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清明
葛葉
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「そろそろ起きなさい、清明」
柔らかな声が、夢の底から俺をそっと引き戻した。
重い瞼を開けると、ぼやけた視界の中で黒い影が揺れていた。
そこにいたのは、黒いセーラー服を身にまとった黒髪の少女。声の印象よりずっと幼く、それでいて瞳の奥には、どこか妖しい光が潜んでいた。
それより驚いたのは——俺が彼女の膝を枕にしていたことだ。
「ご、ごめん……!」
思わず飛び起きる。足に伝わる冷たい板の感触。ここは……木造の床の間。
朝の光が柔らかく差し込み、ほのかに埃の香りが混じった空気が、眠気の残る鼻をくすぐる。
「わからないことが、沢山あって……それに、どうして僕の名前を?」
「あなたの鞄に書いてあったの。朝食にするから、場所を移しましょう」
涼やかな声に促され、俺は周囲に目を向けた。
廻縁の向こうで、昨日の夜、俺を守ってくれた二人の子供が、じっとこちらを見つめている。
小さな肩を寄せ合い、俺を確かめるような視線だった。
「二人のこと、わかるかしら?」
俺は頷く。
「勿論。昨日、助けてもらった。ありがとう……怪我しちゃったね」
服は新しくなっているが、傷跡は残っていた。
物の怪の類だろうか——そんなことを考えたが、口にはしなかった。
「場所を移す前に、あの子たちに霊力を与えて。わかるでしょ?」
「……霊力? それって、どういう力ですか?」
正直、よくわからない。呼び出す、使役する——そんな言葉が頭に浮かぶ。
少女は俺の手を取り、両手で包み込む。
掌から、柔らかな光と温もりがゆっくりと体を満たす。
まるで、遠い記憶の奥底に眠っていた感覚が呼び覚まされるようだった。
「もういいわね。まだ貯められる量は少ないわ。食事と修行が必要ね」
手を放された後も、微かな温もりが残る。
奇妙に、幸福な時間だった。まるで、昔にも同じことをされていたような、懐かしい感覚。
「うまく出来るかな……俺の霊力で、本当にいいのか?」
「白菊、白鈴。清明は記憶が無いから、ご挨拶をしてもらいなさい」
二人は歩み寄り、俺の前に立つ。
「白菊です、主様。お戻りをお待ちしておりました……」
薄紅の小袖の少女は、涙をこぼしながら小さな手を俺の右手に置く。
「泣くなよ、姉ちゃん。白鈴です、清明様」
ぐっと小さな手を差し出して左手に置いた。
「微笑ましいわね」
少女が柔らかく微笑む。
俺は、さきほど少女から教わった方法を思い出す。
二人の手に光が指先から溢れ、体を優しく包む。
傷は瞬く間に消え、二人の姿がより鮮明に、柔らかく輝き出す。
「これで……あってるかな?」
「さすが、清明ね。飲み込みが早いわ」
少女の声に、嬉しそうな響きが混じる。
俺の胸も、静かな確信で満たされる——間違っていない。
「清明様、こちらです」
白鈴に案内され、建物の外に出る。
澄んだ朝の空気、木々を透かす光、遠くで響く鳥の声。そして、鳥居が視界に入った。
「あれ……ここは、神社だったのか?」
「はい、その通りです。ここは——晴明神社ですよ」
白鈴は言いたげに唇を動かすが、言葉を飲み込む。
その沈黙に、俺の胸の奥がざわつく。遠い過去から、呼ばれているような——そんな気配が、確かにあった。
※
社務所の裏にある屋敷。
「ご馳走様でした。美味しかったよ」
食いしん坊の俺は、何度もご飯のお代わりをした。
炊き立てのご飯。そして、焼き魚、だし巻き卵、湯豆腐、小皿の煮物、味噌汁。
温かい食事なんて、学校の給食を除けば、初めてだ。
白菊は、嬉しそうに膳を下げて、お茶を注いでくれている。
「もういいの?」
少女が、笑いながら言った。
