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第五章

第三十四話 脱出

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 例えるならそれは、真夜中の帰り道にいきなり出現した太陽だった。

 サニーの投げたランタンの灯が、坑道から吹き出したガスに引火して瞬く間に巨大な炎へと変わる。

 炎はうねりを上げて怪物と化したセレンを呑み込み、歪な造形を縁取って煌々と輝くアーチを生み出す。

「ヒィィィ!! グゥゥッ!! アァァァァ――!!」

 全身を火に巻かれたセレンが悶え苦しみ、身体をくねらせながら滅茶苦茶に触手を振り回す。それが坑道の壁や地面に命中する度に新たなガスが吹き出し、火の勢いを更に倍加させる。

 暗かった坑道内は、突如現れ今尚拡大を続ける炎のオブジェによって既に真昼のように明るい。

「うっ……! ゴホッ、ゴホッ!」

 かといって、窮地を脱したとは言い難い。

 絶え間なく吹き出るガスに煽られ、何処までも燃え広がる火炎。それに伴って生じる夥しい量の煙。

 サニーは視界を塞がれ、呼吸も遮られて涙目になりながら必死に口と鼻を手で覆う。

「ゴホッ……! シェイド、さん……っ!」

 よろよろとフラつきながら目を凝らしてシェイドを探す。果たして彼は無事なのだろうか?

「この、ままじゃ……死んじゃう……っ! ゴホッ! 逃げ、ないと……!」

 煙の充満する中を、サニーは泳ぐように辿々しく歩く。

 既に自分の周囲にまで火の手が及んでいる。爆発音と、セレンの悲鳴らしき絶叫が絶え間なく聴こえるが、それも最早何処からしてくるのか分からない。

 爆発の所為か、セレンが暴れた所為かは判別がつかないものの、坑道全体が小刻みに揺れてうっかりバランスを崩しそうになる。震動に合わせてパラパラと降ってくる小粒な瓦礫が、コンコンと小さな音を立ててヘルメットを叩く。今のところは大きな崩落は無いが、それもいつまで保つか分からない。

 煙による窒息か、炎に巻かれての焼死か、はたまた圧死か。いずれにしろ早く出口を見つけなければ、サニーの命運は此処で尽きてしまう。

「ガハッ! ゴフッ! ゴハァッ! うぅ……! 苦、し……! は、早く……!」

 煙を吸い、激しく咳き込むサニー。視界が揺れ始め、意識が霞む。

 死の気配が、刻一刻とにじり寄ってくる。


 
「サニーさんっ!!」



 焦燥感と恐怖感で押し潰されかけた時、待ち望んでいた男の声がサニーのすぐ傍で上がった。

「っ! シェイドさん……っ!」

「もう少し頑張って! さあこちらです!」

 煙の中から現れた救世主。

 傍に戻ってきたシェイドに肩を支えられ、生きる希望を取り戻したサニーは死物狂いで足を動かした。

 ドカン、ドカンと爆発音が轟き、さっきよりも揺れが激しくなる。坑道が崩壊しかけているのだ。

 降ってくる土砂や瓦礫を避けながら辿り着いたのは、この部屋の中央にポツンと置かれていたあのトロッコだった。

「さあ乗って!」

 押し上げるように、サニーをトロッコの荷台へ押し込むシェイド。

 すぐさま自分も乗り込むと脇にあるレバー装置へ手を伸ばし、それを思いっきり手前へ引いた。

「わっ……!?」

 ガクン、とトロッコが動き出してサニーの身体が揺れる。発進したトロッコは瞬く間にスピードを上げ、レールの上を勢いよく滑って炎から遠ざかる。
 
 

「シェイド、サマァァァァ――!!!」


 
 部屋を飛び出す直前、セレンの断末魔を聴いた気がした。

 不安定に激しく揺れるトロッコの中で、サニーはどうにか姿勢を整えてそっと荷台から顔を出して背後を覗き込む。

 炎の勢いは衰えるどころか、引火に引火を繰り返してどんどん燃え広がっているようだ。部屋の外に伸びるレール沿いの壁が火を吹いて割れる様子が、小さくなってゆく景色の中でもはっきり分かる。一体何処まで波及してしまうのか、サニーには全く想像もつかなかった。

「セレン……」

 サニーと同じように背後を見つめ、万感の想いが込もった呟きを漏らすシェイド。

 そっと覗いたその横顔に、一筋の涙が伝うのを、サニーは無言で見守った。
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