなければという焦りが生まれた。
 とはいえ、踊れないものは踊れない。

 そうだ、手取り足取りオトハに教えてもらおう。
 無理をせず、まずは自分ができるところから。

「オ、オトハ。ちょっとどうやって踊るか手本を……」
 そう言いかけて、俺は言葉を止めた。

 あれ? そういえば、オトハが踊っているところを見たことがない。
 そう思った瞬間だった。
 太ももに痛みが走った。

 イテッ、イタ――いや、痛い。
 何だ? この痛みは? 足を誰かに踏まれでもしたのだろうか。
 
 気を取り直して、俺はオトハへ話しかけようとした。
 だが、ボスっという音が間近でしたかと思うと、さらに鋭い痛みが俺の太ももを襲ってきた。

 それでも気にせずオトハの顔を見つめていたが、一拍の後また下からボスっという音が聞こえてきた。
 今回はさすがに何事かと思い下へと目をやってみると、そこには俺の太ももに食い込むオトハの足があった。
 すぐにまたあのシャープな痛みが襲ってくる。
 語るまでもない。あの鈍い音の正体は、オトハのローキックだったのだ。

 何してんだ、こいつ……
 当然だが、こめかみの青筋辺りに自然と力が入る。

「この子、何度教えてもダンスできないのよ。気をつけなさい、ハヤト。でないと、足を痛めるわ。歩けなくなるくらいね。オトハは何もできないし頭も良くないけれど、ローキックだけは上手いんだから」
 踊りながら近寄ってきたファウが、頬をニヤつかせて言う。

 何だそれ。先に言ってくれよ……
 俺は唇を噛んだ。

 音楽のボルテージの上昇に合わせて、さらにローキックの質が上がってきた。
 一撃一撃が重くなっていく気さえする。
 そろそろ笑いごとではなくなってきたので、
「お、おい……オトハ。そろそろダンスはやめにしないか」
 とオトハに声をかけた。

 だが、オトハはローキックダンスに夢中になっているのか、聞く耳を持つ様子はない。
 もはや、その一撃一撃が上からコンクリートの棒を太ももに落とされたような感覚になってきている。

 このクソ馬鹿野郎――

 俺は攻撃を受けていない方の足で、オトハの両足を思いっきり払った。
 オトハはその場で一回転して床に頭をぶつけ、そのまま意識を失った。

 まあ、クレア・ザ・ファミリアだから死にはしないだろう。
 ローキック女の顔を見下ろした俺はそう概算した。

 もちろんオトハの意識がないくらいで音楽はやむことはない。それどころかオトハの気絶を潤滑油として、宴会のボルテージは最高潮に達しようとしていた。

 ったく、と痛みに耐えきってくれた太ももをさすりながら、その喧騒から若干離れたところにある自分の席に戻った。
 これまでの行動や兄のキラの言動から、もしかすると馬鹿ではないのかと思っていたが、オトハのやつ、本当に馬鹿だったとは。
 俺は頭を振った。
 そして、氷だけが入っているジョッキで、太ももを冷やそうとした瞬間だった。

「……時に、ハヤト。近々物騒なことが起こるってのは、オトハから聞いてるか?」
 突然、顔を赤らめたエドワードが――といってもいつも顔は赤いが――訊いてきた。
 酔っぱらっている時にする話かよ、と突っ込みを入れたくはなったがそれも面倒だ。
 俺は単純に首を横に振った。
 もちろん、その時も太もものアイシングを忘れない。
「言ってないのか。仕方がない奴だな」エドワードが呆れ顔を見せる。「ウルボロス山って雪山が近くにあってな。それを越えた先にある街シティ・オブ・エパスメンダスに、他国の奴らが攻め込んでくるって情報が入ってきている。エス・カトー総督から昨日入電があった」
「……他国? 他サーバーという意味なのか? それとも他の街? エス・カトーって誰? なぜこのクレア・ザ・ファミリアで? もしかして戦争とかいうやつ?」
 すでに酔っぱらっていた俺は、思考もまばらに頭に浮かんだ疑問を並べ立てた。

「……まあ、こんな暗い話はいいか。つまんねえしな」そう言って、エドワードが肩を組んできた。「さあ、ハヤト。飲め、飲み干すんだ!」
 濃い小麦色のビールが、ピッチャーから俺のグラスに注ぎ込まれる。入れ終わるや否や、すでに正体不明になっているスノハラのグラスにも。
 いつもながらに適当な奴だ。
 俺が腹立ち紛れにグラスに入った分を飲み干すと、またエドワードがピッチャーから新たにビールを投げ込んでくる。

 そして、この繰り返しが延々と続く。
 こうなってしまっては、今日この男からこれ以上話を引き出すのは不可能だ。

 昼は鍛錬か買い出し、夜は毎夜こんな感じであり、肝心な話――クレア・ザ・ファミリアの情報は少しずつしか知ることはできない。
 だが、それでも問題はなかった。
 何しろ俺はこのクレア・ザ・ファミリアでこれから永遠に等しい時間を過ごすのであり、この世界を知ることにまったく焦る必要はない。
 時間なんてないに等しいのだから、それは半歩ずつで十分。そして、毎日毎晩がなんとなく楽しければ大満足。それ以上のことを望むなんて、あの世にいる数百年前の人類にきっと恨まれてしまう。

 だが、俺はこの時知らなかった。
 このハンニバル小隊がその三か月後、エドワードの言った雪山ウルボロス山中で跡形もなく消滅することを。
 そう、現在作戦司令本部に出向しているキラと、作戦に参加しなかったジョン・スミスを除いたすべてのメンバーが、紛れもなく……その雪山で悲劇的な末路を辿るということを。
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