「もう食べられない」
だが、俺は焦ってもいた。激怒する老婆の姿が目に浮かぶ。
「厄介になりました。帰らないと……」
「そうよね。小学生が夜遊びなんて……」
「違うよ! あいつらが襲ってきたから」
俺の言い訳にクスリと笑う少女。俺の反応がいちいち楽しいらしい。
「それなら、私に考えがあるわ。ちょっと待ってて」
しばらくして、少女は戻ってきて俺に告げた。
「清明が家に帰る時、一緒に大人の人に行ってもらうわ。だから、もう大丈夫よ」
「大丈夫? でも僕の家は遠いし、迷惑を掛けちゃう」
「それなら余計に、行ってもらわないと。迷惑どころか光栄に思うから大丈夫。そんなことより知りたい事があるんじゃ無いの?」
彼女は謎かけをしてきた。聞きたいことが、たくさんありすぎる。
「何故、僕は追いかけられたの?」
あくまで想定だと、彼女は前置きして答えた。白菊たちから聞いた戦闘のあらまし話をもとにした推測にすぎない、と。
「奴らは、犬神家の一族。いや、きっと本物じゃない。そして妖犬も、作られた妖怪ね」
「妖怪を作る? そんなこと出来るの?」
「出来るの。とても悲惨なやり方で、犬を殺して……」
彼女から聞いた方法に、俺は怒りを覚えた。
「警察に言って……」
「無駄よ。被害が出てないでしょ。それに奴らはもう京にはいない」
「どうして?」
「神無月が終わったから」
奴らの目的はわからない。だけど、京という聖なる地を荒らすことができる時ももう終わったということらしい。
「それに、清明の式神が全て消滅させてしまったんでしょ?」
「貴人。ていうのは何となくわかった」
「そうね。他の式神も呼び出さないと拗ねてしまうからね」
俺は苦笑いした。呼び出すと言っても、すっと頭に浮かんだだけだ。正しいやり方もどんな式神がいるかもわからない。
「大丈夫よ。あなたは晴明の生まれ変わりだから」
「ところで貴女は?」
「ふふふ。貴方の母さんの葛葉よ!」
心の底から可笑しいらしい。
白菊と白鈴もこちらを見て微笑んでいる。
俺は、母と名乗る中学生の少女に抱きしめられて混乱し赤面した。
柔らかな声が、夢の底から俺をそっと引き戻した。
重い瞼を開けると、ぼやけた視界の中で黒い影が揺れていた。
そこにいたのは、黒いセーラー服を身にまとった黒髪の少女。声の印象よりずっと幼く、それでいて瞳の奥には、どこか妖しい光が潜んでいた。
それより驚いたのは——俺が彼女の膝を枕にしていたことだ。
「ご、ごめん……!」
思わず飛び起きる。足に伝わる冷たい板の感触。ここは……木造の床の間。
朝の光が柔らかく差し込み、ほのかに埃の香りが混じった空気が、眠気の残る鼻をくすぐる。
「わからないことが、沢山あって……それに、どうして僕の名前を?」
「あなたの鞄に書いてあったの。朝食にするから、場所を移しましょう」
涼やかな声に促され、俺は周囲に目を向けた。
廻縁の向こうで、昨日の夜、俺を守ってくれた二人の子供が、じっとこちらを見つめている。
小さな肩を寄せ合い、俺を確かめるような視線だった。
「二人のこと、わかるかしら?」
俺は頷く。
「勿論。昨日、助けてもらった。ありがとう……怪我しちゃったね」
服は新しくなっているが、傷跡は残っていた。
物の怪の類だろうか——そんなことを考えたが、口にはしなかった。
「場所を移す前に、あの子たちに霊力を与えて。わかるでしょ?」
「……霊力? それって、どういう力ですか?」
正直、よくわからない。呼び出す、使役する——そんな言葉が頭に浮かぶ。
少女は俺の手を取り、両手で包み込む。
掌から、柔らかな光と温もりがゆっくりと体を満たす。
まるで、遠い記憶の奥底に眠っていた感覚が呼び覚まされるようだった。
「もういいわね。まだ貯められる量は少ないわ。食事と修行が必要ね」
手を放された後も、微かな温もりが残る。
奇妙に、幸福な時間だった。まるで、昔にも同じことをされていたような、懐かしい感覚。
「うまく出来るかな……俺の霊力で、本当にいいのか?」
「白菊、白鈴。清明は記憶が無いから、ご挨拶をしてもらいなさい」
二人は歩み寄り、俺の前に立つ。
「白菊です、主様。お戻りをお待ちしておりました……」
薄紅の小袖の少女は、涙をこぼしながら小さな手を俺の右手に置く。
「泣くなよ、姉ちゃん。白鈴です、清明様」
ぐっと小さな手を差し出して左手に置いた。
「微笑ましいわね」
少女が柔らかく微笑む。
俺は、さきほど少女から教わった方法を思い出す。
二人の手に光が指先から溢れ、体を優しく包む。
傷は瞬く間に消え、二人の姿がより鮮明に、柔らかく輝き出す。
「これで……あってるかな?」
「さすが、清明ね。飲み込みが早いわ」
少女の声に、嬉しそうな響きが混じる。
俺の胸も、静かな確信で満たされる——間違っていない。
「清明様、こちらです」
白鈴に案内され、建物の外に出る。
澄んだ朝の空気、木々を透かす光、遠くで響く鳥の声。そして、鳥居が視界に入った。
「あれ……ここは、神社だったのか?」
「はい、その通りです。ここは——晴明神社ですよ」
白鈴は言いたげに唇を動かすが、言葉を飲み込む。
その沈黙に、俺の胸の奥がざわつく。遠い過去から、呼ばれているような——そんな気配が、確かにあった。
※
社務所の裏にある屋敷。
「ご馳走様でした。美味しかったよ」
食いしん坊の俺は、何度もご飯のお代わりをした。
炊き立てのご飯。そして、焼き魚、だし巻き卵、湯豆腐、小皿の煮物、味噌汁。
温かい食事なんて、学校の給食を除けば、初めてだ。
白菊は、嬉しそうに膳を下げて、お茶を注いでくれている。
「もういいの?」
少女が、笑いながら言った。
「もう食べられない」
だが、俺は焦ってもいた。激怒する老婆の姿が目に浮かぶ。
「厄介になりました。帰らないと……」
「そうよね。小学生が夜遊びなんて……」
「違うよ! あいつらが襲ってきたから」
俺の言い訳にクスリと笑う少女。俺の反応がいちいち楽しいらしい。
「それなら、私に考えがあるわ。ちょっと待ってて」
しばらくして、少女は戻ってきて俺に告げた。
「清明が家に帰る時、一緒に大人の人に行ってもらうわ。だから、もう大丈夫よ」
「大丈夫? でも僕の家は遠いし、迷惑を掛けちゃう」
「それなら余計に、行ってもらわないと。迷惑どころか光栄に思うから大丈夫。そんなことより知りたい事があるんじゃ無いの?」
彼女は謎かけをしてきた。聞きたいことが、たくさんありすぎる。
「何故、僕は追いかけられたの?」
あくまで想定だと、彼女は前置きして答えた。白菊たちから聞いた戦闘のあらまし話をもとにした推測にすぎない、と。
「奴らは、犬神家の一族。いや、きっと本物じゃない。そして妖犬も、作られた妖怪ね」
「妖怪を作る? そんなこと出来るの?」
「出来るの。とても悲惨なやり方で、犬を殺して……」
彼女から聞いた方法に、俺は怒りを覚えた。
「警察に言って……」
「無駄よ。被害が出てないでしょ。それに奴らはもう京にはいない」
「どうして?」
「神無月が終わったから」
奴らの目的はわからない。だけど、京という聖なる地を荒らすことができる時ももう終わったということらしい。
「それに、清明の式神が全て消滅させてしまったんでしょ?」
「貴人。ていうのは何となくわかった」
「そうね。他の式神も呼び出さないと拗ねてしまうからね」
俺は苦笑いした。呼び出すと言っても、すっと頭に浮かんだだけだ。正しいやり方もどんな式神がいるかもわからない。
「大丈夫よ。あなたは晴明の生まれ変わりだから」
「ところで貴女は?」
「ふふふ。貴方の母さんの葛葉よ!」
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